2021/1/5

舞鶴市の古社・三柱神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市伊佐津406には古社でご祭神の火産霊神 、奥津比古神、奥津比売神を祀る三柱神社がある。境内には三つの社殿が東に面して並んでいる。真ん中が「三柱神社」向かって左(南)が「粟 島さん」右(北)が「稲荷さん」。江戸末期の加佐郡旧事記に「三宝荒神 村の西田ノ中森ノ 内ニ有リ」とあり、明治になってから「三柱神社」と改名。
粟島社のほこらの中にある天保十一年(1840)の棟札に「粟島」ではなく「淡島明神」と 書かれている。「淡島様」はイザナギ、アザナミ両神の国生みの神話では、一番目に生まれた 「水蛭子」、二番目に生まれた「淡島」。この二つの生命は流産又は死産児の霊で、現在でも 水子地蔵尊が信仰を集めているように、江戸時代には「淡島様」として女性の信仰を集めていた。

1.三柱神社全景
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2.石灯籠と舞鶴100景の標識
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3.手水舎
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4.三柱神社の真正面にある参集殿
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5.参集殿の前に在る大鳥居
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6.正面の三柱神社を見る!
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7.左の粟嶋社
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8.右側の稲荷社
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9.阿形の狛犬
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10.阿形の狛犬をから見ると!
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11.吽形の狛犬
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12.本殿は金網とガラスで覆われて撮影が難しい!
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13.同上
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2020/12/5

京都府与謝野町立古墳公園を見る!  文化財研修記

与謝野町立古墳公園(よさのちょうりつこふんこうえん)は国史跡の蛭子山古墳(えびすやま)と作山古墳(つくりやま)を整備した古代歴史公園です。国史跡に足を踏み入れる!
蛭子山古墳(えびすやま)と作山古墳(つくりやま)は、小高い丘のように、散歩が出来る国史跡です。丘の頂上には、かつてこの土地を納めていた大王が眠っていました。 現在は、展示用に保存されている石棺があります。はにわ資料館は不思議が一杯!はには資料館には、与謝野町内で出土した、埴輪や土器、勾玉などが展示されている。展示時期は、限られているが町内大風呂南古墳で出土し国の重要文化財に指定されている「ガラス釧」などの展示も定期的に行われている。(3年毎に一度)
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名称 与謝野町立古墳公園
エリア 加悦
住所 京都府与謝郡与謝野町明石2341
TEL 0772-43-1992
営業時間 9:00〜17:00
料金 大人300円、小・中学生150円 ※団体割引あり
定休日 3月〜11月は月曜日、12月〜2月は月・火曜日(ともに祝日の場合は翌日休館)、年末年。

1.全ての画像は画面をクリックすると拡大します。与謝野町立古墳公園の案内板。
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2.同上
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3.同上
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4.国史跡の巨大な蛭子山古墳(えびすやま)を望む!
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5.与謝野町立古墳公園の案内パンフレットを見る!
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6.作山古墳(つくりやま)群を見る!
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7.同上
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8.資料館内を見る!撮影可能です。
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9.同上
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10.与謝野町立古墳公園のHPは下記をクリックして見て下さい!
http://www.kyt-net.jp/tangonokofun/

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2020/12/1

京都府与謝町の古寺で臨済宗妙心寺派の梅林寺を見る!  文化財研修記

京都府与謝郡与謝野町字三河内207」に境内を構えている臨済宗妙心寺派で御本尊に釈迦牟尼佛を祀る臨川山梅林寺(ばいりんじ)がある。梅林寺の山門は寛政5年(1793)に建立されたもので、一間一戸、入母屋、瓦葺、二重楼門、正面に棟唐破風、上層部に高欄を廻し、細部には彫刻や組物などが施され、屋根の反りも大きく素地造りながら豪華な意匠です。江戸時代中期に建てられた楼門建築の遺構として貴重なことから与謝野町指定文化財に指定されています。寺宝である銅鐸は弥生時代後期に制作されたもので、大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。1732年比丘尼城跡から2個の銅鐸が発見され、梅林寺に保管されたが、その当時は銅鐸の認識が無く、1個は梵鐘の鋳造に使われたらしい。残る1個がその後も保管され、銅鐸の認識が高まり貴重な銅鐸となっている107cmの高さを誇る日本でも有数の銅鐸で、重要文化財に指定され、京都国立博物館に委託保管されている。


1.梅林寺の見事な石垣や参道を見る!
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2.梅林寺の標柱を見る!
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3.見事な与謝町指定文化財の山門を見る!
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4.山門をアップで見る!
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5.同上
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6.見事な山門の彫刻を見る!
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7.同上
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8.山門を潜ると右手にはお堂が在ります。
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9.本堂手前右側にはお地蔵さんが祀られています。
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10.更に本堂右手の見事な鐘楼を見ます。
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11.鐘楼と与謝町の風景を見ます!
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12.本堂です。
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2020/11/30

京都府与謝町の古社・倭文神社を見る!  文化財研修記

京都府与謝郡与謝野町三河内(みごち)地区には927年(延長5年)編纂の延喜式神名帳に式内社として記載される古社である延喜式神名帳に記載された倭文神社は全国に14あるが、2社が京都府北部の丹後地方にあり、そのうちの倭文神社 (しどりじんじゃ)に与謝郡鎮座について記す。神社そのものと例祭である三河内曳山祭が、それぞれ、2017年(平成29年)4月、文化庁により、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー「日本遺産」の「丹後ちりめん回廊」を構成する文化財のひとつに認定された]。倭文神社(与謝)前記録によって諸説あるが、創建は710年(和銅3年)または712年(和銅5年)とされ、筬村の石崎山に倭文大神が勧請されたのを起源とする。当時、この地域で綾錦を織ることとなったことから、丹後国一宮の籠神社から海部直笑志が勅命を受けて祀り、醍醐天皇も信仰したと伝えられる.981年(天禄12年)に従二位に列し、1223年(貞応2年)に現在地に遷座された。社伝によれば「昔、神の木の下に人々が集い、宝物を祀って、供物を飾り、宝器を鳴らして作付けを占った」と伝えられ、境内からは銅鐸が出土している。古来、三河内の人々の産土神として信仰された。丹後ちりめんに代表される織物は当地の地場産業であり、祭日には近在の村々から麻苧を持った参拝者が群を為したという。近年の修理工事の際に、屋根に1808年(文化5年)に奉納された墨書が見つかっている。古くは神仏習合によって「石崎大明神」あるいは「石崎倭文大明神」等と称されたが、明治初めの神仏分離令により仏教色が一掃され、社号を「倭文神社」に改称した。1907年(明治40年)、幣帛供進神社に指定。1873年(明治6年)に村社に、1944年(昭和19年)11月20日付で府社]となった。年中行事は、府社に昇格した当時は4月25日の春祭りと別に5月1日に奉幣の差遣があり、年2回例祭が執り行われるような形がとられたが、現在は春祭りのみとなっている。2017年(平成29年)、例祭である春祭りこと「三河内曳山祭」とともに、日本遺産「丹後ちりめん回廊」構成文化財のひとつに認定された。祭神と境内社ですが、主祭神は天羽槌雄神で、建葉槌命とも称される。倭文氏の祖先であり、倭文大神と称する氏子もある。天照大神が天岩屋に隠れた際に、高皇産霊神の命を受けて文布を織った神で、機織りの祖神とされる。また武勇の神でもあるとして、ともに武の神である八幡神を信仰対象とする氏子もある。境内社には、府道からいちばん手前の大鳥居の右手に粟嶋神社があり、拝殿に至る境内中ほどの右手に稲荷神社、左手に若宮社がある。

1.倭文神社の大鳥居
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2.神社の駒札(画像をクリックすると拡大染ます。)
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3.地蔵堂を見る!
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4.大鳥居と御神木を見る!
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5.石段参道を上がると社殿を正面に、右手には見事な参集殿が見える!
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6.社殿に向かって左側の倭文神社古墳群の一部を見る!
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7.同上の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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8.右手に在る見事な手水舎や阿形狛犬を見る!
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9.同上駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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10.吽形の狛犬
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11.正面の両部鳥居と見事な扁額を見る!奥に神門が見える!
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12.両部鳥居と粟嶋神社の鳥居を見る!
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13.粟嶋神社を見る!
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14.境内社の稲荷神社を見る!
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15.神門正面を見る!神門は切妻の桟瓦葺で、平入、三間一戸、八脚単層門となっている。
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16.神門の阿形の随身を見る!
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17.神門の吽形随身を見る!
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18.神門を内側から見ると!!
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19.見事な拝殿を見る!
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20.同上 アップで見る!
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21.倭文神社本殿の説明!(画像をクリックすると拡大します。)
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22.拝殿の天井には昔描かれ絵の片鱗がある、又見事な彫刻を見る!
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23.拝殿の見事な彫刻を見る!
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24.拝殿から本殿を覗く!本殿は嘉永年間に一度焼失し、現在の本殿は、社蔵の『歴代記』によれば、1821年(文政4年)に建てられたもので、入母屋造、銅板葺の標準的な一間社です。
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25.左側から拝殿後部と本殿を視る!本殿はガラスで覆われている。
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26.本殿の見事な彫刻を見る!本殿は組物や彫刻が1996年(平成8年)に京都府の文化財に指定された。
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27.倭文神社の祭礼は下記をクリックして見て下さい!
https://matsuri-no-hi.com/matsuri/12620

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2020/11/25

京都府与謝町の出雲大社与謝分詞を参拝する!  文化財研修記

京都府与謝町(与謝郡)三河内(みごうち)146には出雲大社与謝分詞(よざぶんし)があり、久し振りに家内の運転で11月の紅葉を見ると同時に参拝してきました。鮮やかな朱塗りの柱が印象的な貴宝殿に祀られているのは、縁結びの神、大国主大神。万霊がよみがえり、長寿が約束されるとあって、全国各地からの参拝者でにぎわっている。もうひとつの祭神は、切り開いた山自体をご神体にした白雲宮。この奥にある御神水は、この地にわく清水で、万病に効く「御神水」として知られている。

下記をクリックして出雲大社の記事を見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/580.html

1.出雲大社与謝分詞の朱塗りの鳥居を潜ります。
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2.出雲大社与謝分詞の境内図(画像をクリックすると拡大します。)
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3.境内の貴宝殿前の駐車場から結婚式場を見下ろす!
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4.同上
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5.貴宝殿を見る!
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6.貴宝殿に向かって右側にある巌分詞(いわおぶんし、与謝分詞の前身)創設者後藤分詞長様の母上様の像を見る!
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7.同上 と 貴宝殿
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8.貴宝殿を参拝する!!
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9.貴宝殿から境内を見る!
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10.振り返って貴宝殿左側の令和2年の干支のネズミを見る!
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11.振り返って貴宝殿を再度見る!
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12.白雲宮に向かう。
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13.御神水の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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14.御神水
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2020/11/20

兵庫県丹波市春日町の五間社流造りの見事な春日神社を見る!  文化財研修記

兵庫県丹波市春日町野村1810−1には見事な五間社流造りの社殿(県指定文化財)をもつ春日神社がある。主祭神は天兒屋根命(アメノコヤネノミコト)、配祀神は武甕槌命、姫大神、経津主命、天忍雲根命、豊受姫神、菅原道真、品陀別命(タケミカヅチノミコト、ヒメオオカミ、フツヌシノミコト、アメノオシクモネノミコト、トヨウケヒメノカミ、スガハラミチザネ、ホンダワケノミコト)です。天正年間(1573〜)に明智光秀が、保月城の赤井直正を攻めたが、容易に落とすことができないために、当神社に祈って、丹波平定の功が奏することができたなら、そのお礼として七堂伽藍を建立し、報恩の誠を捧げようと、市島町の神池寺に霊代を預け、火を社殿に放った。そして後に神池れらに社殿を建てた。実際には明智光秀の黒井城攻めの時、兵火にかかり焼失したと言う。乱世がおさまった慶長(1596〜)もしくは寛永年間(1624〜)に再建されたと言う。再建は光秀ではないようだ。当地は大和の春日大社の荘園だったことで、春日四座を勧請したのが創祀とされる。当地を春日あるいは春日部と言ったのが現在の春日町の呼称につながった。春部との表現もあったようだ。 1072年に即位した白河天皇の大嘗祭に春日町が献穀を行っており、これを大江匡房が歌にしています。
 けふりたつ はるべの村の いにしへの 難波のみつの 気色こそすれ
 この歌を見ると、王仁が歌ったとされる次の歌。
 なにはづに さくやこの花 冬ごもり 今は春べと さくやこの花
 が思い起こされる。丹波市春日町と難波の古代が突然結びついたような気分。
-この辺りに能舞台があったと言う。文亀時代(1501〜)には、周辺十一村の立合祭礼を行い、能楽の奉納興行を行っていたと伝わる。本殿は五間社流造で屋根を前方に流れを延長してそのまま向拝の屋根としている。昭和52年に県指定文化財となっている。
宮司さんご提供資料から
 創建年代は不詳であるが、古くこの地方は大和の春日神社の荘園であったことから、春日四座ほかを勧請し春日部郷、船城郷(今の春日町のほぼ全域)の惣社として崇敬をあつめていたらしい。
 天正年間明智光秀の黒井城攻めの時兵火にかかり焼失したが、乱世のおさまった慶長もしくは寛永年間のいずれかに再建されたと思われる。(1630〜1650)
 社殿は正面五間、側面二間の五間社造、屋根は桧皮葺き、切妻造で前方の流れを延長してそのまま向拝の屋根とするいわゆる「五間社流造」である。五間社流造は全国的にも珍しく県下では2社をかぞえるのみである。
 母屋の円柱の上端に頭貫(かしらぬき)を通し、出三斗(でみつど)を組んで梁および桁を受け、それぞれ柱間には蟇股(かえるまた)を入れている。側面と背面は横板壁を張って長押(なげし)で締め、正面は引きちがいの格子戸をつけている。
 母屋内部は内陣、外陣に分かれ、さらに内陣は五室に区分し、相殿神(あいどのがみ)を祀る形式をとる。向拝部には6本の面取り角柱をたて、母屋柱とは2本の海老虹梁(えびこうりょう)でつながれている。角柱の上には三斗を組み、柱の裏面に4個の手挟(たばさみ)がみられる。
 側面は、2重の虹梁で三斗組、大瓶束、蟇股を併用し、懸魚(けぎょ)、鼻かくしをつけて妻飾り装飾には意を用いている。また、軒は二軒とし、母屋、向拝とも繁垂木(しげたるき)で屋根には千木、堅魚木(かつおぎ)をおく。なお、細部の装飾手法は向拝部の蟇股には「獅子」「鳳凰」など鳥獣の透かし彫り、母屋正面にの欄間および背面の蟇股にはウメ、ボタンなどの彫刻がみられる。なかでも側面妻飾りの蟇股は一番意匠をこらしている。
 春日庄内の総社であって、その一の鳥居は「松森」にあったと言われ、松森には「鳥居屋敷」と言う跡がある。境内には福神神社「大国主命、事代命」、八坂神社「スサノオノ命」、八柱神社「八柱命、大歳神」、水神神社「ネズハノ命」、竜神神社「ワダツミ命」、明治四十二年六月十日、木寺の八幡神社、コトカ谷稲荷神社を合祀した。天満神社「菅原道真」俗に「塩の宮」と称し、春の祭の日に村民が塩を持参して、身の「よごれ」を取り、身を清めていた。
 
1.春日神社の大鳥居(社殿から300メートル離れている。)
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2.駐車場から紅葉の春日神社を見る!
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3.境内社の一つ
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4.石造り大鳥居と春日神社
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5.同上
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6.社殿の右側の手水舎などを見る!
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7.社殿の左側の社務所などを見る!
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8.正面五間、側面二間の五間社造、屋根は桧皮葺き、切妻造で前方の流れを延長してそのまま向拝の屋根とするいわゆる「五間社流造」の社殿を見る!
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9.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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10.五間社流造りの本殿を少し左側から見る!注連縄も見える!
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11.本殿前から境内うぃ見る!
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12.見事な五間社流造りの本殿を視る!
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13.見事な本殿の彫刻や側面二間の五間社造の彫刻を見る!
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14.阿形の狛犬
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15.吽形の狛犬
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16.最後にもう一度側面を見る!
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17.最後にもう一度正面上の彫刻を見る!
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2020/11/10

兵庫県丹波市市島町の見事な古社・鴨神社を見る!  文化財研修記

兵庫県丹波市市島町梶原533−1には御祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る古社の見事な鴨神社(かもじんじゃ)があある。創建は賀茂鼎主真蓑(かもあがたぬしまみの)にかかるとの口伝があるが不詳である。応永28年正月吉祥日(1421)「再造鴨大明神社殿」の棟札があり、禰宜(ねぎ)賀茂鼎主径良の名が記されている。天正7年(1579)明智光秀の丹波攻めにより兵火にか々り、社殿ほか一切を焼失。現在の本殿は延宝8年(1680)に、拝殿は文化8年(1811)に再建されたものと伝えている。詳細は「鴨神社の由緒」をクリックして読んで下さい。

1.柏原の中井権次の彫刻のある一の鳥居
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2.石に彫り込まれた天然記念物の駒札
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3.鴨神社の正面・随身門から100メートル以上離れた所にある一の鳥居と天然記念物の大イチョウを見る!樹高20メートル、幹周6メートルもある。
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4.石造り鳥居と社殿を見る!
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5.鴨神社の由緒(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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6.右から、見事な手水鉢、阿形の狛犬そして、随身門
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7.左から山門、吽形狛犬、随身門
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8.左側の随身門の木造り吽形随身を覗く!右側の阿形随神は在りません。(盗まれたか?)
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9.随身門の正面をアップで見る!
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10.随身門を潜って左側の土俵、奥には摂社下鴨神社が見える!
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11.拝殿正面から奥の本殿も見える!
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12.拝殿正面をアップで見る!
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13.祝詞殿(幣殿)を覗く!
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14.拝殿の天井の絵馬(丹波市指定文化財)を見る!
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15.同上
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16.拝殿を左側から見る!
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17.拝殿後部にある本殿を視る!
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18.御神木の巨木・カナメモチの木
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19.本殿を覗く!
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20.本殿右側の八幡神社を見る!
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21.御神木のカナメモチの木
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22.同上 
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23.遙拝所
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24.摂社・厳島神社
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2020/8/5

舞鶴市の古社・延喜式内社の論社である笶原神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市紺屋29番地には『延喜式神名帳』にある「笶原神社(丹後国・加佐郡)」に比定される式内社(小社)の論社である笶原神社(やはらじんじゃ)がある。「やぶじんじゃ」「神明さん」「えばらじんじゃ」「えみはらじんじゃ」などとも称されている。笶原とは「ヤブ」とも訓で但馬の養父(養父神社)と同義で、「ヤブ」は「ウブ」すなわち初生(ウブ)が源。壬生(ミブ)、禰布(ミフ)、養父(ヤブ)の神はいずれも太古よりの土着神生えぬきの神社であり、一帯であるという。『倭姫命世記』にあるトヨスキイリビメが巡歴した「吉佐宮」の伝承地の一つで、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の前身とも言うべき、元伊勢の一つ。その他に、「吉佐宮」の候補としては、いずれも京都府内に皇大神社(福知山市)、真名井神社(丹後国一宮・籠神社の奥宮。宮津市)、竹野神社(京丹後市)がある。御祭神は、天照大神、豊受大神、月夜見神。創建は不詳。慶長年間(1596〜1615)に領主だった細川家が再建した。寛文年間(1661〜1672)、牧野家入国以前は地元の人々による崇敬が厚く、栄えた。その後衰退した。本殿は裏山の顕仁親王(後の第75代崇徳天皇<1119〜1164)の書という忠魂碑後方の山上にあるというが、氏子の紺屋町内約七十世帯の手では管理が行きとどかないため、御神体を下の拝殿に移した。山上の本殿は明治36年(1903)の建物だが、荒廃にまかせているという。本来は愛宕山山頂の、今の愛宕神社の地にあったと思われる。
鳥居には「総社笶原魚井匏宮」と書かれた大きな神額がある。字は清仁親王(第63代冷泉天皇の子、実際は第65代花山天皇の子。約1000年前)書と伝えている。尚、式内社「笶原神社」の論社は、市内野原八幡町の天満宮(天満神社)、与保呂の日尾池姫神社がある。また、淡路国三原郡にも同名の式内社がある。

1.笶原神社全景
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2.社標と鳥居
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3.鳥居(「総社笶原魚井匏宮」と書かれた大きな神額がある。字は清仁親王(第63代冷泉天皇の子、実際は第65代花山天皇の子。約1000年前)書と伝えている。しかし、読めない!
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4.手水舎と駒札
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5.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
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6.拝殿を見る!
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7.拝殿をアップで見る!
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8.拝殿内陣を覗くと!
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9.拝殿の後方には朱のお堂と朱の稲荷神社がある。
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10.朱の稲荷神社をアップで見る!
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2020/8/1

舞鶴市の大物主神を祀る金刀比羅神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市新町には大物主神(おおものぬしのかみ)を祀るか金刀比羅神社(こんぴらじんじゃ)がある。新町、西町はその昔は旅籠町とも呼ばれていたが、今でも道筋には当時の雰囲気が漂っています。南には愛宕山が迫り、妙に狭くて入り組んだ道筋は東の田辺城へと続いています。道筋の右側に浄土寺の寺号標とその先に赤い鳥居が見えて来ます。石の明神鳥居(1921年)、参道の正面に社、参道脇に二社が祀られ、鳥居前には金刀比羅神社と刻まれた石燈籠(1932年)が建てられています。道筋から鳥居をくぐると、左に手水舎、その先に赤い鳥居が二つ並ぶ社、右手に流造の社。参道の石段を登ると金刀比羅神社の社殿が在ります。右の社は弁財天で、日本三大弁財天(​竹生島​の都久夫須麻神社、宮島の厳島神社、江の島の江島神社)の江の島から勧請された様です。小さな社ですが木鼻には彫がされ、中には美しいふくよかな弁天像が祀られているようです。この金刀比羅神社は新町構いで、その始まりは江戸時代にまで遡ると云われています。讃岐国(現在の香川県)金刀比羅宮を本宮とする金刀比羅信仰は、江戸時代に非常に盛んになり、海運救助、商売の守護神として全国に勧請されました。嵐に翻弄され、あわや船が沈むその時、金刀比羅さんの御幣が降ってきて助けて頂けると信じられていたそうです。金刀比羅神社の玉垣の寄進者に吉原町の漁師達の名が多く刻まれ、厚く信仰されていた事が分かります。明治29年(1896)の山崩れで社殿が被災、昭和6年(1931)に再建されたのが今の社殿です。

1.金刀比羅神社の銘のある石灯籠と鳥居を見る!
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2.左側の手水舎と稲荷神社
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3.石造り鳥居をアプで見る!
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4.右側の弁財天堂を見る!(左側に本殿が見える。)
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5.左側の稲荷神社と本殿を見る!
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6.右側の弁財天堂を再度見る!
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7.本殿を見る!
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8.本殿の扁額と彫刻を見る!
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9.本殿の彫刻を見る!
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2020/7/25

舞鶴市の朱塗りの鳥居と社殿を持つ玉岡稲荷神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市字西71番地には正一位稲荷大明神を祀る玉岡稲荷神社(たまおかいなりじんじゃ)がある。見海寺に北隣し、すぐ西には松林寺があり、北西には見樹寺がある。南東方向には笶原神社があるが、その間にも、浄土寺・妙法寺、金刀比羅神社が密集する。田辺城の西にあたることから西町と呼ばれるようになったこの地域は現在、舞鶴市街地中央部にあたる。神仏混淆時代(明治)以前には次回掲載する浄土寺の管轄で在った。宝珠と巻物を加えた神孤の像が安置されている。社頭に設けられた鈴は、見事な音色でその清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています。【ご利益】家内安全、大漁満足・五穀豊穣。

1.玉岡稲荷神社の社号と朱塗の明神鳥居
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2.朱塗りの鳥居の扁額は玉岡神社と記されています。
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3.朱塗りの第二、第三鳥居と1対の神狐像(宝珠と巻物を咥えています。)
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4.朱塗りの第二、第三の鳥居と右側のタブの巨木を見る。
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5.本殿とタブの巨木を見る!
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6.タブの巨木を見る!
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7.お堂があるが祭神は不明。
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8.本殿を見る!
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9.本殿の扁額と見事な音色の鈴を見る!
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10.本殿内陣を視る1

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11.参拝口を振り返って見る!
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