2019/11/10

京丹波を見る!福知山市の古刹・長安寺を見る!  文化財研修記

京都府福知山市奥野部577には聖徳太子の御実弟・麻呂子親王が大江山の鬼退治のおり、祈願して薬師如来像を刻みこみ此の地に奉祀したのが始まりという医王山・長安寺(ちょうあんじ)がある。現在は臨済宗南禅寺派別格地で丹波古刹霊場13番札所、西国薬師霊場第26番札所です。その後、再三の火災に架かり消失したが、福知山二代城主、杉原家次公(豊太閤の正妻寧子の方の伯父)によって再建され、飛鳥時代の名作麻呂子親王御自作薬師如来像を安置しています。この長安寺は丹波の紅葉寺として有名ですが、11月7日の撮影では紅葉はもう一つでした。

1.長安寺公園の11月7日の紅葉
クリックすると元のサイズで表示します

2.長安寺の西国33観音霊場巡り
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上の一つ
クリックすると元のサイズで表示します

4.福知山十景の一つ観音寺
クリックすると元のサイズで表示します

5.観音寺境内全景
クリックすると元のサイズで表示します

6.石段参道
クリックすると元のサイズで表示します

7.福知山指定古木の大イチョウ
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

9.見事な山門と鐘楼を見上げる!
クリックすると元のサイズで表示します

10.登り石段参道の左側の不動滝
クリックすると元のサイズで表示します

11.山門から大方丈を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

12.薬師三尊四十九燈の庭の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

13.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

14.見事な観音堂と仏師方眼 高村晴雲作の聖観世音菩薩が見える!
クリックすると元のサイズで表示します

15.手水舎と紅葉と大方丈を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

16.大方丈(本堂で天明4年(1784)再建)本尊本尊釈迦如来と脇侍仏の文殊・普賢両菩薩を安置)。城主杉原家次の念持仏地蔵菩薩(室町時代)を安置している。
クリックすると元のサイズで表示します

17.大方丈(本堂)の見事な須弥壇
クリックすると元のサイズで表示します

18.大方丈の内部の一部
クリックすると元のサイズで表示します

19.同上
クリックすると元のサイズで表示します

20.薬師三尊四十九燈の庭の一部
クリックすると元のサイズで表示します

21.方丈横の弁財天堂と中腹にある開山堂方面を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

22.薬師堂内の前立薬師如来像(下記の駒札参照)
クリックすると元のサイズで表示します

23.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

26.もうすぐ見事な紅葉になります!
クリックすると元のサイズで表示します

>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/11/1

丹後を見る!宮津藩主京極高広の妻・寿光院が父池田輝政追善のため建立した国清寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷486には宮津2代目藩主京極高広の妻・寿光院が父・池田輝政の追善のため建立した臨済宗妙心寺派の国清寺(こくしょうじ)がある。国清寺の創建は寛永2年(1625)、京極高広の正室寿光院が父親である池田輝政(備州岡山藩主・法名:国清院殿泰叟玄高大居士)の冥福を祈る為、別源禅師(文珠智恩寺の僧)を招いて開山したのが始まりと伝えられています。以来、歴代藩主から庇護され仏涅槃図や龍虎図、文殊菩薩図、白衣観音図、マリア燈籠などの寺宝を所有しています。境内には江戸時代前期に建立された本堂をはじめ庫裏や経蔵、鐘楼、観音堂・地蔵堂、鎮守堂、六地蔵堂などがあり古寺の雰囲気が残されている。

1.国清寺の案内板
クリックすると元のサイズで表示します

2.国清寺への登り参道
クリックすると元のサイズで表示します

3.山門
クリックすると元のサイズで表示します

4.山門から見事な本堂を望む!
クリックすると元のサイズで表示します

5.本堂に向かって左側の経蔵
クリックすると元のサイズで表示します

6.本堂に二向かって右側の六地蔵堂
クリックすると元のサイズで表示します

7.中央に鐘楼・庫裡・観音堂・本堂などを見る!
クリックすると元のサイズで表示します

8.鐘楼をアップで見る!
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/30

丹後を」見る!宮津2代目藩主京極高広の娘の香華所の経王寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷886には宮津2代目藩主京極高広の娘の了智院の香華所である日蓮宗の経王寺(きょうおうじ)がある。経王寺は日蓮宗の寺院で慶長7年(1602)に宮津藩主、京極高広の帰依を受け、日依上人により開かれました。御本尊は大曼荼羅です。現在の本堂は弘化2年(1845)に再建されたもの。本堂の中央間の天井に幕末の郷土画家、和田屏山による龍雲図が描かれています。また内陣の天井には見事な天女の飛天図があります。作者は不明です。

1.経王寺の見事な鐘楼と標柱
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な山門です!
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な鐘楼、山門を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

4.見事な鬼子母神堂です。7月の鬼子母神大祭には多くの参拝者があります。
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な本堂です!
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な本堂をアップで見ます!
クリックすると元のサイズで表示します

7.本堂内の見事な欄間と和田屏山の龍雲図です!
クリックすると元のサイズで表示します

8.同上
クリックすると元のサイズで表示します

9.作者不明ですが、見事な飛天図です!
クリックすると元のサイズで表示します

>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/25

丹後を見る!宮津2代藩主京極高広が妻のため建立した日蓮宗の本妙寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷885には京極高広が妻のため創建した日蓮宗長久山・本妙寺がある。本妙寺は、宮津2代藩主・京極高広の正室・寿光院(岡山藩主池田輝政の娘)が開創している。本妙寺(ほんみょうじ)は寛永2年(1625)徳川秀忠の菩提を弔うために寿光院が本妙寺を開創する。開山は日賢上人、開基は寿光で院でご本尊は十界曼荼羅です。

1.本妙寺標柱
クリックすると元のサイズで表示します

2.山門と標柱
クリックすると元のサイズで表示します

3.今月の聖語
クリックすると元のサイズで表示します

4.宗祖日蓮の像
クリックすると元のサイズで表示します

5.本堂を望む!
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な庭園の一部
クリックすると元のサイズで表示します

>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/20

丹後を見る!6代目中井権次橘正貞の彫刻のある櫻山天満宮!  文化財研修記

京都府宮津市万町474には柏原の名彫刻師・6代目中井権次橘正貞の見事な彫刻のある櫻山天満宮がある。御祭神は菅原道真公で、境内社には稲荷神社、櫻山大黒天です。 由緒:古くより天神社・天満宮とも称する、旧村社。もとは社殿うしろの桜山にあったというが、その勧請年代は不詳。寛永年間(1624〜1644)に宮津藩主京極高広が現地に再建したと伝えられる。ここに祀られる菅公神像は、もと豊臣秀吉が身辺に守護神としてもっていたものを、側室松の丸(高広の父高知の妹)に与え、さらに高広に贈られたものと伝えられている。京極高広は境内地の一角に、田辺の円隆寺成就院より宥栄法印を招き成就院密厳寺を建てて天満宮の支配に任じた。境内宝物庫には、天満宮・成就院関係の宝物や、近世万町絵図、祭礼屋台などが収蔵されている。この宝物庫は、地元万町の氏子の人達が昭和34年に文化財委員会を設け昭和47年に建てた貴重な物です。又、この神社の境内に宮津藩最後の藩主本庄宗秀・宗武親子のお墓もあります。

1.櫻山天満宮の鳥居と参道
クリックすると元のサイズで表示します

2.同上 駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

4.拝殿内陣
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な本殿を見ます!
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な本殿の代6代目中井権次橘正貞の彫刻です!
クリックすると元のサイズで表示します

7.本殿横の稲荷神社と宝物庫
クリックすると元のサイズで表示します

8.櫻山大黒天
クリックすると元のサイズで表示します

9.宮津藩最後の藩主であった本庄宗秀・宗武親子の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

10.本庄宗秀・宗武のお墓
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 


2019/10/15

丹後を見る!6代目中井権次橘正貞の彫刻のある仏性寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷879には浄土真宗で御本尊阿弥陀如来を祀る仏性寺(ぶっしょうじ)がある。仏性寺の開基は天正18年(1590)本願寺顕如上人より寺号を授与された。開基は小浜の天ヶ城・城主内藤伊賀の守楠重吾の五男明誓である。明誓は、細川幽斎の田邊城篭城に京都より夜をこめて立ち帰り徒党を催して共に篭城をした功労によって幽斎の妹を妻とし田邊に瑞光寺を宮津に仏性寺を建立してもらい、仏性寺住職として、開基する。

1.見事な山門です。嘉永年間(1848〜1854)に建立されたものです。
クリックすると元のサイズで表示します

2.山門から本堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な山門の梁の上の彫刻は6代目中井権次橘正貞の作です。
クリックすると元のサイズで表示します

4.山門の見事な木鼻です!
クリックすると元のサイズで表示します

5.門扉(見事な細川の紋所「細川九曜」が打たれています。)
クリックすると元のサイズで表示します

6.聖徳太子殿
クリックすると元のサイズで表示します

7.見事な彫刻のある鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

8.見事な彫刻のある本堂です!
クリックすると元のサイズで表示します

9.本堂の彫刻をアップで見る!
クリックすると元のサイズで表示します

10.同上
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/10

丹後を見る!宮津の惣産土神で赤ちゃん初土俵で有名な山王宮日吉神社!  文化財研修記

京都府宮津市宮町1408には赤ちゃん初土俵や例大祭の山王祭で有名な山王宮日吉神社(さんのうぐうひよしじんじゃ)がある。宮津城下西部の滝上山山裾の、松ヶ岡と呼ばれる宮津湾を望む丘を神域として鎮座する。境内には他に7社の摂・末社があり、本殿右には式内社であり摂社とされる杉末神社が祀られている。創建は平安時代とも言われているが年代は不明であり、近江国坂本の日吉大社より勧請されたものとされている。神域は元は宮津郷内唯一の古社である杉末神社の境内であり、山王宮日吉神社は平安時代にその境内地に祀られたとされる。やがて旧藩時代歴代の宮津藩主の崇敬の中で主神となり、神域中央に本殿を始めとする社殿が藩主により次々と造られていった。現在の社殿は貞享5年(1688)年)藩主・阿部正盛により再建。廊下は享保元年(1716))に藩主・奥平昌春、続く幣殿は寛延2年(1749)藩主・青山幸道により建立された。本殿は与謝郡一帯に分布する社殿形式の最古例であり、京都府の指定文化財に、また他の摂・末社の多くも文化財として登録されている。神域には巨木が多く点在し、その全域は文化財環境保全地区に定められている。また近年、北前船寄港地として文化庁より日本遺産に認定された宮津市の構成文化財の一つでもある。特に江戸時代には歴代宮津藩主の崇敬を受け、宮津郷の産土神とされた。氏子区域は宮津城と城下を区切る大手川沿いの東堀川、京街道より西全域とされ、春の祭礼である山王祭は城下挙げての大祭であった。宮津祭・国祭とも呼ばれ、宮津藩や宮津城主と深く関わる藩祭として定められた。現在の神輿は幕末の藩主・本庄宗秀が寄進したものである。神仏分離令以前は山王社と称し、現在も宮津ではその呼称で呼ばれ続けられている。境内地は、背後の滝上山と共に宮津屈指の景勝地で、正保4年(1647)に時の宮津藩主であった京極高広が作庭し、次代藩主信濃守永井尚長が延宝年間に拡張、漱玉亭(そうぎょくてい)と名付けて祠堂を構え、庭園も整備した。その名残と言われる大さざんか(根本を囲む「漱玉」と彫った大石が残る)が残る。含紅桜は樹齢400年程と推定され、藩主であった永井尚長が植樹命名した記録が残っている。漱玉亭の大さざんかと共に宮津市の天然記念物に指定されている。山王宮日吉神社より杉末神社のほうが古くから存在する神社であると考えられる。現在の本殿は、寛政6年(1794)に本殿が建てられたという棟札の記載が残る。杉末神社には珍しい神賑行事として赤ちゃんの土俵入りの神事がある。「初土俵入」と呼ばれ近年「体育の日」にあわせて10月第2月曜日の祝日に変更されている。山王祭の発祥は安土桃山時代に宮津城が築城され、城下町が形成されるより以前まで遡る。申の日に行われたのは猿が山王の神の使いである神使であることによる。

1.見事な石段参道
クリックすると元のサイズで表示します

2.山王宮日吉神社の大鳥居
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な御神木です!
クリックすると元のサイズで表示します

4.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

5.駒札(画像をクリックすると拡大します!)
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な手水舎の龍です!
クリックすると元のサイズで表示します

7.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
クリックすると元のサイズで表示します

8.見事な樹齢400年の「含紅桜(がんこうさくら」
クリックすると元のサイズで表示します

9.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
クリックすると元のサイズで表示します

10.漱玉亭(そうぎょくてい)跡庭園を望む!
クリックすると元のサイズで表示します

11.淑玉亭跡庭園と山茶花
クリックすると元のサイズで表示します

12.山茶花の上部を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

13.此処からは見事な紺碧の宮津湾が見える!
クリックすると元のサイズで表示します

14.見事な京都府指定文化財の拝殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

15.見事な拝殿と本殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

16.見事な拝殿の扁額!
クリックすると元のサイズで表示します

17.本殿を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

18.本殿の見事な彫刻です!
クリックすると元のサイズで表示します

19.同上  中井権次一党の作と思慮されます!
クリックすると元のサイズで表示します

20.末社の恵比須神社の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

21.恵比須神社
クリックすると元のサイズで表示します

22.末社の杉末神社など
クリックすると元のサイズで表示します

23.赤ちゃん初土俵場
クリックすると元のサイズで表示します

24.赤ちゃん初土俵の動画を見たい方は下記をクリックして見て下さい!
https://www.youtube.com/watch?v=xUF3i3e1LIY

25.山王祭(宮津祭)の動画見たい方は下記をクリックして見て下さい!
https://www.youtube.com/watch?v=5e6VWNi2Hf8
>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/5

丹後を見る!宮津市最古の寺、高野山真言宗の如願寺!  文化財研修記

京都府宮津市宮町73には宮津市最古の寺、高野山真言宗で巖松山・如願寺(にょがんじ)がある。ご本尊は薬師如来で耳薬師とよばれている。創建は万寿元年(1024)、書写山円教寺(現兵庫県)の開祖性空(しょうくう)の甥・皇慶(こうけい)が、行基作の薬師如来を背負って当地にきて伝て尊像安置の有縁地と感得し、この寺をつくったという伝承がある。寺伝ではて行基開創、皇慶中興としている。丹後守護職一色氏の家臣小倉氏から庇護され寺運が隆盛しましたが、一色氏と細川氏との兵火により30余りあった堂宇が尽く焼失したことで衰微します。その後、領主となった細川忠興が天正年間(1573〜1592年)に再興し、寛文12年(1671)に当時の宮津藩主永井尚征が祈願所として庇護し堂宇を再建しています。歴代宮津藩主から庇護されましたが往時程は回復せず数多く擁していた子院も江戸時代には6院のみになっています。現在の本堂は寛文12年(1671)に再建されたもので棟梁は冨田平左衛門尉茂平で当地方に現存する阿弥陀堂建築としては最古級の古さで、宮津富田大工が手掛けたもので年代が明確の建物としては最初期のものとされます。寺宝も多く木造薬師如来立像や木造皇慶上人坐像などが宮津市指定文化財に指定されています。
如願寺の文化財
・ 本堂−寛文12年−京都府指定文化財
・ 仁王門−元禄3年−京都府指定文化財
・ 五輪塔−鎌倉時代−宮津市指定文化財
・ 木造薬師如来立像−平安時代−宮津市指定文化財
・ 木造皇慶上人坐像−鎌倉時代−宮津市指定文化財

1.如願寺川に架かる橋と仁王門
クリックすると元のサイズで表示します

2.見事な仁王門を正面か見る!
クリックすると元のサイズで表示します

3.駒札(賀造をクリックすると拡大して読めます。)
クリックすると元のサイズで表示します

4.仁王門の扁額を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

5.阿形の仁王像
クリックすると元のサイズで表示します

6.吽形の仁王像
クリックすると元のサイズで表示します

7.仁王門から本堂方面を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

8.本堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

9.庫裡を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

10.元の御神木!
クリックすると元のサイズで表示します

11.皇慶(こうけい)像と境内
クリックすると元のサイズで表示します

12.見事な本堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

13.本堂をアップで見る!
クリックすると元のサイズで表示します

14.見事な竜虎の彫刻です!(龍の髭は銅線です。中井権次一党の作ですね!)
クリックすると元のサイズで表示します

15.更に本堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

16.鐘楼を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

17.宮津市最古の阿弥陀堂
クリックすると元のサイズで表示します

18.同上 アップで見ます!
クリックすると元のサイズで表示します

>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/10/1

丹後を見る!京都府随一で日本の滝100選の一つ金引の滝!  文化財研修記

京都府宮津市滝馬には日本滝100選の一つで京都府随一の「金引の滝(かねひきのたき)があります。日本の滝100選の一つ「金引の滝」は高さ約40メートル、幅約20メートルで、一年中豊かな水量を誇る美しい滝です。水は左右に流れて落ち、右側は「男滝」、左側は「女滝」と呼ばれています。下流の「白龍」、「臥龍」の滝とともに「金引の滝」と総称され、水と緑を求める多くの人々に親しまれる憩いの場所となっています。特に夏場は、涼を求めてたくさんの方が訪れています。

1.綾部の安国寺ICから宮津・天橋立ICまで520円です。トンネルが多く海はみ難いです!
クリックすると元のサイズで表示します

2.道は曲がりくねっていますが、標識に従っていくと到着ですが、夏のシーズンは大変混むそうです。金引の滝の標柱です。
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上
クリックすると元のサイズで表示します

4.登り道はかなり厳しいですね!
クリックすると元のサイズで表示します

5.此処から見える険しい谷間です!
クリックすると元のサイズで表示します

6.途中、谷間を覗き下ろした!白竜の滝!
クリックすると元のサイズで表示します

7.途中にある臥龍滝と北向地蔵尊です。
クリックすると元のサイズで表示します

8.臥龍滝
クリックすると元のサイズで表示します

9.北向き地蔵尊など見下ろします!
クリックすると元のサイズで表示します

10.金引の滝!!京都府随一だ!!
クリックすると元のサイズで表示します

11.右側の男滝
クリックすると元のサイズで表示します

12.左側の女滝
クリックすると元のサイズで表示します



>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/9/30

兵庫県丹波を見る!天台宗中本山で丹波比叡と呼ばれる妙高山・神池寺!  文化財研修記

丹波市市島町(いちじまちょう)の東にそびえる妙高山(みょうこうさん)。その山頂近くに天台宗(てんだいしゅう)の古刹(こさつ)、神池寺(じんちじ)がある。神池寺という名前は、この伝説の舞台となった「澄まずの池」に由来する。この池が、山頂近くにありながら、どんな大雨でも日照りでも枯れることがない、という不思議な池であることから、「神の池の寺」と名付けられたという。庫裡の近くには常行堂があり、南北朝期の宝筐印塔が残されている。そこから石段をあがって、門をくぐったところが鐘楼、本堂、仙人堂などがある伽藍の中心地である。神池寺の境内へとつづく車道には、山のかなり下の方に寺域の入り口を示す標柱がある。中世までは広大な寺域の中に多数の伽藍、僧坊が建ち並び、近在の多くの子弟が入寺して繁栄した寺院であったとされていて、その面影を伝えている。しかし神池寺も、丹波のほかの多くの中世寺院と同様に、天正3〜7(1575〜79)年の明智光秀による丹波攻めの中で焼き討ちにあい、大きく勢力を削減されたという。さて、「澄まずの池」伝説を紹介した文献の多くは、鐘突きに来た小僧さんをねらって、澄まずの池から大蛇が登場したとする。また、伝説の結末もお寺では、僧侶の法力によって大蛇が竜になって昇天した、としているという。この神池寺には、「澄まずの池」の他にも、いくつかの歴史にまつわる話が伝えられている。源平のころには平重盛(たいらのしげもり)が参詣し、寺域の北谷に一字一石の法華経を埋納したとされている。その跡とされているのが、境内からやや山を降りたところにある経塚で、今は小さな祠(ほこら)に石の地蔵がまつられ、その脇に宝筐印塔がある。
また、南北朝内乱に際しては、大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう)の命令書が届き、寺の僧兵が京都の合戦に参戦したという。神池寺僧兵の参戦は、『太平記(たいへいき)』巻8にも元弘3(1333)年の六波羅探題(ろくはらたんだい)攻めの中でのこととして記されていて、これは事実と見てよいだろう。また、護良親王が奉納したという鎧(よろい)も伝わっていた。こちらは明治維新のころ、梶井宮門跡(かじいのみやもんぜき)のもとへ貸し出した後、鎌倉に創建された護良親王をまつる鎌倉宮(かまくらぐう)の神体になった。『丹波氷上郡志』(1985年復刻、臨川書店)には、明治2(1869)年に鎧が神体になったときに、政府から神池寺に渡された書類が引用されている。

1.神池寺の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
クリックすると元のサイズで表示します

2.県道571号線から参道は4キロ以上の曲がりくねっており、帰路は要注意です!
クリックすると元のサイズで表示します

3.庫裡とその前の駐車場に車を置き見学開始です!
クリックすると元のサイズで表示します

4.庫裡のすぐ上にある碑文
クリックすると元のサイズで表示します

5.案内板
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な常行堂です!
クリックすると元のサイズで表示します

7.常行堂横のお不動様
クリックすると元のサイズで表示します

8.常行堂横の肩切地蔵堂(妙高山山中に安置されていたが、平成15年6月3日此処に移築された。)
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上 肩切地蔵様の横に安置されている大黒天様
クリックすると元のサイズで表示します

10.常行堂前にある県指定文化財の宝篋印塔(平安時代のもの)
クリックすると元のサイズで表示します

11.石段参道前から常行堂を見下ろす!
クリックすると元のサイズで表示します

12.石段参道前の碑(画像をクリックすると拡大して読めます。)
クリックすると元のサイズで表示します

13.仁王門とその上の石段参道は合計156段もある!!
クリックすると元のサイズで表示します

14.仁王門
クリックすると元のサイズで表示します

15.同上
クリックすると元のサイズで表示します

16.仁王門の扁額を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

17.阿形の仁王像
クリックすると元のサイズで表示します

18.鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

19.慈覚大師手彫りの不動堂
クリックすると元のサイズで表示します

20.鐘楼を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

21.本堂(本尊は千手観音様)
クリックすると元のサイズで表示します

22.本堂横の行者堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

23.本堂と行者堂を見る!
クリックすると元のサイズで表示します


>綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ