東京オペラシティのコンサートホールで韓国のオペラ歌手ベー・チェチョルさんの『復活』コンサートに行ってきました。
『復活』というのは彼が大病から克服したという意味です。
その大病はオペラ歌手にとっては絶望的な病気、歌うことはもとより喋ることさえ奪う病気だったのです。
ベーさんはイタリアで勉強した後、ヨーロッパ各地の声楽コンクールで優勝を重ね、大きな成功を収めました。
そして、アジアオペラ史上最高のテノールと称されたのです。
しかし、205年、甲状腺ガンに襲われその摘出手術の際、声帯と横隔膜の神経を切断、声に加え右肺の機能を失いました。
最高のテノールが最高の歌声を奪われたのです。
しかし、ベーさんはこの絶望から這い上がりました。
たくさんの仲間やファンの支援を受け、京都大学一色信彦名誉教授による声帯機能開腹手術を受けたのです。
そして、2008年、大変なリハビリを経た後、各地で公演を再開し、日本でのコンサートに臨みました。
私は、その歌声をじっと客席で聞かせてもらいました。
確かに発病前の力強い高音は影を潜めましたが、柔らかさと表現力は以前にも増して豊かになった気がします。
なんという精神力でしょう。
終演後、打ち上げパーティーで少しだけ挨拶させてもらいました。
「あなたの勇気と強い精神力には心を動かされました」
すると彼は柔和な笑顔でこう言ったのです。
「皆さんのおかげです」
ベーさんのコンサートでは、日本のオペラ歌手関定子さんの歌声も聞くことができました。
失礼ながら、彼女のことは存じ上げていなかったのですが、その歌声を聴いた途端、私は最後まで魅了され続けました。力強い高音はもとより、中間音がなんともたくましく、美しく、清いのです。
しかし、それよりも驚いたのは彼女の喋り声です。
トークコーナーで聞いた彼女の喋り声は、あの美しい歌声からは想像もつかないほどの(失礼!)だみ声・・・あ、いや、なにわのおばはん声でした。
彼女、電話を取った際は、しょっちゅうご主人と間違えられるらしいのです。
「『奥様いらっしゃいますか?』なんて言われるのよ、あたし」
いや、そのトークの面白いのなんのって・・・
クラシックコンサートを難波グランド花月で聞いたような感じでした。
そして、そんな抱腹絶倒の漫談の直後にあの美しいアリアを聞かされるのです。
「ほんまかいな・・・!」
うなってしまうほど、感動的なギャップでした。
関さんがベッリーニの「ノルマ」を歌ったとき、こんなことをおっしゃいました。
「わたし、この歌、六十になってやっと歌えたのよ」
関さんは御年、六十五歳でいらっしゃいます。
「年齢と体重は先に言った方が勝ちよ」
なんてあけすけにおっしゃいますが、あのマリア・カラスが三十代で歌い、四十代では惨憺たる結果になったこの歌を「60歳で初めて歌えるようになった」とは・・・!
パーティーでお話しする機会を得、そのことをお聞きすると、
「自分で発見したのよ、腹筋を使わないで歌う方法を・・・」
かくして、60代で見事花開かせたのです。
抜け目無い私はしっかりそのレシピを聞かせてもらいました。
ベーさんの手術を執刀した一色名誉教授は御年八十歳です。ベーさんは始めその年齢を聞いたとき、不安を覚えたそうです。
それはそうでしょう、世間一般的には高齢ですからね。
こんな老人に自分の一生を託してよいのか・・・
しかし、教授と握手をした瞬間、その不安は一掃されたそうです。
なんと柔らかな手の感触・・・!
ベーさんは教授に全幅の信頼を置きました。
そして、彼は奪われた歌声を見事に取り戻したのです。
関さんの60代での発見。
80歳、一色教授の柔らかな匠の手。
そして、ベーさんの奇跡の復活力。
わたしは56才。
ともすれば、年齢の限界を感じてしまう自分・・・
なんだか、とても恥ずかしくなりました。
八十歳の教授は今でも毎日のように手術しているそうです、
切って、切って、切りまくっているのです。
このコンサートに深く感謝します。
今、私は、年をとると言うことを少しも恐れなくなりました。
関さん、一色教授、ありがとう。
そして、ベーさん、カンサハムニダ!


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