2010/1/26

戦時下の兵士の輸送で賑わう港の情景を歌った『港』  童謡唱歌こぼればなし
「♪そ〜らも港も夜はは〜れて〜♪‥‥」明るいメロデーィーで港の賑わいを歌った『港』は長らく作詞・作曲者不詳の作品でした。宮城伸三氏が居酒屋で同席した老人から聞かされた話ををきっかけに調査した結果、作詞・作曲者やこの歌が宇品暁橋(広島県)から見た戦時下の兵士の輸送で賑わう宇品港(広島港)の情景でだったことが分かったとのことです。

宇品中央公園にある『港』の歌碑
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 『港』は明治33年(1900年)『新選国民唱歌』(壱)の1曲として誕生しましたが、作詞、作曲者不詳とされていた作品でした。昭和48年(1973年)全日本会員組合の宮城伸三氏が居酒屋でたまたま同席した老人から宇品港(昭和7年:1932年広島港と改称)を歌ったものと聞かされました。

 宮城伸三氏は明るく活気あふれるこの歌で、原爆広島の暗いイメージを払拭し、広島の子供たちの情操教育と海事思想の普及に貢献しよう思いました。地元海運関係者や地元有志の協力を得て調査研究を続けたそうです。その結果、作詞は旗野十一郎、作曲が吉田信太、場所は宇品暁橋であることが判明しました。

 この歌は、日清戦争()の時に中国(当時清国)へ軍隊や軍事物質を運ぶために作られた宇品港を舞台に、陸軍の輸送船に兵士たちが小型舟(端艇:はしけ)で乗り込む様子を歌ったものだったのです。

 明るいメロディーを持つこの作品には、戦時下の兵士の輸送で賑わう港の情景を歌ったとする隠された事実が存在していたのです。現在では2番の歌詞が林柳波によって、大漁を祝うイメージの歌に変えられています(当時の2番の歌詞は別記2として記載)。そのため現在作詞者は2名連記されています。

  :明治27年(1894年)7月から明治28年(1895年)4月にかけて行われた主に朝鮮半島をめぐる
     大日本帝国と大清帝国の戦争


                    

                          作詞 旗野十一郎・林 柳波
                          作曲 吉田信太


  1.空も港も夜(よ)ははれて       2.響く汽笛に夜は明けて
   月に数(かず)ます船のかげ        いつか消えゆく空の星
   端艇(はしけ)の通いにぎやかに      大漁のうたも勇ましく
   寄せくる波も黄金なり          朝日をあびて船帰る
       (作詞 旗野十一郎)         (作詞 林 柳波)


 
                − 別記2 −

                林なしたる 帆柱に
               花と見まごう 船じるし
               積荷のうたの にぎわいて
               港はいつも 春なれや
                   (作詞 旗野十一郎)

                                          


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