オーナーは母屋に入り、最初にコーヒーをご馳走になったカウンターの前で止まった。
「これ」
オーナーは床を指す。
買い物カゴが無造作に置かれ、そこには開花株がいくつも入っていた。
ダーク系のレッド、パープル、ブラック…もちろん全部ダブルだ。
どれも展示会レベルの素晴らしい花である。
「また、先越されちゃったよ」
オーナーは鼻に乗せた小さな老眼鏡越しにウィンクした。
見回すと、店にはもうありふれた花しか残っていない。
「まるでイナゴだね…」
オーナーは苦笑する。
「あなたにだけは言われたくないでしょう!」
furendoさんは笑った。
「とんでもない、私なんざ今や秋の鈴虫、後はキューリ食って死ぬだけさ」
オーナーは肩をすくめる。
「いっぱい持ってらっしゃるんでしょう?」
私は言った。
「そうでもないよ」
「交配もやるんですか?」
「え?まあね・・・」
茨城中の名花をかき集めた人だ。
交配もやるとなれば、それこそ百や二百ではとてもきかないだろう。
「アレックス・ロドリゲスも手に入れたし」
するとオーナーは間髪を入れず返してくる。
「君には、黒ピコをとられたけどね!」
オーナーは悔しそうな顔をしてみせた。
私が四国造園のドラフトで一位指名した花だ。
オーナーの思惑では二巡目で手に入れるはずだったのである。
「じゃ、鈴虫はここいらで退散しますかね」
オーナーは紙コップをカウンターの上に置き、皆に会釈すると、駐車場の方に向かった。どうやら、ここではめぼしい買い物は出来なかったようだ。
「ゴトーさん!」
furendoさんが呼び止める。オーナーは振り返った。
「エンジェルの家の地雷の話、本当ですか?」
オーナーはにこりと笑って言った。
「決まってるだろ…ウソに。あいつがホルモンばっか食ってるから、からかったのさ」
「やっぱり・・・」
「ハギのやつ、あの後、通販で地雷探知機を買ったらしい・・・」
オーナーは真面目な顔で言う。
「ほんと!?」
「うそ」
「・・・もう!」
オーナーはまたウィンクした。
と、突然、サキ様が声を上げる。
「赤とスカイブルーのクリスマスローズ、本当に咲いてたんですか?」
オーナーの顔が素に戻る。
「木口さんの話はあなたとハギさん、そしてこちらの二人にしかしていません。エンジェルが知っているわけはないんですが・・・」
オーナーは黙っている。
「それとも、偶然、彼女が創ったんですかね?」
エンジェルが匠のナーセリーまで行ったのだろうか。
しばらく間を置いて、オーナーは答えた。
「確かめれば、あんたの目で」
それだけ言い放つと、オーナーは踵を返し駐車場に向かう。
そして、振り返ることなく後ろ手を振った。
なんだか、妙にかっこよかった。
「ライザミネリみたい…」
思わず私はつぶやいた。
「『キャバレー』でしょ?」
furendoさんが言う。
往年の名画「キャバレー」のラストシーンで、ヒロインのショーダンサー、サリー・ボールズが同棲していた相手の求愛を断り、雑踏の中に消えていく。その時、彼女は決して振り返らずに後ろ手を振るのである。
「見ました、あの映画?」
「見たどころじゃないですよ。昔、牛久名画座で何十回も…あのひとと…」
「あのひと?」
「あのひと・・・」
furendoさんは車に乗り込むゴトーオーナーを指した。
「“♪Life is a cabaret,old chum”、『人生はキャバレーだ!』それが彼の人生哲学ですよ。どんなに辛い時でも、あのひとは人生をとことん楽しんでる。クリスマスローズはその最大のパートナーなんです。仕事に失敗して、すってんてんになっても、平気でウィンターシンフォニーを買い占める。『また、稼げばいいさ!』それが彼の生き方なんです。花に見とれている間は嫌なことなんかすっかり忘れられる・・・
サリーもそうでしょ?安定した幸せより、彼女はショーを選んだ。舞台で歌っている時だけは何もかも忘れられる、自分が生き生きしてるって知ってるからです。
“♪Life is a cabaret,old chum.Come to a cabaret!”
この“old chum”って『旧友』とか『仲間』って言う意味でしょ。オーナーはね、私がへこんでるといつも歌ってくれるんですよ。『♪ライフ・イズ・ア・キャバレー、おっちゃん、なんとーかなーるーよ!!』」
furendoさんは両手を広げ、まるでショーダンサーのように高らかに歌った。
「いい話ですね・・・」
ちょっと感動していた。
「おっと、本職を相手に失礼しました!」
furendoさんは照れくさそうに笑った。
furendoさんとはそもそも二年前、私が近所のホームセンターで買い損なったクリスマスローズをネットで「指名手配」したのがきっかけだった。
たまたま見た彼のサイトに、手配犯より素晴らしいグリーンバイカラーの写真が載っていて、それを無断拝借したのだ。
「こんな花を指名手配してます!」
私のブログに載せたら、それを見たひとが、多分、たくさん彼のサイトに問い合わせしたのだろう。
普通だったら怒るところだが、furendoさんは逆に「『指名手配」』って言葉が面白い」と、喜んでくれた。
それから私たちはブログ友になったのだ。
彼と今朝、荒川沖駅の改札で待ち合わせしてから、まだ数時間しか経っていない。
『私は黒いベンチコート、黒い帽子、ズボンの黒づくめで行きます』
『私は白いマフラーを巻いています』
そんなメールを昨日交換したばかりだ。
それが今日、早朝ドラフトで一喜一憂し、共に選択希望選手を獲得、ラーメン・百円ギョーザセットに舌鼓を打ち、ラスベガスでクリスマス・レビューを堪能、そして、最後には五番のボックス席で感動のオペラを味わった。
まるで何十年来の友のようだ。
あの日、逃がした大魚。
「ありがとう、へーさん」
furendoさんの本名は平〇といい、いつしか私は彼のことをそう呼んでいた。
「おれね・・・本当は今日、来るかどうか迷ったんですよ。けど、来て良かった。昨夜なんか・・・」
「なんですか?」
「寝れなかったんですよ、待ち遠しくて。いい年して、小学生みたいでしょ?」
へーさんはにっこり微笑んで言った。
「わたしもですよ」
「やっぱり!」
二人は大笑いした。まるで、子供みたいに。
「実は・・・」
私は少し間を置いて話し始めた。
「去年、ちょっとしんどいことがあってね、おおげさな言い方すりゃ、一年まるまる苦しんでたんですよ。今までもしんどいことはいっぱいあったけど、多分、五本の指に入る挫折だったろうなぁ・・・でもね、おれのいいとこは・・・なんて、自分で言っちゃ世話ねえか・・・でも、まあ、そこをあえて言わせてもらえば・・・絶対に逃げないってとこなんですよ。だって、今逃げたら、次も必ず逃げるでしょ?
だから、ふんばったんです。まあ、おれは役者だから「腕」がなきゃ商売にならない。だから、必死で磨いたんです「腕」を。ひとりじゃ、なーんにもできないから、先生見つけてね。もう、すぐ頼っちゃう人に、あははは。金も払いましたよ、だって、教えてもらうんだもん。去年、クリスマスローズに使った分、レッスン費にどかんとつぎ込んだ。もっと早くやっときゃ、こんなに苦しまずにすんだのに、落ちるとこまで落ちないと気が付かない・・・バカだねえ、おれは」
へーさんは黙って聞いている。
「夏が一番きつかったなぁ・・・うまく出来ない上に、暑いでしょ。クリスマスローズとおんなじだ。花咲く準備中なのに、くそ暑い。汗はだらだら出るわ、歌はへただわ・・・もう、泣きそうだった。でも、自分に言い聞かせたんです、『夏さえ乗りきりゃ、蕾になる。蕾になったら、冬だ。そしたら、一気に開花株だぜ!』ってね。
良く言うじゃないですか、『冬が過ぎれば、必ず春は来る!』って。
でも、おれらにしちゃ・・・『おれら』って、おれとクリスマスローズだけど・・・おれらにしちゃ『夏が過ぎりゃ、待望の冬だぜ!』って感じですよ・・・で、踏ん張った後にちっちゃな『光』が見えてきた。分かるようになったんです、息の流れが。あれが効いたのかなぁ、秋にやった「ハイポネックス・ゴールド、開花促進!」・・・促進しちゃったよ、声が!夏には打率一割五分だった音が一気に八割になった…イ・スンヨプが亀井になったんだ…あ、ここらへん気にしないで、たいした意味ないから…嬉しかったねぇ…で、プレゼントあげたんですよ、自分に、ずっと我慢してたクリスマスローズを一株だけ、10月はおれの誕生日だったし、頑張ったご褒美だって。そしたら、次の日から毎日が誕生日…もう、火がついちゃったんだねぇ、金もないのに…ばかだよ、ほんと…
でも、ほら、クリスマスローズの花言葉あるじゃないですか、『わたしの不安を消し去って!』ってやつ…ほんと、消えちゃうんだよね、不安が、あの花見てる間は…ゴトーさんとおんなじ…で、また、頑張ろうって、気になる。
遠かったけど、来て本当に良かった…みんなとも知り合えたし、すごくいい花、三つも手に入れた…ま、金も使っちゃったけど、また、明日から頑張りゃいい。
そう、今日楽しんだら、明日、頑張ればいいんです!」
そして、私は小さな声で歌った。
『♪ライフ・イズ・ア・キャバレー、おっちゃん、なんとかなーるーさ・・・!』
蕾の開いた黒ピコ。
そして・・・
開花!
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