2010/11/3

37年前はどんな年?  
今日(11/3)蜂の夫婦は37回目の結婚記念日を迎えました。37年も経つと結婚記念日と云っても感動や感激を覚えることはほとんどありませんが結婚記念日を忘れずにいることに意義があると勝手に思っている蜂です。今日は蜂が結婚した1972年(昭和47年)はどんな年だったのかを蜂の独断と偏見で見て行くことにします。


1972年11月3日の披露宴でのワンシーン(蜂24歳・妻23歳)
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 年明けの1月5日にニクソン大統領がスペースシャトル計画開発を発令しました。実際にスペースシャトル『コロンビア』が宇宙空間に初飛行したのは、スペースシャトル計画開発を発令9年後の1981年4月12日のことでした。蛇足になりますが『コロンビア』は2003年2月1日、大気圏突入時空中分解し7名の宇宙飛行士全員が死亡しました。

1月24日にはグアム島で元日本陸軍兵士横井庄一さんが発見されました。日本軍の無条件降伏が発令されたことが知らされなかった横井さんはジャングルや自ら作った地下壕などで生活。グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日に食料調達のため川でエビを採っていたところを現地の猟師に発見され、同年2月2日に満57歳で日本に帰還しました。「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語になり、またグアム島で発見された横井さんが住居とした地下壕が『横井トンネル』として評判になりました。同年11月3日に幡新美保子さんと結婚をしました
−蜂夫婦と同じ日の結婚式だったので鮮明に記憶しています−


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 2月3日に第11回冬季オリンピックが札幌で開催されました。2月6日に行われた70m級(現在のノーマルヒル)では、笠谷幸生が1位、金野昭次が2位、青地清二が3位と、日本人が冬季オリンピックでは初めて表彰台を独占しました。後に日本のジャンプ陣が日の丸飛行隊と呼ばれるようになるきっかけにもなりました。
−蜂は蔵王にスキーに行っており宿のTVで表彰式を見ていた記憶があります−


 2月19日に連合赤軍のメンバー5人が、浅間山荘の管理人の妻を人質に10日間にわたり立てこもるあさま山荘事件が起きました。2月28日に警察が浅間山荘に強行突入し死者3名、重軽傷者27名を出しましたが、人質は無事保護され、立てこもり犯5人は全員逮捕されました。突入の様子は、テレビで生中継された。その日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、18時26分には民放、NHKを合わせて視聴率89.7%に達しました。
−蜂は得意先のテレビで見ていて仕事になりませんでした−


写真左(右から銅の青地さん、金の笠谷さん、銀の金野さん)
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 1972年3月に関西大学と龍谷大学の研究者・学生グループによって高松塚古墳の発掘調査が始まりました。発掘開始から間もない3月21日に極彩色の壁画が発見され、日本中でトップニュースとなりました。発掘作業は、壁画発見からほどなく文化庁に引き継がれました。その後1973年高松塚古墳は特別史跡に、また極彩色壁画は1974年に国宝に指定されました。

 4月16日ノーベル賞作家川端康成氏(72歳)が仕事部屋として使っていた逗子市のマンションでガス自殺しました。午後2時ごろ散歩と称し鎌倉の自宅を出たまま戻らず、午後10時過ぎに逗子の部屋に入った警備員らがガス管を口くわえた川端氏を発見しました。そばにはウイスキーの瓶とコップが転がっていました。遺書はなく原因も不明でした。

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 5月13日午後10時頃、大阪市南区難波新地(現、中央区千日前2丁目)の雑居ビル「千日デパート」の3階から出火。火と煙が最上階の7階まで達し営業中のアルサロで、逃げ遅れた客やホステス、従業員らが灼熱と猛煙に我慢ができず地上へ飛び降りたりしました。死者118人、重軽傷42を出す戦後火災最悪の大惨事となりました。3階のスーパで配電工事をしていた現場監督が投げ捨てたタバコの火が原因と推定されています。

 5月15日 太平洋戦争終結後、アメリカ軍政下に置かれていた沖縄が日本に返還され沖縄県が発足しました。1969 年の日米首脳会談で、ニクソン大統領は安保条約延長と引き換えに沖縄返還を約束しましたが、結局、米軍基地を維持したままの返還となりました。。
−車が左側を通行し円で買い物をする様子がTVで放映されていました−


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 5月30日、日本赤軍の最高幹部・奥平剛士(当時27歳)と安田安之(当時25歳)、岡本公三(当時25歳)の3人がパリ発ローマ経由のフランス航空機でイスラエルのテルアビブ空港(現、ロッド空港)で到着後、税関で受け取ったスーツケースから自動小銃と手榴弾を取り出し、イスラエル警備隊に向けて銃を乱射し、手榴弾を航空機に向けて投げました。その結果、民間人を含む24人が死亡し、72人が重軽傷を負った。奥平と安田は手榴弾で自爆死、岡本はイスラエル警備隊に逮捕されました。

 6月11田中角栄氏が通産大臣のときに「日本列島改造論」を発表しました。6月20日には日刊工業新聞社より同名の本が刊行され、国民の間に大きな反響を呼び、政治家の著書としては異例の88万部のベストセラーになりました。日本列島を高速交通網(高速道路、新幹線)で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密や、公害の問題を同時に解決する。イタリアやアメリカ合衆国の例が挙げられており、国土のうち、北部を工業地帯に、南部を農業地帯にすべきである(日本の現状は逆である)という持論が展開されていました。

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 6月17日アメリカ大統領選挙戦さなか、ニクソン再選委員会(共和党)の組織した一味(7名)が、民主党選挙対策本部のあるウォーターゲート・ビルに侵入し、盗聴器を仕掛けようとしてその作業中にガードマンに発見されて未遂に終わり、逮捕されて起訴されました。これが契機となって2年余にわたってアメリカ政界を大混乱に巻き込み、ついに74年8月9日、議会による事実上の弾劾直前になってニクソン大統領が辞任しました。

 7月7日第一次田中内閣が発足しました。「決断と実行」を高く掲げ、日本列島改造を謳う新内閣の組閣人事は、実は年功序列と論功行賞による起用がほとんどでした。そのような組閣人事でも、首相に対する期待は高く、朝日新聞の調査では支持率は62%であったとのことです。毎日新聞『高小卒で天下を取る』読売新聞『野人総裁角さん 浪花節と“電算ブルドーザー”』と紹介され、国民の支持を帆に受けて、清新な内閣は好調な滑り出しを見せました。
−蜂の父が新潟出身ということもあり『今太閤』?(そんなようなタイトル)の浪曲のLPを聞いた記憶があります−

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 8月3日カシオ計算機が世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を発売しました。サイズは、その頃主流であった電卓の4分の1以下コンパクト化し、価格は3分の1の1万2800円での販売でした。「答え一発カシオミニ」のCMも大当たりし『カシオミニ』は爆発的にヒットし、発売後10ヶ月で 100万台販売しました。
−ソロバンの苦手な蜂にとり大きな武器となった記憶があります−


 8月26日から西ドイツ(現・ドイツ)のミュンヘンでミュンヘンオリンピック開催されました。日本男子体操が最も強さを誇った大会で、全8種目24個のメダルのうち、16個を日本が獲得しました。団体では、ローマ・東京・メキシコに続いて4連覇を達成し塚原光男氏が開発した「月面宙返り」が世界中の注目を集めました。また男子バレーボールは準決勝のブルガリア戦でセットカウント0-2から奇跡の逆転劇を演じ金メダルを獲得しました。

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 9月29日中華人民共和国の北京で行われた『日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明』(日中共同声明)の調印式において、田中角栄、周恩来両首相が署名したことにより成立しました。日中共同声明に基づき、日本はそれまで国交のあった中華民国に断交を通告しました。

 10月28日日中国交正常化を記念し上野動物園にパンダのランラン、カンカンが来園しました。当時の田中角栄首相が日中国交正常化の道が開かれました。これを記念して、中国人民から日本国民に、2頭のジャイアントパンダ『ランラン』(メス)と『カンカン』(オス)が贈られました。
−友人達が開いてくれた2回目の披露宴の栞にランラン・カンカンのイラストが描かれてことを思い出されます−

写真右(右がランラン 左がカンカン)
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 11月 6日大阪発青森行き下り急行「きたぐに」が全長13,870mの北陸トンネルを走行中、15両編成の客車の11両目の食堂車から出火し、乗務員1名を含む30名が死亡し14名が負傷するという大惨事になってしまいました。
−蜂は新婚旅行帰りで京都駅や東京駅のTVで見て強烈に記憶に残っています−


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 11月13日に東北自動車道の岩槻ICから宇都宮ICまでが開通しました。それから15年後、1987年9月9日に河口JCTから浦和ICの開通によって埼玉県川口市を起点とし、群馬県、栃木県、福島県、宮城県、岩手県、秋田県を経由し青森県青森市へ至る、延長679.5kmの日本最長の高速自動車国道全線が開通となりました。
−記憶に残っていないのは蜂の住むいわき市にはほとんど関係のない道路だったからかも知れません−

 12月25日北朝鮮最高人民会議が開かれ社会主義新憲法採択されました。このとき金日成が国家主席に選出されました。
−この記憶もほとんど記憶に残っておりません−


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あらためて37年前を振り返ると、時の長さを実感します。銀婚式はあっという間に過ぎてしまいましたが金婚式まではあと13年。まだまだ長い道のりです。これから先は健康を最優先に考え歩み続けて行きたいと思っています。
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