これは、人を判断する基準というか、物差しのメモリのお話。
みんな自分の物差しを持って、人を計るけど、相手に計られるのは嫌ですね。
子供時代の記憶がかなり支配するようです。
自分は、どんな考えを持っているのかを、エゴグラムで調べ、
今、何に引っ掛かっているのかを感じ、幼き日々を振り返っていきました。
感情で怒りをぶつけるタイプが苦手な私。
相手を不快にさせるだけでなんの解決にもならないと思っていました。
記憶をたどっていくと、昔の父の姿がありました。
今は穏やかな人なのですが、昔は、内弁慶で、家庭で怒りをあらわにしていました。(暴力とかではないです)
責任を押し付けられるのが嫌という私。
小学校時代の通知票には、必ず“責任感があります”と書かれていました。
家庭でいろいろな人の話を聞いていたので、同年齢より、落ち着いていたのだと思います。
学校の先生に、『どうして、〜〜さんの面倒をみない。』とか、責任を押し付けられていました。
心の奥では、『どうして?私だけ?目立つと損!』と思っています。
大型犬が嫌いな私。
幼い頃、犬に追いかけられ飛びかかってきた怖い記憶。
信念を曲げない私。
小学校入学して間もない頃、気の強い6年生の班長が、学校と反対方向に集まらないと、連れて行かない!と言ってきた。
みんな従うが、私は、従えなかった。大人に報告をして、仲裁を頼んだ。
他にも、ありますが、10人いれば十通りのエピソードがあると思います。
その記憶が、大人になってもの差しのメモリ、判断の基準、メガネの度となるそうです。
私の場合もそうでした。
今、気づき、向き合ったことで、前ほど気にならなくなりました。
〜人生とは、気づきの連続のように思います。

1