2012/7/10

上林と和知の往来(桜井克彦さまご投稿)  山・峠道・滝

シデの山行事参加のトレーニング開始しました
http://nbcayabe.blog34.fc2.com/blog-entry-796.html
を私のブログに掲載したところ、主宰される「鳥垣渓谷を整備する会」桜井克彦さまから下記のコメントをご投稿いただきました。現地からの貴重なデーターですので、当文化財日誌に転載しご紹介いたします。(記:綾部の文化財を守る会HP委員会)

上林と和知の往来
 おはようございます。上林と和知についてのコメントです。
 鳥垣渓谷を経て昔の茅場を登り切れば、その向こうは和知(仏主)です。上林と和知は東西につながる6〜700mの山で隔てられていますが、鉄道(山陰線)が開設されるまでは、いくつものルートを経て、上林と和知の間で、人と物が往来していました。

 シデ山の東には上林峠(近畿自然歩道;長老ケ岳を訪ねる道)が、西側には有名な大栗峠(かっての青少年山の家ハイキングコース)があります。大栗峠を越えて和知から嫁に来た女性も健在ですよ。

 7月22日の山登りには和知の人にも声をかけています・・・・・。和知の人と「大栗峠での交流が出来ないか」と相談しています。

 上林峠や大栗峠以外にも、いくつもの尾根道があり、地図上にも記載されているルートも見かけられます。

 便利で豊かな時代が訪れ、山へ入る人もいなくなりりましたが、峠道には現在人が見失ったなにか大切なものが残されているような気がします。

さらに桜井克彦さまから追加のコメントをいただきました。私のデーターも間違いを修正します)何度もお世話になり有難うございました。

 近畿自然歩道(長老ヶ岳を訪ねる道)と上林峠について・・・補足説明させていただきます。

 長老ヶ岳を訪ねる道と上林峠への道は正確には同じコースではありません。上林峠は、大岩の少し先より草壁川を越えて谷筋沿いを和知との境界に至るルートです。その谷筋には田畑も人家もあったそうです。

 長老ヶ岳を訪ねる道は、その谷筋の途中から左手の尾根に登り切り、尾根道を和知との境界尾根へ登るルートです。登りきった境界尾根を西に200mほど進んだポイントが上林峠です。
仏主へ向かう和知側のルートは自然歩道も旧道も同一だと思います。
 
 蛇足ですが、鳥垣林道はシデ山と古屋国有林へ延びていますが、現在古屋国有林側ルートの延長工事が進んでいます

 ミズメの木(森の巨人達100選)の上部まで約3,300m延長されますので、上林峠へのルートや自然歩道のルートと鳥垣林道が交差することになります。この工事は和知側から行われていますので、鳥垣林道を経て和知へ抜けることも可能となります。

 上林も和知も過疎化が進んでいますが、いくつもの古道や新しい林道を利用して、上林と和知の新しい交流が進められないかと思っています。


<参考データ1> 記:HP委員会
里山ネット・あやべ」に、TOPIX として載った(紹介)7/22上林で「鳥垣渓谷からシデの山へ」に掲載された文書です
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6月17日に中丹広域振興局(森づくり推進室)畑中英樹様の指導により約40種類の樹木に仮の札をつけました。7月22日には再確認して正式な名札をつけます。

<参考データ2> 記:HP委員会
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 この「シデ山(731m)」に登る「鳥垣林道」の両側に綾部市・和知境の主稜まで伸びている点線(山道)について桜井様にお尋ねしました。私が地図に「上林峠」と入れたのは誤りです。上林峠(649m)は、古屋大岩の少し先より草壁川を越えて谷筋沿いを和知との境界に至るルート。

 近畿自然遊歩道(長老ヶ岳を訪ねる道)は、その谷筋の途中から左手の尾根に登り切り、尾根道を和知との境界尾根へ登るルートです。登りきった境界尾根を西に200mほど進んだポイントが上林峠(649m)で、

 京都府森の巨人たち100選に選ばれた「おおみずめ」http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/482.htmlのある上津灰:三角点名:睦寄(746.13m)の西にある上林峠(649m)を経て和知の仏主(ほどす)に下りる峠道は同じだと云うことです。

 また綾部青少年山の家と和知青少年山の家を結ぶ峠道は、上栗野集落の和知山の家前から和知・綾部境を越える山道が地図に記されてなく、仏主を経由する近畿自然遊歩道〜上林峠と同一だと考えていましたが、それも間違いでした。

「大栗峠」がそれだと云うことです。なお地図の点線の山道とは別に、三角点名:大栗(681.38m)には、浅原集落から林道が途中まで上がっています。http://www.nbcayabe.com/snk3/okuri/okuri.htm

 上林と和知の峠道の往来、昔の交通に興味があるのでとお尋ねしたところ、この貴重な投稿をいただきました。再び山や滝、峠などへの関心が高まり、豊かな自然に触れ合う機会が盛んに行われることを願っています。桜井さまご投稿いただき大変有難うございました。

 なお何時でも何度でも、ブログは内容を追加、修正出来ますので、遠慮なくお申し付けください。写真などもメールに添付、あるいは郵送いただけば、掲載処理いたします。

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2012/7/8

亀岡雑感 半国山 牛松山(里見さまご投稿)  山・峠道・滝

先に亀岡半国山の麓にある「かめおか光秀物語・ききょうの里1 谷性寺」の訪問記を掲載したが
 http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1400.html
その関連で、里見さまから、今冬の初登山をされた「半国山」、2月末に登山された「牛松山」の写真と「亀岡雑感」のエッセイを投稿いただきました。(記:HP委員会)
 
亀岡雑感 半国山 牛松山
 本年の登り初めは半国山だった(口丹波なら近いし雪が少ないだろうとのモクロミ)。ところが今冬は多雪。想定外の雪(浅い積雪)に会った。

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雪の綿帽子。半国山の中腹

山頂から、南に大阪湾を、東に牛松山、愛宕山を見た。
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半国山の山頂(東を眺望)南に大阪湾がはっきりと見える

 麓の金輪寺は古刹。幕末時の大橋黙仙という住職が勤皇僧だったので、この寺が志士たちの密議の場所に使われたそうだ。

 亀岡(口丹波)は、尊氏が挙兵したり、「敵は本能寺にあり」の光秀が出陣した地。敗残の将兵たちが逃げ込んだ土地とも聞く。
 
 亀山藩は親藩であったが、幕末になると、周辺で「ご一新」の動きが激しいようだ。本馬路では官軍・丹波弓箭組が立ち上がった。馬路から山を越えれば、京北の宇津や山国(鼓笛隊・東征軍に所属し7名の死者をだした)も近い。
 
 最近では、小泉チルドレンが誕生している(1期。落選中)。変幻自在的な土地・人々である。

 亀岡つながりで、2月末には牛松山を訪ねた。この時期は雪に向かうか避けるか、いずれかだ(避けた)。この日は一時、吹雪いた。寒かった。山頂に金比羅神社がある。
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牛松山の山頂、金比羅神社。屋根が雪で白くなっている

 保津川下りの船頭さんたちの信篤く、絵馬堂に川舟の模型2艘が奉納されている。(四国の金比羅さんと同じ航海の神様)。真っ白で何の眺望もなし。三角点は最高地点の、やや下に設置されている。
 
 千歳・国分へ下ると愛宕神社。「全国愛宕の本宮」と書かれていた。本殿(鎌倉時代)は重文。大杉などの古木・名木が多い。(京都の愛宕さんは、規模が大きい)
 
 養仙寺(布袋寺)の横を下り、バス道に至る。「亀岡ふるさとバス」が走っている(不採算路線、学校統廃合によるスクールバスを兼ねる。車体は京阪バス)
 この辺り、「丹波七福神めぐり」が出来る。七谷川は桜の名所だ。
 
 丹波一之宮・出雲大神宮は近い(名水が湧いており、持ち帰れる。2、3年前、千数百年祭!?が行われた)
 
 さらに北上すると、平の沢公園(池公園、池尻集落)があって、オニバスが自生する。さらに北上し山を越えれば京北に至る。

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2009/12/8

歴史街道浪漫「横峠越え」に参加  山・峠道・滝

江戸時代に田辺藩主(現在の舞鶴市)が参勤交代で通行していた「歴史街道・横峠越え」に参加してきました。熱心な参加者が100人余りの盛況で、準備された資料(戦国時代の遠見番所・釈杖ケ岳 登頂案内)が足りず嬉しい悲鳴を上げておられました。主催:山家今昔写真の会:先に紹介しました資料「歴史街道浪漫・横峠」も合わせてご覧ください
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府道1号線(上林−若狭街道)交差点手前の広域農道側の旭町公会堂で受付
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挨拶される主催の山家今昔写真の会:有道大作会長
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およそ110人を越える熱心な参加者 写真をクリックすると拡大します
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横峠の歴史的な解説をされる川端二三三郎先生(綾部史談会副会長)
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参加者一行の記念写真(100人余り)
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広域農道の向かいが峠口「安国寺の国道27号線まで6Km」の小標識が立てられている。林道でなく市道とのことである
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峠口から行列で山に入る
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濡れた落ち葉の敷かれた山道を歩く、泥たまりのタイヤ痕を避けて歩く
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針葉樹林や雑木林など変化のある広い峠道を楽しむ
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陽が当たり眺めの良いところにでる
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眼下に横谷トンネルを抜けた京都縦貫高速道が見える。旭トンネル入口か?→府道1号陸橋→橋上トンネル→釜輪陸橋→和知ICへとつづく(写真:ふじもと様提供)
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夏だけ開かれたと云う茶屋「紀甲堂跡」:延宝6年(1678)開設「縦についたを横峠、その名を何と紀甲堂」と大書した看板がかかっていたと云う
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横峠の頂上・紀甲堂跡に集まってくる参加者
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紀甲堂の向かいの少し上に高い電波塔が建っている
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道標:梅迫、田辺・志賀郷 (写真:ふじもと様提供) 
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綾部工業団地が見える。地図の高圧送電線は鉄塔でなく峠道沿いの電柱のようだ。また黒い通信用ケーブルも張られている
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大江山を遠望(写真:ふじもと様提供)
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旅人の安全を見守る尼僧の碑が路傍に立っている
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こっそり先行の軽トラ見つけ! 道理で生々しい泥んこのタイヤ跡が続いていたのだ
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通信鉄塔保全のためか八田側の峠道はガードレールも完備
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突然目の下に高速道路が現れた、横谷トンネルの真上を通る。
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安国寺インターからすぐの横谷トンネル(長さ1158m)入口の上が峠道、左に渡り高速道路下のガードを潜り再び右に出る
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国道27号線の安国寺陸橋下(インターチェンジ入口)公園に立つ足利尊氏公の銅像が迎えてくれる
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横峠 山家旭町まで6Kmの標識
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往復する予定で参加したが、迎えに来た市マイクロバスに乗り旭町に帰着
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GPSによる全ルート軌跡マップ 地図をクリック拡大してご覧ください

参考
京都府縦貫高速自動車道・丹波綾部道路を歩く
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/403.html


2008/9/29

洞峠の風にふれる交流会  山・峠道・滝

平成16年に行われた交流会の3倍近い80余名の参加者が洞峠に集まり交流会を持たれていた。上林古屋の府道終点から林道ー山道に入り60分足らずで峠に着く。
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峠に着くと鶴ガ岡(美和町)からと古屋(綾部市)の両方から人が集まっておられた
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記念スタンプを押してもらう人々
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11回目の交流会参加者が記念プレートに毛筆で記名。このあと挨拶、洞峠の説明が行われた。
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「洞峠の風にふれあう交流会」の横断幕を前に記念撮影
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11回目の参加者80余名の記名した記念プレートを張り付ける
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峠の両側に広がり持ってきたお弁当を開く
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子どもたちの食事風景
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古屋集落に下りてきた一行。子ども達は「水源の里交流会」と書かれた集会場に入っている
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周辺地図およびGPSトラック図

2008/9/10

京都縦貫自動車道「風の道」ウォーキング  山・峠道・滝

「山家観光やな」の取材に行ったところ、10時からでなく昼からだと云うことで「風の道ウォーキング」に参加した。綾部ー広野線を和知まで行き終点で和知橋を渡ったところが国道27号線で「京丹波わちインターチェンジ」になる。駐車場は第3駐車場を指定され、バスでピストン送迎になっていた
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京都縦貫自動車道 綾部安国寺IC〜京丹波わちIC開通記念 開通前の高速道路を歩いてみよう!10:00スタート〜13:30 乙味川橋(折り返し地点)まで約5Km
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広い会場にテントが建てられ参加者で埋まっていた。綾部市の受付テントで参加登録をする
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主催者として出発合図のピストルを鳴らされる四方八洲男綾部市長。雨が降り出し傘をさしかける腹話術の人形
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「風の道ウォーキング」に参加した一行。雨が降り止んでほっとする。
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インターチェンジからすぐに綾部市に入る。綾部市境の標識がある
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高台を走る京都縦貫自動車道から、国道27号線の陸橋、一般道、由良川、JR山陰線、府道:綾部ー広野線が平行に走る
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乙味川橋の南側は「黄金に色づく稲田」が見事
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乙味川橋の北側は、丹波の美林と村(釜輪)
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折り返し点の山家橋上トンネルが見えてきた。この行事にタイアップして旭町横谷トンネルから6Kmをウォーキング中の東綾小学校の子どもたち(130名)と次々にすれ違う。
乙味川橋の上に設けられた折り返し点のテントには、お茶の接待がされていた。すぐ裏に山家橋上トンネルが口を開いている。トンネルを越すと上林川、綾部〜若狭府道1号線が走る上林谷である

2008/5/11

市原峠と寺坂吉右衛門・古地峠・才の神の藤  山・峠道・滝

市原峠と寺坂吉右衛門
 志賀郷西方町の交叉点を入るとすぐに、道幅の縮小と「府道この先行き止まりです」の看板が立つ。この府道494号:綾部大江線 西方−市原谷(大江町)が「市原峠」である。
 赤穂浪士の吉良邸討ち入りをした赤穂四十七士の内、唯一人足軽の身分で討入りに加わった寺坂吉右衛門信行は、本懐を遂げて泉岳寺に向かう途中、大石内蔵助の命に従い討入りのてん末を幕府には秘密裏に仔細に申し伝えるべく離脱し、京都の浅野内匠頭の妻・瑶泉院に伝えた後、豊岡に住む内蔵助の妻:りくにも知らせるため、この「市原峠」を越え由良川に出たという。
江戸から京都、綾部を経由して豊岡、そして淺野本家の広島へ。昔の人は本当に良く歩いたものだ!

古地峠と才の神の藤
一方途中で分岐して大江町の有路へ抜ける市道の古地(路)峠:西方−古地(大江町有路)の存在は余り知られず、地元の人に聞くと普段は通勤者が多少ある程度で、一般の通行は殆どないとの事であった。しかし大江町古地の「歳の神さんの藤まつり」の時は、ずいぶん沢山の車が通ると云われた。
「是より東、志賀郷村」の境界標石柱
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才の神の藤
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見事な古木に咲く藤棚の花
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祭日で大賑わい
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近くの市境尾根に三角点:点名(古地)がある。

2008/5/7

金谷峠(丹波・丹後歴史街道)  山・峠道・滝

小畑の本庄奥を西に進むと金谷峠がある。綾部市の西に張り出した最先端、福知山市との市境である。近くに三角点「宗谷(285.9m)」がある。地元の有志の方の努力で峠道が整備され散策コ−スとして蘇った。このGWに登ってきたので紹介する。
金谷峠(推定標高200m)分岐路の標石(右:おくやま 左:山の口)
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丹波、丹後歴史街道について
この古道(金谷峠道)は、江戸時代から昭和中期以前の乗り物が発達、普及していない時代に、当時、加佐郡大江町の奥山、奈良原、広畑、尾藤、室尾谷、何鹿郡佐賀村の山野口地区等の親戚、縁者が往来。丹後から海産物、また小畑から生産物の物流の道として盛んに利用されていました。
 また室尾谷の観音寺に八十八ケ所のお大師が祀られ多くの参拝者もあり、古道が大師道とも呼ばれていました。小畑の子供達は、この大師道を通り、観音寺、鬼ケ城へ行くことが遠足の慣例コ−スでもありました。
 更に小畑地区以外の人々も大師詣り、山草採り、福知山への最短距離の道として、買い物、散策等に通行されていました。
 今回2007年(平成19年)11月12日に小畑地区住民の有志が、古道の復旧を願い、繁茂した雑草木を伐採、山道の一部(明治以後大水害で崩壊し新設の作業)、整地、道しるべの設置等を行い、多くの人々に丹波、丹後歴史街道を楽しく散策していただくことにいたしました。
2008(平成20)年2月吉日 丹波、丹後歴史街道保存会
歩いたGPSマップ:金谷とある分岐路を左に山の口に向かい尾根まで登った
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1 室尾谷の歴史・言い伝え
  江戸時代の藩制が敷かれた時代の室尾谷南山地区(旧加佐郡河東村)は田辺藩(舞鶴城主)で、巡検師の一行は福知山藩から田辺藩に入る時は鬼ケ城峠を通り(鬼ケ城峠は江戸時代福知山藩から田辺藩へ通じる主要道であった)観音寺で休憩されたと思われる。
  観音寺から金谷峠を通り、小畑〜鍛治量〜新庄〜須波岐〜白道路〜上八田〜七百石〜上杉〜於与岐まで一直線上(金谷峠入口から弥仙山が真直ぐに見える)で、弥仙山から丹後峠を越せば最短距離で田辺城(舞鶴城)へ入城出来たと思われる。
  巡検師が陸路の場合は、大きな川もなく、峠も少ない道で入城されたと思われる。
  室尾谷観音寺は行基菩薩が奈良時代、元明天皇の和銅7年(西暦714年)に開山されたと伝えられています。歴代の田辺藩主は毎年必ず1回参拝されたと記帳されています。
  歴史街道の境界は福知山藩、田辺藩、綾部藩が交わる唯一の地域で、山野口は鉱山の関係で、天領(幕府の直轄地域)であった様です。今思う時、約3kmの範囲内にこの様な重要な地帯があったのかとロマンを感じます。
2 丹波・丹後歴史街道
(1)金谷峠 金谷峠道は江戸時代から多くの人々の往来があり、峠道を越え下った終点に室尾谷観音寺があり、四国八十八ヵ所の霊場(大師)が祀られ、参拝者が多く大師道とも呼びました。又、由良川を利用して船で由良から有路まで魚、塩、海産物等を運び、有路から陸路で金谷峠越えで運び込まれた。丹波・丹後の境界には金谷、山野口、室尾谷の三ケ所に、鉱山が有り、茶店・女郎屋が有り、その名残で通称名で女郎が谷の地名が残っています。
  峠道は尾根より右に奥山・奈良原、左に山野口、真直ぐに室尾谷の四集落に出る事が出来ました。小学校の遠足時はお寺参りや鬼ケ域登りは山野口経由で、また由良川遊びは奥山越しと別れて行きました。
  明治41年の大水害で草折峠の山崩れで、金谷から室尾谷までの一部区間の山道が無くなっていました。丹波・丹後の境界線にある歴史街道を約100年振りに2007年(平成19年)12月に地域住民の25名の作業で無事開通する事が出来ました。この歴史街道は、両入口付近は登坂道で、大半は尾根伝いの起伏が少ない約3kmの道中で新緑、紅葉の時期には、森林浴を楽しむ絶好の散歩道です。是非散歩して下さい。
(2)薬師如来堂(最終民家の右隣) 立派な薬師如来像が祀られ、金谷の薬師さんと呼ぱれ、鼻、耳、母乳の仏様として、穴の通った小石をお供えすると願いが通じると言われ、親しまれ、多くの人達のお参りが有りました。横にはお地蔵(石像)も祀られています。是非お参り下さい。
(3)不動明王(最終民家の右上の谷)不動明王が大きな岩の上に2対祀られ、奈良県の大嶺山に参拝する前に身を清め、道中の安泰を祈願された。又願い事をすれば必ず通じると多くの人達が参拝されました。
(4)宗谷峠 この峠は河守に出る一番の近道ですが、現在は雑草本の繁茂で通行不能です。
(5)河守地区(現在の大江町)は、真中を由良川が流れ大雨の度に水害に遭い、水稲が壊滅状態となった事で、小畑地区は肥沃な土地柄で見た目より多くの米が収穫され、余剰米を夜、人目を忍んで牛の背中に俵を乗せて売りに行ったと古老の方に間きました。
   [丹波良い所、米所、嫁にやりたや、婿ほしや]のことわざがあります。

2008/3/23

最初で最後の京都府縦貫高速自動車道・丹波綾部道路を歩く  山・峠道・滝

京都府綾部市には高速道路のインターチェンジが38,000人の町にもかかわらず2ヶ所ある。一つは近畿自動車道の舞鶴・若狭道の綾部ICもう一つは、京都縦貫高速自動車道の珍しい寺の名前を取った安国寺IC(あんこくじインターチェンジで安国寺は室町初代将軍足利尊氏の生誕地である。)は此処にはジャンクションがあり、近畿道から此処で宮津・日本三景の一つ天橋立方面へ行ける。3月23日(日)午前9時30分から「安国寺ICロードパークキング」にて「京都縦貫高速自動車道丹波綾部道路見学実行委員会の主催で、この安国寺IC近くから丹波町・京都方面へ向かって片道5キロメートル(往復10キロメートル)のウオーキングが開催された。大変な人気で舞鶴、園部から来られた方も多々見受けられた。コースは5キロだが、最初は横谷トンネル1,158メートル、旭高架橋90メートル、次に旭トンネル323メートル、上林(かんばやし)川橋139メートル、橋上(はしがみ)トンネル1、096メートル、広瀬高架橋90メートル、乙味川橋595メール・この橋の途中から折り返した。トンネルと橋で5キロの内、3.4キロにもなる「丹波山地」の高速道路ですからね。但し、風景が大変楽しめますよ。!!!!!

綾部太鼓保存会の小学低学年による太鼓で行事開始
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主催者と四方八洲男市長の挨拶と議長・綾部市会議員
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大変な数の参加者
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最初の横谷トンネル(1,158メートル)入口
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横谷トンネル内
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綾部・福知山広域農道の旭町交差点を見る。
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工事関係者に旭トンネル(323メートル)の説明を聞く。
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上林川橋から右手は橋上町、正面は広瀬町になり、山家城址はその向こう側。
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広瀬高架橋からみる山家。
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乙味川橋から折り返してくる人々。
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帰って来ました「安国寺IC]案内板
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全国安国寺の筆頭・綾部「安国寺」は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/205.html



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