このドキュメンタリーで一番ショックだったのは進級試験結果発表のシーンです。
職員室じゃなくて、廊下で宣告されるんですよ、それも、皆のいる前で。
しかも「進級できません」じゃなくて、「もう来なくていい」なんです。
この学校には留年はなく即退学なのです。
首を切られた少女の嗚咽、悲鳴は廊下中に響き、それをすぐそばでヴェーラは聞いていました。
昔、金八先生は「腐ったミカンは捨てるんですか!」と校長に詰め寄りましたが、そもそもワガノワバレエ学校には 「腐ったミカン」はありえないのです。
何千何百何十人が落とされる入学試験の時点で、受験生達の志は非常に高く、「不良」などという概念はここには存在しません。
合格した60人もの「良い子」が八年生になった時には19人に減っていました。そう「腐ったミカンを捨てる」のではなく「熟せないミカンは間引きする」なのです。
そして、残った精鋭たちが更なる競争に臨む。
画面を見ながら、鳥肌が立ちました。
ロシアの名門校ですから、ひょっとしたら、旧ソビエト時代のスターリン的非情さが伝統にあるのかもしれません。
しかし、よくよく考えればそれは、ブロードウェイでもウエストエンドでも、東京でも同じでしょう。
「力のある者だけが残る」、それはショー「ビジネス」界の共通言語なのです。
この苛酷な競争を勝ち抜き、ヴェーラから二日もヒロインの座を奪い取った17才のエレオノーラ、しかし、そのダンスを見れば誰もが納得でしょう。
映画の山田監督は「主役は美しくなくてはいけない」と言いましたが、セクハラでもなんでもなく、これは真実です。
ましてバレエはコメディではありませんから、ヒロインの場合は絶対条件です。
エレオノーラには美しさだけではなく、なんと言うか、そう、「王室的な気品」があります。
整った目鼻立ち、バレエをやるために生まれてきたような長い手、脚、首、そして、なによりポルドブラのたびに身体からあふれる優雅さ、こぼれる微笑・・・まさにプリンセスです。
これに加えて正確なテクニック、王子のサポートは受けますが、ピルエットを6回回っても軸がぶれません。
強くて柔らかい筋肉、日本刀のような体幹の持ち主なのです。
故つかこうへいさんの有名な台詞に「天才に勝る努力なし」って言うのがありますが、凡人がいくら頑張っても追いつかない、天分を彼女は持っています。
英語で才能の事をGiftと言いますが、まさしく神様からの贈り物なのです。
エレオノーラの美しさにうっとりしながら、ふと、私は思いました。
「じゃ、手脚の短い、首の無いおれはどうすりゃいいんだ!?」
でも、すぐに気を取り直します。
世の中、こんな美形ばっかりだったら、面白くもなんともねえや!美しさで勝負できなきゃ、味で挑めばいい。
短所は嘆くより、長所に変えればいい。
首が短いから高音は出しやすいし、手足がコロコロ短いから愛嬌が出る。
藤田まことさんが言ってくれました、「二枚目は若いうちだけやけど、三はな、なんぼ年取っても出来まんねん」
バレエかて道化は重要。
主役はエレオノーラに任せて、ドロッセルマイヤーおじさんはがっちり脇を固めよう。
それにはもっと「腕」を磨かんと。
かくしておっちゃんは再び鍛練に、技盗みに励むのでありました。
めでたし、めでたし・・・
それにしても・・・美しい・・・Gifted エレオノーラ・・・


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