2016/7/27

高知・伊予を見る!9.四国88ケ寺霊場の第33番で珍しい臨済宗・妙心寺派の雪蹊寺!  文化財研修記

高知市長浜8570−3には四国では珍しい四国八十八ヶ所霊場のうち2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院である雪蹊寺(せっけいじ)がある。弘法大師によって弘仁6年に開創されたころは真言宗で、「高福寺」と称した。その後、寺名を「慶運寺」と改めているが、廃寺となっていた寺を再興したのは戦国時代の土佐領主・長宗我部元親公で、元親の宗派である臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招き、中興の祖とした。元親の死後、四男の盛親が後を継いで長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日にいたっている。2つ目は、鎌倉時代の高名な大仏師、運慶とその長男、湛慶がこの寺に滞在し、運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を制作、また、湛慶は毘沙門天像と吉祥天女像、つぶらな瞳で小首をかしげるかわいい善膩師童子像を彫造して安置したとされる。一時、慶運寺と名のったのもこうした由縁で、これらはすべて国の重要文化財に指定されている。3つ目は、「南学発祥の道場」といわれ、江戸初期の住職、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などのすぐれた儒学者を数多く生みだしている。雪蹊寺で出家し四国を17回遍路した山本玄峰師は、まさに行雲流水の禅僧であった。

1.四国88箇所霊場の第33番札所の雪蹊寺の山門
クリックすると元のサイズで表示します

2.山門を潜り左側には明治の廃仏毀釈で大苦労をして、明治19年(1879)にこの寺を再興した当時の住職は太玄老師でその跡を継いだのが山本玄峰老師で88箇所巡りを17回もした、正に名僧であった!
クリックすると元のサイズで表示します

3.山本玄峰老師禄
クリックすると元のサイズで表示します

4.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

5.見事な鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

6.見事な大師堂!
クリックすると元のサイズで表示します

7.大師堂の見事な彫刻を見て下さい!
クリックすると元のサイズで表示します

8.本堂全体を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

9.観音堂
クリックすると元のサイズで表示します

10.長宗我部元親の嫡男で豊臣秀吉公の弟秀長に従い、島津軍と豊後の戸次川(へつぎかわ)の戦(1586)で2、727名の部下と共に討死した長宗我部信親のお墓がある。元親の後を4男の盛親が継いだが、信親が生きていたら決して西軍には付いていなかっただろうと言われている。
お墓へのはこの下を潜り参ります!
クリックすると元のサイズで表示します

11.長宗我部信親のお墓
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



この記事へのトラックバックURLはありません
トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ