あいにくの雨です。
クリスマスローズの植え替えを画策していたのに・・・
同楽屋のKENTAROに、
「ケンタロー、学校の先生に言って、なんとか晴れにしてくんねえか!」
「・・・はるパパ、そりゃ無理すよ!」
なんてバカな会話をしていました。
今日は休演日、劇場入りする前の休みは部屋にこもってひとり稽古をしていたから、本当に久しぶりの休みです。
怒涛の十日間でした・・・
本番に入ってからも試行錯誤の連続です。
多分一度として同じベンはなかったかもしれません。
基本的には同じことをやっているのですが、この役、微妙なさじ加減でがらりと変わってしまう気がします。
「はるパパ、今日のベン、違ってたね」
本番を終え着替えていると、同楽屋のジュリアン大佐役;阿部兄(にい)に言われました。
阿部兄とは二幕の後半で直接対峙します。
自分ではどこをどう変えたという意識はなかったので、少しびっくりしました。
すると、KENTAROも、
「ぼくもモニターを聞いてて、そう思いました・・・」
と、言います。
「だから、こっちも変わってきたんだよ」
いつもは冗談ばかり言ってゲラゲラ笑っている阿部兄が、なんだかとても真面目な顔をして話します。そして、とても良かったとも言ってくれました。
なにしろ先輩はけなせませんからね(笑)。
「なんで?」
ふたりはそんな顔で私を見ます。
「実はね・・・」
私は真相を話しました。
前日、つまり土曜の二回、私はベンをやっていて妙な違和感を感じていました。
自閉症、知的障害者の大きな特徴として、目線を合わさないというのがあります。
サダ坊もヒップホップが上手ですごく明るいのに、私と話すときはほとんど目を合わしません。
で、ベンの一番の共演者「わたし」と対峙するとき、何箇所かこの特徴を入れてみたのです。
はじめてこれをやったとき、ある手ごたえを感じました。
なんだか誰も入れない小さな世界ができたみたいで、通ったあの養護学校の生徒になったような錯覚にすら陥りました。
しかし、ここで私は大きな間違いを犯すのです。
山田さんの演出で『「わたし」が受ける印象のベン』は「恐さ」がほしいというのがありました。
たいへん恥ずかしい話ですが、私も‘彼ら’の事を知る前はちょっぴり恐さを覚えていました。
「わたし」が見知らぬ海岸で見知らぬベンにあったら恐怖を感じるのも無理からぬことです。
しかし、この「恐怖」は「わたし」が(つまりは観客が)かってに感じればいいことで、役者の私が「あえて恐がらせる」ことはないのです。
むしろ、逆に無垢であればあるほど恐いのかもしれません。
しかし、目線を合わさぬベンを演じていて、私は知らぬうちに“ゾンビ”になっていました。
そう、とても大事なことを忘れていたのです。
‘彼ら’は感情の「表現方法」こそ違え、中身は我々と全く変わらないということを。
「はるパパ、今日は違ってたね」
阿部兄が感じてくれた違いとは多分、「心に持ち続けている優しさ」だったと思うのです。
それを気づかせてくれたのは一枚のDVD、そしてCDでした。
これは去年、とあるお客様がベンの役造りにと下さったものです。
掛屋剛志(かけや つよし)平成4年6月6日生まれ、14才;
視覚・知的障害、突発性低血糖症。
身体がぐにゃぐにゃで座ることもできなかった彼にお父さんが音楽を聞かせ続けたら、すっかり覚えてしまい、ピアノを与えたら誰も教えていないのに弾けるようになった天才少年です。
初めて彼の歌声を聞いたとき、私の目は涙で溢れました。
音程とか発声とか気にしている自分らとは全く違う、無垢で透き通った、天使の歌声なのです。
そしてDVDに見れる彼は(やはり時折目線を合わさないけれど)ほんとうに心が洗われるような素敵な笑顔の持ち主なのです。
ゲネプロの朝、甲斐先生がおっしゃってくださった言葉を私は思い出しました。
「ベンは少年なんだよ」
「やすらぎの時代へ」


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