2020/2/15

京丹波を見る!明智光秀公所縁の古刹・天寧寺!  文化財研修記

京都府福知山市市字大呂1474には臨済宗妙心寺派の古刹で明智光秀公所縁の天寧寺(てんねいじ)がある。創建は貞治4年(1365)、当時の金山城主(代々佐々木荘下山保の地頭職を世襲)、金山宗泰が祖先の菩提を弔う為、愚中周及を招いて開山したのが始まりと伝えられています。歴代室町将軍から庇護され寺運が隆盛し、特に4代将軍足利義持は祈願所として篤く庇護しました。戦国時代に入ると衰退しましたが明智光秀が庇護し天正8年(1580)には諸役免許の判物を賜りその直筆の文書が残っています。江戸時代に入ると歴代福知山藩主から庇護され寺領10石が安堵されています。安永6年(1777)の火災で多くの堂宇が焼失しましたがその後再建されています。薬師堂は寛政6年(1794)に建立されたもので入母屋、こけら葺、桁行3間、梁間3間、一重もこし付、棟梁は服部太郎兵衛、今井万右衛門、今井八右衛門が天井絵は原在中が手懸けています。開山堂は寛政5年(1793)に建立されたもので六角円堂、土蔵造り、桟瓦葺。両建物とも京都府指定文化財に指定されています。天寧寺の文化財: 絹本著色即休契了像-応永7年は_国指定重要文化財・ 絹本著色十六羅漢像-119.0p×56.0p-室町時代-国指定重要文化財、・ 天寧寺薬師堂−寛政6年−京都府指定文化財、・ 天寧寺開山堂(附:鎮守堂)−寛政5年−京都府指定文化財、・ 絹本著色愚中周及像−室町時代-京都府指定文化財、・ 絹本著色大中臣元実像-大永2年-京都府指定文化財、・ 絹本著色大中臣持実像-文安5年-京都府指定文化財、・ 天寧寺文書(27通)−南北朝時代〜江戸時代−京都府指定文化財、・ 紙本淡彩六祖彗能−福知山市指定文化財、・ 絹本著色愚中周及像−福知山市指定文化財です。

1.天寧寺標柱(此処から更に山腹を3キロ登って行きます。)全ての画像はクリックすると拡大します。
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2.駐車場から見た天寧寺
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3.駒札
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4.山門と薬師堂が間から見える!
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5.山門を潜ると歴代住職の石塔が左側に見える!
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6.左側に宝庫、正面に薬師堂を見る!
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7.薬師堂に向かって右側に鐘楼、方丈を見る!
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8.地蔵菩薩堂
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アップで見る!
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9.薬師堂と右には開山堂が見える!
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10.駒札
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11.同上
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12.薬師堂の須弥壇を見る!
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13.天井の龍の絵を撮影したいが!無理だ!
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14.天井の龍の絵を借りてきました!見て下さい!
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15.大方丈
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16.大方丈前の庭園の一部
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2020/2/12

京丹波を見る!関西花の寺第一番札所の観音寺の「大護摩祈祷大祭」を見る!;  文化財研修記

京都府福知山市観音寺1067には高野山真言宗の古刹・観音寺(かんのんじ)がある。2月11日(建国記念の日)に午前10時から午後3時まで盛大に開催される「観音寺大護摩祈祷大祭」に参拝して来ました。丹州観音寺は、奈良養老四年(720)にこの地を訪れた法道仙人によって開かれたお寺です。平安時代(961)になって、空也上人が七堂伽藍を建立し、丹波地方の観音信仰の中心となって栄えてきました。その後鎌倉時代に最盛期を迎え、北条時頼・貞時等の比護を受け、25余坊の寺院をもつ中本寺の寺として栄える。約3600通余りの古文書、聖教類(京都府指定文化財)が現存します。

1.あやべ市民市民新聞の掲載記事(全ての画像はクリックすると拡大します。)
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2.観音寺の総門
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3.総門に貼られえポスター
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4.総門から仁王門方面を見る!
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5.見事な仁王門です!
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6.仁王門から本堂方面を見る!両脇には春に見事な丹州のアジサイ寺の由縁のアジサイで一杯!
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7.参道途中には色々な観音寺を詠んだ歌があります!
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8.物凄い人が一杯の手水舎です!
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9.関西花の寺第一番札所の観音寺山門
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10.七観音霊場を参拝しながら本堂へ登って行きます!
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11.
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12.
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13.物凄い参拝者で本堂前は一杯です!!!
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14.本堂に参拝
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15.午前11時本堂前で「大護摩祈祷大祭」が始まったが、人で一杯!動画撮影はギブアップです!綾部の正暦寺と同じ高野山真言宗なので「山伏問答など」同じだと家内に説明した!
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16.見事に咲く「ロウ梅」を見る!
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17.



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2020/2/10

京丹波を見る!戦国時代の石原城址跡に建つ洞玄寺!  文化財研修記

京都府福知山市石原(いさ)1256番地には戦国時代の石原城址、現在は曹洞宗洞玄寺(どうげんじ)とその境内地である。洞玄寺『縁起書』によると「天(てん)文(もん)年中大槻(おおつき)安芸守(あきのかみ)光頼(みつより)此地ニ城ヲ築キ居ル弘治元卯乙六月十四日逝去」とあり、また洞玄寺三世の心宗禅明(ぜんめい)禅師が元文四年(1739)に弟子の慧勤(すいきん)に編纂させた「寺記」によれば、天文年間(1532〜1554)に安芸の国から大槻安芸守政治がこの地に土着して館と城を築き、やがて隠居して法名を「洞玄」と名乗って草庵を営み、逝去後長らく廃墟となっていたものを石原の僧、華翁(かおう)が寺を造り、安芸守の法名「洞玄」にちなんで洞玄寺と呼称するに至ったと記されている。このように、江戸時代中ごろには既にこの地が城跡として認識されていたようである。
江戸時代の文化年間に描かれた『古城址見取図絵巻』では現状に近い城跡が描かれていることから、土塁(どるい)に囲まれた今の境内が石原城の主郭を示すと見てほぼ間違いはない。以上にようなことから、平成15年、16年に遺跡内容、範囲を確認するため発掘調査および測量調査を実施した。遺跡は段丘の東北端を利用して、東・西・南の三方に土塁・空堀を廻らさせることで要害化している。土塁の内部は洞玄寺境内であり、平坦となっており、その広さは約3,400平方メートルである。
測量調査では石原城跡が部分的に改変されているが、土(ど)塁(るい)・空(から)堀(ぼり)の形状ともに良好に残存し、当時の往時の様子を伝えていることが想定されるものであった。
これら測量成果を基に埋没している空堀、形状の不明瞭な東端部を中心にトレンチを設定し、その内容を確認することした。調査箇所は別図のとおり、空堀部を中心に東部の「大門」伝承部、南面土塁崩壊部の土層断面である。空堀部では、いずれも0.6m〜0.8m地表下で地山を成形した堀底を検出した。堀底は平坦で2.5m〜3.2mの幅を測る、堀底高が判明したことで土塁高は垂直高3.4〜3.9m、実効高4.6〜4.8m、堀幅は7.2〜7.8mを測る。
一方、東端部の調査地点では明確な門遺構を見出すことはできなかったが、他の部位と異なる得意な構造を確認し、位置的にも上記の伝承を否定することはできない。土塁土層断面では、堅牢に層状に積み上げた盛土を確認した。
以上のことから石原城跡は居館的なイメージのとおり、シンプルな構成の中にも堅牢な要塞性が見出せるものであり、戦国的な城形態を伝えている。築造時期を明確にする出土品は少ないが、前述の大槻氏による築造伝承も十分に推定できるものである。
石原城跡はこれら遺構が、現代にその姿を良好に伝えているのみならず、歴史学習の教材として身近なところに存在することが特筆される。今後、福知山の代表的な中世城跡として福知山市指定文化財(史跡)とすることに遜色のない遺跡である。福知山市のHPより抜粋掲載。

1.洞玄寺の石段参道の入口にある碑文(全ての画像はクリックすると拡大します。)
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2.標柱と拡大します。)石段参道
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3.見事な石段参道
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4.総門を見る!
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5.山門手前の石仏などを見る!
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6.見事な山門を見る!
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7.山門を潜って本堂を望む‼
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8.見事な本堂を見る!
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9.本堂向拝の見事な龍の彫り物を見る!柏原の中井権次一統の作か?
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10.本堂向拝の木鼻の唐獅子、象などを見る!
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11.ボタン寺と呼ばれ福知山十景の一つである牡丹園を覗く!
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12.満開の見事な牡丹圓です!4月下旬!
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13.本堂前の摩尼(まに)を久し振りに回して健康を祈願した!
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14.本堂内の見事な須弥壇です
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15.須弥壇の左側の仏像群
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16.須弥壇の右側の仏像群
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17.洞玄寺に残る戦国時代の石原城址
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18.同上
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19.同上 濠跡
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20.同上 濠跡
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2020/2/5

京丹波を見る!元何鹿郡で現福知山市の延喜式内社・阿毘地神社!  文化財研修記

京都府福知山市興567には元何鹿郡(いかるがぐん)現福知山市の延喜式内社の阿毘地神社(あびちじんじゃ)がある。山陰本線石原駅の東500mほどの興に鎮座している。8号線を進み、小さな踏切を渡ると、社域の森が目の前にある。境内入口は東側で石造の鳥居をくぐると木々に覆われた境内となっている。参道を進むと正面に東向きの社殿。右手に社務所、左手に神庫で社殿は、瓦葺入母屋造の拝殿の後方に、銅板葺流造の本殿がある。本殿は石組の上にあり、少し高い位置にあり、屋根の前方に向拝が付いている。社伝によると人皇四十九代光仁光仁天皇の御代にあり、宝亀年間(770〜781)の創祀です。「阿毘地」と書いて「あびち」「あびぢ」と呼ばれているが、『丹波志』には「神名アリヲチ」「天日大明神」。古来、興地区では「テンニッツァン(天日様)」、観音寺地区では「アベッツァン」と俗称されてきたという。天日様と呼ばれた事から現在の祭神は大貴命だが、「アリヲチ」と呼ばれた場合もあるように異説もあり『式内社調査報告』によると、祭神不詳、天照大御神、火明命、阿利袁知明神など。当社は、元は現社地の700mほど東南の補陀洛山観音寺付近の台地に祀られていたという伝承があるらしく、観音寺村から興村が分かれて発展し、両村の中間点に遷したという。『式内社の研究』で志賀剛は、「阿比地」は「阿由地」の訛りで湧水の地であると考え補陀洛山観音寺の閼伽井のあたりを旧址と記している。また、当社は「上(かみ)」から流れてきたという伝承もある。由良川の洪水で、流れ着いた神ということだろう。社殿の右手に境内社が並んでいる。奥に稲荷神社、手前に以下の四社を祀った祠がある。疫神神社、手力神社、天神神社、大木神社。境内左手の神庫には丸に三つ柏の紋が付いており又拝殿の屋根瓦には橘紋がある。

1.西側の鳥居
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2.正面の神社標柱を見る!
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3.巨大な自然石の常夜燈が右側にある!
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4.石造り鳥居など正面を見る!
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5.拝殿に向かって左側には3メートルもあろうか、巨大な常夜燈がある。
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6.正面から拝殿と一対の狛犬を見る!
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7.阿形の狛犬
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8.吽形の狛犬
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9.神倉には丸に三つ柏の紋が見える!(画像をクリックすると拡大します。)
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10.拝殿(画像をクリックすると拡大して見えます。)
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11.拝殿をアップで見る!
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12.拝殿前右側の狛犬・常夜燈を見る!
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13.拝殿前左側の狛犬・常夜燈を見る‼
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14.左側から拝殿後部の相の間と本殿を見る!
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15.本殿をアップで見る!
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16.同上
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17.巨大な御神木を見る!
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2020/2/1

兵庫県丹波を見る!明智光秀公所縁で春日局生誕地の春日町にある興禅寺!  文化財研修記

兵庫県丹波市春日町黒井2263には国史跡で斎藤利三と春日局生誕地として有名な山号は大梅山、曹洞宗別格地、本尊は釈迦如来(仏師春日作)の興禅寺(こうぜんじ)がある。戦国時代の山城黒井城の下館、明智光秀の丹波制圧後に家臣斎藤利三が居住した館の跡に創建された。現在も楼門前には水を湛えた七間堀と高い野面積みの石垣と白ねり塀が聳えるという城砦然とした戦国時代の構えをとどめており、山上の黒井城とともに「黒井城跡」として国の史跡に指定されている。
沿革
この寺の前身は「杖林山誓願寺」といい、今の位置から150メートル下った場所にあった。八木城主内藤宗勝が黒井城を攻城した時に誓願寺も戦火にあい焼失してしまった。当時の誓願寺があった場所は「寺屋敷」と呼ばれ9つの寺が立ち並んでいて、黒井城の寺町を形成していた。この時、寺の復興に努力したのが黒井城主荻野直正(赤井直正)で、堂宇を建立などして再建につとめたと言われている。現在の場所に移転したのは、黒井城の落城50年後の寛永3年(1626)のことで下館跡に、本堂等を移転し、山号を「杖林山」から「大梅山」、宗派を真言宗から曹洞宗に、寺号を「誓願寺」から「興禅寺」に、開基を荻野直正とした。興禅寺の高石垣と水濠は、下館をそのまま再利用したのではないかと言われている。
斎藤利三と春日局の生誕地
明智光秀が黒井城を落城させた後、斎藤利三が黒井城と下館を中心にこの地を治めた。天正7年(1579)から天正9年(1581))の3年間、亀山城 (丹波国)と往来していたと思われている。その天正7年(1579年)にお福が生まれ3歳まで居住した。彼女が後の徳川家光の乳母であり大奥の礎を築き統括した春日局である。『稲葉家・御家系典』には、春日局を御乳母となし、局頭と称して春日局と号す。これすなわち、丹波国氷川郡春日井庄の生所をもってこの名をなすという。と記載され下館が生誕の地ではないかと推定されている。

1.高石垣と水濠(長さは約80メートルの水濠は「七間堀」と呼ばれており、石垣の高さは約5m程度で、黒井城と同様の「野面積み」で、部分的に切込みハギが使われている部分は後世の改修の手が入ったと思われている。楼門は宮津市にある智源寺からの移築門で、創建年代は不明だが、元禄年間改修の記録が残る。
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2.黒井城址が見える!案内板!


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4.2007年(13年前)初めて興禅寺の見学や黒井城址登山の記事は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/315.html

5.興禅寺の七間濠や仁王門をアップで見る!
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6.見事な仁王門
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7.吽形の仁王像
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8.阿形の仁王像
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8.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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9.鐘楼です。赤井直正の子赤井直義が先祖供養のために建てられたと言われている。現在の鐘楼は大正2年に改築されたものです。
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10.本堂を見る!
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11.お堂
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12本堂右側の庫裡
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13.お福腰かけ石(お福が腰をかけて遊んだと伝わる石)
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14.庭園の一部
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15.お福産湯の井戸(深さ1.7メートルで、お福が初湯に使ったと伝わる井戸。)
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2020/1/30

兵庫県丹波を見る!丹波市市島町にある国史跡の三ツ塚廃寺跡!  文化財研修記

兵庫県丹波市市島町上田1134には国指定史跡の三ツ塚廃寺跡や天神窯跡がある。白鳳(はくほう)時代の寺院跡で竹田川右岸の段丘上に所在し、きわめて特異な伽藍(がらん)配置をとることから、1976年(昭和51)に国の史跡に指定された。講堂、鐘楼、回廊跡などが検出されていないため、寺院跡の全容は明らかではないが、遺構は3つの基壇が東西に一列に並ぶ。東西両端の2基が東塔および西塔跡で、中央の基壇が金堂跡。中門、東門、西門は2本柱の掘立柱の遺構で、北門は築地垣のついた低い基壇をもち、南門も同様と考えられている。こうした内側に、東西両塔の基壇が版築され、各1辺10mで縁は瓦積み化粧となっており、東塔の基壇の中央には中心に径、深さともに11cmの舎利孔をもつ径約1.5mの地下式心礎が据えられている。金堂は東西12.8m、南北10.3mで、若干の礎石が確認される。金堂の北には講堂がみられず、他の白鳳時代の遺跡とは異なる伽藍配置である。寺域周辺からは、掘立柱建物群が検出され、とくに北側に隣列する数十塔の建物群は、奈良時代から平安時代に建てられたもので、氷上(ひかみ)郡家(ぐうけ)と想定されている。東南方にはこの寺に瓦を供給した瓦窯が発見されており、あわせて史跡に指定され、現在は史跡公園として整備されている。JR福知山線市島駅から徒歩約25分。

1.三ツ塚廃寺跡
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2.真中の金堂跡の碑文
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3.金堂跡
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4.西搭跡
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5.史蹟公園を見る!
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6.同上
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7.心楚の説明版
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8.心楚
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9.東門跡
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10.東門跡碑
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2020/1/25

兵庫県丹波を見る!丹波市市島町吉見庄一宮の天満神社!  文化財研修記

兵庫県丹波市市島町上田7番地には吉見庄の一之宮で天満大自在天神(菅原道真公)を祀る天満神社(てんまんじゃ)がある。延元3年(1338)に歓請された神社で、天正6年(1578)には明智光秀公の丹波攻めで兵火で焼失したが、慶長5年(1600)には吉見越中守吉家により再建された。元和6年(1620)白太夫、厳島神社を建立。享和元年(1801)北野天満宮の神輿を譲り受けている。天保10年(1839)に本殿を改修し、現在に至る。式年大祭は30年毎に行われ、次は2037年です。右に八柱神社、左に八幡神社が合祀され、境内社は白太夫神社、稲荷神社、熊野神社、愛宕神社、九頭竜神社、須賀神社、金毘羅神社、厳島神社があります。

1.一の大鳥居
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2.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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3.手水舎と相撲の土俵です!10月第二日曜日の大祭に奉納相撲が催されます!
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4.見事な歌碑です!(画像をクリックすると拡大します。)
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5.見事な奉納舞台が残っています!
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6.社殿を正面から見ます!
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7.右側の境内社の稲荷神社を見ます!
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8.正面の石造り大鳥居です。
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9.拝殿手前にある境内社の白太夫神社(画像をクリックすると拡大します。)
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10.拝殿の左側の見事な御神木の大杉と伊勢神宮遙拝所
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11.正面拝殿と奥の本殿を見る!
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12.同上
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13.天満宮のつきものの牛と本殿
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14.見事な本殿をアップで見る!(各画像をクリックすると拡大します。)
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15.本殿を左側から見る!
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16.御神木の大杉の駒札
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17.見事な広葉杉です!
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18.右側から本殿を見る!
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19.御神木の駒札
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20.見事な御神木のモミの木
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2020/1/20

兵庫県丹波を見る!第5代中井権次正忠と6代目正貞の合作の見事な彫刻のある一宮神社!  文化財研修記

兵庫県丹波市市島町中竹田1199−1には第5代中井権次正忠と第6代目正貞の合作の見事な彫刻のある一宮神社がある。創建時は18世紀初頭。旧道のN酒造の横から神社に入る。静かな佇まいの、春日造りの立派な本殿である。江戸時代初期、日光東照宮に駆り出された各地の宮大工、彫り物師などが、完成後それぞれ、いわば下放されたわけで、丹波、但馬、丹後、播磨の人たちが生業を立てるために企業集団を設立したと思われ、欅を主材とした彫り物が始まり、丹波市では、ここの神社と氷上町南油良の貴船神社がその嚆矢である。再建された文化15年(1818)以前の社の正面向拝の宝珠を握った迫力ある龍と手挟みの菊の花がそのまま新社殿に移された。他に多彩な彫り物が所狭しと施されている。木鼻の阿吽の唐獅子と獏、さらに象が本殿の側面に二体、上部には鶏が12体も見える。麒麟も裏面に4頭、蟇股には長寿を願う鶴亀が居る.青竜軒と号した最晩年の五代目正忠と権次と名乗り始めた六代目正貞の合作による秀作である。

1.見事な鳥居のある一宮神社
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2.鳥居の扁額を見る!(画像をクリックすると拡大します。)
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3.御神木の大杉と社殿を見る!
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4.拝殿を見る!
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5.拝殿後部と本殿を左側から見る!
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6.左側から本殿を見る!
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7.見事な中井権次忠正と6代目正貞の合作の彫刻を見る!
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8.見事な左側の摂社です!
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8.見事な右側の摂社です!
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9.見事な本殿を右側から見る!
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10.本殿の彫刻を見ます!(画像をクリックすると拡大します。)
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2020/1/15

兵庫県丹波を見る!新春の真言宗の古刹・清薗寺を見る!  文化財研修記

兵庫県丹波市市島町下竹田68には真言宗の古刹で鎌倉山・清薗寺(せいおんじ)がある。「清薗寺」(せいおんじ)は福知山の長安寺と同様に、用明天皇の息子であり聖徳太子の異母弟である麻呂子親王により創建されたと伝わる寺院。また戦国時代には明智光秀の丹波攻めで全焼したという歴史もある。街道沿いの総門、そして迫力のある仁王門はいずれも江戸時代初期・中期の建築で、それをくぐった場所に一つ立っている石燈籠はこの寺院で最も古い建造物で南北朝時代に造られたもので兵庫県指定文化財です。「持仏堂」の前に江戸時代後期に築庭されたと推定されている枯山水庭園があります。背後の高谷山を借景としているのが美しい。

1.清薗寺総門
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2.見事な仁王門です!此の門は寛政7年(1705)再建の建物です。
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6.吽形の仁王像!
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7.仁王門の中央真後ろには県指定文化財の「貞和3年(1347)の銘を持ち、南北朝時代作であり、石英粗面岩で作られた八角形で、火袋には四仏の梵字や,中台側面に散蓮華彫られている。銘文は竿石に4列に刻まれ、なかに「右 志 者為天下泰平六道四生一切 普 利 貞和三丁亥九月八日
左衛門尉 平 顕信敬白」とあり、六道思想がうかがえて興味深い。
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8.同上 の中台を見る!
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9.右手に薬師堂、左手に鐘楼、本堂を望む!
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10.見事な薬師堂です!
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11.堂内を見る!
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12.薬師堂の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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13.丹波市市島町の指定の大杉の駒札
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14.見事な大杉です!
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15.見事な鐘楼と鐘です!
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16.本堂方面を見る!
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17.本堂への参道
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18.見事な山門や本堂を見る!
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19.山門から本堂を見る!
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20.本堂と水琴窟のある庭園
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21.持仏堂前の枯山水庭園
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22.奉納された狸の像が印象的です!
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2020/1/10

京丹波を見る!新春の大己貴神(別名:大国主神)を祀る一宮神社を見る!  文化財研修記

京都府福知山市堀西井2209には大己貴神(別名・大国主神)を祀る一宮神社(いっきゅうじんじゃ)がある。伝承では奈良時代頃の創建とされており、境内看板(一宮神社略記)によると「慶雲4年(707)麿子親王(聖徳太子の異母弟)の創建にかゝる古社です。丹波・丹後の国境の守護神として崇敬され、天正年間、福智山城なるや、城中・城下の鎮守神として崇敬を集め、城主によって社殿の修復がなされ、宝物、神饌田等の奉献もあり、現在は福知山鎮守・守護神としてのみならず、全国各地方からの崇敬参拝者多し。現在の本殿は、正徳4年4月に炎上後、時の城主朽木(民部少輔)植元によって、享保三年八月に造営されたもので、其の後寛政三年七月に修理がなされ、後は屋根の吹替え等の補修が加えられた程度で現在に至っている。ただし、幣殿、拝殿は、昭和9年に建て替えられている。境内には、十二の由緒ある境内社がある。御神徳は、福徳、円満、和平、開運、縁結び、商売繁栄、五穀豊穣、国土開拓、医薬、禁厭、病疫祓除、温泉、わけても顕幽両界を主宰し給う神として、神威極めてあらたかなる神である。」とある。江戸時代には三輪明神と呼ばれ、福知山藩の鎮守として栄えた。鎮守の杜の中に境内があり、社殿は享保3年(1718)に建築されたものであり、一間社流造桧皮葺となっている。福知山を代表する建築だとして境内社(大原神社など)4社も含め京都府登録文化財に登録、および福知山市指定文化財に指定されている。鎌倉時代の石灯籠や近在で唯一の能舞台が遺されている。また、境内に軍馬・軍鶏之碑がある。鎮守の杜は、ケヤキが数多く見られる。サカキ・カシ・クス等の照葉樹林にモチ・イチョウが混成して境内を取り囲み、南側にスギ・ヒノキの針葉樹が植樹されている。ササ・ベニシダ・フユイチゴ等が密生しており、府の文化財環境保全地区に決定されている。摂末社は大原神社・八幡神社・天満神社の3社は本殿と同じく府の登録文化財に登録されている。三社とも1719年(享保4年)に建立された一間社流造である。大原神社は地元の大工によって建立され、八幡神社と天満神社は大坂の大工によって建立された。武大神社は本殿と同じく府の登録文化財に登録されている。元々は福知山市土に鎮座していた建田神社であり、元禄8年(1695)に再建された。明治41年にその本殿が一宮神社に移築されたものであり、再建当初の様子を良く遺している。その他の境内社は稲荷神社・少彦名神社・道祖神社・郷土祖先神・厳島神社・常靖神社・天祖神社・鎮神社がある。
文化財としては有形文化財(府登録及び市指定)、一宮神社本殿、境内社本殿群(建造物) - 1989年(平成元年)4月14日府登録・1994年(平成6年)4月21日市指定。有形文化財(市指定)では一宮神社の脇差「関和泉守兼定」と銘があることから作者は濃州兼定とされている。1749年(寛延2年)に福知山城主の朽木玄綱が宝剣として奉納したものとされる。一宮神社石燈籠は花崗岩製、市内最古の石燈籠であり鎌倉時代のものと思われる。亀岡市以北で鎌倉時代の石燈籠はこれを含めて三基しか存在しない。国の重要美術品にも認定されている。府文化財環境保全地区として一宮神社文化財環境保全地区 - 1989年(平成元年)4月14日決定。

1.一宮神社の大鳥居と標柱
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2.正面から見る一宮神社
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3.二ノ鳥居
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4.見事な二ノ鳥居と福知山市の古木・名木の一つ
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5.百度はなでる「百度石」
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6.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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7.巨大な今年の干支・鼠ですね!吃驚!
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8.見事な能舞台です!
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9.能舞台の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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10.能舞台をアップで見ます!
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11.拝殿を左側から見ます!
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12.拝殿を横から見ます!
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13.拝殿後部と本殿を見ます!
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14.見事な摂社一つ(画像をクリックすると拡大します。)
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15.一宮神社石燈籠は花崗岩製、市内最古の石燈籠であり鎌倉時代のものと思われる。亀岡市以北で鎌倉時代の石燈籠はこれを含めて三基しか存在しない。国の重要美術品にも認定されています。
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16.見事な摂社の武大神社
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17.見事な摂社です!(画像をクリックすると拡大します。)
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