2011年度、音楽座稽古納めは無事終わりました。
私としては問題点も多々ありながら、収穫もありました。
「腑に落ちる」と言う言葉があります。
納得がいく、お腹の奥底にすとんと落ちる、そんな感覚のことです。
昨日はその「腑に」どこが落ちて、どこが落ちなかったかはっきりしました。
面白いものですねぇ、腑に落ちたところは自然の息づかいができるんです。だから、素直な声が出ます。
しかし、逆に腑に落ちないと無理して気持ちを作っているから、息が合わず、喉に負担がかかります。動きもギクシャクして、「うわっ、おれってヘタ!」って思っちゃいます。
昨日、とある方からとても良いヒントを貰いました。
「悪魔的な研究者でやったら?」
宇宙人ゼスへのアドバイスです。今まで、主人公の悠介に対してとても好意的にやっていました。しかし、どうにもウソ臭くて、そう、腑に落ちていませんでした。
しかし、昨日一回目の通しで、彼を「反感」、「悪意」の目で見てやったのです。すると、すとんと落ちました。無理しなくても、素直に気持ちが流れるではありませんか!
もっとも、落ちすぎて、酔いしれちゃったところもあったのですが(笑)、ちょっと、この路線で一幕から練り直してみようと思います。
物語の最後、宇宙人は地球人に対して大きな共感を抱きます。悪魔の目が天使の目に変われば、変化がより際立つのではないでしょうか。
また、この変化に関しても貴重なダメをいただきました。
「(二つの同じ行為に対して)反感の一度目と、共感の二度目では違うんじゃありませんか?」
私は心の中で「あっ!」と、声を上げました。
まさにおっしゃる通りだからです。
物凄く細かいところです。
しかし、同じ「細かい」にしても、このダメこそ「些細」と「繊細」の違いだったのです。
地球人と宇宙人が握手をする場面があります。共感を持った宇宙人の手が自然に動き、地球人の悠介がそれに応えるというかなり核心の場面です。
握手の瞬間を見ていると、二人は“同時に”手を握りました。
私は違うと思ったのです。
「地球人にとって普通の握手でも、(握手という)習慣のない宇宙人にとっては初めての行為です。だから、ごく当たり前のように悠介が握っても、握られた宇宙人は先ず、“戸惑い”を持つんじゃ・・・?」
私の頭には二つの手の「繊細なズレ」が映画のズームアップのように浮かびました。
私はその絵を二人に説明しました。
さあ、どんな絵ができたのでしょうか・・・?
お芝居というのは虚構です。
まして、この「シャボン玉・・・」のお話は現実にはありえないファンタジーです。
しかし、やる側はあくまでもリアルに演じなければなりません。
大事なのは「繊細さ」だと思うのです。


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