2019/1/1

京を見る!国重文の平安時代の梵鐘を持つ報恩寺!  文化財研修記

京都市上京区小川通寺の内射場町には鳴虎(なきとら)の報恩寺(ほうおんじ)といわれるこの寺は,尭天山と号し浄土宗に属します。中国の画人四明陶佾(しめいとういつ)が描く猛虎の図を豊臣秀吉の所望により聚楽第の床へ飾ったところ,夜中に虎の鳴き声が聞こえ,秀吉は一晩中安眠できませんでしたので,すぐに寺へ戻されたことから鳴虎として有名になりました。この絵は寅年の正月三が日に限り公開されます。
 寺伝では室町時代,一条高倉に開創したとあり,法園寺または法音寺という天台・浄土兼学の寺でしたが,文亀元年(1501)後柏原天皇の勅で慶譽(きょうよ)が堀川今出川の舟橋の地に再興し,浄土宗報恩寺と改めました。天正13年(1585)秀吉によって現在の地に移されますが,享保・天明の大火に類焼しています。
 重要文化財の梵鐘はその由来を明らかにできませんが,高さ123.5センチ,口径73センチ,素文の銅鐘です。高い笠形,肩すぼまりの形態,乳の形,八角素弁小形の撞座(つきざ)2個が龍頭(りゅうず)の方向と直交しているなど,奈良時代以来の古式を残す平安時代の鐘です。池の間(いけのま)には金剛界四仏を籠字(かごじ)の梵字であらわし,その下に梵文の真言を刻んでいる珍しい意匠です。西陣の機屋はこの鐘の音を聞いて仕事の手を休めました。一名,勿撞(つかず)の鐘といわれるのは,ある時,お十夜の晩に鳴るか鳴らぬかで丁稚と織子が口論した結果,鐘が鳴らなかったので織子が狂い死にしたという話があり,以後,除夜の鐘以外は撞かなくなったということです。
 門前の石橋には慶長7年(1602)架橋の刻銘があり,本法寺の石橋とともに,今は埋められた小川(こがわ)の名残を止める貴重な遺産です。


1.報恩寺の標柱
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2.駒札
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3.見事な山門
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4.観世稲荷神社
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5.同上 アップで撮影
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6.客殿
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7.客殿の本尊・阿弥陀如来像
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8.見事な庭園の一部
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9.国重文の鐘のある鐘楼堂
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10.国重文の鐘(平安時代)
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11.見事な枯山水の庭園
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12.福山藩祖の阿部正勝等の墓碑のある墓地
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