2017/1/19

徳島・讃岐を見る!16.讃岐国一宮・田村神社2-1!  文化財研修記

高松市一宮町286には讃岐国一宮・田村神社(たむらじんじゃ)がある。ご祭神は以下の5柱で、「田村大神」と総称される。倭迹迹日百襲姫命 (やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命 (いさせりひこのみこと) 別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)、猿田彦大神 (さるたひこのおおかみ)、天隠山命 (あめのかぐやまのみこと) 別名を高倉下命(たかくらじのみこと)、天五田根命 (あめのいたねのみこと)- 別名を天村雲命(あめのむらくものみこと)である。田村大神について、中世の書物では猿田彦大神や五十狭芹彦命を指すとされ、近世には神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命など様々で一定していない。社殿創建前は井戸の上に神が祀られていたという社伝から、元々は当地の水神(龍神)であったとする説もある。社伝によれば、古くは「定水井(さだみずのい)」という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていたという。その後、和銅2年(709)に行基によって社殿が設けられたのが創建とする。この「定水井」は現在も奥殿の下にある。なお、当初は義淵僧正によって大宝年間(701−704)に開基された一宮寺と同一視(建物も同じ)されていた。朝廷の当社に対する信仰は篤く、平安時代には度々神階の授与が行われている。また延長5年(927)の『延喜式神名帳』では「讃岐国香川郡 田村神社」と記載され名神大社に列したほか、讃岐国一宮として信仰された。建仁元年(1201)には正一位の昇叙があったとされ、弘安7年(1284)7月日の銘を有する「正一位田村大明神」の扁額が残っている。また武家からも崇敬・統制を受け、長禄4年(1460)には細川勝元により、社殿造営や寄進のほか「讃岐国一宮田村大社壁書」(市指定文化財)が定められた。これは当社の関係者に対し、守るべき事項を26箇条で記したものである。天正年間(1573−1592)には兵火により一切経蔵を焼失したが、仙石秀久から社領100石を寄進された。その後も社領の寄進を受け、藩主が松平大膳家に代わったのちも祈願所として崇敬された。延宝7年(1679)、高松藩主であった松平氏により一宮寺が分割され、後に一宮寺は別の地に移された。奥殿・本殿は宝永7年(1710)の造営で、春日造。奥殿の前方は本殿に接続している。奥殿には神座があり、その床下に「定水井」と呼ばれる深淵がある。拝殿は明治10年の再建で、入母屋造です。そのほか境内には、海軍少年飛行兵之碑・海外開拓者殉難之碑などの鎮魂のための石碑や、桃太郎話に仮託した犬・猿・雉と吉備津彦・倭迹迹日百襲姫命や讃岐七福神の石像など、多くの石造物が設けられている。

1.一の鳥居と参道
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2.吽形の狛犬(通常拝殿に向かって左側に位置するが、ここでは右側だ!)
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3.左側は阿形狛犬です!
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4.更に続く長い参道(参道が長いほど素晴らしい神社といいますね!)
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5.漸く素晴らしい随身門に至る!
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6.見事な湧き水の手水舎
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7.境内社の歳徳神
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8.高さ17メートルの威容を誇る大鳥居
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9.讃岐一宮・田村神社は最後にして、多くの摂社を見ます。まず一宮稲荷大明神
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10.同上 見事な拝殿
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11.摂社で見事な宇郁伎神社
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12.12支めぐり (以下次回で掲載します!)
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