2016/8/25

高知・伊予を見る!24.宇和島市指定文化財の山家公頼のお墓(和霊廟)!  文化財研修記

宇和島市宇和津町には宇和島藩祖伊達秀宗が、宇和郡10万石に封ぜられ、宇和島(当時板島)に入ったのは元和元年(1615)のことであった。秀宗の父伊達政宗は、家臣の中より力量手腕の秀でた山家清兵衛公頼を総奉行として藩政を委託した。公頼は藩の財政の立て直し、民力の涵養に努めること5年間素晴らしい実績を挙げたのであった。しかし、元和5年幕府の命による大坂城石垣修築工事問題等を契機として、公頼排斥の空気がたかまり、元和6年(1620)6月30日の夜、秀宗の意をうけた武士たちが公頼の邸を襲い、公頼をはじめ、19歳になる2男治部、14歳の3男丹治は刃に倒れ、9歳になる4男の美濃は井戸に投げこまれ、命を落としたと伝えられている。山家邸は今の和霊神社(丸之内)の地であった。公頼に日頃から好意を寄せていた人達によって、遺骸はひそかに金剛山西の谷に葬られた。後、藩主秀宗も冤罪であったことを認め、また領内の庶民も公頼の高徳を慕い、香華の煙が絶えなかったという。現在、おたまや様(和霊廟)として、毎年7月29日の祭日には、多くの参詣人でにぎわっている。

1.宇和津彦神社から金剛山・大隆寺に向かって歩く!
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2.左側に和霊廟の庭が見えて来る!
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3.宇和島市指定史跡の駒札(よく読めないが内容は本文に記したものである。)
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4.和霊廟の拝殿
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5.本殿を左側から見る!
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6.本殿を右側から見る!
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7.山家公頼のお墓とその時殺された一族・家臣のお墓
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