もう何週か前、息子(高1)と二人で「ガンダムSEED:D」を見たときのこと。
「アスラン」ら主人公達が乗るザフト軍の戦艦「ミネルバ」が連邦軍の要塞を陥落させ、近くの都市を連邦軍から開放させるという話だった。
ここでは連邦軍は市民を収容所に強制連行し、重労働させる「悪」である。作戦は見事成功し市民は解放され、ザフト軍は歓迎された。
・・・問題はここからだ。
連邦軍兵士が市民からリンチにあい、殺されていく。
後ろ手に縛られた連邦軍兵士が市民の前にひざまずかされ、ザフト軍兵士が後ろから頭を撃って射殺していく。
ジュネーブ条約など存在しない世界だろうか。
イラクで似たようなことが起こり収束もしていないのに、虐待どころかリンチ・処刑シーンである。目の前で「軍」が裁判もなしに公開処刑している現場にいて、主人公達はまったく未頓着である。
「アスラン」は推定17〜8歳。このアニメのヒーローの一人であると共に、その若さで軍のどこからも干渉されずに独自の行動をとることができる「フェイス」という称号を持つ最高格の将校でもある。
彼はこのとき処刑を目撃しつつ目を伏せ、軍功をあげた「シン」とのくだらない会話に入ってしまう。
製作者達は何を意図しているんだろう?
連合軍の圧制とザフト軍の正義を象徴したかったのか?
アスランに目を伏せさせたことでその意図は達せられたのか?
しかし、何の説明もない。
これが戦争の現実で、負けたものは即処刑されるのが常識だと解釈されても、それも織り込み済みの演出だと言うのだろうか?
将校がこの惨状を見て見ぬ振りなどしたら、へたしたら戦後軍事裁判で銃殺刑もありえる重大な罪である。それが戦争にわずかに残された正気でもある。
TVアニメのヒーローはこういう悪を見過ごしちゃいけない。
アムロなら「もう乗らない!」と言い出すかもしれない。ブライトは相当苦しみ上層部との首をかけた駆け引きに出ようとするだろう。カイは怒りに狂って殴りかかろうとし、セイラに涙ながらに制止されるかもしれない。ケロロ軍曹だって黙っちゃいないぞ。
いくら戦争だからってダメなものはダメだ。それを身をもって表現し、悩み苦しむのが若いアニメヒーロー達の役目だろう。時代が変わっても何事にもクールでいられるのがヒーローなんかじゃない。
過去の誤りを謝罪し保障をする。それが済んだかどうか判断するのが誰なのか。切りがないとは言え、日本人じゃないことも確かだ。
「ガンダムSEED:D」のこの演出をネット上で誰も批判しない日本は、その無頓着さゆえにアジアから永遠に抗議され続けてもしょうがないんじゃないかと感じる。意識していれば日本人にはできない演出のはずだ。
観終わって満足げに席を離れる息子を勇気を持って呼び止めた。
色々な充実した会話をすることができた。
初代ガンダムから一緒に観ていることをラッキーだったと思う。
次の週、議長がアスランらパイロット達に語る。
「戦争になると兵器を作って売っている者達がいる。だから戦争を終わらせるのは難しい」
最高司令官が語る言葉には「大義」も「平和への希望」もない。
ガンダムにまともなネタはもうないのか?
エスカレートしないことを願う。

0