日新(ひにあらた)日々(ひにひに)新(あらた)〜多様な価値観に出会い、自己をバージョンアップ〜このスローガンのもと、事業展開をしたわけですが、今年のキーワードは、まさに「価値観」でした。私にとって当たり前や義務、日常であることが、世間やメンバーである仲間にさえ異質であることを新たにいくつか知りました。それほど重大な事柄ではなかったにしろ、その差に悩まされることもありました。例えば、知識、能力、日常生活など、ほとんどの原因は経験不足であることも分かりました。いわゆる年の功というものですが、それをうまく伝えることの難しさを経験しました。逆に、私がそう思われたこともあったでしょう。そのような事態を避けるために、シニアクラブの先輩や外部の識者にも報告と相談を欠かさず行っておりましたが、皆様が私の応援団のような状況でしたので、厳しい助言が少なかったことも事実です。しかし、対外的な事業は概ね良い結果が得られ、今後の展望は明るいものにすることができたと感じます。
今年は「協働」が大きなテーマでした。どのような方々を巻き込むことができたかは、各委員長の報告をご参照ください。何事もそうですが、一方的に話を聞いただけでは、成果として残るものは少ないものです。共に分かち合ってこそ、物心両面に渡り影響しあえるのです。その中で印象的な事は、協働相手が何かの専門家であることが多く見受けられたことです。専門家は信念を強く持っているので、私達の求めるものとの調整が難しく、ちょっとしたニュアンスの違いが大きく影響することがあります。相手の心をどれだけ開くことができるか、相手の心にどれだけしなやかに入り込めるかが勝負です。そのような時こそ、コミュニケーション力が必要になります。交渉ごとは独りよがりにならず、仲間と一緒に行ってほしいものです。青年会議所活動は失敗が許されるものだという内部の論理がありますが、体外的なトラブルは許されない失敗です。また、協働相手に接する度、私達のように何でも屋は希少であることも実感させられました。
「総務室」について
総会は、形式としてはあまり進展を見せないまま、終わってしまいましたが、2回目には新入会員の歓迎会ができたこと、3回目には新入会員のあいさつが盛り込めたことは明るい兆しを感じることができました。卒業式は、今までにないスタイルになったので、今年の委員会の特筆事項になりました。
また、公益法人検査がありましたので今後の課題も明確になり、楠副理事長が責任者となり、新規則に準じた手続きを次年度にかけ、行うことになりました。
広報委員会につきましては、処事情により委員会が機能できませんでした。その責任を取り、私自らが事実上の広報担当となり、ホームページの運用・対外的な連絡係・例会の実務を行い、対処いたしました。またマスコミにも多くアピールいたしました。不徳のいたすところでしたが、個人的にはITに関するスキルアップの機会となりました。
「地域創造室」について
数々の対外的な事業を企画運営した非常に過密なスケジュールをこなして頂きました。統括する上村副理事長には、深い感謝と少々偏りすぎたかという反省の念を感じます。それにも関わらず、一言の苦言もなく進めた力量に感服いたします。
『にらさき子ども未来塾』は不運にも山梨ブロック協議会のスケジュールと相まって、予定外の計3回を開催しました。どの内容もその名の通り、子どもらに未来を見つめる時間を作ることができました。また、私が打ち出したテーマである「協働」を駆使した企画でありました。『にらさき子ども未来塾』の名が地域に浸透し始めたことを感じた1年でした。今後は、ぜひ、ブランド化を目指してください。
『出会いの米づくり』は参加した人に多くの実りを与えたことでしょう。私自身も今まで見えなかったものが見えるようになりました。例えば、稲作をしている人の姿や田んぼの様子など、そこにあるのに意識ひとつで見えたり見えなかったりするという現象を体感しました。また、現代日本における農業のあり方にも考え及ぶようになりました。
『ナイスエイジング』造語のようですが、すてきな言葉だと感じます。私は女性ということもあり、年老いていくことに異常な恐れがありました。地域で活動する大先輩方を知り、ライフワークの重要性を教えられ、本当の大人の世界を垣間見ました。この先、自分に何ができるだろうと、明るい意味で考えることができました。
各委員長は、これまでの自分が否定されるような体験もしましたが、支援にもいろいろな形があることを知った1年だったでしょう。経験や人脈を今後に役立ててください。
「会員創造室」について
『会員拡大』今年の韮崎青年会議所を象徴するものとなりました。山梨ブロック協議会のメインテーマでもあり、各LOMとも力を注ぎましたが、結果は、わが韮崎青年会議所のみが目標を達成するという惨たんたるものでした。その偉業を成し遂げた委員長には、深い敬意を感じます。委員長も私も韮崎青年会議所への愛情とも言える思い入れが人一倍強かったのだと感じます。拡大なくして存続はあり得ません。良いものを作れば売れるという理論もありますが、口コミは成果が出るのが遅いものです。知っていても買うに及ばないこともあります。やはり営業活動は必須です。口コミと営業活動、2本立てで行きましょう。
新たな価値観の獲得のために、メンバーが個々に持つ知識やコミュニティーの紹介をして欲しいというリクエストもしました。それに応じてくれたのが会員研修委員会でした。朝5時半に集合という例会には困惑したメンバーもいたようですが、これぞ新たな価値観でした。また、納会も家族が参加しやすい設えをし、活動内容を伝えることができたメンバーにとっても有難い時間でした。
宮川副理事長は、室の枠を超え、縁の下の力持ち的な存在でした。機会あるごとに家族を連れ立って参加され、JCマンのあるべき姿を提示してくれました。
「委員会支援・渉外」について
この担当は上野特別理事ひとりでした。特別理事というのは、本来名誉職で名前だけというものらしいですが、真の委員会支援担当でした。また、直前理事長も実質的にこの担当を請け負って頂きました。担当例会も3回もあり、多忙極めました。サッカーW杯のパブリックビューイングで事実上の主催者になったこと。市恒例の12時間サッカーが急きょ24時間サッカーとなり、大慌てしたこと。観光協会の事業も加わり、予定外の企画が続出しましたが、長年の経験で難なくこなして頂きました。
「韮崎市長選挙 立候補予定者公開討論会」について
実行委員会を立ち上げ運営しましたが、予想以上に難航し、上村実行委員長には重労働を強いてしまいました。交渉や準備に手間がかかり過ぎ、実行委員会を立ち上げるより年間計画に組み込むべきだったと省みます。しかし、アンケートでの意見や報道の扱いを見ても分かるように、地域社会への意義は大きいものでした。
報告書は冊子にしましたので、今後、ぜひ役立ててください。
「出向役員」について
今年の出向者の多くは、実質的に各部署の核となり、韮崎青年会議所の名を上げた働きぶりでした。特に、山梨ブロック協議会のメディアコミュニケーション委員会を率いた中嶋委員長は、他LOMの誰もが異口同音にすばらしい人材だと言う賞賛の声を頂きました。おかげで情報系は、韮崎青年会議所との連携が密になり、効果的なアピールをすることができました。
また、関東地区 会員交流委員会へ出向した宝方・島村両委員は、LOMへ還元するものが大きく、メンバーに新たな気付きを提供しました。
「理事長公職」について
メンバーが知る機会がこれまで皆無でしたので、今年はブログを通して理事長の仕事を記録しました。26、7あると伝え聞いておりましたが、結局全容は見えず、私は20種の会議体の委員となりました。会議の在り様が、名前を連ねるに過ぎないものが多く時間の無駄に思えましたが、少しでも有意義に過ごすため、出席する1会議につき最低1回は発言することにし、実践いたしました。また、企画書を提出した会議もあります。
特に、観光協会では副会長という要職です。知らないでは済まされません。これまで、私は個人的に市の観光業務に携わっていましたので、概要は知るところでした。そうでなければ、恥をかくような場面に遭遇します。引継ぎが重要です。
それにしても、自治体は様々な価値観によって構成されていることを知りました。まだまだ未知の世界です。一部ですが、このような運営組織があって、このような資金が動いているということを知り、活動の補助にもなりました。私達の活動にうまく取り入れたいものです。
尚、任期が4月〜3月が多く青年会議所とそぐわないことから、次年度より新理事長には4月に引き継ぐことにいたしました。1〜3月は直前理事長が職務に就くこととします。
結びに
理事長として私にしかできないことは何だろう、これには唯一の答えがありました。それは私が「女性」であることです。山梨県の青年会議所の歴史が55年もあるのに、私が初めての女性理事長だという事実を実感するのに時間がかかりました。こんな明確な答えに気づいたのは、任期終了まであとわずかなところでした。これまでの青年会議所活動において、性差を感じたことがほとんどなかったので、問題として感じられなかったのです。これは、先輩はじめとするメンバーに恵まれていたからですが、世の中では女性だから差別されることが今だにあるのです。
何となく感じ始めたのは、理事長として出席する会議や催しの場面でした。男女比率が30対1、50対1、時には100対1なのです。青年会議所ではよくあることでしたが、外部でも同様だったのです。辛うじて比率が同じくらいになるのが、教育と環境に関する会議でした。今は何時代? ここは先進国? とおかしな疑問が沸くほどでした。
私の結論としては、各論にまで及びませんでしたが、社会の構造がとか家庭環境がとかよく言われることが原因ではなく、女性そのものに問題があるというところに行き着きました。この女性に働きかける活動が私の命題だと、1年間かかって知ることになりました。私の輝きようで、後に続く分子が育ったのではないかと考えると、さらなる活動の在り様があったと後悔しました。この件は、私の青年会議所活動に引き続くテーマとなりそうです。
最後に私のパートナーであった島村専務理事には、深くねぎらいを申し上げます。上司が女性というのは戸惑いも多かったでしょうが、近頃の世間ではよくあることらしいです。新たな実績に加えて頂ければ幸いです。私ができなかった分野でのメンバーのフォローを直前理事長と共に行って頂きました。また、特別会員の皆様、シニアクラブの先輩方からの私を見守るまなざしを強く感じておりました。誠にありがとうございました。そしてどうぞ・・・韮崎JCよ、栄えあれ!

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