役者というのは「二人の自分」を持っている。
ひとりは文字通り「役」としての主観、そしてもうひとりはそれを俯瞰で見ている客観的な自分だ。
後者は例えば稽古場、あるいは舞台上で自分が誰かと重なっていた場合、その位置調整を図ったり、あるいは誰かの間が長すぎた場合、意図的に早回しで喋るなど、「自己演出家的役割」を果たす。
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7月15日12時、「ラブレター」千秋楽翌日、私は神奈川芸術劇場八階稽古場にいた。「ピノキオ」リハーサル、先ずは作曲家深沢先生御自らの指揮による歌稽古。
先生の楽曲に対するポリシーは「崩しても良いけれど、先ずは音程をきちっと取ってから」。
けだし、これはミュージカル俳優ならばごくごく当然の姿勢であるからして、私も事前にキーボードに向かい、譜面を見ながら一音一音丁寧に当たっていた。
その上で役としての表現を加えていったのだ。
自室での楽曲解釈、栄治との特訓による相手役との関係、それらを統合し、「ラブレター」本番の合間を縫って秘密兵器;BOSE高品質スピーカーを駆使し、劇場の片隅で繰り返し準備していた。
かくしてキツネは少しずつ、私の肉体に入り込んで行ったのだ。
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「じゃ、ちょっとキツネとネコの唄、聞かせてもらいましょうか・・・」
音程確認稽古が終わり、亜門さんと共同演出福島さんが提言する。
音響さんがカラオケを流す。
不気味な風の音・・・ロシアの民族楽器バラライカが哀愁のE音をかき鳴らした、その瞬間・・・
私はキツネにとり憑かれた。
客観的な自分はいたのだが、役としての主観が瞬時に大勢を占めたのだ。
事前に息を合わせていた栄治と共謀し、傍に座るピノキオ役小此木マリちゃんを、“たぶらかす”ことに心は奪われる。
世界の中心が彼女をターゲットにしていた・・・そんな感じ。
多分、目は“いって”いたと思う。
今回キツネ役創りのコンセプトは;「変幻自在」。
相手を威嚇したり、下手に出たり、笑わせたり、惑わしたり、すねたり、甘えたり・・・ピノキオをだますためにありとあらゆる「折れ」を作った。そして、その折れを明確にするため(ロビンウィリアムズばりの)千の声色を研究してきたのだ。
声を時にトワング系で鼻腔に集め、時に嗚咽し、わざと半音フラットして退廃し、息を混ぜて同情を引き、あえて喉に負担のあるだみ声で威嚇する・・・
声色を変える度、キツネはどんどん私に取り憑いていった。
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歌い終えて、深沢先生がダメを出す。
「治田さん、全部を全部いじっちゃだめ。一つ崩したら、次は正確にやるの!」
そして、具体的にこの部分はこうだと手本を示してくださる。
なるほど・・・
私は忠実にそのダメを受け入れていく。
「少しずつ(余分なものを)削っていきますからね!」
作曲家としての威厳を保ち、先生は厳重に念を押した。
しかし、その目は・・・どこか笑っていた。
そして、この一言付け加えたのである。
「愛情を持って・・・」
深沢先生より「愛情カット」いただきました。
ミュージカル「ピノキオ」リハーサル初日、キツネコ歌稽古。
大ウケ・・・
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今日、これから新幹線に乗り、台風メッカ兵庫、岡山へ「トーマス」の公演、再びトップハムハット卿に。
無論、本番の合間を縫い、BOSE稽古。
深沢先生のダメを有効活用し、一体キツネはどんな進化をたどるのか、あるいは・・・
道を誤り奈落へと落ちていくのだろうか・・・
ルーフバルコニーのあるKAAT最上階稽古場。


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