2016/1/31

豊後・阿蘇を見る!5.加藤清正公の援助で見事な天守閣のあった府内城跡!  文化財研修記

府内城は、(慶長2年(1597)年に府内入封した福原直高によって築城が始められた城で、江戸時代になり府内藩主となった竹中重利によって又、築城の名将・加藤清正公の石垣築造等の援助を受け1602年4層の天守閣などがなされ完成しました。大分の武将といえば何と言っても大友氏ですが、大友氏は1593年に改易により府内を離れているので、府内城と大友氏は全く関係がないので注意が必要です(大友氏の居館は大友氏館)。 築城を始めた福原直高は元々12万石で入封したため、府内城は非常に壮大な造りとなっていました。その後直高が臼杵に転封されると、代官であった早川長敏が城主となり、江戸時代からは府内藩主となった竹中重利が入城し、城をほぼ完成させました。城主は以降、竹中重義、日根野吉明と代々藩主が務め、明暦4年(1658)年以降は松平氏が10代で統治すると、城は明治維新まで存続しました。
しかしながら、(宝永4年(1707)の大地震で一部建物が大破し、加えて寛保3年(1743)には多くの建物を焼失する大火災が起こり、このときに天守閣も失われるなど、城は甚大な被害を受けます。さらに明治維新以降は二の丸、三の丸が破却され本丸のみとなり、昭和20年(1945)には大分大空襲で残った建物も多くを焼失してしまいました。現在も天守閣は再建されていないものの、大手門や櫓、廊下橋などが復元されており、往時の雰囲気を味わうことができます。

1.府内城跡へ行く途中の親子像
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2.府内城跡に至る!
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3.隅櫓などを見る!
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4.下記をクリックして、「音声付動画」で府内城跡周辺を見て下さい。
https://youtu.be/CZcVbH8asbg


5.大手公園内のサンフランシスコ・ザビエル像
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6.大手門
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7.城内にある陶板の府内城跡図
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8.もう一度別な角度から隅櫓を見ます!
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