音楽座の方たちは本当に稽古熱心です。
朝から晩まで、暇さえあればお稽古していらっしゃいます。
頭が下がります。
私って、短期集中型なもので、恥ずかしながら「持続力」がございません。
目安は五時間です。
五時間までは頭も冴え渡り(れいの頭部12針縫合事件のおかげでしょう)色々アイデアは浮かぶのですが、五時間一分目から突如、別人になります。
目はうつろ、足取りは重く、ツーと言えばゲーです。
(なんや、それ!)
「はるパパって、ホント、分かりやすいよね!」
昔、共演者に言われたことがありますが、返す言葉もございません。情けない・・・
ただ、まあ、人それぞれペースってものがございますから、こればかりはいたし方ありません。
自分は稽古場でやる稽古以上に、事前の稽古に重きを置いています。「猫の穴」に篭って、一人黙々とやる稽古です。
ちゃらちゃらしてる振りして、実は、隠密稽古が好きなんですよね。
昨日も共演者とダンスの隠れ合わせ稽古をやりました。
(なんで隠れんねん!
んな、見せたないがな、まだできてへんのやさかい!)
で、作ったネタ(ネタ!)を振付師に持っていったら、早速OKが出たりして、もうホクホクです。
実はまだ隠しネタがあって、それは「おれらの振りがちゃんと身体に入ってから、やろうぜ・・・」なんて、密談したりしました。
日舞の先生には踊りは勿論、歌舞伎所作の指導を仰ぎ、野太鼓の役作りに生かす魂胆です・・・そいじゃ、ここで、野ださんにその生い立ちを聞いてみましょうか。
「おいらは日本橋は浜町の花屋敷生まれ、家は待合をやっていた。
待合っていうのは客が芸者や幇間(たいこもち)を呼んで、酒飲んで騒ぐところ。
奥の部屋には布団が敷いてあったりする。
店の名は『酔月楼』。おいらの親父はそこのお大尽だった。
おふくろは・・・親父が手をつけた芸者の梅川、そう、おいらは妾の子ってわけ。
おいら、そんな色町に育ったから、『鬼ごっこ』なんてガキの遊び、ちゃんちゃらおかしくって、五つや六つぐれえから「箸ケン』やってた。
『門前の小僧習わぬ経を読む』じゃねえが、踊りも小唄もへたな芸者なんかよりゃよっぽどうめえ。
チャンチキなんて目つぶってたって踊れる。
半玉の小鈴なんか三歩下がっておいらのこと『師匠』って仰いでるぐれえだ。
子供の時分、おいらのこと随分と可愛がってくれた幇間の吉さんのおかげで、たいこもちだってうめえよ。
自慢するわけじゃねえが、おかみさんに『あんた、お座敷出てみないかい?』って、マジで言われたもんさ。
大人になったら、おいらもここでかせぐんだろうな・・・
物心ついたころからそう思ってた。
ところが、そんなおいらの運命をガラッと変えた出会いがあったのさ。あいつ・・・
『ホトトギス』とかいう文芸誌を小脇に抱え、いつも仕立てのいい真っ赤なシャツを着こなす、同級生の上野くんだ・・・」
(つづく)


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