2020/2/5

京丹波を見る!元何鹿郡で現福知山市の延喜式内社・阿毘地神社!  文化財研修記

京都府福知山市興567には元何鹿郡(いかるがぐん)現福知山市の延喜式内社の阿毘地神社(あびちじんじゃ)がある。山陰本線石原駅の東500mほどの興に鎮座している。8号線を進み、小さな踏切を渡ると、社域の森が目の前にある。境内入口は東側で石造の鳥居をくぐると木々に覆われた境内となっている。参道を進むと正面に東向きの社殿。右手に社務所、左手に神庫で社殿は、瓦葺入母屋造の拝殿の後方に、銅板葺流造の本殿がある。本殿は石組の上にあり、少し高い位置にあり、屋根の前方に向拝が付いている。社伝によると人皇四十九代光仁光仁天皇の御代にあり、宝亀年間(770〜781)の創祀です。「阿毘地」と書いて「あびち」「あびぢ」と呼ばれているが、『丹波志』には「神名アリヲチ」「天日大明神」。古来、興地区では「テンニッツァン(天日様)」、観音寺地区では「アベッツァン」と俗称されてきたという。天日様と呼ばれた事から現在の祭神は大貴命だが、「アリヲチ」と呼ばれた場合もあるように異説もあり『式内社調査報告』によると、祭神不詳、天照大御神、火明命、阿利袁知明神など。当社は、元は現社地の700mほど東南の補陀洛山観音寺付近の台地に祀られていたという伝承があるらしく、観音寺村から興村が分かれて発展し、両村の中間点に遷したという。『式内社の研究』で志賀剛は、「阿比地」は「阿由地」の訛りで湧水の地であると考え補陀洛山観音寺の閼伽井のあたりを旧址と記している。また、当社は「上(かみ)」から流れてきたという伝承もある。由良川の洪水で、流れ着いた神ということだろう。社殿の右手に境内社が並んでいる。奥に稲荷神社、手前に以下の四社を祀った祠がある。疫神神社、手力神社、天神神社、大木神社。境内左手の神庫には丸に三つ柏の紋が付いており又拝殿の屋根瓦には橘紋がある。

1.西側の鳥居
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2.正面の神社標柱を見る!
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3.巨大な自然石の常夜燈が右側にある!
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4.石造り鳥居など正面を見る!
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5.拝殿に向かって左側には3メートルもあろうか、巨大な常夜燈がある。
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6.正面から拝殿と一対の狛犬を見る!
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7.阿形の狛犬
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8.吽形の狛犬
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9.神倉には丸に三つ柏の紋が見える!(画像をクリックすると拡大します。)
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10.拝殿(画像をクリックすると拡大して見えます。)
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11.拝殿をアップで見る!
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12.拝殿前右側の狛犬・常夜燈を見る!
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13.拝殿前左側の狛犬・常夜燈を見る‼
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14.左側から拝殿後部の相の間と本殿を見る!
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15.本殿をアップで見る!
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16.同上
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17.巨大な御神木を見る!
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