今年の6月から始めた新しい発声法、それは息を前に出すことが主眼でした。
この何日かの自主稽古で、ますますその重要性を感じています。
昨日、10月5日、ご近所寿司名人;MR.スッシーがとあるDVDを見せてくれました。
ちょうど一ヶ月前にやった東京での老人ホーム慰問コンサートを録画したものです。
私は愕然としました。
ソフトボーチェがほぼ壊滅状態だったのです。
息が前に出るどころか、すっかり喉元で止まっていたのです。
去年やった発声法、ジラーレだったら少なくとも後ろの響きがあったでしょうが、前でもなく、後ろでもなく、ただ止まっていました。これこそ「前に出ぬ悲劇」です。
「いいものを見た」と、私は思いました。
以前の私でしたら、録音した自分の声など決して聞こうとはしませんでした。
いけませんなぁ・・・現実を見なくては。
「そば鳴り」と言う言葉があります。
自分には響く良い声なのに、外には全く届かない声のことです。
えてしてそういう時は、とても気持ちよく歌っているものです。
自覚症状皆無超快適状態とでも申しましょうか。(笑)
ただ、昨日のDVDを見てまだ救われたのは、あのソフトボーチェを歌ってる時、強がりではなく、決して私は気持ち良かったわけではないということです。
「こんなんでええのやろか?」
みたいな、なんだかつかみきれないまま歌っていたと思います。
だから、不安になって、すぐまた先生のもとに走りました。
そして、レッスンであれこれ矯正してもらっているうち、ひょいと出した声を「それだよ!」と言われたのです。
ちゃんと“前に出ている”と。
レッスンで先生は“A heart full of love”を歌ってみせました。その声は積極的に息を前に出しています。
昨日のDVDを見て、救いは「強く出す声に関しては」息が前に出ている・・・
・・・ことが多かった(笑)ということです。
ちょっとはええとこも見つけんと、やってられんですもんね。
あとはソフトボーチェを前に出せばよいのです。
(それがでけへんねん・・・)
宮崎、東京と慰問コンサートが続きました。
次の出番は披露宴ショーです。
この三つの本番は神様がくれた試金石だと思うのです。
「恥を知れ」
これは怒りの言葉ではありません。
本当の優しさを含んだ言葉だと思うのです。
六月十日に始めた「前出し」歌レッスン、ちょうど四ヶ月目の十月十日で五回目になります。
その一週間後、私は披露宴に臨みます。
式は録画するそうです。
わたしはまた「恥を知ろう」と思っています。
ああ・・・
誤解されないように言いますが、もちろん、みんなに喜んでもらえるよう全力をつくしています。
前回の二回もそうでした。
あんなに頑張ったこともなかなかなかったと思います。
ただ、自分の出来が満足の行くものではなかったと言うことです。
もっとやれたのに・・・
だから、もっとやろうと思います。
尊敬する野村監督がおっしゃってました。
「恥をかかなきゃ、飛躍はねえぜ!」
ブログって、文章って、むずかしいですねぇ・・・

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