歳がばれてしまうのがナニだが、覚えている最古の記憶は何かと聞かれたら、私の場合は1963年(昭和38年)の「ケネディ暗殺」だと思う。父と一緒に乗っていたハイヤーのラジオから流れるニュースに、運転手と父が「これは大変なことになった」と話し合っていたのを覚えている。
計算すると私は4歳。ウンコたれの記憶も一緒に残っているから間違いないない。
それからしばらく後の恐らく5〜6歳の頃の記憶に、子供心に大変感動した宇宙開発映画(TV放映)がある。1964〜6年頃と思われる。
衛星軌道で一人乗りの宇宙船が故障した。身動きできないほど狭い宇宙船の中で、一人ぼっちの宇宙飛行士があれやこれやと機器の復旧を試みるが、なにもかもが動かない。これでは地球へ戻れない。軌道を永遠に回り続けることしかできない。
宇宙飛行士は宇宙服を着てヘルメットを装着しているので、バイザーのため表情がまったくわからない。わからないのだが、ボソボソと語り続ける独り言で、事態の深刻さと彼の絶望が子供心にも伝わってくる。
地上では、無線通信による音声がスピーカーから流れ、彼の妻子がスピーカーにかじりつく。
彼は気付いていないが、宇宙船の無線機は受信回路が壊れているだけで送信回路は生きていた。つまり、彼の独り言は地上に届いていたのだ。音声はラジオで全世界へ流され、地上の人々はほとんど誰もしゃべらずに彼の声をじっと聞いている。彼の声を一言も漏らすまいとする緊張がみなぎっているためだ。
やがて独り言から「地球へ帰りたい」という言葉がなくなっていく。希望を失ってしまったのだろうか。残りの酸素の量から自分の命の時間を計算しては、さらに絶望していく。そして妻へ、子供へ、別れの言葉が語られていく。地上では世界中の人々が静かに涙する。
そして絶望の中でふと漏らした言葉「もしこの声が届いているなら、私が夜の側を飛ぶときに明かりを点滅して知らせて欲しい」の一言に、地上は一転大騒ぎとなる。政府や放送局が動き、大都会全体に「明かりを点滅させよう」と働きかける。夜、宇宙船が通過する時間がやってきた。人々はラジオのアナウンサーの合図に合わせて一斉に明かりを付け、また一斉に消す。何度も何度も。そして彼の声に耳を澄ます。
「あかりが!あかりが点滅している!聞こえているのか!」
彼の声に再び希望がみなぎる。
ラストはロケットの打ち上げシーンで終わったと思う。救助の宇宙船だろう。
この映画で「宇宙」の厳しさを知った。永遠に漂流し続け何の抵抗もできない「衛星軌道」の空虚さを知った。SFヒーローものやアニメとは違う現実の宇宙だ。宇宙で何かあったら「絶望」しかない。それが私にとっての宇宙の常識になっていった。
そして1970年、アポロ13号が故障して3人の宇宙飛行士が宇宙で漂流する事故が起きた。この事故はそれまでの私の常識を覆し、人間の英知と技術が希望を取り戻せることを教えてくれた。あの映画を見ていなかったらアポロ13号で味わった感動は10分の1にも満たなかったかもしれない。
映画はほぼ全編が表情の見えない宇宙飛行士の「独り言」だ。しかも宇宙のシーンは小窓からかすかに見える地球と点滅する都市の明かりぐらい。
そのうえ白黒だから地味なんてもんじゃないが、この緊張感と感動は5〜6歳の少年をテレビにかじりつかせ、その子の人生に少なからぬ影響を与えた。
宇宙船は恐らくマーキュリー計画(1958〜63年)の宇宙船だと思う。
どなたかこの映画のタイトルをご存じないだろうか。
★手がかり★
制作年代:ドキュメンタリー的なドラマだとすれば、マーキュリー5号<フレンドシップ7>でジョン・グレンが周回飛行に成功した1962年から、ジェミニ3号が有人飛行する1965年までの間。それ以前は弾道飛行だし、ガガーリンに追いつくことが至上命題だったので漂流事故をテーマにすることは考えにくい。また、ジェミニ以降は二人乗りだから一人ぼっちのストーリーにはしないだろう。『宇宙からの脱出』がいい例だ。宇宙開拓史から推測すると、この短い3年間でしか通用しないシナリオと思われる。
カラーか白黒か:まったくわからない。家のテレビは白黒だったし・・・
宇宙船の特徴:乗員一名シートに固定。外観は記憶になし。球体がゆっくり回転する位置表示装置がコンソールにあり、どこの上空を飛んでいるのか、あるいは夜と昼の境目がわかるようになっていた。
スタッフ・出演者等:まったくわからない

0