2017/11/2
うつ病は「心の風邪」というよりも「死を招く肺炎」かもしれない 03 言葉を失う 失声症?! 健康イロイロ
前回から
2017年09月29日(金曜日)
現在、私はうつ病闘病中で、毎週金曜日はクリニックでカウンセリングを受けている私。
この日もいつもと変わらず、しゃべっていましたが、突然・・・
あれっ ?! なんだか口がおかしくなって発声が変だぞ?!
具体的には「ありがとうございます」が「ありがのうおあいまぬ」とかになってしまいます。
舌が空回りして、ろれつが回ってないじゃん!!
カウンセラーさんには、
「ようあ、なんかぐにがえんなんねぬ・・・」(今日は、なんか口が変なんです・・・)
と、なんとか伝えてカウンセリングを終えました。
今まで私は、ろれつが回らないこと(構音障害)や言葉が出ないこと(吃音症)が時々出る(一瞬だけ)くらいだったのですが、今回はチョイと様子が違っていて「会話をすること自体が難しくなってしまった」こと。 不思議なのが、
土曜日になっても日曜日になっても症状が改善されず会話が難しくなるばかりで、
2017年10月02日(月曜日)
とりあえず先生に事情を説明して、なんとかお願いをし「脳波検査」と「MRI検査」を受けることになりました。
予約をしていなかったので脳波検査を先に、それから2時間待ってMRI検査の順番になりました。

(MRI検査は大人気の図)
MRIがある検査室は、ずっと「使用中」と「磁場発生中」のランプが点きっぱなしです。

(脳波の検査機器の図)

(脳波を測る帽子の図)
脳波の検査室に入り、脳波を測る帽子をかぶり、エコーゼリーみたいなのを頭に塗って、ベットに横になり、部屋を暗くして、目を閉じます。
目にチカチカ光を当てたり(目を閉じたままでも光ってるのが分かるので相当強い光だと思います)、息を吸ったり吐いたりして、20分くらいで脳波測定が終了。
エコーゼリーみたいなのを頭に塗っているので、少々気持ち悪い感じがしましたが、髪を洗えば簡単に取れるのでチョイと我慢。

(待合室のマッサージチェアの図)

(マッサージチェアのリモコンの図)
MRI検査までには、まだ時間があるけれど、家に帰るほどの時間はなく、チョイと中途半端な待ち時間。
そういうことで、クリニックの待合室のマッサージチェアに座って、ぼーっとTVを見ることにしました。
もう、かなりグダグダ状態になっている私。
ようやくMRI検査の順番が回ってきました。

(MRI検査装置の図)

(MRI検査装置をコントロールしているパソコンの図)
MRI検査装置は「巨大な磁石」なので、最初に問診で「ペースメーカーを付けていないか」とか色々と聞かれ、それが終わると荷物は金属製のロッカーに入れ、台の上に寝て頭を固定されます。
後は20分ほど、じっとしているだけで終了。
まぁ、脳波検査もMRI検査も既に何回か受けているので、あまり感動は無いのだけれど・・・
ほどなくして先生に呼ばれて診察を受けました。

(脳波の検査結果の図)

(MRI検査結果の図)
「検査の結果は異常ナシです」
「(原因が分からないのは)こはったなぁ・・・」(困ったなぁ・・・)
「困ったじゃないですよ! 異常が無いのは良いことなのです!!
舌のすべりが良くなるような、お薬をお出ししておきますから、それで様子を見てみてください」
「分がりました・・・」(分かりました・・・)
この後、駐車場に停めてあった車のエンジンがかからず動かなくなってしまったのですが、その話はまたの機会にでも。

(ビペリデン塩酸塩錠1mg「アメル」の図)
2017年10月03日(火曜日)
あっ!! 普通に話せる!!
ビペリデンが効いたのか、朝は普通に話せました。
言葉を失うことは、かなり不自由な生活をおくることだったので素直に嬉しい!!
ところが、お昼過ぎくらいから、だんだんろれつが回らなくなってしまいました。夕方になるとかなりひどくなりました。
2017年10月04日(水曜日)

(耳鼻咽喉科を訪ねるの図)
念のため、耳鼻科の先生にも診てもらうことにしました。
もしかしたら、鼻とか喉、声帯などで異常が見つかるかもしれないし、無ければ無いで「不安の要素」が1つ解消されると思ったからです。
「せんせぃ、くぢがえんなんです。すこすぃ、みでもらえますか?」(先生、口が変なんです。少し診てもらえますか?)
「それじゃ、ちょっと診てみましょう」

(口の中の図 01)

(口の中の図 02)

(口の中の図 03)

(口の中の図 04)
「どこもおかしいところは無いですね」
「そうれすか・・・」(そうですか・・・)
「パッと聞いた感じでは、少し舌の動きが悪い気がします。
大きな病院だと"言語聴覚士"さんがいて、このような症状を治してくれるので紹介状を書きましょうか?」
「うーん・・・。こんがいは、もうすごし、おぐすいをのんでみで、だめらったら、おねがいしあす」(うーん・・・今回はもう少しお薬を飲んでみてダメだったらお願いします)
「分かりました。それではとりあえず鼻の掃除と吸入をしましょうね」
と、言うことで鼻の掃除をしてもらい、

(超音波ネブライザーの図)
いつものように超音波ネブライザーで吸入をして耳鼻科を後にしました。
2017年10月10日(火曜日)
私は定期的に家の近くの歯科に行き、スケーリングをしてもらっているのですが、今回はそれプラス「言葉を失うことに対する歯医者さんの意見」も聞くことにしました。

(歯科医院の看板の図)

(待合室からの図)
「どうれすか?」(どうですか?)
「うーん・・・歯並びは悪くないので、例えば"歯が邪魔をして舌の動きを阻害している"などは考えにくいですね・・・。お役に立てなくてすみません」
「いいえ・・・ありがのーこさいまぬ」(いいえ・・・ありがとうございます)
「それではスケーリングを始めますね」
ということで、本来の目的のスケーリングをしてもらいましたが、何本か虫歯も見つかりました。
一応、私は毎日歯磨きをしていますが、今回見つかった虫歯は全て歯周ポケットのあたりだったので「正しい歯磨きの仕方」も教わりつつ、虫歯の治療も何日かかけてしました。
2017年11月02日(木曜日)
ビペリデンが効いたのか、今現在(2017年11月02日)は言葉を取り戻し、会話をすることが再びできるようになりました。
先生は病名を付けなかったのですが、あえて私が勝手につけるとすると、
「失声症」の一歩手前
だと思います。それには少々心当たりがありまして・・・

(2017年09月のカレンダーの図)

(2017年10月のカレンダーの図)
私は「うつ病」「睡眠障害」「過敏性腸症候群(IBS)」と診断されています。
その中でも過敏性腸症候群は私にとって「かなりキツイ症状」です。
突然、お腹が痛くなり、便秘の後、激しい下痢に襲われます。お尻が切れて血便が出るくらいです。便を出し切ると何事もなかったかのように普通に過ごすことができます。
「過敏性腸症候群は死ぬほどの病気じゃないがQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を著しく低下させる」は当たっていて、
役に立つのか分かりませんが、カレンダーに「お腹の調子」を書いています。
過敏性腸症候群の主な原因はストレスです。
カレンダーを振り返ると2017年9月は「かなりのストレスがあった」「毎週金曜日(カウンセリングの日)は決まって下痢をした」と分かります。

(お腹のお薬いっぱいの図 左上から(毎食後服用 / 整腸剤) ビオフェルミン配合散、ミヤBM、コロネル細粒83.3% 左下から(頓服 / 止瀉薬) ロペミンカプセル1mg、イリボー5μg、(脱水症状後の水分補給として)経口補水液OS-1)

(冷蔵庫の中はヨーグルトやスポーツドリンクを常備)
お腹のお薬(整腸剤)は毎食後服用していてヨーグルトも食べていますが、ストレスを感じると直ぐに下痢になってしまいます。
下痢は脱水症状を引き起こしてしまうので、スポーツドリンクや経口補水液を常に用意しています(イチイチ病院へ行って輸液するのは現実的ではないので)。
私はうつ病になってから結構経つので「このままじゃ、いけない!!」という、あせりみたいな思いがあります。
そういうわけで2017年09月は思い切って、カウンセリングで話す内容を「ナラティブセラピー」っぽくしていました。
具体的には「心の中に閉じ込めている"嫌な過去の思い出や経験"などを一つ一つ話して」いきました。
無理やり心の中をこじ開けた結果は、上記の通り「言葉を失い、失声症の一歩手前」になってしまいました。おそらく、
「もう、しゃべるな!!」
と体が拒絶したのだと思います。
2017年10月は「言葉を失って"会話が難しかった"」のと、「ナラティブセラピー自体が私には早すぎたのかもしれない」と思い、カウンセリングで話す内容を元に戻しました。
カウンセラーさんは、
「言葉を失ったのは次のステップへの一歩かもしれない」
と、おっしゃっていましたが、実際問題として会話が難しいと日常生活自体が困難なものになってしまうし、そもそも、
「カウンセリング」は「ナラティブセラピーでは無い」
ので、チョッと私が勝手に勘違いをしていた部分もあったりして。
いつかは治療のために話したいことではあるけれども・・・。
つづく
0
- 注意 :
- 私は医師ではなく患者として書いているだけです
- うつ病の症状や薬の効き方、寛解(症状が治まること)は個人差がかなりあります
- インターネット上には「うつ病チェック」「うつ病診断」や厚生労働省のWebサイト「みんなのメンタルヘルス」があります。この記事を読んでご自身で何か気になるようでしたら、これらでチェックされてみてはいかがでしょうか
- そして「うつ病」と疑われるときは一刻も早く病院へ受診してください
2017年09月29日(金曜日)
現在、私はうつ病闘病中で、毎週金曜日はクリニックでカウンセリングを受けている私。
この日もいつもと変わらず、しゃべっていましたが、突然・・・
あれっ ?! なんだか口がおかしくなって発声が変だぞ?!
具体的には「ありがとうございます」が「ありがのうおあいまぬ」とかになってしまいます。
舌が空回りして、ろれつが回ってないじゃん!!
カウンセラーさんには、
「ようあ、なんかぐにがえんなんねぬ・・・」(今日は、なんか口が変なんです・・・)
と、なんとか伝えてカウンセリングを終えました。
今まで私は、ろれつが回らないこと(構音障害)や言葉が出ないこと(吃音症)が時々出る(一瞬だけ)くらいだったのですが、今回はチョイと様子が違っていて「会話をすること自体が難しくなってしまった」こと。 不思議なのが、
- 歌は難なく普通に歌える
- 「あいうえお」とか「かきくけこ」、「ABCDEFG」というような順番通りなら問題なく発声はできる
- 文章を書いたり黙読することはできるが、声に出して読み上げる(音読)ことや会話ができない
土曜日になっても日曜日になっても症状が改善されず会話が難しくなるばかりで、
- 言葉を失う(会話ができない)って事が、こんなにも生活に支障が出る事とは思わなかったよ
- これは・・・もしかしたら本格的にノーミソがおかしくなってしまったのかもしれないぞ?!
2017年10月02日(月曜日)
とりあえず先生に事情を説明して、なんとかお願いをし「脳波検査」と「MRI検査」を受けることになりました。
予約をしていなかったので脳波検査を先に、それから2時間待ってMRI検査の順番になりました。

(MRI検査は大人気の図)
MRIがある検査室は、ずっと「使用中」と「磁場発生中」のランプが点きっぱなしです。
- 月曜日の朝っぱらからMRIが大人気だなぁ・・・
- このクリニックはベット数が19しか無いのでギリギリ「病院ではなくクリニック(診療所)」なのですが、無駄に装備が充実している(検査機器以外にもトレーングマシンがあったりする)ので便利といえば便利かな

(脳波の検査機器の図)

(脳波を測る帽子の図)
脳波の検査室に入り、脳波を測る帽子をかぶり、エコーゼリーみたいなのを頭に塗って、ベットに横になり、部屋を暗くして、目を閉じます。
目にチカチカ光を当てたり(目を閉じたままでも光ってるのが分かるので相当強い光だと思います)、息を吸ったり吐いたりして、20分くらいで脳波測定が終了。
エコーゼリーみたいなのを頭に塗っているので、少々気持ち悪い感じがしましたが、髪を洗えば簡単に取れるのでチョイと我慢。

(待合室のマッサージチェアの図)

(マッサージチェアのリモコンの図)
MRI検査までには、まだ時間があるけれど、家に帰るほどの時間はなく、チョイと中途半端な待ち時間。
そういうことで、クリニックの待合室のマッサージチェアに座って、ぼーっとTVを見ることにしました。
- マッサージチェアのカバーがハゲチャビンになっているので、そろそろ替えてもらいたいのだが・・・
- リモコンの全部のメニューを使っても、まだまだ時間が余ってるし・・・
もう、かなりグダグダ状態になっている私。
ようやくMRI検査の順番が回ってきました。

(MRI検査装置の図)

(MRI検査装置をコントロールしているパソコンの図)
MRI検査装置は「巨大な磁石」なので、最初に問診で「ペースメーカーを付けていないか」とか色々と聞かれ、それが終わると荷物は金属製のロッカーに入れ、台の上に寝て頭を固定されます。
後は20分ほど、じっとしているだけで終了。
まぁ、脳波検査もMRI検査も既に何回か受けているので、あまり感動は無いのだけれど・・・
ほどなくして先生に呼ばれて診察を受けました。

(脳波の検査結果の図)

(MRI検査結果の図)
「検査の結果は異常ナシです」
「(原因が分からないのは)こはったなぁ・・・」(困ったなぁ・・・)
「困ったじゃないですよ! 異常が無いのは良いことなのです!!
舌のすべりが良くなるような、お薬をお出ししておきますから、それで様子を見てみてください」
「分がりました・・・」(分かりました・・・)
この後、駐車場に停めてあった車のエンジンがかからず動かなくなってしまったのですが、その話はまたの機会にでも。

(ビペリデン塩酸塩錠1mg「アメル」の図)
- 妙なお薬(ビペリデン)を処方してもらったけれど、はたして効くのだろうか?!
- 私はパーキンソン病にでもなってしまったのだろうか?!
- このお薬について薬剤師さんに「神経のお薬なのですか?」とたずねると「どちらかと言うと"自律神経をととのえる"お薬です」だそうです。自律神経は神経の仲間だと思うのだけれど・・・
2017年10月03日(火曜日)
あっ!! 普通に話せる!!
ビペリデンが効いたのか、朝は普通に話せました。
言葉を失うことは、かなり不自由な生活をおくることだったので素直に嬉しい!!
ところが、お昼過ぎくらいから、だんだんろれつが回らなくなってしまいました。夕方になるとかなりひどくなりました。
- うぬ、コンスタントに(朝食と夕食後に1錠ずつ)ビペリデンを服用しているにも関わらず効果が不安定だなぁ・・・
- 総合的に考えるとビペリデンで回復するのは50%くらいだと思う
2017年10月04日(水曜日)

(耳鼻咽喉科を訪ねるの図)
念のため、耳鼻科の先生にも診てもらうことにしました。
もしかしたら、鼻とか喉、声帯などで異常が見つかるかもしれないし、無ければ無いで「不安の要素」が1つ解消されると思ったからです。
「せんせぃ、くぢがえんなんです。すこすぃ、みでもらえますか?」(先生、口が変なんです。少し診てもらえますか?)
「それじゃ、ちょっと診てみましょう」

(口の中の図 01)

(口の中の図 02)

(口の中の図 03)

(口の中の図 04)
「どこもおかしいところは無いですね」
「そうれすか・・・」(そうですか・・・)
「パッと聞いた感じでは、少し舌の動きが悪い気がします。
大きな病院だと"言語聴覚士"さんがいて、このような症状を治してくれるので紹介状を書きましょうか?」
「うーん・・・。こんがいは、もうすごし、おぐすいをのんでみで、だめらったら、おねがいしあす」(うーん・・・今回はもう少しお薬を飲んでみてダメだったらお願いします)
「分かりました。それではとりあえず鼻の掃除と吸入をしましょうね」
と、言うことで鼻の掃除をしてもらい、

(超音波ネブライザーの図)
いつものように超音波ネブライザーで吸入をして耳鼻科を後にしました。
2017年10月10日(火曜日)
私は定期的に家の近くの歯科に行き、スケーリングをしてもらっているのですが、今回はそれプラス「言葉を失うことに対する歯医者さんの意見」も聞くことにしました。

(歯科医院の看板の図)

(待合室からの図)
「どうれすか?」(どうですか?)
「うーん・・・歯並びは悪くないので、例えば"歯が邪魔をして舌の動きを阻害している"などは考えにくいですね・・・。お役に立てなくてすみません」
「いいえ・・・ありがのーこさいまぬ」(いいえ・・・ありがとうございます)
「それではスケーリングを始めますね」
ということで、本来の目的のスケーリングをしてもらいましたが、何本か虫歯も見つかりました。
一応、私は毎日歯磨きをしていますが、今回見つかった虫歯は全て歯周ポケットのあたりだったので「正しい歯磨きの仕方」も教わりつつ、虫歯の治療も何日かかけてしました。
2017年11月02日(木曜日)
ビペリデンが効いたのか、今現在(2017年11月02日)は言葉を取り戻し、会話をすることが再びできるようになりました。
先生は病名を付けなかったのですが、あえて私が勝手につけるとすると、
「失声症」の一歩手前
だと思います。それには少々心当たりがありまして・・・

(2017年09月のカレンダーの図)

(2017年10月のカレンダーの図)
私は「うつ病」「睡眠障害」「過敏性腸症候群(IBS)」と診断されています。
その中でも過敏性腸症候群は私にとって「かなりキツイ症状」です。
突然、お腹が痛くなり、便秘の後、激しい下痢に襲われます。お尻が切れて血便が出るくらいです。便を出し切ると何事もなかったかのように普通に過ごすことができます。
「過敏性腸症候群は死ぬほどの病気じゃないがQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を著しく低下させる」は当たっていて、
- いつ、お腹が痛くなるのか分からないので、トイレが近くに無いと不安で仕方がない
- 家から徒歩で5分のスーパーに行くのも、ためらう
- お仕事を探すときの基準は「賃金がどうか」でも「交通機関がどうか」ではなく「直ぐにトイレに行くことができる環境かどうか」
- バスに乗っている時にお腹が痛くなり、途中下車をしたことが数え切れないほどある(それを踏まえているので1時間くらい余裕を持たせてバスに乗る)
- 家の近くのJRは幸い駅内にも車内にもトイレがあるので安心
役に立つのか分かりませんが、カレンダーに「お腹の調子」を書いています。
- 何も無し = 排便が無かった日
- 小さな赤い点 = 普通の排便だった日
- 大きな赤い点 = 過敏性腸症候群だった日
過敏性腸症候群の主な原因はストレスです。
カレンダーを振り返ると2017年9月は「かなりのストレスがあった」「毎週金曜日(カウンセリングの日)は決まって下痢をした」と分かります。

(お腹のお薬いっぱいの図 左上から(毎食後服用 / 整腸剤) ビオフェルミン配合散、ミヤBM、コロネル細粒83.3% 左下から(頓服 / 止瀉薬) ロペミンカプセル1mg、イリボー5μg、(脱水症状後の水分補給として)経口補水液OS-1)

(冷蔵庫の中はヨーグルトやスポーツドリンクを常備)
お腹のお薬(整腸剤)は毎食後服用していてヨーグルトも食べていますが、ストレスを感じると直ぐに下痢になってしまいます。
下痢は脱水症状を引き起こしてしまうので、スポーツドリンクや経口補水液を常に用意しています(イチイチ病院へ行って輸液するのは現実的ではないので)。
- 過敏性腸症候群は神経の病気なので、いくら整腸剤やらヨーグルト、納豆などを取って腸内細菌叢を良くしても「気休め程度」にしかならない
- 止瀉薬はお腹の運動自体を止めてしまうため、一見「下痢が止まるので良いように思える」が、実際はあまり予後が良くない(極度の便秘になったりする)
- イロイロ試してみているが、ピッタリとフィットしたお薬や食べ物が無い感じ
私はうつ病になってから結構経つので「このままじゃ、いけない!!」という、あせりみたいな思いがあります。
そういうわけで2017年09月は思い切って、カウンセリングで話す内容を「ナラティブセラピー」っぽくしていました。
具体的には「心の中に閉じ込めている"嫌な過去の思い出や経験"などを一つ一つ話して」いきました。
無理やり心の中をこじ開けた結果は、上記の通り「言葉を失い、失声症の一歩手前」になってしまいました。おそらく、
「もう、しゃべるな!!」
と体が拒絶したのだと思います。
2017年10月は「言葉を失って"会話が難しかった"」のと、「ナラティブセラピー自体が私には早すぎたのかもしれない」と思い、カウンセリングで話す内容を元に戻しました。
カウンセラーさんは、
「言葉を失ったのは次のステップへの一歩かもしれない」
と、おっしゃっていましたが、実際問題として会話が難しいと日常生活自体が困難なものになってしまうし、そもそも、
「カウンセリング」は「ナラティブセラピーでは無い」
ので、チョッと私が勝手に勘違いをしていた部分もあったりして。
いつかは治療のために話したいことではあるけれども・・・。
つづく

2017/10/27
うつ病は「心の風邪」というよりも「死を招く肺炎」かもしれない 02 お薬変更とカウンセリング 健康イロイロ
前回から
2017年10月28日、29日、30日、31日、2017年11月01日 加筆・修正・追記
2017年10月27日

(ベゲタミンA配合錠とクロルプロマジン(商品名(日局)コントミン糖衣錠25mg)の図)
ここ1年くらい睡眠薬は「ベゲタミンA(バルビツール酸系)」と「スボレキサント(商品名ベルソムラ : 選択的デュアルオレキシン受容体拮抗薬)」を各1錠を服用して、何となく眠れていたのですが・・・
今日はカウンセリングも受けたのですが、
「どうして過去の事を現在進行系で話すのですか?」
と問われてしまいました。
自分でも、よく分からないのですが、
イロイロな困った事が起こって未昇華な事も多い
からかもしれません。
追記 : 2017年10月28日 未明
突然、眠たくなって6時間くらい眠ることができました。
とりあえずベゲタミンAは、なんとか卒業できそうな予感。
追記 : 2017年10月29日
昨日もそうだったのですが「目覚めがボーっとしていて体もだるく、睡眠時間は取れているハズなのに全然スッキリしない」感じです。
クロルプロマジン(コントミン)に体が慣れていないだけかもしれません・・・。
追記 : 2017年10月30日
それにしても・・・この、お昼くらいまで続く「倦怠感」はなんとかならないものだろうか?
一応、有効成分は、
プロメタジンとフェノバルビタールの離脱症状の一種なのかな?!
とも思ってみたり。
追記 : 2017年10月31日
いつも朝6時くらいに起きるのですが倦怠感が半端ないので、朝食を済ませた後、また寝ました(二度寝の時は睡眠薬は使っていません)。
お昼くらいまで目がさめなかったので、
1日約12時間睡眠だよ・・・
追記 : 2017年11月01日
朝の倦怠感はだいぶ落ち着いてきてはいるものの、まだまだ体がだるい感じで「1日約12時間睡眠」が続いています。
今現在、お仕事をしていないから、いつ寝ようが起きようがかまわないものの・・・
そんな今日この頃。
つづく
0
2017年10月28日、29日、30日、31日、2017年11月01日 加筆・修正・追記
- 注意 :
- 私は医師ではなく患者として書いているだけです
- うつ病の症状や薬の効き方、寛解(症状が治まること)は個人差がかなりあります
- インターネット上には「うつ病チェック」「うつ病診断」や厚生労働省のWebサイト「みんなのメンタルヘルス」があります。この記事を読んでご自身で何か気になるようでしたら、これらでチェックされてみてはいかがでしょうか
- そして「うつ病」と疑われるときは一刻も早く病院へ受診してください
2017年10月27日

(ベゲタミンA配合錠とクロルプロマジン(商品名(日局)コントミン糖衣錠25mg)の図)
ここ1年くらい睡眠薬は「ベゲタミンA(バルビツール酸系)」と「スボレキサント(商品名ベルソムラ : 選択的デュアルオレキシン受容体拮抗薬)」を各1錠を服用して、何となく眠れていたのですが・・・
- バルビツール酸系は危ない薬なので製薬会社が発売中止にしてしまった
- お薬屋さんの在庫がとうとう無くなってしまった
- うぬ・・・ベゲタミンAは、なぜか私の体は耐性がつかなかったので、私の中では「良く効くお薬」「スヤスヤ眠れてパッと起きられるお薬」だったのだが・・・
- 以前服用していたベンゾジアゼピン系睡眠薬みたいに耐性が直ぐについてしまってコロコロ変えるのは嫌だしなぁ・・・
- とりあえず少しだけベゲタミンAがあまっているので、クロルプロマジン(コントミン)は様子見しても良いかもしれないが、それでもいつかはベゲタミンAを卒業しなくてはいけないのは重々承知はしている
- ベルソムラだけを服用すると全然眠れないので、私の中では「いらないお薬」だったりするのだが・・・
今日はカウンセリングも受けたのですが、
「どうして過去の事を現在進行系で話すのですか?」
と問われてしまいました。
自分でも、よく分からないのですが、
イロイロな困った事が起こって未昇華な事も多い
からかもしれません。
追記 : 2017年10月28日 未明
突然、眠たくなって6時間くらい眠ることができました。
とりあえずベゲタミンAは、なんとか卒業できそうな予感。
追記 : 2017年10月29日
昨日もそうだったのですが「目覚めがボーっとしていて体もだるく、睡眠時間は取れているハズなのに全然スッキリしない」感じです。
クロルプロマジン(コントミン)に体が慣れていないだけかもしれません・・・。
追記 : 2017年10月30日
それにしても・・・この、お昼くらいまで続く「倦怠感」はなんとかならないものだろうか?
一応、有効成分は、
- ベゲタミンA配合錠 = 「クロルプロマジン塩酸塩25mg」「プロメタジン塩酸塩12.5mg」「フェノバルビタール40mg」(ベゲタミン 添付文書 PDFファイル)
- コントミン糖衣錠25mg = 「クロルプロマジン塩酸塩25mg」(コントミン糖衣錠 添付文書 PDFファイル)
プロメタジンとフェノバルビタールの離脱症状の一種なのかな?!
とも思ってみたり。
追記 : 2017年10月31日
いつも朝6時くらいに起きるのですが倦怠感が半端ないので、朝食を済ませた後、また寝ました(二度寝の時は睡眠薬は使っていません)。
お昼くらいまで目がさめなかったので、
1日約12時間睡眠だよ・・・
追記 : 2017年11月01日
朝の倦怠感はだいぶ落ち着いてきてはいるものの、まだまだ体がだるい感じで「1日約12時間睡眠」が続いています。
今現在、お仕事をしていないから、いつ寝ようが起きようがかまわないものの・・・
そんな今日この頃。
つづく

2017/10/23
インフルエンザの予防接種 熱が出た 2017 健康イロイロ
2017年10月20日
毎年「インフルエンザの予防接種」をなんとなく受けている私。
今年も受けることにしました。

(インフルエンザ予防接種の問診票の図)
インフルエンザの予防接種の問診票を書く私。
予防接種を受けると「必ずというくらい熱が出る(でも1日位で収まる)」ので、それも書いておきました。
予防接種を受ける時、看護師さんが、
「熱が出るのは大丈夫なんですか? 先生(医師)はGOサインを出しているけれども・・・」
と、何度も聞かれましたが、私は、
「いつも出るので問題無いと思います。去年はなぜか出なかったけれど今年はどうかなー」
ということで、看護師さんは「シブシブ予防接種を行った」感じです。

(請求書兼領収書の図)
2017年10月21日 午前1時30分頃
何だか暑いなぁ・・・
睡眠薬(バルビツール酸系のベゲタミンA)を服用しているにも関わらず、暑くて目が覚めてしまいました。
うぬ、今年も熱が出たね・・・
熱を計ろうかと思いましたが体温計がどっかに行っちゃったので計れません。
2017年10月21日 午前6時頃

(午前6時になったの図)
ずっと布団の中にいましたが全然眠れず午前6時になってしまいました。
ま、仕方ないね・・・いつもの事だし
朝食を済ませたあたりから熱が引いてきたので、改めて布団に入ると、グースカピーと3時間ほど眠ることができました。
そんな今日この頃。
0
毎年「インフルエンザの予防接種」をなんとなく受けている私。
今年も受けることにしました。

(インフルエンザ予防接種の問診票の図)
インフルエンザの予防接種の問診票を書く私。
予防接種を受けると「必ずというくらい熱が出る(でも1日位で収まる)」ので、それも書いておきました。
予防接種を受ける時、看護師さんが、
「熱が出るのは大丈夫なんですか? 先生(医師)はGOサインを出しているけれども・・・」
と、何度も聞かれましたが、私は、
「いつも出るので問題無いと思います。去年はなぜか出なかったけれど今年はどうかなー」
ということで、看護師さんは「シブシブ予防接種を行った」感じです。

(請求書兼領収書の図)
- うぬ・・・3,000円は高いのか安いのか
- 結構、懐が痛いけれど、これでインフルエンザにかかっても軽微で済むなら安いのか
2017年10月21日 午前1時30分頃
何だか暑いなぁ・・・
睡眠薬(バルビツール酸系のベゲタミンA)を服用しているにも関わらず、暑くて目が覚めてしまいました。
うぬ、今年も熱が出たね・・・
熱を計ろうかと思いましたが体温計がどっかに行っちゃったので計れません。
- まぁ、計ったからといって熱が引くわけでもないしなぁ・・・
- 先生にアセトアミノフェンか何かを処方してもらっていたほうが良かったのかもしれない
2017年10月21日 午前6時頃

(午前6時になったの図)
ずっと布団の中にいましたが全然眠れず午前6時になってしまいました。
ま、仕方ないね・・・いつもの事だし
朝食を済ませたあたりから熱が引いてきたので、改めて布団に入ると、グースカピーと3時間ほど眠ることができました。
そんな今日この頃。

2017/9/4
今はちょいと調子が悪いのです 健康イロイロ
最近、ちょっと調子が悪くてブログを更新できなくてスミマセン・・・。
ネタ自体はあまり困っていなくて、写真も10GBくらい撮っています。
まぁ、のんびりと・・・
そんな感じの今日この頃。
0
ネタ自体はあまり困っていなくて、写真も10GBくらい撮っています。
まぁ、のんびりと・・・
そんな感じの今日この頃。

2017/8/16
専門医に診てもらいました 健康イロイロ
前回から
2017年08月12日
再び専門医に診てもらうため、車で片道約1時間のクリニックへ行きました。
あれっ ?! 何だか痛みが取れてきた ?!

(クリニックの図)
クリニックへ着く頃には痛みが無くなって、すっかり治ってしまった私。
「帰ろうかな・・・」と一瞬思いましたが、せっかくここまで来たのだし、また痛くなったら困るので、一応、先生(医師)に診てもらうことにしました。
ヒヤーッ、患者さんがいっぱいだね・・・
午前10時に到着した私ではありますが、既に10人以上、患者さんが待っていました。
このクリニックは検査も診察も先生一人でやるので、果たして午前中に終わるのでしょうか ?!
一応1時間ほど待っていましたが、遅々として進みません。
みんな辛抱強いなぁ・・・
私はお昼に薬を飲まなくてはいけないので、受付の人に順番が回ってきたら呼び出してもらえるよう、携帯電話の番号を伝え、一旦クリニックから離れることに。
あまり離れすぎるのもアレだし、隣のコンビニでサンドイッチを買って食べて薬を飲みました。
そのコンビニでは余り過ぎているのかどうかわからないのですが、必死に「100円おにぎり」を街頭で店員さんが2人がかりで旗を振ってまで「買ってくれアピール」していましたが、私はサンドイッチが食べたいしなぁ・・・と思いつつ。
12時15分くらいに呼び出しがあり、急いでクリニックへ戻りました。
先生曰く、
「おしっこはきれいでしたよ」
ということで、前のようにばい菌が入ったようではなさそうです。

(尿検査とエコー検査の図)
エコー検査時に先生は「なぜか患部以外の場所」も検査しました。
「血流も異常無しですね」
そして触診。
「痛いですか ?」
「痛くないです」
押しても引いても痛みは無く、私は困った事になってしまいました。
それから診察室で先生に色々と詳しく聞かれました(問診)。以前のカルテは残っていたみたいです。
先生曰く、
「一応、こういう病気が疑われるので、お家でよく読んでおいてください」
と、パンフレットをくれました。
パンフレットの一部の引用文は以下の通りです。
「分かりました。ありがとうございます」
それから別の場所で看護師さんに「血圧測定」と「採血」をしてもらいました。

(今回検査した項目の図)

(処方されたお薬の図)
(朝・夕食後のお薬が一気に増えたの図)
いやぁ・・・朝・夕食後のお薬が2種類増えたので、チョイと混乱してみたり。

(クリニックとお薬屋さんの領収書の図)
それにしても・・・イロイロ検査したので、4,220円+750円=4,970円と、5,000円近くかかったのは体よりも「懐が一番痛い」感じです。
次回は2017年08月19日(土曜日)に再診する予定です。
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2017年08月12日
再び専門医に診てもらうため、車で片道約1時間のクリニックへ行きました。
- お盆だから道が混んでいるなぁ・・・
- 今回は時間に余裕があるから高速道路を使わなくてもいいや
- それにしても広島市にはたくさん病院があるのに土曜日はここだけしかないのは通院が大変だよなぁ・・・
- 長らく行っていないからカルテとか残っているのだろうか ?!
あれっ ?! 何だか痛みが取れてきた ?!

(クリニックの図)
クリニックへ着く頃には痛みが無くなって、すっかり治ってしまった私。
「帰ろうかな・・・」と一瞬思いましたが、せっかくここまで来たのだし、また痛くなったら困るので、一応、先生(医師)に診てもらうことにしました。
ヒヤーッ、患者さんがいっぱいだね・・・
午前10時に到着した私ではありますが、既に10人以上、患者さんが待っていました。
このクリニックは検査も診察も先生一人でやるので、果たして午前中に終わるのでしょうか ?!
一応1時間ほど待っていましたが、遅々として進みません。
みんな辛抱強いなぁ・・・
私はお昼に薬を飲まなくてはいけないので、受付の人に順番が回ってきたら呼び出してもらえるよう、携帯電話の番号を伝え、一旦クリニックから離れることに。
あまり離れすぎるのもアレだし、隣のコンビニでサンドイッチを買って食べて薬を飲みました。
そのコンビニでは余り過ぎているのかどうかわからないのですが、必死に「100円おにぎり」を街頭で店員さんが2人がかりで旗を振ってまで「買ってくれアピール」していましたが、私はサンドイッチが食べたいしなぁ・・・と思いつつ。
12時15分くらいに呼び出しがあり、急いでクリニックへ戻りました。
先生曰く、
「おしっこはきれいでしたよ」
ということで、前のようにばい菌が入ったようではなさそうです。

(尿検査とエコー検査の図)
エコー検査時に先生は「なぜか患部以外の場所」も検査しました。
「血流も異常無しですね」
そして触診。
「痛いですか ?」
「痛くないです」
押しても引いても痛みは無く、私は困った事になってしまいました。
それから診察室で先生に色々と詳しく聞かれました(問診)。以前のカルテは残っていたみたいです。
先生曰く、
「一応、こういう病気が疑われるので、お家でよく読んでおいてください」
と、パンフレットをくれました。
パンフレットの一部の引用文は以下の通りです。
炎症の原因は ?「一応、お薬を出しておきます。痛み止めは痛いときだけ飲んでください」
細菌の感染のない非細菌性で冷えやストレスの影響が強いものと、細菌の感染によって起こる細菌性のものとがあります。
「分かりました。ありがとうございます」
それから別の場所で看護師さんに「血圧測定」と「採血」をしてもらいました。

(今回検査した項目の図)

(処方されたお薬の図)
- セルニルトン錠 朝・夕食後 1回2錠
- エブランチルカプセル15mg 朝・夕食後 1回1錠
- エトドラク錠200mg「トーワ」 痛いときだけ 朝・夕食後 1回1錠

(朝・夕食後のお薬が一気に増えたの図)
いやぁ・・・朝・夕食後のお薬が2種類増えたので、チョイと混乱してみたり。

(クリニックとお薬屋さんの領収書の図)
それにしても・・・イロイロ検査したので、4,220円+750円=4,970円と、5,000円近くかかったのは体よりも「懐が一番痛い」感じです。
次回は2017年08月19日(土曜日)に再診する予定です。

2017/8/11
また股関節が痛くなったのです 健康イロイロ
2017/7/11
体の変化 健康イロイロ
2017年01月01日から少しずつイロイロやってきていたものの、ナカナカ成果が出なかった私。
今朝(2017年07月11日)、やっと少し「体が変化した」感じがして、とても嬉しかったのだけれど「自分が何者か」は、まだ分からない状態です。
もうチョッと様子見かなー
そんな今日この頃。
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今朝(2017年07月11日)、やっと少し「体が変化した」感じがして、とても嬉しかったのだけれど「自分が何者か」は、まだ分からない状態です。
もうチョッと様子見かなー
そんな今日この頃。

2017/5/12
うつ病は「心の風邪」というよりも「死を招く肺炎」かもしれない 01 前置き 健康イロイロ
2017年03月03日執筆 2017年05月07日加筆・修正 2017年05月12日加筆
今現在、私は「うつ病」と診断され治療を続けています。
このブログでは幾度と無く書き散らしてきたけれど「少しまとめてみたいな」と思い改めて書く次第で(まとまりの無い文章になりそうですが・・・)。
前置きとして・・・
物心ついた時から、父と母は喧嘩の絶えない毎日でした。
「喧嘩はやめて!!」
と、いくら頼んでも止めてくれません。
ほとんどの原因が「父がギャンブル(パチンコとか)好きで家にお金を入れてくれない」事。幼稚園の月謝や小学校の給食費を時々私のかばんから抜くくらいでしたから、相当入れ込んでいた様子。必然的に私は、
「ウチは貧乏だから、欲しいものがあっても買ってくれないだろうし、ねだってもいけない」
と、思うようになりました。今、思えば「父は家庭での居場所が無かったのかな」「寂しさをギャンブルでうめていた」と。
そんな家庭だったので母はいつもピリピリしていました。私が何か失敗をしてしまうとヒステリックな感じで叱りました。
「とにかくお母さんを怒らせないようにしなくちゃいけない」
と、内心ビクビクする日々。
母の教育方針(しつけ)は、 といった感じ。
幼い私にとっては、かなり難しいことばかりでした。
具体的には、
母が私に対して厳しくしつけたのは、母にとって私が第一子ということもあり、子育てに関しては、たぶん何も分からず不安があったのでしょう。上記の経済的な不安もあったと思います。
妹に関しては母はかなり寛容な様子だったので私は、
「どうして私はダメで妹は良いの?」
という不公平感みたいなものがかなりあったのですが、とにもかくにも、
「規則をちゃんと守り、妹をかわいがり、お行儀も良くして、私は"良い子"でいなければならない」
という義務感みたいなものが常にありました。
こういう事は兄弟や姉妹がいる家庭では、そんなに珍しい事ではないと今では考えています。
ただ、幼い私は毎日何とかやり過ごすので精一杯でした。
私が小学校の2年生の春に父の転職の都合で団地に引っ越してきました(今も住んでいる)。県営の最上階(5階/エレベーターは無し)だったためか、私は妙にワクワクしていました。
前に住んでいたアパートは2階建てで2階にだったのですが、県営はビルで私にとっては珍しかったし、間取りもたくさんあり、何よりも最上階なので「(高さが)高い」というだけでも、
なんて素敵なところに引っ越してきたのだろう
と思いました。前に住んでいた地区とはかなり離れているので、数少ない「お友達」と別れるのはつらかったのですが。
そんな思いとは裏腹に、学校では私に対するいじめが直ぐに始まりました。
毎日毎日泣かされて、とてもつらい日々が小学校卒業まで、えんえんと続きました。
私は団塊ジュニア世代なので、学校は1クラス40人くらいいて、それが学年ごとに各6クラスくらいあったためか、とにかく人数が多いため、先生も児童一人一人に手を焼く事ができません。
授業中、私が泣いていても「どうして泣いているのか」と、たずねられたことは結局一度もありませんでした。
一度だけ親に相談した事があるのですが「いじめられたら、いじめ返せば良い」みたいなことを言われて、はなから取り合ってもらえませんでした。
多勢に無勢なのだけれど・・・
私の受けていたいじめは一言で言うと「性的いじめ」「セクシャルハラスメント」でした。
体育の授業での着替えや身体測定などで私の下着姿をみんな見ているはずなのに、どうしてそういう事を言うの?
イロイロ考えたのですが、
普通がいい。いじめられないと思うから。でも普通って何だろう・・・
「汚い言葉」や「方言」を見よう見まねで"勉強"してみたり、わざと「行儀の悪い事」をしてみたり、「普通」というのはどんなものなのか考えてみたりと日々努力していました。
でも、いくら努力しても小さい頃の所作が直ぐに変わるわけでもなく、"変な声"はそのままで、友達はなかなか出来ずひとりぼっち、どうせ、いじめられるから学校には行きたくない・・・。
毎朝、体温計で体温を測りました。ウチでは「熱が38度以上だったら学校を休んでも良い」という「決まり」があったので必死に測りましたが、いつも正常値でガッカリしていました。
どうして病気にならない体なのだろう・・・小さい頃、たくさん予防注射を打っていたからなのかな?
毎日毎日、私に対し、よってたかって「男だの」「女だの」「声が変だの」ガチャガチャ言われ続けてきましたので、だんだんと私自身の中で「何者で何なのか(アイデンティティー / 自己同一性)」とか「性別がどっちなのか、それとも何か全然違うものなのか(性同一性)」正直分からなくなってしまいました。
今考えると、この頃から「うつ病」とか「気分障害」「抑うつ性パーソナリティ障害」のようなものがあったように思います。
とにかく悲しく、不安で、何にも楽しくなくなり、自分自身が嫌でたまりませんでした。
心が壊れていく・・・
そうした中である思いが芽生え始めました。自殺です。
ふちに立って、あと一歩で落ちて死ぬ事が出来る・・・そう思った時、突然全身が震え、怖くなってしまいました。
何回も試みてはみるものの、結局、最後の最後の「あと一歩」がどうしても踏み出せませんでした。そのたびに、
中学から短大卒業までは「いじめや、からかいが嫌」だったので、自分の殻に閉じこもり、ほとんど誰とも話をしませんでした。(私が)何も喋らないので、みんなの興味は薄れ、自然と「いじめや、からかい」は無くなりました。
「お友達が欲しい」「ひとりぼっちで寂しい」という気持ちはありましたが、人と接する事や、何よりも「声を発すること」が怖くて出来ませんでした。
同窓会の手紙がたまに来たりするけれど「友達がいなかった」「楽しい思い出がほとんど無い」ので参加する事は無く・・・。
最近「いじめ後遺症」という言葉ができました。幼い頃に受けた、いじめがトラウマとなり、大人になっても、それが原因で様々な問題に直面するそうです。
私は現在「うつ病」と戦っていますが、もしかしたら「いじめ後遺症」も入っているのかもしれません。
と、言うのも、例えば「医療機関で書く問診票に性別を記入する」時、上記の事(いじめ)もあってか、今でもかなり苦心します。
一応、医療機関だし性別によって検査結果や薬の量が違うので生物学的な性の方に丸をつけるのですが、
男と女"しか"ないのか・・・その他ってないのかな?
と、思ってみたり。
私自身、性同一性が未だに定まっていない状態で、とりわけ心については「男性」「女性」「中性」「無性」を行ったり来たりしている感じがし、とても不安です。普段の生活の中では「中性」「無性」が多いと思います。
「中性」「無性」というと特殊な感じを受けるかもしれませんが、例えて言うなら「小さい頃は男とか女とか意識しない状態」で誰でも経験していると思います。私の場合、それがずっと続いているだけです。
日常生活の中で性別を意識したり聞かれたり、書いたりすることは意外と多く、その度に「ええと・・・」と困る事があります。
例えばスーパーとかのトイレ。男性用と女性用しかないところは、トラブルを回避するために「一応、生物的な性の方を選択する」のですが、私の気持ちとしては「かなり変な感じ」がするのです。
多目的のトイレ(身体障害者や男性、女性どちらが使ってもOKのトイレ)があるところは迷わずそこを使います。
いじめっ子らに対しては「思う事は山ほどある(私自身はしっかりと名前と顔を覚えている)」けれど、昔の話だし、たぶん彼ら彼女らは覚えてはいない(いじめた自覚が無い)と思うので、心の片隅にでも置いておきます。
もう思い出したくもないし、そろそろ前に進みたい
そんな感じで。
つづく
1
今現在、私は「うつ病」と診断され治療を続けています。
このブログでは幾度と無く書き散らしてきたけれど「少しまとめてみたいな」と思い改めて書く次第で(まとまりの無い文章になりそうですが・・・)。
- 注意 :
- 私は医師ではなく患者として書いているだけです
- うつ病の症状や薬の効き方、寛解(症状が治まること)は個人差がかなりあります
- インターネット上には「うつ病チェック」「うつ病診断」や厚生労働省のWebサイト「みんなのメンタルヘルス」があります。この記事を読んでご自身で何か気になるようでしたら、これらでチェックされてみてはいかがでしょうか
- そして「うつ病」と疑われるときは一刻も早く病院へ受診してください
前置きとして・・・
[厳しいしつけ]
物心ついた時から、父と母は喧嘩の絶えない毎日でした。
「喧嘩はやめて!!」
と、いくら頼んでも止めてくれません。
ほとんどの原因が「父がギャンブル(パチンコとか)好きで家にお金を入れてくれない」事。幼稚園の月謝や小学校の給食費を時々私のかばんから抜くくらいでしたから、相当入れ込んでいた様子。必然的に私は、
「ウチは貧乏だから、欲しいものがあっても買ってくれないだろうし、ねだってもいけない」
と、思うようになりました。今、思えば「父は家庭での居場所が無かったのかな」「寂しさをギャンブルでうめていた」と。
そんな家庭だったので母はいつもピリピリしていました。私が何か失敗をしてしまうとヒステリックな感じで叱りました。
「とにかくお母さんを怒らせないようにしなくちゃいけない」
と、内心ビクビクする日々。
母の教育方針(しつけ)は、 といった感じ。
幼い私にとっては、かなり難しいことばかりでした。
具体的には、
- 言葉遣いに常に気を配らなくてはいけない
- 箸の持ち方が少しでも悪いと激しく叱責され、2時間正座
- 遊びたい子と遊べない(どういう基準なのかサッパリ分からないので、結局、妹か、お隣に住んでいる子に限定されてしまう)
- テレビは実質「世界名作劇場」以外は見せてもらえなかったので、普段遊んでいる子との話が合わない
- 夕食などに1分でも遅れると2時間正座
母が私に対して厳しくしつけたのは、母にとって私が第一子ということもあり、子育てに関しては、たぶん何も分からず不安があったのでしょう。上記の経済的な不安もあったと思います。
妹に関しては母はかなり寛容な様子だったので私は、
「どうして私はダメで妹は良いの?」
という不公平感みたいなものがかなりあったのですが、とにもかくにも、
「規則をちゃんと守り、妹をかわいがり、お行儀も良くして、私は"良い子"でいなければならない」
という義務感みたいなものが常にありました。
こういう事は兄弟や姉妹がいる家庭では、そんなに珍しい事ではないと今では考えています。
ただ、幼い私は毎日何とかやり過ごすので精一杯でした。
[いじめと性同一性]
私が小学校の2年生の春に父の転職の都合で団地に引っ越してきました(今も住んでいる)。県営の最上階(5階/エレベーターは無し)だったためか、私は妙にワクワクしていました。
前に住んでいたアパートは2階建てで2階にだったのですが、県営はビルで私にとっては珍しかったし、間取りもたくさんあり、何よりも最上階なので「(高さが)高い」というだけでも、
なんて素敵なところに引っ越してきたのだろう
と思いました。前に住んでいた地区とはかなり離れているので、数少ない「お友達」と別れるのはつらかったのですが。
そんな思いとは裏腹に、学校では私に対するいじめが直ぐに始まりました。
毎日毎日泣かされて、とてもつらい日々が小学校卒業まで、えんえんと続きました。
私は団塊ジュニア世代なので、学校は1クラス40人くらいいて、それが学年ごとに各6クラスくらいあったためか、とにかく人数が多いため、先生も児童一人一人に手を焼く事ができません。
授業中、私が泣いていても「どうして泣いているのか」と、たずねられたことは結局一度もありませんでした。
一度だけ親に相談した事があるのですが「いじめられたら、いじめ返せば良い」みたいなことを言われて、はなから取り合ってもらえませんでした。
多勢に無勢なのだけれど・・・
私の受けていたいじめは一言で言うと「性的いじめ」「セクシャルハラスメント」でした。
- お前、男なのか女なのかハッキリしろよ!!
- おとこおんな、おとこおんな、おとこおんな・・・
- 変な声!! 気持ち悪い!!
体育の授業での着替えや身体測定などで私の下着姿をみんな見ているはずなのに、どうしてそういう事を言うの?
イロイロ考えたのですが、
- 話し言葉が丁寧すぎる
- 行儀が良すぎる
- みんなとは違う独特の声をしている
- 友達がほとんどおらず妹と遊んでばかりだったので違う遊びを知らない
普通がいい。いじめられないと思うから。でも普通って何だろう・・・
「汚い言葉」や「方言」を見よう見まねで"勉強"してみたり、わざと「行儀の悪い事」をしてみたり、「普通」というのはどんなものなのか考えてみたりと日々努力していました。
でも、いくら努力しても小さい頃の所作が直ぐに変わるわけでもなく、"変な声"はそのままで、友達はなかなか出来ずひとりぼっち、どうせ、いじめられるから学校には行きたくない・・・。
毎朝、体温計で体温を測りました。ウチでは「熱が38度以上だったら学校を休んでも良い」という「決まり」があったので必死に測りましたが、いつも正常値でガッカリしていました。
どうして病気にならない体なのだろう・・・小さい頃、たくさん予防注射を打っていたからなのかな?
毎日毎日、私に対し、よってたかって「男だの」「女だの」「声が変だの」ガチャガチャ言われ続けてきましたので、だんだんと私自身の中で「何者で何なのか(アイデンティティー / 自己同一性)」とか「性別がどっちなのか、それとも何か全然違うものなのか(性同一性)」正直分からなくなってしまいました。
今考えると、この頃から「うつ病」とか「気分障害」「抑うつ性パーソナリティ障害」のようなものがあったように思います。
とにかく悲しく、不安で、何にも楽しくなくなり、自分自身が嫌でたまりませんでした。
心が壊れていく・・・
[自殺]
そうした中である思いが芽生え始めました。自殺です。
- 自分は何の価値も無いのだ
- この世から一人消えたからといって世の中が変わるとは思えないので消えても良いだろう
- 自殺してしまえば学校に行かなくてすむんだ
- クラスのみんなだって私がいなくなった方が良いに決まっている
- お父さん、お母さん、○○ちゃん(妹の名)。ごめんね。もう、なんか疲れちゃったんだ。バイバイ!!
- 5階という高さは何だか中途半端に低い気がする
- 確実に死ぬには、もっと高い場所が必要かもしれない
ふちに立って、あと一歩で落ちて死ぬ事が出来る・・・そう思った時、突然全身が震え、怖くなってしまいました。
- あと一歩、前に歩くだけでいいのに!!
何回も試みてはみるものの、結局、最後の最後の「あと一歩」がどうしても踏み出せませんでした。そのたびに、
- いくじなし!!
[ひとりぼっちの学校生活]
中学から短大卒業までは「いじめや、からかいが嫌」だったので、自分の殻に閉じこもり、ほとんど誰とも話をしませんでした。(私が)何も喋らないので、みんなの興味は薄れ、自然と「いじめや、からかい」は無くなりました。
「お友達が欲しい」「ひとりぼっちで寂しい」という気持ちはありましたが、人と接する事や、何よりも「声を発すること」が怖くて出来ませんでした。
- この先、ずっとひとりぼっちなのかな・・・
- 何にも楽しいことなんて無いんだな・・・
同窓会の手紙がたまに来たりするけれど「友達がいなかった」「楽しい思い出がほとんど無い」ので参加する事は無く・・・。
[いじめ後遺症]
最近「いじめ後遺症」という言葉ができました。幼い頃に受けた、いじめがトラウマとなり、大人になっても、それが原因で様々な問題に直面するそうです。
私は現在「うつ病」と戦っていますが、もしかしたら「いじめ後遺症」も入っているのかもしれません。
と、言うのも、例えば「医療機関で書く問診票に性別を記入する」時、上記の事(いじめ)もあってか、今でもかなり苦心します。
一応、医療機関だし性別によって検査結果や薬の量が違うので生物学的な性の方に丸をつけるのですが、
男と女"しか"ないのか・・・その他ってないのかな?
と、思ってみたり。
私自身、性同一性が未だに定まっていない状態で、とりわけ心については「男性」「女性」「中性」「無性」を行ったり来たりしている感じがし、とても不安です。普段の生活の中では「中性」「無性」が多いと思います。
「中性」「無性」というと特殊な感じを受けるかもしれませんが、例えて言うなら「小さい頃は男とか女とか意識しない状態」で誰でも経験していると思います。私の場合、それがずっと続いているだけです。
日常生活の中で性別を意識したり聞かれたり、書いたりすることは意外と多く、その度に「ええと・・・」と困る事があります。
例えばスーパーとかのトイレ。男性用と女性用しかないところは、トラブルを回避するために「一応、生物的な性の方を選択する」のですが、私の気持ちとしては「かなり変な感じ」がするのです。
多目的のトイレ(身体障害者や男性、女性どちらが使ってもOKのトイレ)があるところは迷わずそこを使います。
- ただ単に「トイレに行きたい」だけでも、かなり苦労や苦心する
- 性別ってそんなに大事な事なのか? 性別にとらわれることなく「単なる人間」として見て欲しい・・・
いじめっ子らに対しては「思う事は山ほどある(私自身はしっかりと名前と顔を覚えている)」けれど、昔の話だし、たぶん彼ら彼女らは覚えてはいない(いじめた自覚が無い)と思うので、心の片隅にでも置いておきます。
もう思い出したくもないし、そろそろ前に進みたい
そんな感じで。
つづく
