2019/7/4

京丹波を見る!綾部のアジサイ寺とも呼ばれる東光院の風鈴まつり!  綾部の文化財

京都府綾部市上延町の寺院・東光院で「綾部あじさい風鈴祭り」が開かれ、本堂前につるされた700個の風鈴が涼味を誘っている。風鈴は直径7センチほど。本堂前にやぐらを設け、つるした。アジサイは今月初旬から薄紫や白の花を咲かせ始め、約2500株が見頃を迎えた。そよ風が吹くと、境内一帯に涼やかな風鈴の音が響き、参拝客がアジサイとの共演を楽しんでいる。 アジサイは来月初旬ごろまで、風鈴は9月4日まで楽しめる。松井真海(しんかい)住職(60)は「庫裏で冷茶の接待もあるので、ゆっくり過ごして涼んでほしい」と話している。拝観料は高校生以上300円でお茶のサービスもある。東光院の由縁は東光院は、高野山真言宗に所属する古刹で、菅谷山法隆寺東光院と号し、本尊は薬師如来をまつる。寺伝によると天武天皇の白鳳二年(673)理趣仙人によって開創され、七堂伽藍を備えた寺院であった。寛弘二年(1005)聖楽上人が中興し、坊舎二十一坊を備えて隆昌したが、応仁の乱につづく延徳の兵乱(位田の乱)の兵火で焼失し、更に明暦年間にも火災にあって炎上した。 当寺に残されている大般若経は、平安時代から室町時代に書写された、大般若経の残巻で約三十巻あり、最古のものは、仁平二年(1152)奥書があり、又他にも志万庄法隆寺(巻第五〇)奥書のあるものもあって、当時は法隆寺と呼んでいたことがわかる。この写経は、丹波における平安時代の写経事業を伝える数少ない遺巻であり貴重である。又、経櫃懸子は、杉板製漆塗で、長方形、底は浅板張りで、内面と底面に漆書、墨書があって延徳二年(1490)頃の位田の乱に岡町木曾殿神社の焼失の事が記録されている。

1.参道の横にアジサイが満開(令和元年6月18日撮影)
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2.見事なに二王門!
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3.二王門をアップで見る!
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4.阿形の仁王像
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5.吽形の仁王像
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6.参道両側は見事なアジサイが満開です!
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7.小川のアジサイを見る!
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8.十六羅漢の池
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9.見事なピンクの水連と!
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10.東光院を見上げる!
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11.本堂を見上げる!
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12.700個の風鈴と本堂を望む!
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13.庫裡の受付
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14.拝観料300円でお茶菓子とお茶がサービスです!
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15.庫裡の中の襖絵!(長井一禾の四季の鴉(襖絵)
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16.庫裡に祀られている仏像!
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17.見事な本堂の須弥壇です!
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18.庫裡の前の案内札
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19.風鈴の原型です!(寺の屋根に飾られていた物です!魔除!)
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20.庫裡の次間に飾られていた「地獄絵の襖絵」
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2019/5/30

古都奈良を見る!国宝の極楽堂と僧坊、五重小塔を持つ元興寺!  綾部の文化財

奈良県奈良市中院町11には一般には極楽坊とも呼ばれて国宝の極楽堂と僧坊、五重小塔のある真言律宗の元興寺(がんこうじ)がある。この寺は前身は6世紀末蘇我馬子によって開かれた法興寺(飛鳥寺)でしたが、平城遷都に伴い今の地に移転され名も元興寺と改められました。かつては南都七大寺の一つとして威勢を振い、現在の奈良市街の南東部を占めていました。広大な寺域には、金堂・講堂・塔・僧房などが立ち並んでいましたが、平安時代半ば、その勢威も衰えてしまいました。現在では僧坊の一画が唯一現存しています。極楽坊はかつての元興寺僧坊の一部で、鎌倉時代に極楽堂〔国宝〕と禅室〔国宝〕に改築されました。中世以来庶民の信仰を集め、境内から無数の石仏と民俗資料が発見されています。法輪館には奈良時代の木造五重小塔〔国宝〕木造阿弥陀如来坐像・智光曼陀羅図・庶民信仰資料〔各重文〕などが多数保存されています。

1.元興寺の標柱(石碑)
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2.東門(国重文、もと東大寺の西南院の門を室町時代に移築したもので、堂々とした本瓦葺きの四脚門です。)
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3.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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4.国宝の本堂(極楽坊)
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5.本堂内部(須弥壇)を見る!
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6.駒札と元興寺講堂礎石(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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7.同上
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8.収蔵庫(内部には国宝の五重小塔(実際の塔のを10分の1に縮小したもので5.5メートルもあり、塔の建築構造が良くわかる。内部は撮影禁止で残念です。)」
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9.駒札と浮図田の一部
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10.浮図田と右側にあるのは国宝の僧坊
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11.もう一度本堂と裏側にある国宝の僧房を見ます。
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2019/5/18

京丹波を見る!平成30年度京都府暫定登録文化財の本殿を持つ室尾谷神社!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(もといかるがぐん)」中上林地区五津合町(いつあいちょう)寺内109には平成30年度京都府暫定登録文化財の本殿と同府登録文化財の木造随身坐像(2駆)を持つ室尾谷神社(むろおだにじんじゃ)がある。御祭神は珍しい大国主命の孫姫の五十鈴依姫命(いすずよりひめのみこと)であります。創立年代は定かでないが社伝によると其の昔、大町村と畑川村あたりの字、阿須伎(あすき)にの地に祀られていたという。昌秦(しょうたい)時代の頃(898〜901)上林谷総鎮守として阿須々伎神社と号し、二村の氏神として崇敬されていた。京都の源平合戦の保元(ほげん)乱の頃(1156〜59)、丹波、若狭の領主蔵持丹波守が要害形勝の地であるウスキに居城を築き臼井城と称して当神社を守護神としていたとの言い伝えがあります。承久3年(1221)の乱で戦火を被り、困って翌年の貞応(じょうおう)元年(1222)に阿須伎の地から畑川村遊里部落の字、室尾谷に遷祀した後、室尾谷明神と称した。正和2年(1313)大洪水があり、社殿の損害を被り同年10月少し社殿を移し現在の地に再建された。天正10年(1583)明知光秀が丹波攻めの時には丹波地方の多くの講社寺を焼失させたが、当社に対してはその威光を恐れてか難を免れた。当地方の武将の間には当社は特に崇敬されていた。正徳5年(1715)2月3日宗源正一位の位官を拝し、神部伊岐宿弥が奉務した記録があります。安永8年(1779)社殿を改築し現在に至る。尚昭和14年(1939)に拝殿のみが新築されている。主な境内社には高森神社「御祭神は代43代元明天皇(女帝)で有名な歌「青丹よし 平城の京 咲く花の におうがごとく 今さかりなり」があります。その他、倉稲魂、菅原道真、大山祇命、火産霊神などです。
福田筆頭宮総代様より受け取った記録を抜粋一部修正したものです。

1.室尾谷神社の案内板
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2.室尾谷神社の大鳥居の手前の宮橋
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3.室尾谷神社の一の大鳥居
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4.二の鳥居の手前の巨大な常夜灯
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5.二の鳥居の左手前の稲荷神社
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6.二の鳥居を見る!奥に三の鳥居がg見える。
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7.鬱蒼とした参道
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8.三の鳥居
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9.駒札
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10.御神木のスギ
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11.三の鳥居と四の鳥居と拝殿が見える!
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12.拝殿とその裏の本殿(平成30年度京都府暫定登録文化財に指定)を右側から見る!
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13.拝殿をアップで正面から見る!
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14.京都府の平成30年度暫定登録文化財に指定された本殿(撮影が難しいので拝殿の中から撮影した本殿正面)
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15.室尾谷神社の裏山から見た本殿、拝殿、舞台
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16.本殿裏山にある境内社で元明女帝を祀る高森神社
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17室尾谷神社の見事な秋祭りを下記をクリックして見て下さい動画も入っています。
その1
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/512.html
その2.

https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1492.html


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2019/5/15

京丹波を見る!国登録有形文化財の大本・綾部本部の見事なみろく殿!  綾部の文化財

京都府綾部市本宮町本宮下1番地には宗教邦人・大本綾部本部があり昭和28年(1953)築の国登録有形文化財の見事な弥勒殿(みろくでん)が在ります。平成27年(2014)4月25日に指定されました。鉄骨造及び木造平屋建一部地階付、銅板葺、建築面積1950平米の見事な神殿1棟です。桁行50メートルを超す大建築で、入母屋造妻入とし裳階を廻らす。西面に間口10メートの入母屋玄関を構え、背面に張出す大神殿周りも入母屋屋根を重層させる。主構造は鉄骨造だが木材で化粧して木造に見せ、広大な広間に格天井を張る。壮大な規模の神殿です。
大本ーおおもと 大本は明治25年(1892)に綾部で開教した。全宇宙を創造された主神を到仁愛(みろく)の大神と仰ぎ、三千世界を立替立直して、「みろくの世」の実現を目的とする。そのため、信仰のまことをつくして神業に奉仕し、万有一体、万教同根の実践につとめることを使命としている。大正10年と昭和10年の大弾圧をこえ、昭和21年(1946)に再発足して、平成4年(1992)に開教100年をむかえた。綾部の梅松苑と亀岡の天恩郷を根本聖地とし、梅松苑は天国に相応する祭祀の中心地、天恩郷は霊国に相応する神教宣布の中心地で、大道場と諸活動の機関がおかれている。大本の教えとは 教旨=神は万物普遍の霊にして 人は天地経綸の主体なり 霊体合一して茲に無限の神徳を発揮す 三大学則=1、天地の真象を観察して真神の体を思考すべし 2、万有の運化の毫差無きを視て真神の力を思考すべし、3、活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし、四大綱領=1、祭ー惟神の大道 2、教ー天受の真理 3、慣ー天人道の常 4、造ー適宣の事務 四大主義=1、清潔主義 心身修祓 2、楽天主義 天地惟神の大道 3、進展主義 社会改善の大道 4、統一主義 上下一致の大道 であります。
(大本本部発行の大本百年のあゆみから抜粋、次回の大本教については順次掲載して行きます。)5月5日は大本みろく大祭でした。所要があり、全てには参加出来ませんでしたが主たる所を掲載します。

1.威容を誇る見事な神殿です。
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2.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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3.梅松苑の案内図(画像をクリックすると拡大した図が見れます。)
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4みろく殿を真正面に見る!
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5.みろく殿を斜めから見る!
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6みろく殿内部8(一般見学者の方は大本綾部本部の許可が必要です。)
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7.同上
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8.左の額は出口直初代教主様、真中は出口王仁三郎聖師様、右は2代目出口すみ子教主様
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9.大本事件で打ち壊された建物の模型です!
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10.神木エノキとみろく殿
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11.元屋敷(出口なお開祖の屋敷跡、大本発祥の地)
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12.大八洲神社を参拝する人々「おおやしまじんじゃ、三千年の長い間、この世を蔭から守護されていた坤(ひつじさる)の金神様を祀る。
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13.沓島(めしま)神社・冠島(おしま)神社を参拝される人々「大正3年舞鶴市の沖の冠島(かんむりしま)又は竜宮島から移写した神社。
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14.大本塩釜神社「安産守護の神として伊邪那岐命・伊邪那美命・乙米(おとよね)姫命を祀る。
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15.木の花庵(国の重要文化財)「京都府船井郡瑞穂町(現在合併し丹波町)質志に建っていた岡花金五郎氏の住宅を移したもので、昭和47年国重要文化財に指定された江戸時代前期(17世紀後半の庄屋の屋敷」
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16.長生殿の一部(平成4年11月完成の木造の見事な神殿。)
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その他。弥仙山・大本教については下記をクリックし、鍋師理事の「丹の国・綾部」を見て下さい。
http://www.nbcayabe.com/ayabe.htm


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2019/5/10

京丹波を見る!京都府指定文化財の阿須々伎神社と志賀の七不思議!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」志賀郷地区(しがさとちく)金河内町東谷1番地には京都登録文化財の阿須々岐阜(あすすぎ)神社本殿と摂社の大川神社本殿があります。また、京都府登録無形文化財の秋の祭礼芸能や文化財環境保全地区の状況を掲載します。
志賀の七不思議と「茗荷さん」の縁起
 今からおよそ1400年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は国の中心勢力を固めるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王はおおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。
 また志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「向田:後の篠田」の五つの社を厚く信仰されたということです。
 親王の子孫、金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」向田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。
 この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。
 なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として今に語りつがれています。
その奇瑞  阿須須伎神社=金宮大明神の「茗荷さん」
 毎年旧暦の正月三日になると、日の出より8時までの間に、清水の流れる「お宝田」から茗荷が3本出るのです。
 これを神前に供え、その茗荷の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占い、またその年の作物の出来具合い、風水害、かんばつまでも占います。
 この神事は、今も新暦の2月3日に「茗荷祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは「ミョウガさん」として親しまれています。
 参拝者には、この占いの写し(お宝付きの写し)と魔除けの矢、甘酒、お餅などがふるまわれます。
 是非一度お詣りください。 志賀郷公民館

1.阿須々岐神社の案内板(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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2.阿須々神社の参道(狭いので要注意です。)
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3.巨大な自然石の常夜灯
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4.阿須々岐神社の巨大な木製の両部鳥居と文化財環境保全地区
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5.同上 背後の山と一体となった鎮守の森にはシイやカシにまじりスギやヒノキの高木が混じって
いる。文化財環境保全地区に指定され、鬱蒼とした森と神社です!
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6.石造りの台輪鳥居(二の鳥居)
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7.秋の大祭では「百射の神事」行われた後、行列が練り込み、祭礼が始まる。舞殿では子供による
奉納芸能が始まる。(詳細は下記を」クリックして見て下さい!)
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8.百射の射場!!
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9.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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10.駒札
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11.拝殿
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12.拝殿後部と本殿を見る!
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13.本殿を右側から見る!(上手く撮影出来ない。)
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14.摂社で京都府登録文化財の大川神社本殿
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15.同上の駒札
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16.本殿の裏側には稲荷神社があります!
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17.駒札
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18.同上 母樹林
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19.2月3日の「茗荷さんの神事」は下記をクリックして見てください。
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/980.html

20.10月10日の秋の大祭での「子供の奉納芸能」は下記を」クリックして見てください。
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2327.html

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2019/5/10

二王門の金剛力士立像が国の重要文化財に認定されました。  綾部の文化財

君尾山の光明寺は、聖徳太子が創建したとされる歴史ある寺院。この寺の山門「国宝:二王門」は、現存する二重門のなかでは、法隆寺中門、東大寺大門に次ぐ国内3番目の古さです。
国宝の門の中に国宝または重要文化財の像が安置されているのは、国内で4ヶ所のみです。(京都府では初めてです)東大寺南大門、法隆寺中門、金峯山寺仁王門、光明寺二王門。

二王門 国宝:二王門は棟札によると、1242(仁治3年)12月着工、1253(建長5年)9月竣工。
上下二層に屋根を持つ二重門で、門の中でも最も格式が高いとされています。

編集中・・・

光明寺の金剛力士像の作者は

編集中・・・


綾部の指定文化財
http://www.ayabun.net/bunkazai/sitei.htm

光明寺二王門(国宝)
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/komyo/komyo.html

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府道1号線から綾部温泉に向かい、真っ直ぐ登りつめると光明寺二王門の駐車場に着く。
光明寺に上がる参道があり遊歩道になっている。二王門までは遠くない。

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国宝:光明寺二王門のこま札

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修復の済んだ国宝:二王門
寺伝では白鳳八年(680)の建立としている二王門は昭和25年からの修理によって鎌倉時代の建築であることが確認されました。修理は永年風雪に堪えて来たため大破寸前の状況で解体修理が行われました。その結果、上層背面中央の左柱に「宝治二年戊申」の墨書銘と一重天井板に転用されている棟札を発見し、仁治三年(1242)着工し、建長五年(1253)竣工した様子で、宝治二年(1248)を建立年としています。修理に伴い発見されたものに順礼札があります。これは木札で、納め札とも言いますが、現在では紙札で霊場参拝の印とするものです。この他に中世の「のみ」や仁王像彩色の記録板などがありました。又、門の修理年代を知ることができ、永正十三年(1516)、享保十四年(1729)、安政六年(1859)の三回であることがわかりました。  昭和27年10月竣工をとげた二王門は、三間一戸(柱間三、戸口一)二重門、入母屋造、栩葺(とちぶき)で、昭和29年国宝に指定されました。今回の修理において京都府教育委員会の見解は「建築としての二王門」@「二重」の門は珍しい。二重であることは、建物の格の高さを表す。現在、本山などの大きな門にみられる。光明寺よりも府歩い遺構は、法隆寺中門(飛鳥時代)のみである。A二王像を奥に安置し、前に床が張られている。Bとち葺き屋根=厚板を重ねて葺く屋根・葺き材はクリ材・厚さ2.4cm、長さ75cm。・24cmずつずらしながら葺き重ねている。C建物本体に使われている木材・スギ・非常に上質な材を,木目に沿って割って製材。・建物当初の材がよく残っていある。と、ポイント@からCで表現されています。

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今回国の重要文化財に認定されたのは国宝二王門の阿形金剛力士像です。
阿形像は「那羅延堅固王」が奉られている。

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今回国の重要文化財に認定されたのは国宝二王門の吽形の金剛力士像です。
吽形像は「密迹金剛力士」が奉られている。

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聖徳太子と光明寺の説明札

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八十八ケ所の石像案内

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八十八ケ所 地蔵堂

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緑の参道を光明寺本堂に向う

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山側から見た国宝:二王門の裏側

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ここもシャガの花の群生が見事

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庫裏に着く 君王山林道からの道路と駐車場がある。裏側には本堂に登る坂道がある

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樹木に囲われる古い石段で本堂に登る

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本堂(京都府指定文化財)

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観音堂

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鐘楼

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新しい釣り鐘

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梵鐘(400年前)慶長9年

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新旧の梵鐘の説明札

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本堂(京都府指定文化財) 持参の昼食を広げる

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観音堂 持参の昼食を広げる

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法界塔

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宝篋印塔(市指定文化財)

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緑の上林谷を眺望

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車待ちに君王山林道の分岐まで散策する

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車道から見下ろす二王門の屋根

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2019/5/10

光野の大カツラ(京都府第2位)と ヒメザゼンソウ  綾部の文化財

光野の大カツラ、京都府では第2位(1位は宇治の岩間寺)全国では第22位(H26年調査)
周囲:17.48m 樹高:33m トータルランク8位

HP:綾部の文化財に収録の「緑の文化財 綾部の古木・名木100選(地区別) 〜緑と文化の遺産〜」http://www.ayabun.net/gaiyo/100sen/koboku100.html
には、準古木・名木にも指定されていない。集落近くなのに認知漏れだった様子。

新発見を含む次の3樹木に追加する。先で古木・名木新100選に指定される事を望む。
綾部の豊かな自然には、まだまだ隠れた発見が残されている模様
ヒノキ:里町 久田山妙見宮 3.74m、高津八幡宮 幹周3.10m や山添神社境内のヒノキ幹周2.61mよりも太い
スギ: 睦寄町 坂尾呂神社境内
トチノキ:古屋 堂奥谷の滝周辺 秘境の大発見と紹介された堂奥谷の滝


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橋を渡り対岸へ

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上林川の流れ

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大カツラまで100m の方向指示

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川岸を歩く

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マムシ注意の立て札 マムシの絵が生々しい
すぐ横の山道を登り下る。竹の手摺りと階段がある

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光野の大カツラ

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見上げる光野の大カツラ

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すぐ奥となりにも1本大カツラがある

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研究のため保護されたヒメザゼンソウ群生 区画

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研究のため保護されたヒメザゼンソウ群生

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水源の里・光野 ヒメザゼンソウ
水源の里自然大学 第1回講座「自然に埋もれる地域の宝 ヒメザゼンソウの花ってどんなの?」 パンフレットより収録

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大小のマムシソウが沢山生えている。花をつけたのも

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川原の直ぐそばの山道を辿る

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2019/5/10

光野町志馬家の「イチイ」綾部の古木。名木100選  綾部の文化財

綾部自然の会の現地学集会で訪れ取材した。
HP:綾部の文化財にリンクするため当ブログに編集する(FBの記事はリンク不能、メンバー制なので見れない)

緑の文化財 綾部の古木・名木100選(地区別) 〜緑と文化の遺産〜
http://www.ayabun.net/gaiyo/100sen/koboku100.html

志馬家:樹齢500年以上丹波地方随一・江戸時代大庄屋であった志馬家の巨大で優雅なイチイの木

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マイクロバス2台40名の参加、ポランティアガイドさんと落ち合い、新入会員の紹介

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光野橋を渡る

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堤防を行く

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志馬家の庭園にイチイが見える

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見学するメンバー

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しっかり手入れされている見事なイチイ

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綾部の古木・名木100選 幹周:1.6m 樹高:7m

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緑が一杯の環境

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川原も長閑な田園風景

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府道に停めたマイクロバスに戻る

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2019/5/7

京丹波を見る!京都府指定文化財の篠田神社と志賀の七不思議!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」篠田町宮ノ下6−1には京都府指定文化財の本殿をもち志賀の七不思議の一つ「竹の子さん」のある篠田(しのだ)神社がある。現本殿は室町時代の様式をもち、山家藩の記録には、永禄9年(1566)再建と記した棟札があるとしている。大正11年(1922)に現本殿の位置から全体の形状を損なうことなく移築改修されている。屋根葺材及び小屋根材の一部、向拝部分(組物をく)、繋虹梁(つなぎこうりょう)、縁廻りなどに取り替え材がみられるものの、当初材が良く残っている。丹波地域に残る室町時代の神社建築の遺構は、いずれも保守的な形式技法を踏襲している。当本殿でも、装飾として「手挟み」を4組置くだけである。又室町時代の五間社の神社本殿遺構は府内で他に一棟し確認されておらず、当本殿の持つ価値は高い。「あやべ歴史のみち」より抜粋掲載。
志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起
その縁起
 今からおよそ1400年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は国の中心勢力を固めるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王はおおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。
 また志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「向田:後の篠田」の五つの社を厚く信仰されたということです。
 親王の子孫、金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」向田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。
 この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。
 なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として今に語りつがれています。
その奇瑞  篠田神社=向田大明神の「竹の子さん」
 毎年旧暦の正月四日になると、日の出より八時までの間に、神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が三本出るのです。
 これを神前に供え、その竹の子の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占うのです。
 この神事は、今も新暦の2月4日に「筍祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは「タケノコさん」として親しまれています。
 つい最近まで、氏子の人、数人が三日間、籠堂に泊まり。日に三度づつ氷のように冷たい篠田川の水を浴び、行をとってきましたが、今は取り止めになっています。是非一度、節分の日に、お詣りください。 志賀郷公民館


志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起
その縁起
 今からおよそ1400年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は国の中心勢力を固めるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王はおおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。
 また志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「向田:後の篠田」の五つの社を厚く信仰されたということです。
 親王の子孫、金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」向田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。
 この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。
 なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として今に語りつがれています。
その奇瑞  篠田神社=向田大明神の「竹の子さん」
 毎年旧暦の正月四日になると、日の出より八時までの間に、神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が三本出るのです。
 これを神前に供え、その竹の子の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占うのです。
 この神事は、今も新暦の2月4日に「筍祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは「タケノコさん」として親しまれています。
 つい最近まで、氏子の人、数人が三日間、籠堂に泊まり。日に三度づつ氷のように冷たい篠田川の水を浴び、行をとってきましたが、今は取り止めになっています。是非一度、節分の日に、お詣りください。 志賀郷公民館

1.篠田神社の鳥居と標柱
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2.志賀郷公民館(しがさとこうみんかん)の駒札(画像をクリックすると、拡大して読めまあ明日が、上記に文章を記載しました。)
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3.石段参道
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4.石段参道を登りきった所から拝殿を見る。
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5.手水舎
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6.右側から拝殿や狛犬などを見る!
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7.拝殿を斜めから見る!
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8.拝殿の彫刻をアップで見る!龍には髭がある。柏原の中井権次一党の作か?
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9.同上
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10.拝殿後部にある京都府指定文化財の本殿
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11.京都府教育委員会の駒札
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12.2月4日の「竹の子さん」神事の竹の子神田
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13.2月4日の竹の子さんの神事は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1613.html


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2019/5/5

京丹波を見る!吉美地区の郷社・高倉神社所縁の6社の一つ奥宮神社‼  綾部の文化財

京都府綾部市吉美地区(きみちく)の郷社・高倉神社を取り巻く6社の一つ奥宮神社(おくみやじんじゃ)が小呂町天野の地にあります。この神社の祭身神は大山祇命であり、太古から開け里人武を尊び往時を勧請して祀ると。小呂峠近くの急な石段参道を必死に上ると拝殿に至ります。境内社としては、日吉神社、大山咋ノ神、武太神社、須佐之男命と記されています。吉美地区の総氏神は高倉之宮以仁王を祀る高倉神社であり、高倉神社の秋大祭の行列には6社の1社として加わり、2重の祭礼を行っています。

1.奥宮神社を遠方より見る!
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2.奥宮神社の標柱
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3.見事な石段参道です!
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4.急で長い石段参道をの必至で登った!小呂町の絶景が見れたが、下りは同じ石段参道を降りるのに恐怖を感じた次第です!
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5.奥宮神社本殿
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6.本殿正面をアップで見る!左側に境内社が見えます!
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7.本殿右側の境内社
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8.一対の狛犬。右側の狛犬頭部・口が欠けています。
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9.再度、小呂峠手前から見る!
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