青年は千秋楽を迎えました。
「最後のダンス」はいつまでたっても拍手が鳴り止みません。
「いや、すごかったなぁ!オケさんも次の曲始められへんかったし・・・」
早替えAでいつものように青年に会った私は興奮してまくし立てました。
「うん、後ろ向いて(ドアの中に)戻ろうとしてもまだ(拍手が)続いてるから、
どうしようかと思っちゃった」
「せやな・・・振り向いてピースするわけにもいけへんし・・・」
青年はケラケラ笑いました。
この何週間は青年にとってきつい舞台だったと思います。
「モンテクリスト伯」の稽古と併用だったからです。
かたやミュージカル、かたやストレートプレイ・・・この二つは「日本語」の場合
相反するものなのです。
英語やイタリア語等は、普段喋っている時からすでに歌っている言語です。
満員の地下鉄の中で、外人の喋り声だけはやたら聞こえるのはそのせいです。
日本語はどうしても喉にかかってしまいます。DJ小林勝也さんの言葉が実に明瞭に
聞こえるのは、英語発声、つまり英語の「響き」で日本語を喋っているからなのです。
「・・・稽古が終わったら、ンー、ンーってハミングして、声帯を(歌用に)
戻すようにはしてるんだけど・・・」
「せやな・・・でも、やっぱりセリフは負担が大きいしな・・・」
「オペラ座の怪人」「レ・ミゼラブル」そしてこの「エリザベート」にしても
全編歌だけのミュージカルというのは、そういう意味があるのです。
不詳この私も、とあるストレートプレイをやったあとミュージカルに戻ったら、
声帯がくっつかず大変苦労した経験があります。なにしろマイクを使わず舞台で
声を通すのはとても立派なことで、ストレートプレイの醍醐味ではありますけれど、
これとミュージカルとの両立というのは、受験勉強とクラブ活動との両立と同じで
(なんのこっちゃ!)、永遠の課題なのです。
「愛と死のロンド」のなかで♪「どこまでも追いかけていこう」という件(くだり)が
ありますが、早替えAで一度こんな事を話したことがあります。
「『どこまでも』の『も』と『追いかけて』の『お』を意識して歌ってる?」
私は青年に聞きました。
「え!?きれて(言葉が明瞭で)ない?」
「ううん、逆にすごくよくきれてるから、意識して歌ってるのかなぁって思って・・・」
この部分を母音に直すと「も」も「お」も同じ「オ」です。同じ母音が続く場合、意識
して喋らないと二番目の「オ」はどうしても落ち(明瞭に聞こえない)やすいのです。
これは劇団四季時代に教わった「同母音共鳴変化」というテクニックです。
「いや、別に意識してないよ。ただ言葉はすごく意識しているから、『追いかける』
っていうイメージは大事にしてる」
青年はニュアンスをこめて説明してくれました。私は驚きました。
テクニックなど教わらなくとも、青年は本能的にこなしていたのです・・・
青年は千秋楽前日、疲れているのにもかかわらず、7月のミュージカルのために
協力してくれました。構成上、どうしても彼の一言が欲しかったのです。
彼は「こんなもんあるんだけど」と、とある小道具まで用意してくれていました。
ニコニコ笑うその顔は、まさにこれからいたずらをたくらもうとする少年の顔です。
私は思わずほおがゆるんでしまいました。
ああ、文学座に3億円ぐらいギャラ振り込まんとなぁ・・・
青年、いろいろありがとう!
たいへんだろうけど、「東北ツアー」がんばって。
東京公演も稽古スケジュールさえ合えば、ぜったい観に行きます。
いい舞台でお客さんを「魅せて」下さい!
おつかれさまでした。
じゃ、名古屋で会いましょう!!!!

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