札幌市天文台が設置された1958年(昭和33年)当時のことを書いた記事
【札幌市天文台の発足】の続編です。
札幌市天文台の初代20cm望遠鏡は、対物レンズ部を東京光学機械梶i※注:現在は潟gプコン)が製作し、架台部を府中光学鰍ェ製作しています。
なぜ2社の合作となったのか長年疑問でした。その理由を関係者に近いA氏に聞いた内容をご紹介します。前回同様、長文になりますがお付き合いください。

札幌市天文台の初代20cmF12屈折望遠鏡です。コバルトブルーの架台が印象的でした。(写真は9月1日の記事と同じものです。写真提供:中山さん)
2社の合作となった最大の理由は、発注から僅か9ヶ月で望遠鏡を納入するという当時としては厳しい条件があったためだと思われます。
1957年(昭和32年)4月、札幌市に天文台を設置する計画が立案され、博覧会事務局の専門委員として委嘱された札幌天文同好会々長の福島久雄氏(1910-1997)が中心となり、望遠鏡の基本構想が練られていきました。
福島氏は望遠鏡選定にあたり、東京天文台(※注:現在は国立天文台)の下保技官と綿密な協議を行ったようで、望遠鏡の仕様を口径20cm屈折とすることを同年9月までに決定したようです。
A氏の覚え書きによれば、次のようなやりとりが博覧会事務局とメーカーの間で行われました。
1957年(昭和32年)9月12日
スポンサー予定の企業に費用概算額を提示するため、博覧会事務局が20cmF12屈折望遠鏡と5mドームを一体とした見積りを4社に依頼。見積り提出期限は9月20日。
(※注:後に1社追加され5社となりましたが、1社から納期に間に合わないとの回答があったとのことです。)
9月19日
東京光学から「弊社としては現在八吋レンズ関係は納期可能ですが、望遠鏡ボデー及ドーム等は目下弊社作業が輻輳して居りますので納期に間に合い兼ねます為誠に恐縮ですが貴市にて下請会社御斡旋方御願い致します。」との文書を博覧会事務局が受理。
(※注:吋はインチと呼び、1インチは2.54cmです。八吋は約20cm)
9月20日
博覧会事務局が東京光学あてに次のように回答。
「貴社より連絡のありました下請の件につきましては、都内 府中光学より見積りを提出させて下さい。尚、府中光学は東京天文台(下保技官)よりの紹介でありますので、出来れば東京天文台と打ち合わせの上、連絡をとられるようお願いします。又同光学では現在手持ちもあり価格についても特に安くしたいという意向ですので、この点御留意の上、御交渉願います。」
10月31日
福島氏が次のような推薦状を博覧会事務局へ提出。

(※注:A氏覚え書きを基に私がワープロで復元したもの。社名は伏字にしました。)
当時、府中光学は日本光学工業梶i現在の潟jコン)の下請け会社で、東京天文台から直接の発注を数多く受けていたそうです。
福島氏は下保技官との協議の中で、府中光学に20cm用架台やドーム部材の手持ちがあることを知っていたようです。
こうした経緯があって、札幌市天文台の20cm屈折は東京光学と府中光学の合作となり、翌年1958年(昭和33年)7月に引渡しされたのでした。
ここで、A氏がお持ちだった初代20cm対物レンズ設計図面のコピーをご披露します。

対物レンズセルの設計図です。

20cmアクロマート対物レンズの収差曲線です。収差に興味があるかたは拡大してご覧ください。画像は通常よりもサイズを大きくしてあります。
当時の屈折望遠鏡の口径比(F)は15が標準でした。収差を犠牲にしても、あえて短めのF12にしたのは、ドーム直径を5mに納めるためだったのでしょうか。
この初代望遠鏡は札幌市天文台で26年間使用され、1984年10月に新しい望遠鏡へ交換されました。望遠鏡の更新経緯については近いうちに続編で紹介いたします。
この続きは
【札幌市天文台その3】をご覧ください。