青函連絡船は、1908年(明治41年)から1988年(昭和63年)までの80年間、函館駅と青森駅を結んでいた鉄道連絡船です。
青函連絡船には小学校や中学校の修学旅行にも乗船してますし、これまで50回以上乗船したでしょうか。
連絡船が出港する際、白い制服に身を包んだボーイさんがデッキを歩きながら鳴らす銅鑼(どら)の音は旅情がありました。今ではもう聞くことができません。遠い昔の思い出になってしまいました。
青函トンネルが完成したため青函連絡船は廃止になりましたが、そのきっかけとなったのは1954年の洞爺丸台風です。

洞爺丸台風があった58年前の1954年9月26日の天気図です。
日本の海難史上最大の惨事となった青函連絡船 「洞爺丸」 の転覆事故は、9月26日22時45分ごろに発生しました。
この洞爺丸の事故が契機となり青函トンネルの構想が練られ、難工事の末完成したトンネルの開通に合わせ、青函連絡船は1988年3月13日に最後の運航を終え廃止されました。
廃止の7ヶ月前の1987年8月に家族3人で青森のねぶたを見に行ったのが青函連絡船最後の乗船となりました。
実をいうと、洞爺丸が転覆した日は私の満1歳の誕生日でした。当時は青森市に住んでいて、当日はとても風雨が強く昼間でも暗かったと母から聞いています。
【9月27日11時:記事追加】
青函連絡船の銅鑼の音はもう聞けないと書きましたが、YouTubeで聞くことができます。
【青函連絡船最終日青森桟橋編】の4分55秒から銅鑼が鳴らされています。
私の記憶では、銅鑼を鳴らしていたのは白い制服を着たボーイさんですが、もしかしたら記憶違いかもしれません。