携帯電話は、とても便利ですが、使い方次第では、怖いものにも変わります。
さて、どうして、怖いのかを知らなければ、対応もが出来ません。
火の使い方にも似ています。
中学時代の友人が、世田谷に嫁ぎました。
アイボの療育で都内に通っていた頃、暇を持て余した私は、彼女と連絡を取り、待ち合わせをしました。
井の頭公園内で、子どもたちに火を使わせたり、遊び場を提供する団体の一員で、ご馳走するからと案内されたのでした。
釜戸で炊いたご飯を頂きました。
手を真っ黒にして、楽しかったです。
正直、我々の世代は、子どもの頃から炊飯器でしたが、裏の台所に釜戸が残されていて、おばあちゃんが使うのを見ていたのを思い出しました。
彼女は、自分の子どもたちをここに託しました。勿論、運営を支えながら。
私は、埼玉県の県北出身で、利根川の向こう側は、群馬県で、少し行くと、茨城県という県境に育ちました。
彼女は、小さい頃、近所のお兄さん、お姉さんたちと利根川で遊んだそうです。
利根川は、浅く見えても、下にも水の層がかり、足を取られ水難事故もある場所ですが、水の色や地層で、危ない場所を教えてもらい、注意しながら遊んだと言います。
(私は、やらなかったよ)
どうして危ないのか!教えてなければ、安全な使い方もわからないと云います。
さて、話を携帯電話に戻します。
視覚支援として使ったり、メールで、意思を伝えたり、サイトを活用したり、危ないサイトに引っかからないように対応を学ぶなど、
これも、生きる力に思います。
学齢期、社会で使える力を育てて欲しいな〜

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