2012/7/24

坂尾呂の里マップ 図書紹介   図書紹介

鳥垣渓谷を遡上し樹木の名札をつけるシデ登山行事に参加しました。
  http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1416.html 
 http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1418.html
 鳥垣渓谷を整備する会会長:桜井克彦氏からいただきました資料です

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坂尾呂の里マップ

坂尾呂の里(馬場先)
 この丘は、地元では「馬場先」と呼ばれてきました。その名称の由来は不明ですが、
 ○古墳時代に、古代の人が馬に乗ってこの場所にある古墳を見守っていた。
 ○戦国の昔、この丘で武将が馬に乗って周囲の状況を監視していた。
 ○坂尾呂神社で飼育されていた馬のトレーニング場であった。
   などと想像して昔を偲ぶのも楽しいものです。
 また、この丘には、サクラやツツジが咲き、由良川の支流である上林川や国宝二王門が
ある君尾山(582m)、あやべ温泉などが望め、四季折々の田畑の様子が眺められる絶好の場所で、茶摘みやワラビ探りが楽しめます。

坂尾呂神社
 鳥垣・有安・山内・草壁・古屋の氏神で、須佐之男尊を祭神とする。
天正年中(1573〜1591)焼失のため、創立その他は定かでないが、現在の社殿
は寛政十一年(1799)に若狭日置村の彦兵衛の手によって改築されたものである。
 神社には室町時代(1457)作の木造随身倚像(2躯)がある。

古墳
 この地域は古墳(古墳時代=三世紀半ば〜七世紀末)の宝庫で、坂尾呂の里(馬場先)
には南北に4基の古墳が並んでいる。そのほか、坂尾呂神社の周囲には4基、小野田川
沿いには6基の古墳がある。

城跡のある山
 この丘からは、長野城址、山内城址、有安城址がある山が眺められる。

鳥垣渓谷
 奥深い山々から流れ出る小野田川の上流では、変化に富んだ美しい渓谷が探索できる。
坂尾呂の里の東側を流れる草壁川の上流を訪ねると、大岩の滝(落差50m)に出会う。
                                       \
蘇った茶畑
 昭和30年頃、この丘を開墾して茶畑が造成されたが、まもなく栽培が中断され、丘
は荒廃した。近年に至ってサクラやツツジを植栽するなど、この丘の整備を進めてきたと
ころ、ここに半世紀前に植栽された茶畑が蘇ってきた。

馬場先の 上やわらかし あちこちに
       お茶の葉っぱの ゆたかな緑   吉岡嘉代子

平成21年度京都地域力再生プロジェクト支援事業
和み合う坂尾呂の里づくり推進事業  鳥垣自治会(綾部市睦寄町)

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2011/9/19

シデの思い出 坂尾呂の里・鳥垣渓谷からシデの山へ 図書紹介  図書紹介

スキー仲間の舞鶴市在住のふじもと様からこの冊子の紹介をいただいた。
シデの思い出作文集「シデ山の思い・・・小川真次氏」のなかに出てくる「小学校の頃には、木下先生と十人位でシデの山へ遊びに行き、スキーをしながら舞鶴の海が見えた事とか・・・」に関連して、今回京都府体育協会功労賞を受賞された木下實綾部市スキー協会会長(銀嶺会会長)のことだろうかとの質問だった。

この件と冊子入手までの経緯については別途記録します
http://nbcayabe.blog34.fc2.com/blog-entry-719.html

昨年出版された四方英生先生の「上林七里野」のなかに含まれる上林谷の鳥垣集落、坂尾呂の里であるが、△大栗(681.4m)ー大栗峠シデ山頂(731m)上林峠ー△中津灰(748.1m)と続く綾部市境稜線に位置しているので登ってみたい。

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坂尾呂神社の森の向こうにシデの山(731m)を望む
平成23年3月13日 鳥垣自治会 編者:桜井克彦(平成22・23年度 鳥垣自治会長)
〒623-1131京都府綾部市睦寄町鳥垣6
農林水産省 平成22年度子ども農山漁村交流プロジェクト対策交付金事業

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坂尾呂の里・鳥垣渓谷からシデの山を訪ねる

第一章 シデの思い出作文集より抜粋写真
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きれいな大きな荷をもって ヤスミト手前にて
「茅かきの思い出(昭和30年代後半の頃)・・・桜井和成氏の思い出に挿入

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昭和35年 火の渦を巻いて燃え下がるズンド平原
「炎と平原と海」・・・熊内久志氏の思い出に挿入

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鳥垣渓谷1番目の滝(おりと)
まだ見ぬ谷や山へ・・・小川美子様の思い出に挿入

第二章 坂尾呂の里
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古墳 綾部市資料館調べ

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綾部温泉の上林川対岸、坂尾呂の里からシデ山頂(731m)綾部市境周辺のマップ

第三章 カヤ畑焼きの記録
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昭和35年 かや畑焼き スナップ集より抜粋

第四章 村茅に関する綴り
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茅頼母子(かやたのもし)鳥垣区 カヤを保管している様子
屋根の葺き替え作業の様子

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シデの山名 カヤ(茅、萱) 主にイネ科草本の一群

坂尾呂神社についての取材ブログは下記をご覧ください
須佐之男命を祀る古社・坂尾呂神社の秋祭り1〜4
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/921.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/922.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/923.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/924.html
上林谷の文化財を求めて
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/483.html
坂尾呂神社
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/sakaoro/sakaoro.html


2010/12/9

六波羅蜜寺仏像と六波羅探題 図書紹介など  図書紹介

綾部の文化財を守る会の来年秋の研修旅行予備調査「仮題:建仁寺と六波羅蜜寺の国宝と文化財を訪ねて」に村上会長、泉副会長、四方事務局長に同行しました。建仁寺で京都散策愛好会:渉外担当の田中雅章様と合流してご案内いただきました。

田中雅章様には今秋の研修旅行「南禅寺と智積院の国宝と文化財を訪ねて」においても1号車のガイドとしてお世話になった方です。建仁寺、六波羅蜜寺ともに大型観光バス2台の駐車場がなく、参加者一行の乗降の場所から見学先の交通路調査、記念写真撮影場所などの課題が解決出来ました。

来秋に行うこの研修旅行のために、お世話になる京都交通観光バスの行程スケジュールが出来ており、午後から六波羅蜜寺に行きました。
ここでは国宝秘仏のご開帳が行われており、「十一面観世音菩薩立像」などたくさんの仏像を田中雅章様の解説を聞きながら拝観できました。
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有名な「空也上人像」と「夢見地蔵像」など沢山の国宝・重文を宝物館で拝観しました。勿論写真撮影は禁止でしたが、地元の書店でこの2躯の重文が載っている図書を見つけましたので紹介します。

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一度は見ておきたい仏像100選 全図像 著者:瓜生 中 発行所:(株)静山社
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空也上人 六波羅密寺 重文
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地蔵菩薩(夢見地蔵) 六波羅密寺 重文

またガイドいただいた田中雅章様に「六波羅探題」のことをお尋ねし、丁寧に教えていただきました。
WIKIPEDIAを借りて、私の忘備録としてここに採録します。

六波羅探題(ろくはらたんだい)は、鎌倉幕府の職名の一つ。承久3年(1221年)の承久の乱ののち、幕府がそれまでの京都守護を改組し京都六波羅の北と南に設置した出先機関。探題と呼ばれた初見が鎌倉末期であり、それまでは単に六波羅と呼ばれていた。
概要
承久の乱の戦後処理として、後鳥羽上皇方に加担した公家・武士などの所領が没収され、御家人に恩賞として再分配された。これらは、それまで幕府の支配下になかった荘園で、幕府の権限が及び難い西国に多くあった。再分配の結果、これらの荘園にも地頭が置かれることになった。また、幕府側は、朝廷方の動きを常に監視し、これを制御する必要が出てきた。
そこで、朝廷の動きをいち早く掴める白河南の六波羅にあった旧平清盛邸を改築して役所にし、北条泰時・北条時房の二人が六波羅の北と南に駐留してこの作業にあたり、西国の御家人を組織し直して京の警備・朝廷の監視・軍事行動などを行わせた。これが六波羅探題の始まりである。
探題は執権・連署に次ぐ重職とされ、伝統的に北条氏から北方・南方の各一名が選ばれて政務に当たった。探題には北条氏一族でも将来有望な若い人材が選ばれる事が多く、鎌倉に帰還後には執権・連署にまで昇進する者が多くいた。また、その下には引付、評定衆などの鎌倉の組織に準じた下部組織なども置かれた。
六波羅探題は、朝廷では無く幕府の直接指揮下にあり、西国で起きた地頭と国司などのトラブルを処理する裁判機能、京都周辺の治安維持、朝廷の監視、皇位決定の取り次ぎなどを行った。更に文永の役翌年の建治元年(1275年)には六波羅探題の機能はさらに強化され、御家人処罰の権限と裁判制度が充実された。
一方で、権限に伴う実際の強制力は十分とは言えなかった面もあった。時には有力寺社への処分を行った担当官吏が、当時力をつけていた僧兵の圧力により流刑などの処分を受けるという事態も起きており、例として寛喜元年(1229年)に不法を働いていた延暦寺傘下の日吉社の神人が、探題北方北条時氏の配下三善為清の制止命令を無視し為清の部下に斬られた件がある。これについて延暦寺が幕府に抗議をし、六波羅探題は為清主従に過失がなかった証拠を提示したが、幕府は延暦寺との対立を避けて為清を流刑にしている。
また、幕府から直接派遣された“東使”と称される特使が朝廷との直接交渉や探題への指揮の権限を与えられる事例もあり、その権限は常に幕府中枢によって掣肘を加えられていたと言ってよい。そのため、その事情をよく知る者の中には六波羅への赴任を嫌う者もいたと言われる。
元弘3年/正慶2年(1333年)に後醍醐天皇の討幕運動から元弘の乱が起こると、令旨に応じた足利高氏(尊氏)や佐々木道誉・赤松円心らは京を攻めた。これによって当時の探題であった北条仲時らは京を追われ、六波羅探題は消滅した。その跡地は現在京都市立六原小学校になり、近隣には六波羅蜜寺が存在する。


2010/10/28

上林七里野  図書紹介

「上林川を美しくする会大会に参加」で紹介のあった「上林七里野」執筆・編集:四方英生氏 写真・校正:引原英男氏」を綾部市前市長:四方八洲男氏よりいただいたので紹介する。

 21世紀は自然への回帰、ふるさと再発見の世紀でもある。寺社、城壁にまつわる歴史と波多野鶴吉翁をはじめとする七里野の人々。霧と雪と深い山、そしてゆるやかな上林川が育んだ物語の数々。四方英生先生の愛郷の労作「上林七里野」を手にして上林街道を歩きたい。そんな衝動に駆られるのは私だけだろうか。 四方八洲男(前綾部市長)

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表紙カバー
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目次 寺社の栄枯盛衰・・・
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綾部市最古の河牟奈備神社

図書のお求めは、綾部観光センター(八津合町縄手1)0773-54-0002 にお申し込みください。

関連記事;
綾部市でもっとも古い歴史の式内社・河牟奈備神社創建1300年祭が実施された!は、ここをクリックしてご覧ください 四方八洲男綾部市長(当時)の来賓写真もあります


2010/6/26

平城京遷都1300年祭に関して石田則明氏の奈良時代の第4冊目の著書「奈良時代にはこんな事が」  図書紹介

去る6月10日綾部市文化協会主催の「平城京を見る研修旅行」23名参加でハイデッカーマイクロバス(大型バスと同じ幅)で日帰りで見学・研修に行ってきた。当日は大変良すぎるあたかも夏の如く灼熱の日であった。田所会長は麦わら帽子持参で、是が正解。小生は通常のトレッキング用の帽子で熱くって着ていられなかった。処で、小生は平城京は過去3回、藤原京は1回徒歩で1人で行っているので事前勉強は無しでぶっつけ本番の参加であった。綾部出身の小生の2年先輩の石田明美さんのご主人が奈良時代に関して、4冊目の著書「奈良時代にはこんな事が」1,890円(税込み)を(株)栄光出版社で出して居られ、常時利用の綾高前の「スバル書房DVレンタル」で注文して於いたが間に合わなかった。17日に漸く届いたので、4冊平行読みで漸く読み終わった。誠に素晴らしく一言主大神(ひとことぬしおおかみ)の言葉で74年間の奈良時代について正史「続日本紀」(しょくにっぽんき)を元に順を追って明瞭に解説・説明の本であった。尚この本は山崎善也市長が綾部市図書館に1冊寄贈されていると思いますので借りて読んで下さい。尚「綾部の文化財を守る会」会員諸氏は事務局の四方へご一報頂ければお貸しします。平城遷都1300年祭は4月24日から11月7日まで継続されるので是から見学に行かれる方、又は行かれた方にも是非この本を読んで頂きたくここに、掲載します!尚小生のよく利用している本を2冊紹介します。

1・石田則明氏の奈良時代に関しての第4冊目の著書「奈良時代にはこんな事が」
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2.新聞の書評
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3.石田則明氏略歴
1966早稲田大学院 理工学研究科 修士過程終了
1966日本電信電話公社(当時)
1991(株)日立製作所
1999早稲田大学院 国際情報通信科 教授
2003無線システム研究所代表 工学博士
「第44第元正女帝は保養によく「養老の滝」へ行きました。改元して「養老年」を詔しています。養老の滝は下記をクリックして見て下さい!
養老の滝(元正女帝行幸地)
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/313.html
平城京遷都1300年祭は下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/854.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/855.html
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/856.html

「歴代天皇100話」監修:国学院大学教授 林睦朗、出版社(株)立風書房
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「京都の禅寺散歩」元花園大学文学部教授(綾部市出身)竹貫元勝(小生の綾部高校の恩師の竹貫純一先生の甥)
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2010/5/27

あやべ特別市民を募集しています  図書紹介

人・街・里が輝く 市民都市 綾部
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制度とは?
綾部市役所秘書広報課 〒623-8501 綾部市若竹町8番地1 電話:0773-42-3280
FAX:0773-42-4406
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あやべ特別市民になって「あやべ」を応援してください。


2010/5/26

近畿自然歩道 弥仙山  図書紹介

綾部市の聖山、丹波富士と呼ばれることもある弥仙山(664m)のパンフレットをもらった。

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近畿自然歩道・・採らずに撮ろう弥仙山・・山菜の宝庫、神仙の山
弥仙山三社大祭・山菜まつりの様子は下記をクリックください。
 http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/825.html

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弥仙山の見どころ: 於与岐八幡宮、栖龍寺、水分神社、於成神社、金峰神社、弥仙水、修練の滝、大岩
伝承:水分神社子授け伝説、改心の道の由来
主な山野草:アケビの花、エンレイソウ、ラショウモンカズラ、エイザンスミレ、イチリンソウ、キンラン、シャガ、ササユリ、ハナイカダ、センブリ、リンドウ、フユイチゴ
地方の方から一言:野瀬井石夫、吉崎孝典氏


2010/4/21

お不動さんは帰って来ない 楞厳寺盗難仏画(重要文化財)  図書紹介

楞厳寺の日限地蔵尊大祭の取材にいくと参詣者受付で盗難にあいドイツで見つかった重要文化財の「不動明王三童子像」の返還を願って署名運動が行われていた。資料をいただいたので下記に要約を記載する。

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1998年(平成10年)8月12日(水)毎日新聞記事
ひと・社会・ニュースがわかる
深層 お不動さんは帰って来ない
盗難重文と韓国国宝の酷似問題
1995年に指定された韓国の国宝『大般若経』3巻が、長崎県・壱岐の寺から盗まれた日本の重要文化財と酷似している問題で、文化庁は外務省を通じ、同一物かどうかを確かめるための協力を韓国政府に要請している。盗難美術品が海外に流出した可能性があるとして、日本政府が他国に協力を求めることは極めて異例だが、実は類似のケースが過去に一度だけある。そのてん末を追った。(磯崎由美 写真も)

 過去にもあった 類似のケース
「入間の手で何ともならんのなら、お不動さんに「帰りたい」とでも言ってもらうしかないでしょうなあ」

京都府綾部市の高野山真言宗・楞厳寺。ヒグラシの鳴き声が染み入る庫裏で、為広哲堂住職(65)は、1枚の仏画の写真に目を落とした。
1911年から12年にかけて寺に保管されていた重要文化財(当時の国宝)の仏画「不動明王三童子像」が何者かに盗まれた。当時の住職は仏画を箱に納めて本尊のわきに置き、毎日拝んでいた。ある時、箱を開けると中身は空っぽ。盗難時期が絞り込めないこともあって捜査は難航、事件は迷宮入りとなった。

それから80年余りたった94年5月のある夜。為広住職は書庫の整理中、ドイツのケルン東洋美術館所蔵作品集を見ているうち、偶然開いたページの写真に目がくぎ付けになった。盗まれた仏画を複製した写真を本のわきに並べた。紙が折れて絵の具がはげた場所まで同じだった。

 住職からの通報を受け、文化庁は確認作業に乗り出した。ケルン市側に協力を求め、職員が現地で調査。仏画は盗品と同一だとわかった。だが記録をたどると、仏画を同美術館に寄贈したコレクターが京都の古美術店で購入したものだった。

 結局、@盗まれて80年以上もたっており、日本の法律に照らしても所有権はケルン市にあるA寄贈者は盗品と知らず購入した善意の第三者・・・などの理由から「返還は無理」との結論になった。ドイツの法律でもケルン市側が返す義務はない。

 それでも「相手の善意によって将来戻ってくる可能性はゼロではない」と重要文化財の指定は解除されていない。

 結局「不動明王三童子像」は二つの国の法律で保護されるいう奇妙な事態に陥った。中略

 昨年ケルン東洋美術館は日本で所蔵作品展を開いたが「不動明王三童子像」は出品されなかった。中略

 為広住職のもとに最近、現地在住の檀家を通じ、ケルン東洋美術館の館長から手紙が届いた。「仏画は現在オランダで補修中。今年中にはケルンに戻るので、ぜひ住職に見に来てほしい」と書かれていた。

 住職は「無事に立派な美術館に保管されていてよかった」と感謝する一方、「仏画は単なる美術品ではなく、多くの信者が心のよりどころとしてきたもの。いつか戻る日が来るかもしれない」とかすかな期待をつないでいる。

京都の仏画 独の美術館に
綾部・楞厳寺 80年前被害
「返還は無理」

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「仏画はケルンに預けてあるつもり」複製の絵を手に、文化財返還への思いを語る
為広哲堂住職=京都府綾部市の楞厳寺で


2010/1/27

グラフ綾部  図書紹介

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GRAPH・AYABE・2010 綾部たて・よこ グラフ綾部
綾部市観光協会(観光写真コンテスト入賞作品)(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
 写真提供:梅原 隆・佐藤徹郎氏 A4版36ページ
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目次
「綾部たて・よこ」ありふれた景色がとっておきの一枚になります。・・・
 特集 由良川 上林川 八田川 犀川
 あやべ歴史回廊
 平和への祈り
 笑顔に出会う都市 インタビュー
 あやべ彩々
 綾部市全図


2009/12/7

歴史街道浪漫・横峠  図書紹介

12月6日(日)催された歴史街道・横峠越えで資料として素晴らしいパンフレットをいただいたので紹介します。出版:山家今昔写真の会、〒629−1263綾部市鷹栖町後田32山家公民館内 製作:アイデア工房ぱらだいすトマト(奥平晃己・大西順子)執筆:川端二三三郎氏
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歴史街道浪漫 横峠
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田辺の殿様も私たちの祖父母も通った
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田辺藩の京街道     
 横峠は郡内の山家郷と八田郷をつなぐ連絡路としては古くから利用されていたが、広く京都と丹後田辺を最短距離で結ぶ要地として注目されるようになったのは近世初頭のことである。
 天正10年(1582)本能寺の変直後、豊臣秀吉は明智光秀を打ち破って丹波国を蔵入り地とし、子飼いの谷衛友を山家に配置して丹波・丹後国境地帯の警備を委ね、前年から丹後制圧に腐心していた細川幽斎・忠興父子を支えさせた。関ケ原の戦い後、田辺の領主は京極氏(十二万石)・牧野氏(三万五千石)と交替したが、細川氏以来の城下町としての位置には変わりがない。京街道沿いの鳥居野では細川氏が京街道のつけ替えを行ったという伝承がある。梅迫が内谷の出村から町場に急成長をとげたのも、梅迫谷氏陣屋の設置とともに京街道の発達によるところが大きい。

タグ: 歴史 



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