2019/4/19

京丹波を見る!全国の安国寺の筆頭である綾部市の安国寺!  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)安国寺町寺の段1番地にある「景徳山 安国寺 臨済宗東福寺派」は文化財の宝庫です。国重文4点、京都府指定文化財2点、京都府登録文化財2棟、綾部市指定文化財1点があります。又、綾部随一の紅葉の名所で知られ、例年11月の第3土曜日に「安国寺もみじ祭り」が催行されます。今年は11月18日(土)がこの祭り日です。近畿自動車道舞鶴・若狭道の「安国寺IC」を降りると、足利尊氏公の銅像があり、無料の駐車場もあります。大型バスの駐車場からは歩いて3分です。尚、当日は午前11時からセレモニー開始で、紅葉に加えて、有名な位田高城(いでんたかしろ)太鼓午前11時20分〜、琴と尺八は村田社中で午前10時〜午後3時まで演奏、野点・もちつき、模擬店も「うどん、弁当、ジュース、ビール、酒、あんもち、あべかわ、やきいも、地元産品等」が販売されます。滅多に見られない国の重要文化財「木造釈迦両脇侍坐像」が無料で公開され、藤本住職が案内されます。尚、この安国寺は、正歴4年(993)ころに地蔵菩薩を本尊として、開創されたと伝えられ、もとは光福寺と称した。建長4年(1152)勧修寺重房が上杉荘を賜り、これより「上杉」を姓とするようになった。その「上杉の姓」は関東管領から、かの越後国の上杉謙信公に引き継がれたことは、ご承知と思う。その後、嘉元3年(1305)足利尊氏公の生誕によって当寺は上杉氏・足利氏の尊崇を受けるようになった。歴応元年(1338)足利尊氏公は夢窓疎石の勧めによって、元弘の戦乱以降に亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるため、国ごとに安国寺・利生塔(りしょうとう)を建立するにあたり、光福寺を丹波の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においた。康永元年(1342)尊氏公は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して安国寺の始祖とし、多くの寺領を寄進した。それ以降、塔頭(たっちゅう)16、支院28を有する大寺院であったが、江戸中期に至るまでの間に、大半の寺領は押領されて、塔頭・支院は減少したが、いまなお多くの重要文化財、府・市指定文化財,重宝等を蔵する名刹である。3月の早春の安国寺を訪れた記録です。

1.綾部安国寺の標識(各画像をクリックすると拡大します。)
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2.石段参道に向かって左側には「足利尊氏公の産湯の井戸」があります。その駒札。
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3.同上
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4.石段参道の向かって左側には巨大な石灯籠があります。
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5.石段参道と京都府登録文化財の山門がみえます。
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6.綾部市指定文化財の宝篋印塔(境内東側に3基が並び、左から上杉清子、足川尊氏、赤橋燈子の墓碑塔と伝えれれている。安国寺文書には2代将軍・足利義詮が、尊氏及び夫人燈子の遺骨の一部を安国寺に納めた御教書がある。尊氏公のものは延文2年(1358)6月29日、燈子のものは貞治4年(1365)7月16日の日付けで、共に、「先年帰依之由緒」により当寺に奉納するとしている。
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7.同上 駒札
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8.境内の京都府指定文化財の仏殿・方丈・庫裡
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9.同上 駒札
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10.京都府登録文化財の山門・鐘楼
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11.駒札
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12.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1842.html



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2019/4/16

兵庫県丹波を見る!朝来市にあるi天空の城・竹田城2−2!  綾部の文化財

兵庫県の北部(但馬)の朝来市には竹田城跡がある。。縄張りがが虎が臥せている様に見えるところから、別名虎伏城(とらふふすじょう、こがじょう)と呼ばれる国の史跡である。また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことから、「天空の城」]や「日本のマチュピチュとも呼ばれる。雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっている。東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。
天正7年(1579)5月、秀長は信長の命令で明智光秀支援のため竹田城から丹波へ攻め入ったが、秀長は竹田城に戻らず播磨に引き上げたと考えられ、毛利方の太田垣輝延が間もなく竹田城に入城した。翌天正8年(1580年)4月、再び信長の命により秀長が6400兵を引き連れ但馬攻めを開始すると、竹田城、有子山城はさしたる抵抗もせず降伏した。山名祐豊、太田垣輝延はその座を奪われ、山名氏と四天王と呼ばれた太田垣氏による支配は完全に終焉をむかえ滅亡した。秀吉は秀長を有子山城主に、秀長配下の武将である桑山重晴を竹田城主にそれぞれ命じた。桑山重晴は後に和歌山城に転封となり、替わって但馬出石城に前野長康、付将として豊岡城に明石則実、八木城に別所重棟、そして秀吉に投降した龍野城主斎村政広が竹田城の城主となる。この斎村政広によって現在の竹田城が完成される。
関ヶ原の戦い
最後の城主である斎村政広は関ヶ原の戦いでは西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めるも、西軍方は敗戦した。このため東軍の亀井茲矩の誘いに乗る形で鳥取城攻めに加わり落城させる。しかし城下の大火の責任を問われ、東軍の盟主であった徳川家康の命によって、慶長5年10月28日(1600年12月3日)鳥取の真教寺にて切腹。
政広の居城であった竹田城は家康の命により 山名豊国が受取りを務め、入城した。
その後江戸幕府の方針により、竹田城は廃城となった。
昭和以降
1932年(昭和7年)、出口王仁三郎により大本の布教を兼ねた登城のために南登山道が教団の財力と影響力を使って整備され、10月18日に登城している。
1943年(昭和18年)9月8日、「史蹟名勝天然紀念物保存法」に基づき、国の史跡に指定される。
1989年(平成元年)11月、文化庁の許可を得て、角川映画『天と地と』のロケーションが行われた。城跡には製作費3億円を投じて、天守閣、大手門、塀等のセットが建設された[5][6]。また2003年に映画『魔界転生』でも城をセットに原城を再現した上、ロケ地として使われた。
006年(平成18年)4月6日、日本100名城(56番)に選定された。2005年度の来客数は一年間で33,000人だったが[2]、100名城への選定で知名度が上がり、雑誌やネットのニュースサイトなどでも雲海に浮かぶ竹田城の画像がたびたび報じられ話題になるようになった[2]。
2012年(平成24年)に高倉健主演映画『あなたへ』でもロケ地として使われた。妻となる田中裕子がここの「天空の音楽祭」で宮沢賢治の「星めぐりの歌」を歌う。最後には「天空の城」の情景が映し出される。2012年度の来客数は238,000人に達し、翌2013年度は4月から9月の上半期の来客だけで22万人に達した。2013年(平成25年)3月27日、朝来市議会で入城料を徴収する条例が可決した。数年で訪問者が急増した事により整備・管理の負担が増えたことによるもの。徴収開始は2013年10月からの予定で高校生以上は300円、中学生以下は無料となる。冬場の閑散期の12月11日から翌年3月19日までは対象外となる[7][8]。また観光客増加に伴い、石垣の一部が崩落する危険性も高まっている[。登城者が増加したことに伴い迷惑駐車なども増加したため通行規制を行っている]。2013年(平成25年)11月、第20回全国山城サミットが再び朝来市で開催される。前回は第1回の幹事町として平成6年に開催。(全国お城ふぇすたin朝来も同時開催)2013年(平成25年)12月、GoogleのCMで竹田城跡が取り上げられることにより、爆発的に観光客が約60万人に激増する。2014年(平成26年)から安全性・史跡保護を考慮して冬季は全面入城禁止になった[14][15]。同年11月、朝来市が国に無許可で国史跡である竹田城跡の登山道の拡幅や付け替え工事を進めていたことが発覚し、文化財保護法に違反しているとして県教委が工事の中止を指示した。観光客の増加により見学区域の制限なども行ったが土砂の流出で地面の浸食などの問題が発生している。2015年(平成27年)8月28日現在、応急的に地面保護のマットを敷設、木杭とロープで区切った観光ルートが整備され、2016年(平成28年)3月、2013年から修復のため立ち入り禁止になっていた天守台周辺整備が終了し、全面公開が再開された。
歴代城主
太田垣光景(1443年(嘉吉3年) - 1465年(寛正6年))
太田垣景近(1465年(寛正6年) - 1479年(文明11年))
太田垣宗朝(1479年(文明11年) - 1521年(大永元年))
太田垣宗寿(1521年(大永元年) - 1538年(天文7年))
太田垣朝延(1538年(天文7年) - 1570年(元亀元年))
太田垣輝延(1570年(元亀元年) - 1577年(天正5年)?)
城代・羽柴小一郎長秀(秀長)(1578年(天正6年) - 1580年(天正8年))
桑山重晴(1580年(天正8年) - 1585年(天正13年))
赤松広秀(斎村政広)(1585年(天正13年) - 1600年(慶長5年))
城郭
虎臥城見取図
竹田城は、険しい地形にありながら、曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ総石垣の城郭である。山頂に築かれた城郭としては最後の近世城郭にあたる。縄張りなどから類推して近世初期と考えられる。竹田城は山名宗全がこの地に城を築くよう命じ、羽柴秀長が新しく縄張りを行い、その後の赤松広秀が文禄のころより豊臣秀吉の支援を受けながら、壮大な城へ仕上げたものと考えられている。
安土城のような大規模な石垣構造をもち、虎口は枡形を有する。尾根の最高所に本丸を置き、その正面に天守台がある。本丸から三方向にのびて、北千畳曲輪、南千畳曲輪、花屋敷曲輪という大きな曲輪群を有している。面積は18,473m2にも及ぶ。石垣は穴太流石積み技法で、豊臣時代の山城に代表される遺構である。『ひょうごの城紀行』によると「竹田城は赤松広秀が三十代後半の働き盛りに築いた城ということになろう」としている。竹田城の特徴のひとつとして、北千畳曲輪、南千畳曲輪、花屋敷曲輪の3つの曲輪群の標高が331mとほぼ同じ高さに作られている。本丸の標高は351mになるので標高差は20mとなる。このことより、平面構成だけではなく立面構成にも高度な計算がなされ3つの曲輪群が計画的に配置されている。櫓の総数は天守を含め20基前後が推定されている。Wikipediaより抜粋。

1.乗合バス第二駐車場から徒歩で登山口へ。(画像をクリックすると拡大して見えます!)
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2.途中から見る武田城址の巨大な石垣に囲まれた虎口近くを見る!
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3.同上
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4.武田城址の巨大な虎口
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5.虎口の巨大な石垣
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6.虎口からの遠望!
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7.石畳から明石方面を見る!
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8.明石方面を見る!
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9.朝来市内方面を」見る!
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10.同上
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11.北千畳曲輪方面を見る!!
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12.同上
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13.本丸・天守台方面を見る!
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14.天守台址から見る南千畳曲輪を見る!
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15.天守台近くから南千畳曲輪方面を見る!
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16.花屋敷曲輪方面を見る!!
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17.花屋敷曲輪から徒歩での下り方面を見下ろす⁉
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18.武田城址を徒歩で降りた所にある駒札!画像をクリックすると拡大して読めます!
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19.同上
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2019/2/20

京を見る!(最終回)後水尾天皇の皇女・多利宮を開基として創建された尼寺門跡の霊鑑寺!  綾部の文化財

京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町12には臨済宗南禅寺派門跡尼寺(出家した皇女が門跡となる寺)燦号は円成山・霊鑑寺(れいかんじ)がある。 霊鑑寺は、谷の御所とも呼ばれれ江戸時代初期の承応3年(1654)に、後水尾(ごみのお)天皇の皇女、浄法身院(じょうほうしんぐう)宗澄(そうちょう)を開基として、円成寺跡に創建。その時、後西天皇の旧殿をもらい受け たとされ、表門、玄関、書院、居間は、江戸時代の姿を今に観ることができる。明治時代まで皇女・皇孫女が住持、継承されてきた。宗諄(そうじゅん)女王が明治24年まで住持されていた寺です。境内の庭は回遊式庭園。後水尾天皇遺愛の三十数種の椿で知られている。寺院内部は拝観できたが、一部撮影禁止で、見たかった恵心僧都作と云われる如意輪観音像はお寺のパンフレットを見るのみでお姿は隠れて拝観できなかった。

1.霊鑑寺秋の特別展を見る!山門を見上げる!
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2.駒札
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3.山門
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4.参拝入口
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5.同上
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6.見事な襖絵
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7.庭園へ
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8.見事な回遊式庭園を見る!
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9.同上見事な紅葉!
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10.同上
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11.同上
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12.見事な庭園の一部
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13.同上
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14.ご本尊の如意輪観世音菩薩様
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15.駒札
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16.再び回遊式庭園を屋内から見る!
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17.同上
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18.同上
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19.同上
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20.同上
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21.同上
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22.再び本堂内を見る!見事な襖絵です!
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23.春の特別展で見事な椿を見たい方は下記をクリックして見て下さい!
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2018/11/6

京丹波を見る!平成の修理を終えて京都府北部唯一の国宝・光明寺の二王門が見事な姿を現した!  綾部の文化財

光明寺二王門(国宝)
 寺伝では白鳳八年(680)の建立としている二王門は昭和25年からの修理によって鎌倉時代の建築であることが確認されました。修理は永年風雪に堪えて来たため大破寸前の状況で解体修理が行われました。その結果、上層背面中央の左柱に「宝治二年戊申」の墨書銘と一重天井板に転用されている棟札を発見し、仁治三年(1242)着工し、建長五年(1253)竣工した様子で、宝治二年(1248)を建立年としています。修理に伴い発見されたものに順礼札があります。これは木札で、納め札とも言いますが、現在では紙札で霊場参拝の印とするものです。この他に中世の「のみ」や仁王像彩色の記録板などがありました。又、門の修理年代を知ることができ、永正十三年(1516)、享保十四年(1729)、安政六年(1859)の三回であることがわかりました。  昭和27年10月竣工をとげた二王門は、三間一戸(柱間三、戸口一)二重門、入母屋造、栩葺(とちぶき)で、昭和29年国宝に指定されました。今回の修理において京都府教育委員会の見解は「建築としての二王門」@「二重」の門は珍しい。二重であることは、建物の格の高さを表す。現在、本山などの大きな門にみられる。光明寺よりも府歩い遺構は、法隆寺中門(飛鳥時代)のみである。A二王像を奥に安置し、前に床が張られている。Bとち葺き屋根=厚板を重ねて葺く屋根・葺き材はクリ材・厚さ2.4cm、長さ75cm。・24cmずつずらしながら葺き重ねている。C建物本体に使われている木材・スギ・非常に上質な材を,木目に沿って割って製材。・建物当初の材がよく残っていある。と、ポイント@からCで表現されています。

1.平成30年11月6日(火)午後1時20分撮影の修復されたニ王門
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2.正面から見た二王門
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3.駒札
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4.阿形の二王像
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5.吽形の二王像
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6.11月6日(水)内覧会で挨拶される光明寺住職の楳林誠雄師
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7.同上  修復工事の経過を説明される京都府教育委員会文化財保護課の担当者
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8.光明寺と京都府北部唯一の国宝・二王門いついてより詳しくは下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1685.html

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2018/10/21

京丹波を見る!綾部西国観音霊場第31番札所で吉田元陳の描いた襖絵34面を持つ上林禅寺!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」八津合町(8つの村が合併し、やつあいちょうとなった。)村中には臨済宗南禅寺派の永龍山・上林禅寺(じょうりんぜんじ)がある。綾部西国観音霊場第31番札所であり、山門脇の枝垂れ桜も見事ですが、江戸後期の京都の画家・吉田元陳の描いた本堂の襖絵34面(綾部市指定文化財、合寺前の永勝寺に描いたもの。)が有名です。綾部西国観音霊場31番札所としても知られていますが、地名を寺名としたこの上林禅寺(上林地区の上林)は稀です。永仁元年(1293)の開創以来この地にあった大龍寺と、慶長6年(1601)に混流された永勝寺とが、昭和42年に合寺したのがこの上林禅寺の起こりです。永龍山という今の山号もそれぞれの寺名から一字づつとられたものです。永勝寺は、信長、秀吉に仕え、晩年6千石で上林庄に封じられた藤掛永勝(ふじかけながかつ)の菩提のため建立されたものでした。今のご本尊の聖観世音菩薩像は元、この永勝寺に祀られていたものです。

1.山門の見事な桜
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2.満開の桜
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3.弁財天像
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4.ご本尊の聖観世音菩薩像
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5.江戸時代後期に京都の画家・吉田元陳の描いた襖絵34点(綾部市指定文化財)の一つ。
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6.同上
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7.同上
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8.同上
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9.下記をクリックして「動画」で襖絵を見て下さい!
https://youtu.be/mPjKLcXy1ZU

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2018/10/16

京丹波を見る!臨済宗南禅寺派の一等寺院の梅林山・玉泉寺の文化財!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡いかるがぐん)」武吉町(たけよしちょう)50に臨済宗南禅寺派の1等寺院(1〜3等にわかれている。)の「玉泉寺(ぎょくせんじ)がある、この寺のご本尊は釈迦・文殊・普賢菩薩の三尊像を祀る。梅林山と号し、慶長6年(1601)能登山獄峰禅師の開創といわれています。この三尊もさることながら、如来堂があり、中には昭和63年4月1日に綾部市指定文化財となった素晴らしい「木造大日如来像」像高90.8センチメートルで、この像は元は武吉町の深山にあった薬師寺に祀られていたが、天正の頃、明智光秀が丹波攻めの時、福知山城を築く時寺の建物を壊し運んだため、村人が諸仏を移し庵に祀ったと「丹波誌」に記された像であり、それから今日まで「大日講」より守られてきた。寄木造りで上半身は平安時代末期の様相をもったつくりで、膝が扁平であり、襞の彫の形式化などがみられ、鎌倉後期のものと言われる。又、昭和50年9月11日綾部市指定文化財となり保存の関係上、京都国立博物館に寄宅してある、「紙本淡彩墨画白衣観音図」を綾部市資料館から提供して頂いたので掲載します。白衣観音は「菩薩の心は白処に住す」と云われるように15世紀頃から頭から布をかむりきわめて実人物的に描かれており、観音の中でも、最も女性的な優しさが表現されています。この図は京都の臨済宗東福寺派本山東福寺に住した、画僧明兆の弟子・霊彩の描いたもので、室町時代中頃のものである。粘りのある線で描かれ、人物が画面に対して小さく、周囲に景色がはいり山水画に近い趣がある。


1.玉泉寺の山門と本堂
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2.見事な境内です!
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3.本堂に掲げられた本山・南禅寺の長老の揮毫です!
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4.本堂に祀られたご本尊・釈迦三尊像です。
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5.境内にある大日如来堂の綾部市指定文化財の木造大日如来坐像(鎌倉時代、像高90.8p、昭和63年4月1日指定)
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6.紙本淡彩墨画白衣観音図(室町時代、縦93.1pX横37.7p、昭和50年9月11日綾部市指定文化財、京都国立博物館寄詫中)
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7.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
http://ayabun.net/bunkazai/annai/gyokusen/gyokusem.htm

http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1699.html
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2018/10/11

京丹波を見る!見事な府指定文化財の本殿や名彫刻師・中井権次一統の彫刻のある八津合八幡宮!  綾部の文化財

綾部市(何鹿郡いかるがぐん)八合町西屋64には、京都府指定文化財の「八津合八幡宮」がある。本殿は、文化12年(1815)江戸時代時の城主・藤掛(ふじかけ)永恵が再建した。一間社としは規模が大きく、特に丹波・丹後に多くの建築彫刻を残す、第5代中井丈五郎橘正忠と第6代目中井権次橘正忠貞(この6代目から権次を名乗り、現在その子孫は宮津氏在住です。)作の龍の彫刻ある。本家は徳川家康公召し抱えの京都大工頭の中井正清氏で江戸城、駿府城、名古屋城、二条城、仏閣では日光東照宮、久能山東照宮、知恩院、増上寺などを手掛け、そのお墓は京都市の長香寺に大名をもうわまる巨大なお墓がある。その一族が柏原八幡宮の再建を切っ掛けに柏原に在住したと云う。その「丹波の名彫刻師」として江戸時代の中頃から昭和初期にかけて、丹波、但馬、丹後、播磨などの寺社仏閣に龍や霊獣の等の数々の彫り物の作品を残した。

1.京都府決定文化財平成3年4月19日「八幡宮文化財環境保全地区」
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2.見事な京都府指定文化財の両部鳥居
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3.綾部の文化財を守る会作成の駒札
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4.大鳥居から拝殿方面を見る!
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5.手水舎
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6.二の両部鳥居
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7.拝殿を見る!
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8.二の鳥居前の阿形の狛犬
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9.吽形の狛犬
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10.巨大な石灯籠
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11.拝殿内陣
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12.拝殿後部と本殿を右側から見る!
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13.見事な本殿虹梁の中井一統の彫刻
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14.木鼻の霊獣です!
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15.同上
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16.拝殿後部と本殿
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17.秋祭りの記事は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2379.html


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2018/10/6

京丹波を見る!京都府北部唯一の国宝の建築物・光明寺の二王門平成の修理が10月完了!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」奥上林区睦寄町には京都府北部における唯一の国宝の建築物「光明寺の二王門」がある。寺伝によると聖徳太子(574〜622)の開創、その後天武天皇の白鳳元年(673)役行者(小角)修験練行の道場とし、醍醐天皇の延喜年中(900年頃)醍醐寺開祖である弘法大師(774〜835)の御孫弟子にあたる聖宝理源大師(832〜909)が秘教の大道場として中興されたといいます。
 
国宝光明寺二王門修復の経過と今後                  
綾部市資料館長 三好博喜
 平成二十八年度から始まった光明寺二王門修復工事も最終年度を、迎え、間もなく二王門の威容あるその姿を目にすることができます。前回、昭和二十五年から二十七年にかけての修理では、建物をすべて解体し、根本的な修理を済ませています。昭和の修理から六十五年がたち躯体自体に大きな問題はありませんが、屋根板の痛みや塗装の剥落が進みました。今回の修復では、屋根板の葺き替えと塗装の塗り替えを行いました。
 平成二十八年度は古い屋根板を取り除きました。署名のあるクリ板もあり、前回の修復に寄進された方々と思われます。平成二十九・三十年度はクリ板を葺き上げる作業です。厚さ二・四p、長さ七十五pのクリ板を、二十四pずつずらしながら葺き重ねています。板と板との間には薄い銅板を挟みこんでいます。屋根の隅の部材は曲線にあわせて削りだしていて、手の込んだ作業です。
 塗装の作業は、古い塗料を掻き落とす作業から始まりました。下地には膠(にかわ)と明礬(みょうばん)の水溶液である礬水(ドウサ)を塗ります。保存されていた古材を調べたところ、赤色塗料が「ベンガラ」だと確認できました。 昭和の解体修理の際に取り替えられた部材は塗りの乗りもよく、若々しく見えます。一方、古材は丸みを帯びて年輪が浮きだし、塗りの凹凸が武骨に見せます。これらが相まって歴史を積み重ねた文化財としての重厚さを感じさせています。 平成の修復工事が終わりを迎えるところではありますが、次回の修復に向けて心がけておきたいことがあります。
 文化財としての価値を周知し、市民の皆さんに誇りを感じてもらえる二王門とするとともに、親しみのある観光資源として広く、一般に開放していくことです。

京都府北部の唯一の国宝の建造物の二王門
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また、光明寺仁王門を含めて「光明寺境内全体」が京都府暫定登録文化財に指定されています。

光明寺の詳細は下記をクリックして見てください!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1699.html
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修復のため覆われている二王門です!!
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2018/10/3

京丹波を見る!綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の東山町にある浄土宗の天然寺!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の東山町吹越34−3には阿弥陀如来をご本尊とする浄土宗総本山知恩院派の雲向山・天然寺がある。「山家史誌」によると、本尊阿弥陀如来(長さ一尺七寸坐高三尺四寸)観音、勢至両立し、三尊は安阿弥の作といわれている。地蔵菩薩、十二神は享和二年(1802)春四国浄蓮が再興し、七月二十四日に開眼した。閻魔王は谷道立が再興。寛弘年中(1004〜12)京都比叡山横川恵信僧都、諸国行脚のときに当山に庵室を建て、自ら薬師如来の尊像数体を造って「薬師院」と称した。寛永(1623〜44)の初め頃、二代藩主谷衡政公、浄土宗の僧乗蓮真誉上人に帰依し一寺を建立して雲向山天然寺といった。そして真誉を開基とした。祠堂の田畑高七石を与えた。本堂五間半に四間半、庫裡三間に五間、門行三間横二間、鐘楼一間半四方、薬師堂三間に、地蔵堂は一間半四方子安地蔵と名づけ小野篁の作といわれている。明治十三年六月町の大火により焼失したが、余じんに胎蔵と錫杖を発見し収納した。同年再建した。と記されています。

1.天然寺表示
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2.登り参道
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3.登り参道脇の六地蔵様
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4.本堂への参道
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5.本堂を見る!
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6.本堂の扁額を見る!
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7.本堂前から見る東山町の光景
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2018/10/1

京丹波を見る!綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の橋上町にるある丸山神社!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の橋上町(はしがみちょう)丸山17には大房天王(おおふさてんのう)と斎神(いつきのかみ)を祀る丸山神社(まるやまじんじゃ)がある。創建等の由緒は不明。旧社格は村社。大房天王および斎神を祀り、明治以降は両社を「大房神社」「斎神社」と称したが、大正7年(1918)に合祀して現在の社名に改称したということです。大房天王と斎神についての詳細は不明です。低山の頂に開けた台地状の境内に本殿と境内社2社が祀られています。手水鉢には明和6年(1769)の銘が刻まれている。

1.丸山神社の大鳥居
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2.大鳥居をアップで見ます。
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3.登り石段参道
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4.境内社の一つ
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5.覆屋とその中の本殿
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6.阿形の狛犬
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7.吽形の狛犬
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8.覆屋の中の本殿を見る!
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9.駒札
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