お蔭様で……  

今朝の検診で、母は今週中に退院出来ることになった。

あれから2-3日、安定剤と睡眠薬の効果で睡眠と覚醒がハッキリし、夢とうつつの境目が判るようになった。
もう、ややこしい世迷言は言わなくなった。
点滴の回数も減り、流動食を口にしている。
今では、起きている時には積極的に院内を散歩するようになり、顔色も良い。
今のところ、本人はいたって元気だ。

とりあえず退院後の食事について不安があるので、早速「胃を切った人の食事」という本を買ってきた。
まだ本人への告知はしていないし、化学療法はまだこれからである。
闘いは、これからである……。
0

病状急変 1/3  

術後3日間に渡って私は母の病床に付き添い、ほぼ夜中じゅう起きていては、看病に務めていた。
心配していた不整脈の心配もなくなった。
術後の体温もほぼ平熱に戻り、順調に回復しつつあった。

4日目ともなると、もう心電図モニタ−も外し、食道を通って鼻に差し込んでいた管も抜け、トイレもポ−タ(ポ−タブルトイレ)で自分で出来るようになっていた。
だからもう私も付かなくていいからと、簡易ベッドも返却し、久しぶりに家に帰ってのんびりと寝ていた。

早朝5時過ぎ、けたたましく鳴った電話のベルに叩き起こされた。
それは一度切れた。
ハッと目覚めた私は胸騒ぎを感じた。
続いてもう一度鳴った。
私は飛び起きて、電話まで駆け寄った。
「もしもし…、こちら○○病院ですが」
「はい!」
…『逢魔が時』…そんな言葉が浮かんだ。
いや、あれは夕方か。しかし深夜〜早朝の、この時間帯、最も人間の血圧が下がり心臓に影響を与える…。

そう言えば、術後2日目の夜も深夜〜早朝にかけての時間、母は悪夢にうなされていた。
病床に付き添う私の耳に、母の寝言が聞こえていた。
それは自分は昏睡しているのに誤って死亡とされ、斎場に運ばれる夢らしかった。
起こしたら、不整脈が激しく出ていた。
3日目の晩は、この時間帯は主治医が真相を隠しているという夢を見ていたらしく、そういう寝言を言っていたのだ。
そう言えば、数年前に亡くなった叔母も、これ位の時間帯に心筋更塞で亡くなった…

私は半ばパニックとなり、受話器を握ったまま大声で2階で寝て居る父を呼んでいた。

「実は、先ほどから急に起きて『帰る!』と言い出して聞かないんです。それでもう手に負えなくて…ご家族の方、どなたか来て戴けますか?」
「そうですか。判りました。すぐ行きます」
「いつ頃来られますか?」
「30分…いえ、20分で」
「よろしくお願いします」

少しほっとしつつ、階上に上がった。
「今、病院から電話があって…」
そう言うと父は跳ね起きた。
「いや、大丈夫やねんけど…」
事情を話した。
「とりあえず今から行ってくるわ」
0

病状急変 2/3  

慌てて病室まで行くと、看護師は誰もおらず、室内を母がフラフラと歩いていた。
ベッド周りは随分とキレイに片付けられていた。
「どないしたん?」
「転院するねんやろ。早ぅ手続きしてきてや」
「あ?まあ看護婦さん呼んで来るわ。そやけどまだ動かれへん筈やからちょっと寝とって」
「もう辛抱出来へんわ。こんな病院!病人をあちこち引きずり回して!電波が…電波で監視してるし!聞こえてるんやで全部。声がするねん!先生が、人を研究材料にして!」
話の辻妻が合ってない。
不安な中、うなされていた夢の中身と現実がごっちゃになっている。
私は母をなだめすかして、またベッドに横にならせた。
抱きしめて手を握った。「大丈夫やから、安心して…」
私の顔を見たら安心したのか、静かな寝息を立て始めた。

ナ−スステ−ションに行った。
「ああ、来られましたか…」
「すみません。ご迷惑をおかけしてます」
病室に向かいながら、看護師の方に説明を聞く。
点滴を又元通りに戻す。
しばらく寝ていたと思ったら寝言を言い始め、起き上がっては、私には見えない相手と会話している。
「電波が…ホラ見えるやろ。先生が私を操縦してる!鉄腕アトムやないねんで!学会で発表するて!みんなが笑いながら見てる!判ってんねんで!あーあー、聞こえますか?聞こえてんねやろ、先生!」
腹腔からの出血を外へ出す器具に向かって喋り出した。
いくら私がSFファンだと言っても、こんなこと言われたらかなわない。
これじゃあ、パナウェ−○研究所だ。
それをまたなだめて寝かす…それを20〜30分おきに繰り返す。
どうやら、真の病状を言わない主治医に対して不安感を感じており、それが高じてきているようだ。

実は昨日、副治医の先生に、夜中不安が募って悪夢にうなされ、それがエスカレ−トして起きていても妙な事を言い出すようになったが、どうしたらいのか?と聞いたところだった。
「患者は不安です。特に夜中は不安だし、昼間も寝ているので夜は不眠だし、余計にそういった幻覚症状が現れます。一時的なものですぐ治ります」
「こういう時の、周りの人間の対処はどうしたらいいんですか?否定しても意地になるやろし、肯定しても増長するやろし」
「そーですね。やんわりと、そぉかぁーて言うといた方がええでしょうな」
0

病状急変 3/3  

朝の検診になった。
主治医と副治医が来て検診した。
「先生、もうかなんわ。あんなんやめて。人を研究に使こうて…」
「そんなん、ボクしてないがな…」

検診後、私たちを廊下に呼んだ先生方は言った。
「身体の方は、合併症もなく順調に回復してます。…これは精神的な不安感から来る一時的なものです。でも希にこのまま痴呆になってしまうこともあります」
「じゃあ、そうならないようにはどうしたらいいんですか?」
「何とも言えません。ケースバイケースですし。しばらく様子を見ましょう」
「外科の先生方が無理ならば、精神科など専門の方にお願い出来ませんか?」
「いや、それは…当院にも精神科はありますが週一回医師が来る時に観てもらうことは出来ますが」
「痴呆になってからでは遅いでしょう?病状が進行する前に手を打たなきゃいかんでしょう?私たち周りの人間の対処法も判らないんですよ」
「判りました。何とかしましょう」
「お願いします」

外科的病気…ハードウエアなら手術なりして「修理」すれば治る。しかし神経症など…ソフトウエアの故障はどうすればいいのか?

しばらくすると、内科の医師が病室に来た。
少し母と話したあと、別室で私たち父子と面談した。

「もともと少し神経症的な部分があったのが、今回の件で表面に出たんでしょう。とりあえず次の点滴から安定剤と睡眠薬を投与します。その後、昼はちゃんと起きているようにして、夜、より深い眠りに就くようにすれば、現実と妄想の区別がつくようになって来ます。起きている時はご家族の方も、なるたけ、現実感のある楽しい話などをするように心がけてください」

医師が去った後、しばらく父と話していたら、またガラっと病室の戸が開いて母が歩き出してきた。
「どーしたん?あかんやん」
「帰るんやろ?行くのとちゃうの?」
「ええねん、ベッドの上で」
「ええの?このままでええの?」
「うん、心配せんでええから、そのままにしとき」
寝かしつけたあと、ナースコール。
早速、安定剤を経口投与。
やがて落ち着いてスースー寝息を立てはじめたが…すぐにまた寝言を言いはじめた。
恐かった。
つい昨日まで普通にしていた母が狂っている…。
0

命の確率  

「かなり厳しい手術でした…」

思いのほか時間の掛かった手術の後、私達家族を呼び寄せた主治医の先生は、開口一番にそう言って険しい表情を見せた。

思ったより侵潤が進んでいた…胃の内側は内視鏡で見た通りだったが、裏側、下方向に侵潤が進んでいた…
横行結腸間膜にも転移が見られたため、腸の一部も20cm程度切除した…膵臓にも癒着していた。
ステ−ジ4…最悪のパタ−ンだ。

「手術不可能となる直前でした…膵臓まで切るとほとんどの臓器を取り去ることになるので…でも、なんとか膵臓との癒着は引き剥がしました」

肉眼で見える限りの病巣は全て取り去った…しかし…

「既に多臓器での発生があるのですから、再発の可能性はかなり高いです。『根治可能』とは言えません。化学療法をお勧めします」

しかし化学療法にはかなりの副作用がある。
行わない選択もあり得る。それはご家族の判断にお任せします。

「でも普通なら行うでしょう。やるべきだと思います」

そのためには本人にも今後告知する必要がある。
いつ、どう言えばいいのか? これから家族には辛い判断となる。
化学療法の開始は、約1ケ月後。

「うまく行けば、化学療法で再発を止められるかも知れません」

もう確率論は言わないことにする。
存命率…それもあまり無意味だ。
可能性を信じる以外に道はない。

昨夜は病室で母に付き添った。
麻酔が明け、意識はハッキリしている。痛み止めが効いているので痛みは感じないらしい。
夜中でも数時間置きに目覚め、汗を拭いたり、タンを切ったりさせた。
その都度、当直の看護師の方に来て貰う。
…乳児みたいだな、と思った。
多分、私が赤ん坊の時も、母はこうして夜中も起きて育ててくれたんやろ−な−と思った。

私に出来る親孝行は、こんな程度でしかない。
でも生きているうちにやり残さないようにしたい。
今夜もこれから病院に赴く。
0

本当に回復するのか? 1/2  

先ほど、なんば駅から戎橋を通って事務所まで歩いてみた。
昨日のニュースであれだけの騒ぎがあったので、さぞや商店街なども賑わっているのかと思うと意外とそうでもなかった。
各店は個別に便乗セールをやっているが、バーゲン時などのような狂騒的な感じはない。
拍子抜けするほど穏やかである。
報道されていた「かに道楽」のカニの目も既に手早く修復されていた。
ニュースなどでは、「大阪は大騒ぎ!」などと海外にまで配信されているようだが、日頃からの雑騒からすると、特別賑やかというほどでもない。
戎橋では、多くの人がいたが、皆手に手にカメラを持ち記念撮影している。
……つまりは、この「お祭り」のために地方から来たお客さんばかりで、地元大阪の人間ではないということだ。
一昨日からすでに道頓堀にはダイブする者が出現しているが、これは名古屋からの客だった。
名古屋は今、非常に景気がいいので、大阪まで来てカネを使ってくれるのはたいへん有り難い。
不景気で逆にパチンコ業界が繁盛しているかららしい。
どんどん来て欲しい。どんどんカネを落としていって欲しい。

18年前の大騒ぎの日、あの一帯はたいへんな騒ぎだった。
また昨年のW杯の時も、試合終了後、在阪の人間は厳戒態勢に入り、街角に待機する警官隊と共に、便乗して大騒ぎする者達を牽制した。
大騒ぎは地元にとって迷惑なだけで、それほど商売に直結しない。
だから、意外と地元の人間は冷静な気がする。
今回も、経済波及効果が何百億と試算されているが、果たして本当に、このドン底の関西経済を回復させることが出来るのだろうか?

確かに、数年前から「もう関西経済はダメだ。あとは阪神が優勝でもしない限り復活する望みはない」という気がした
0

本当に回復するのか? 2/2  

しかし、それから数年かかってようやく優勝した今日、どうも元気が無いような気がする。
今日、客の少ないセールのワゴンを見て思ったが、ひょっとしたら……もう関西経済には、セールで喜んで買い物するほどの経済力すら無いのではないか?

それほど、深刻なまで進行が進み、もう「阪神優勝」程度の処置では根治出来ないほど末期的なのではないか?という気がする。

さて一方。
↓下の続き。

ほぼ毎日母親を見舞っている。
元気そうだ。
一昨日など、病室に入ったらいきなりカーテンの向こうから歩いて出てきたのでビックリした。
食事をいっぱい食べたので点滴の必要が無く、一旦点滴を外してもらったので歩き回っているらしい。向かいのベッド(二人部屋なのだ)のおバァさん所へ行き、雑談をしていたらしい。
なんか入院前より活き活きしている……。
先週、主治医の先生に「高齢なので、手術が心配なんですが」と言ったら「いやいや、全然大丈夫ですよ、あれだけ歩き回っている人なら。これは、データとか何とかじゃなくて、経験ですけどね。もっとヨボヨボの人でも手術に耐えられます。まだまだ若い方ですよ」と言われて、そんなもんかなあーと思っていたが、この時のニコニコした顔を見たら納得した。
5年後の存命率が60%と書いたが、これは侵潤が進み、転移が広範囲で既に手後れだったり、高齢で手術が出来なかったりした人間を含めての数字だ。
あんなに元気にヒョコヒョコ歩いている人間は、どう見たって根治可能だと思う。
なんか安心してきた。

まあ、もちろん、開腹後の生検結果を見るまで、予断は許さないのは、確かだが……。
0

LIFE〜9.11  

もう少し続きを。
書くと気持ちが整理されるので……。

今日、家族で病院に行き、主治医の先生に詳しく話を聞いた。
侵潤はかなり深いが、転移は認められず、ステ−ジ3とのこと。
タイプはボ−ルマン3型。
ドラマのように「余命何ケ月」という言い方はなく、「根治可能」とのこと。
しかし、開腹して生検してみないとハッキリは言えない。
CTでは1cm以下の細胞は見つけられないからだそうだ。
オペは18日正午から。術前術後の麻酔時間をいれて約5時間。
内視鏡写真と透視写真を見たが、病巣は大きかった。
主治医の先生は、たいへん落ち付いた方で「デ−タよりも経験上、大丈夫」という言葉には信頼を感じた。
先生は仰っしゃられなかったが、多分、モノの本によると5年後の存命確率は約60%程度。

……母の命にリミットが付いた……

まあ考えてみれば、高齢なんだし当然なんだけど、急に時間が愛しくなった。
同意書にサインしながら、これからは母への感謝の刻だと思った。
自分のLIFEを一旦リセットしてこの数年を過ごそうと思った。
生きているうちにこれまでの愛情を返したいと思う。


母の病室から空を見たら曇っていた。
雨が降りそうに思えたので、慌てて洗濯物を取り入れようと帰ったら、空全体は晴れていた。
黒い雲は、病室から見える一部分だけだったのだ。
そうであることを願う……
0

「その日」……  

梅田での仕事が無かった。
今回はお前のところは来なくていいと言われていたので、その日は休みと決めていた。
現場近くをフラフラして他人が現場を仕切っているのを見るのはイヤだったし。

それで、お昼まで寝ていた。
昼頃起きて階下に降りると父が居た。
「おカァさん、病院やから」「ふーん」
別に驚きもしない。
母は、週に二回位は、リハビリだ何だと言って、歩いて10分程度のすぐ近くの病院へ行っていた。
病院へ行くのは日常的なのだ。
「検査してるから」
「え?何の検査?」
「心臓と胃」
「ふーん」
昨晩遅くに帰って来て顔見た時は何ともなかったのに?
「入院するかも知れん、て」
「へ?入院」
穏やかではない。
急にしんどくなって病院へ行ったらしい。
それにしても、急な話だ。
まあ、入院自身は珍しいことでもない。
半年前も入院したし、先月もまた整形外科で手術するかどうか決めかねていた位だ。
「じゃあ、迎えに行くから」
「OK」
休みのつもりだし、部屋も片づけるつもりだった。
今月中旬からは家の屋根の大修理…漏水防止工事が始まる。
工事に関しては、私と父とで見解の相違もあったが、父が自分で建てた家なので父の思った通りに修理してもらうことにする。
雨漏りしている天井の補修も行うので、部屋を片づける必要があった。
しばらくすると父から電話があった。
「あと少ししたら検査結果が出るから、それ聞いてから帰ります」
「了解」
たいそうな話だな、と思いながら部屋の片づけをする。
やがて父が帰って来た。一人である。
「どーやったん?」
「手術せなアカンらしい」
「え?」
そして病名を言った。
「へ?」
何だかよく判らなくて混乱した。
まーとりあえず、洗濯機が途中までで止まっていたので、それをすすいで脱水して欲しいと本人が言っているそうな。
父と二人であーでもないこーでもないと洗濯機と格闘。
判らなかったので、初めから洗濯やり直し。(^^;)
脱水終った後、二人で物干しに干した後、とりあえず何がいるのか聞きに行こうと、二人で病院へ。
下着だの、湯飲みだの、スリッパだの、体温計だの…と、借り物競争状態で、家に帰ってからあちこち散々探し回りました。(^^;)
いつもの入院の際は準備万端で行くんですけどね。
ようやく病室に一通り運び終わって帰宅。
深夜、姉に事の次第をメールする。
0

「翌日」  

姉が来るので時間を合わせて病院へ。
姉は先に病院に連絡して詳しい説明を求める。
3時過ぎに姉とも病室で合流。
廊下で婦長さんに話を聞く。
手術は、内視鏡ではなく開腹とのこと。
高齢なので、侵襲の低い方法を取って欲しいんだけど。
「ご高齢なので、ちょっとキツイ手術になりますよ」
日程は18日。
そのものは進行さえしていなければ生存率は高い。
むしろ合併症が気になる所だが。
9日に透視検査。11日に主治医の先生より検査結果および手術方法などの説明があるとのこと。

晩、姉と飲む。
こういう時に姉弟だけが気持ちを分かち合える。
二人とも独身なので、伴侶や家族がいないのは、それはそれで辛いが。

今回の件で、なぜか自責の念に駆られる……

翌日、屋根の修理工事の日程表届く。
その下に母の「修理工事」の日程も書き込む。(^^;)
足場を組む作業なので、大掛かりだが、日程が重なってしまった。
特に11日の説明日が工事初日なので、どちらかへずらしてもらうようにする。
父の連絡用に、プリペイド携帯を買うことにする。

不幸中の幸い(^^;)、9月は仕事が少ないので工事なり入院なり、どちらかに付ける。
父一人ではたいへんなところだ。

……以降、この件はもう書かないと思います。
つーか、もうこれ以上書けないよー。(^^;)

つーことで、しばらくネットから離れます。
0




AutoPage最新お知らせ