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ピアニストのフジコ・ヘミングさんが「マイフェアレディ」を観にいらっしゃいました。
ヘミングさんは愛すべく猫を通じての知り合いです。
自宅には20匹以上の猫が彼女の奏でる美しいピアノを聴きながら幸せに暮らしています。
そのヘミングさんが絵本「青い玉」を出版されました。
文章は他の方ですが、絵はヘミングさんご自身が描かれたものです。
トンボ玉を作っているおばあさんと野良猫ノラの話です。
ノラは片方の目が光を失っています。
おばあさんは納得のいく光を放つトンボ球が作れず悩んでいました。
そこへノラがやってきて・・・
読んでいくうち涙がじゅわーっと溢れ出てきました。
去年、天国へ行ったムギョちゃんとがんじろうを思い出したからです。
ヘミングさんご自身も愛猫を亡くされた経験がおありです。
今年の一月二日、ブログに載せた「大空に雲になって戻ってきた二匹の写真」、覚えていらっしゃいますか?
それをへミングさんにお見せしたら、なんと、ヘミングさんも同じような雲を見たことがあるそうです。
私はオフの日、うちにずっといてなんだか眠くなって昼寝をすると、起き抜けに、必ずと言っていいほど、自分が死ぬ時のことを思います。
いつか訪れる日…
今、五十四才ですから、そうすぐの話ではないかもしれませんが、そんなに先の話でもありません。
夢とうつつの狭間に、それをとても恐れている自分がいます。
死んだら、「自分」は一体どうなるんだろう。
闇の中にぽつんと意識だけがあるのだろうか・・・
そんなことを考えると、とても恐くてたまりません。
しかし、時間が経ち、目が覚めてくると、だんだんその死を受け入れられるようになります。
がんじろうが天国へ行く直前、アニマル・コミュニケーターのMさんが
「死んでも彼らはずっと見守ってくれています。そして、いつかあの大空に雲になって戻ってきますよ」
そう話してくれました。そして、その言葉通り二匹は今年の一月二日、抜けるような青い空に戻ってきてくれました。
彼らの魂はあの空に間違いなくいます。
Mさんの言葉が今、静かに私の心の中でたたずんでいるから、死を受け入れられるのだと思います。
今年の初め、私はあることでとても不安な思いに駆られていました。
劇場の暗い袖で祈りました。
「がんじろう、ムギョちゃん、おれを見守ってくれ!」
いい年をしたおじさんがバカみたいですが、何度も何度も祈ったのです。
それから4ヶ月・・・
「猫つながり」でとある展開を迎えたのです。
それはある人が(仮にAさんとします)へミングさんのコンサートに行きたいということから始まりました。
私がチケットの段取りをしてあげたのです。
Aさんは最近愛猫を亡くされ、とても淋しい思いをしていました。大好きなヘミングさんのピアノで癒されたい、そう思ったのです。
初めは6月のコンサートに行き、終演後、ヘミングさんと会う予定でしたが、ヘミングさんから4月のコンサートの方がゆっくり時間が取れると私に連絡が入りました。
その旨をAさんに伝えると、なんとAさんも急な仕事が入って6月は行けなくなり、がっかりしていたところだと言うのです。
更に、この4月のコンサートは通常のコンサートではありませんでした。
ヘミングさんが愛する猫たちのために行なう「動物愛護チャリティコンサート」だったのです。
Aさんの死んだ猫が段取ってくれたのでしょうか・・・
不思議なことはもうひとつ起きました。
コンサートには(私は本番中だったので・・・)うちのかみさんが観に行きました。
コンサートの舞台は華道家の假屋崎省吾さんが活けた沢山の花で飾られていたそうです。
かみさんは家へ帰るなり興奮してこんなことを言ったのです。
「お花の中にムギョちゃんがいたの!」
U
我が家のしろみちゃんはある日突然、駅の坂道に現れました。
道行く人たちに必死でアプローチしています。
ひとりがだめなら、また次のひと、そうやって懸命に何か訴えているのです。
「誰かわたしを助けて!」
そう言っているようでした。
多分、捨てられたのでしょう。胸に骨折した跡があり、ひょっとしたら虐待を受けていたのかもしれません。
一週間ほど様子を見ていると、あの美しかった純白の毛並みが段々薄汚れてきました。
これはもう限界だと思い、我が家に保護したのです。
すぐに里親さんが見つかったのですが、その家の先住猫との相性が悪く、一ヶ月ほどで彼女は出戻ってきました。
ただでさえ捨てられて傷ついただろうに、また出戻ってきて・・・
なんだか不憫でなりません。
しろみちゃんは我が家の猫になりました。
ある日、私は彼女の写真を撮りました。
すると、そこには奇妙なものが映っていたのです。
彼女の背中に別の猫がいます。
よく見ると他にも何匹かいるではありませんか!
一体何なのでしょう!?しろみちゃんはこの猫たちの生まれ変わりなのでしょうか?
「誰かわたしを助けて!」
あの声はこの子たちが叫んでいたのでしょうか・・・
「お花の中にムギョちゃんがいたの!」
フジコ・ヘミングさんのコンサートから帰ったかみさんは興奮して言いました。
コンサートの舞台は華道家の假屋崎省吾さんが活けた沢山の花で飾られており、その中にムギョちゃんの顔が見えたというのです。
ムギョちゃんは去年の暮れ天国に行った愛猫です。
花と花の間の空間が目鼻に、活けられた花全体が輪郭に見えたのだそうです。
たまたま楽屋で会った假屋崎さんにかみさんがこの話をすると、
「花って猫を呼ぶんですよね・・・」
そう答えたそうです。
かみさんはアニマルコミュニケーターのMさんにもこの話をしました。すると、Mさんは不思議なことを言ったのです。
Mさんがその日、本屋で猫の写真集を見ていたら、めくるページ、めくるページにやたらアメリカン・ショートヘアが出てきたそうです。
ムギョちゃんはこの種類のシルバータビー(銀色の縞模様)です。アメリカン・ショートヘア・・・
実は私も最近目にしていました。
数日前、ある方が私に見せてくれた愛猫写真、それがアメショのブラウンタビーだったのです。
あ・・・
ムギョちゃんが天国から何か言おうとしています。
なあに、ムギョちゃん、何が言いたいの・・・?
「それだけじゃないのよ・・・」
かみさんは未だ興奮冷めやらずといった呈で話を続けます。
「コンサートから帰ってきたらね・・・」
かみさんは息をもつかずまくしたてました。
そしてようやく話し終えると、「明日、行こうと思うの」、そう言ったのです。
私は深く息を吐きました。
何かとてつもなく大きな意志が働いているのを感じずにはいられなかったのです。
そして、こう答えました。
「おれも行く・・・」
がんじろうは東急田園都市線あざみ野、劇団四季稽古場にある日突然現れました。
野良なのに太っていました。
保護した時はなんと6.5キロもあったのです。
ユニークな猫で私の大親友でした。彼のいなくなった穴は未だに埋められません。
彼のことを思いながらヘミングさんの絵本を読んでいると、ある一節で私の目は止まりました。
絵本の猫はおばあさんのひざの上で安らかに息を引き取るのですが、その骨が「ある日、丸い玉に変わっていたのです・・・」
私は本から目を離すと、しばらく呆然としていました。
がんじろうも白い玉に変わったのです。
正確に言うと、その玉はがんじろうの目から生まれました。
がんじろうは晩年、目が全く見えなくなりました。
そこからはとめどなくヤニが流れていたのです。
天国へ行く数日前、その目から突然、丸い塊が出てきました。
私は眼球が飛び出てきたのかと思いました。
そして、それはコロンと床に落ちたのです。
しかし、よく見るとがんじろうの目にはまだちゃんと眼球があります。
何なのでしょうか、この玉は?
まるで真珠のように白くて固い玉です。
わたしはそれをムギョちゃんの毛と一緒に宝石箱の中に仕舞いました。
絵本の中の丸い玉・・・
がんじろうの真珠球・・・
かみさんが見た花の中のムギョちゃん・・・
やたら出没する「アメリカン・ショートヘアー」・・・
がんじろうとムギョちゃんが天国で何かをたくらんでいます。
いったい何を・・・
友人のYさんは一緒に野良猫の保護活動をしている仲間です。Yさんの家には常時、猫が30匹前後います。
捨て猫、野良猫を見ると放っておけないのです。
なにしろ広島の実家から車で東京へ帰る途中、浜松で猫を拾ってくるぐらいですから。
彼女が保護したバルちゃんはめでたく名前をルーシーに変えて、白血病から生還したチャ−リーのパートナーになりました。Yさんがプロデュースした里親さんは何人いるか分かりません。
かみさんがヘミングさんのコンサートでムギョちゃんを見て、興奮して帰ってくると、Yさんから留守電が入っていました。
その内容を聞いて、彼女は鳥肌が立ったそうです。
かみさんは私が家に帰るや否やその話を私にしました。
そして、私にはようやく分かったのです。
‘彼ら’が私に何をさせたがっているかが・・・
Yさんはこう言い残したのでした。
「ムギョちゃん、拾っちゃいました!」
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ミュージカル「キャッツ」、観たことありますか?
冒頭、ジェリクル・キャッツのシーンでは暗闇の中にいくつもの猫の目が光ります。
アンドリュー・ロイド・ウェバーの美しい音楽もあいまって、ぞくぞくするぐらい魅力的でミステリアスなシーンです。
猫仲間のYさん、人呼んで「野良猫界のマザーテレサ」、彼女の家がまさにこの雰囲気なのです。
演出家のトレバー・ナンは間違いなくテレサの家を見てあのシーンを作ったのでしょう…(笑)。
テレサが横浜市青葉区役所で「犬注」こと狂犬病予防・集団接種のお手伝いしていると、“彼“は突如現れました。
居並ぶドーベルマンの間を縫って、ピンと尻尾を立て、ひょこひょこと会場に入ってきたそうです。
美しいシルバーの縞模様、一目でアメリカン・ショートヘアと分かりました。
テレサは反射的に彼を保護しました。
なにしろ相手はドーベルマン、ちょっと間違えたら簡単にかみ殺されてしまいます。
ここらへんに住む飼い猫かもしれませんが、良く見ると首輪を外された跡があり、腿の肉も少し落ちています。
捨て猫の可能性は大です。
純血種といえど、簡単に捨てられる時代です。
そんな子をテレサが放っておくわけがありません。
こうして彼はジェリクル・ハウスへと連れてこられたのでありました。
「マイフェア・レディ」昼公演を終え、私はかみさんと待ち合わせ、テレサの住む東急田園都市線、江田駅へと向かいました。
江田は劇団四季のあるあざみ野のひとつ先です。
電車があざみ野に着いたとき、なんだか胸がキュンと締め付けられました。
もちろんかつて通いなれた場所だということもありますが、がんじろうとの出会いがここだったからです。
稽古を終え、外に出て名前を呼ぶと、がんじろうはひょこひょこ現れたものです。
猫缶を買うためコンビニに走ると、やつも一緒に走ってきました。
ちょうど「ライオン・キング」の稽古をやっていて、私はがんじろうとあざみ野サバンナごっこをして遊んだのでした。
抱き上げると、やつは私の腋の下に首を突っ込んできました。がんじろうは、変な猫で、私の汗臭い臭いが大好きだったのです。
がんじろうが病気を患って、私が地方公演に行かなくてはならないとき、洗ってない私のTシャツを置いていったほどです。
「おら、はるたさんの臭いが好きですだよ!」
そう言っては、Tシャツにフガフガ頭を突っ込むのです。
ほんとにおかしなやつでした。
あれから十年…
私にとってあざみ野は今でも遠い特別な場所なのです。
ジェリクル・ハウスに着きました。
玄関前で外猫のミィちゃんが迎えてくれました。
中に入ると、てんちゃん、ぎんちゃん、モップちゃん…次々と現れ、私たちを歓迎してくれます。
「どこ?」
挨拶もそこそこ、私は‘彼’を探しました。
テレサはケージハウスの一階を指します。
あ…
大きいです!
どうやらアメショと聞いて、知らずムギョちゃんの影を追っていたようです。
眠るとスピスピ寝息を立てていたムギョちゃん…
本当に小ちゃくて、かわいい子でした。
ケージの中のこの子はゆうに倍はあります。
「出していいわよ」
テレサが言いました。
扉を開けると、彼はゆったりと出てきます。
その顔を見て私は息を飲みました。
なんと穏やかで優しい顔なのでしょう…!
「誰が来ても、絶対怒らないのよ」
テレサが言います。
それを裏付けるかのように、てんちゃんが彼のそばにやってきて、頭をスリスリし始めました。
てんちゃんといえば、ジェリクル・ハウスでは「心の狭い猫」で通っています。(テレサ談)
新入りなんか来ようものなら、フーフーうなり、決して打ち解けようとはしないのに…
彼はすり寄るてんちゃんのされるがまま、まるで長年来の友のよう。この子が…
私は思わず顔がほころびました。
この子がムギョちゃんとがんじろうのお膳立てした相手のようです。
「ねえ、おれ、この子…」
そこまで言うと、テレサはごく当たり前といった顔で私の言葉を遮ります。
「そうする?」
「…」
さすがはマザーテレサ、私の気持ちなどとっくにお見通しのようでした。
「相手の求めることなんか何も詮索することないのよ」
私は食い入るように画面を見つめていました。
ひとりの女性が元気に喋っています。
「コーラスライン」DVDは二枚組で、特典映像にキャストのインタビューが収録されています。
クリスティン役を勝ち取った女優の話に私は深く心を動かされていました。
「以前、オーディションで落ちた時はあれこれ考えたわ、私のヘアスタイルが悪かったのかしらとかね。でも、今は違う。だって、これが私よ!気に入られなかったら、ゴメンナサイするだけ…」
時には図太くならなければダメだと彼女は言います。
今年の始め、私はあることで、全く自信を失っていました。
そして、その原因をあれこれ「詮索」していたのです。
でも…「これが私よ!」か…
「成功、不成功にはタイミングってものがあるの。努力を続けていれば必ずチャンスはくるわ」
そう言ってクリスティンはインタビューを締めくくりました。
この直後、私はあの四十七才のおばさん、スーザン・ボイルの歌声を聞くことになるのです。
「私はプロの歌手になりたいです」
「じゃあ、どうして今までなれなかったのかな?」
審査員の皮肉たっぷりの質問にスーザンは堂々と答えます。
「機会がなかったからよ。でも、今日がその日かもしれないわ」
そして、その言葉通り、彼女の歌声は世界中から一億件のアクセスを得るのです。
クリスティン、スーザン、そして、ジェリクル・ハウスの贈り物…この二週間、私は矢継ぎ早に励まされ、心を豊かにされたのです。
一体、誰からのプレゼントなのでしょう…
あの日、ジェリクル・ハウスで初めて会った夜、私は彼をうちへ、ごく当たり前のように連れて帰りました。
まるで、一緒にちょっとお出かけしていたかのように。
猫たちも、初対面のときこそ、クロードが唸っていましたが、他の子たちはごく普通に相対しました。ギャル・モモに至ってはスリスリすり寄り、まるで恋人気分です。
テレサが保護した青葉区役所付近に迷い猫を探す張り紙は出てきません。ネットの「迷子猫レスキュー隊」を検索しましたが、該当する猫はいませんでした。
彼を誰かが探しているという気配は全くといっていいほどないのです。
3日が経ち、今や彼はすっかり我が家の風景に溶け込んでしまいました。
もう何年もこの家にいるよう、人でも猫でも事件でも、大きな器で受け入れる…そんな猫なのです。
あの日、うちへ連れ帰って、私は彼を抱き上げ、小声で言いました。
「もう何にも心配はいらないからね、ずっとここにいていいんだよ」
すると…
彼は奇妙な反応を示しました。
目を疑いましたが、体に触れる温かい感触がまぎれもない事実を告げています。
私はそこに立ち尽くし、そして、不覚にも、涙腺はじわじわゆるんでいきました。
彼は…
私の腋の下に頭を突っ込んできたのです…!
・・・
遠い記憶が頭の中にゆっくりと、そして、はっきり、くっきりと蘇ってきます。
体に触れる懐かしいあの感触…
「おら、はるたさんの臭いが好きですだよ…!」
やつの声が耳の奥で響きます。
思い出の中にからだがどんどん溶けていきます。
椅子に座り、そっと銀色の体を撫でました。
彼はすっかり私にゆだねています。
やがて、目を瞑り、私の膝の上で眠ってしまいました。
数秒後、‘ふたり’が大空でたくらんだ最後の事件が起きるのです。
彼が、なんとスピスピ寝息をたてはじめたではありませんか。
心地よい響きが耳をくすぐり、懐かしい日々が波紋のように広がっていきます。
忘れもしないムギョちゃんの寝息です。
人でも猫でも事件でも、大きな器で受け入れる優しい猫。
銀の縞模様の大きな身体に・・・
ふたりが帰ってきたのです。
ずっと会いたかったふたりが。
いえ、ほんのちょっとお出かけしていただけなのかもしれません。
だから、わたしは扉を開けて言ったのです。
「おかえり!」
(追伸)
ギタローだのギジローだのと呼ばれていた銀色のムギョちゃん。だから彼の名前は・・・
「ぎんじろう」にしました。

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