『ブレンダ、おまえ、やつを愛していると言うなら、法の裁きを受けさせろ。バカ娘!』
これは、フランクにだまされた事を知ったロジャーが愛娘ブレンダに吐く最後の台詞である。
この台詞には対立する二つの大きな思いが交錯する。
傷ついた娘への慈愛、そして、法律家としての職業倫理である。
ブレンダは一度結婚に失敗している。相手はロジャーの法律事務所・共同経営者の息子で、結婚式の朝、彼女は「この人は愛せない」と悟り、そのまま家出している。
今度こそ幸せになれると思った相手フランク、その彼は・・・
稀代の詐欺師だったのだ。
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台詞を吐く前段階として、私は三つの「折れ」を用意した。
1「法律家として冷静沈着に娘を諭そうと近寄る」
2「しかし、ふと、とまどいが生まれ、うつむく」
3「意を決して、口火を切る」
『ブレンダ、おまえ・・・』
A
すると、ブレンダ役の聖子ちゃんと美香ちゃんは大粒の涙を流す。
それを受け・・・
1「父親として優しく娘を包み込もうとする」
『やつを愛しているというなら・・・』
B
しかし、ここでフランクへの怒りが鎌首をもたげてくる。
1「法律家として正義を貫く」
2「心を鬼にし、娘を諭す」
『法の裁きを受けさせろ・・・』
C
すると、聖子ちゃんは氷のように覚めた目で私を拒絶し、美香ちゃんは深い悲しみに包まれながらもフランクを選ぶ。
1「自責の念に駆られる;なぜ『大丈夫だよ、パパはおまえの味方だから』と言ってやれないのか・・・」
2「言いようもない虚脱感に襲われる」
3「自分への怒り、フランクへの怒り、そして、こんな思いを二度もさせた娘への怒りが、三つ巴で爆発する」
『バカ娘!』
・
以上が四つが、この台詞への大まかな演技プランだ。
C−3で、「爆発」の折れにせず「哀しみの愛」も考えられるのだが、この台詞には唯一無二の命題がある。
この直後ブレンダがフランクを思って歌う“Fly fly awy”への布石にしなくてはならない。 彼女に「魂の叫び」をシュートさせるため、私は「娘を突き放す」パスを送らなくてはならないのだ。
しかし・・・
大千秋楽、このプランを大きく崩すハプニングが起きた。
Aではなく、@−1の直後、いきなり、美香ちゃん目から大粒の涙がこぼれ落ちたのだ!
当然、@−2、3は吹っ飛んだ。
すぐさまAへと飛ぶ。父親として大きな愛でくるもうとしたのだ。
そして、本来のAの「愛」に、更に「勇気づける」が加わる。
だが、Bはなんとしても死守しなくてはならない。
私は‘心を鬼にして’『法の裁きを受けさせろ』を吐く。
すると、ブレンダの目から更なる悲しみの涙がボロボロ零れ落ちた。
その時だ。
突如、わたしはある衝動にかられた。
「この子を抱きしめたい!」
娘が雨に濡れる子猫のように、可哀そうで、愛おしくて、愛おしくてたまらなかったのだ。
いつもなら一歩下がるのに、逆に一歩前へ出ようとした。
すると、錯覚だろうか、ブレンダも前へ出たように思えた。
その瞬間、ロジャーさんは二つに分裂する。
役としてのロジャー・ストロング、そして、役者としての治田敦にだ。
上空から冷静に見ている役者の目は「抱きしめたいという衝動を、必死でこらえた方がより哀しみが出る」と分析。さらに、「“Fly fly awy”への絶妙なパスが送れるはず」と計算した。
かくして、私は必死の思いでブレンダから離れ、後ろ髪引かれながらも袖へと向かい、振り返れば、C−3はかつてないほど「ぶつけようのない悲しみと怒り」で爆発した。
もし、あの時ブレンダを抱きしめたとしたら・・・
それはそれで成立するだろう。
しかし、物語全体から見れば、演出家荻田さんの注文通り、ロジャーは「愛を表現できない障害者」でなくてはならないのだ。
唯一無二の命題、「“Fly fly awy”をシュートさせる」を確実に遂行しなくてはならない。
だが、振り返って今、私は思う。
あの「衝動」は一体何だったのだろう。
そして、本当にあれは錯覚だったのだろうか・・・
女優菊地美香さんは、あの時一歩前へ踏み込もうとした・・・?
美香、もし、これを読んでいたら、ぜひ、教えてほしい。
大昔、とある演出家に注文された。
コーヒーを飲みながら今、私はその言葉を思い出す。
「役を生きろ」
おれら、ロジャーとブレンダを生きたのかな・・・?
美香ちゃん、姪の奈央ちゃんと。
遠近法のような顔のでかさ・・・
FBより返信
菊地 美香
治パパ!
私も微かに一歩踏み出したんです!
パパと同じ瞬間に。
ドキドキしました。
危うくパパの胸に飛び込むところを、ロジャーパパはすっと絶妙なタイミングで拒否してくれました。
でもね、やっぱりあのシーン、私や聖子ちゃんにしかわからないと思うんだけど、あの瞬間は、治パパの愛が100%溢れてて、治パパの激しい葛藤が見えるんです。それは治パパとしてなのか、ロジャーパパとしてなのか私は決められないけど、私はブレンダとしても、菊地美香としてもドキドキ、ワクワクする瞬間でした。
千秋楽のあの奇跡の一瞬が、荻田さんのおっしゃっていた正解だったのかな?と思うのであります。
お芝居はすごく難しいのに、たまらなく面白いですね。
治パパと呼ばせて頂きながら、数年経ちましたが、やっと娘になれました。
幸せな瞬間をたくさん、ありがとうございました。
治田 敦仁
そうか、やっぱりあれは錯覚じゃなかったんだね・・・!
故三木のり平さんの著書「パーッといきましょう」の中に「乞食袋」っていうエピソードが出てきます。
「アドリブっていうのは思いついた瞬間にやっちゃいけない。きちんと乞食袋に入れといて、ここぞっていう時に使うんだ」
実は、東京公演で美香とやっているときにも、同じようにブレンダを抱きしめたいという衝動に駆られたことがあります。
しかし、それはこの時ほど大きなものじゃなかった。
だから、今度そんな思いに駆られたら「抱きしめようと一歩前へ出て、それを必死の思いでこらえよう」と、ロジャー乞食袋に入れといたんですよ。
よもや千秋楽で使えるとは・・・
ロジャーさんとしては必死の思いでしたが、はるパパとしては「してやったり!」でした。
でも、自分がそんな衝動に駆られたのは美香の、あの大粒の涙のお蔭です。
アクターズスクール創始者リーストラスバーグの教え、それをそのまま絵に描いたような「集中とリラックス」、まさに絶妙のパスでした。
芝居ってのはひとりじゃ決してできない。
美香ちゃんから、聖子ちゃんから、いつも最高のパスをもらえる。だから返せるし、ドリブルして、保って、ひいてはロジャーさんのシュート「バカ娘!」を放てる。
そのシュートがブレンダのシュート“Fly fly away”に繋がるんだとしたら・・・役者として、これ以上の喜びはありません。
芝居って面白い。
こちらこそ最高の瞬間をありがとう。
また、いつか、ぜひ、共演したいね。
その日まで、パパは一生懸命精進します!!
娘へ
はるパパより

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