皆さん、たくさんの応援、本当にありがとうございました!
宮崎コンサート成功は色んな方の支えがあったからこそです。準備段階で最大の功労者はもちろんミセス・ショーシャンクです。
「クラブ活動と受験は両立するか?」
受験雑誌には必ず掲載される特集記事同様、婦人画報に必ず載る(載るか!)「主婦業とミュージシャンは両立するか?」、このテーマをいやな顔ひとつせず挑戦してくれました。
リハーサル伴奏はおろか、アレンジ、譜面起こしまでやってくれたのです。
そして、そんな彼女に陰からアドバイスを送ってくださったミスター・ショーシャンクにも、私は深く感謝しています。
地鶏や焼酎ぐらいのお土産じゃとても済まないでしょうが、気持ちは宮崎マンゴー4ヘクタール分ぐらい持っています。
いつかお返しする日に、私も全力を傾ける覚悟です。
Mr.&Mrsショーシャンク、
本当にありがとうございました!
「優しさは必ず返ってくるとよ・・・」
運転しながら本田は言いました。
奥さんの実家に米がたくさんあるから持っていけというので、ふたりでドライブがてら出かけたのです。
「あん時、助けてもらえんかったら、首くくっちょったかもしれんもんね」
山道を器用に運転しながら彼は言います。
本田の事業が大変な危機に陥ったとき、ひとりの知人が救いの手を差し伸べてくれたそうです。
おかげで彼はどん底から這い上がることが出来ました。
その恩人というのは本田のお父さんの頃からの知り合いで、親子二代に渡って親交を続けていたのだそうです。
本田自身、今は亡きお父さんの介護で、かつて相当頑張った経験を持ちます。介護した人でしか分からないようなことも、彼自身の手でやってあげたようです。
天国のお父さんが息子を助けてくれたのかもしれません。
「日ごろの、人と人の付き合いがまこち(本当に)大事やっとよ・・・じゃかい、おれも、おれにでくるこつは何でんしようって思うっちゃわ・・・」
本田はしみじみと言いました。
宮崎のコンサートは「四人のリハビリ」がテーマでした。
一人目は母。
脳梗塞を患い、歩くこともかないません。症状は言語にまで及んでいます。
二人目は父。
最愛の母を病気にむしばまれ、耳は聞こえず、すい臓がんに苦しみます。
3人目は私。
地声と裏声の中間;ソフト・ヴォーチェが思うように出せず、仕事に不安を感じています。
4人目はピアニスト井福さん。
重い病気を患い、飛行機の爆音のようなイビキをかく患者の隣で二ヶ月入院させられ、もっとひどい症状が現れます。おかげで、一年以上、大好きなピアノを奪われたのです。
4人はそれぞれの「重荷」、「課題」を背負ってコンサートにむかいました。
動けぬ母は苛立ちと戦い、聞こえぬ父はそれでも連絡を取って準備に奔走し、歌えぬ私はあえて苦手な音域の選曲をしました。そして、弾けぬ井福さんは「かつての勘を取り戻せるか」不安と戦いながら懸命に稽古したのです。
そんな、もがきあがく4人に救いの手を差し伸べてくれたのが友人の本田です。
会場での最大のピンチを救ってくれたのは彼でした。
一瞬ですが、私は「降りよう」と、思いました。彼がいなかったら4人はただ打ちのめされただけで終わったでしょう。
「・・・おれにでくるこつはなんでんしようって思うっちゃわ・・・」
計らずもこのとき、私は本田と同じ思いをせざるをえなかったのです。
コンサートが終わり、その後四日間宮崎に滞在し、私は身も心もへとへとになりました。
「介護」という現実は口で言うほどたやすいものではないからです。正直言って、疲れているときに耳の聞こえぬ父、しゃべれぬ母はしんどかったです。
時に、苛立ちすら覚えました。
しかし、ここで思い起こさねばならぬことがあります。
宮崎親孝行コンサート、これにいろんな人が手を貸してくれ、おかげで両親は涙を流して喜びました。しかし、その両親に一番恩を受けているのは他ならぬ私なのです。
今でこそ少しはまともになりましたが、かつては生意気で、わがままで、自己中だった私を、彼らはとても大事に育ててくれました。
私にこんな子がいたら「川の流れのように」の代わりに「わたしはこどもがきらいだぁ!」を歌ったでしょう。
(なんのこっちゃ・・・)
ごくごく当たり前に思えていたことが、一人立ちして、いかに大変なことか思い知りました。
その最たるものが「住む」ということです。
「俺は家賃のために働いてるようなもんだ」なんて、友達が言ってましたが、まったくその通りです。
私も、仕事がないときは、この「住む」ための不安を真っ先に感じます。
以前「旭川のホームレス」というドキュメンタリーを見ましたが、あれは地獄でした。
「住まい」というのは幸せの出発点だと思うのです。
両親は私を住まわせてくれました。
「大変なことを、ごくごく当たり前のように思わせる」、これが実は最大の優しさなのかもしれません。
私は残りの四日間、耳の聞こえぬ父に「おはよう」のあいさつをし、「ありがとう」を言葉にしました。
「優しさは必ず返ってくるとよ・・・」
裏を返せば、「おはよう」も「ありがとう」も言えない人間は、いざ、自分が困ったとき、誰も助けてはくれないということです。
人は「優しさの輪」につながって生きているのです。
今からでも遅くはない、もし、そんな人がいたら、今日から挨拶と感謝の気持ちを持って早く輪につながってほしい・・・と、心から思います。
ミュージカル「ライオンキング」に「サークル・オブ・ライフ」という歌があります。
ライオンは鹿を食べ、鹿は草を食べ、草はライオンの糞で育つ。野生社会の生命のつながりを歌った歌です。
私たち人間社会のつながりは「サークル・オブ・ハート」だと思うのです。
「命は巡る」そして、「優しさは巡る」のです。
偉そうなことをいっぱい書いてしまいました。
宮崎の一週間で色んな人間模様を見たものですから・・・
さあ、次は9月4日、東京の老人ホームコンサートに、私は全力で挑みます。
「・・・おれにでくるこつはなんでんしよう・・・」
宮崎で得たこの本田スピリッツを私も実践していきます!
「おいら、支えられてるぜ・・・!」
「ぼく寝てるだけだにゃぁ・・・」

26