2015/1/27

九州の文化財・史址を見る!8.黒田長政が再建した福岡藩黒田家の菩提寺・崇福寺!  文化財研修記

福岡市博多区千代17−79には臨済宗大徳寺派に属する古刹の横岳山勅賜萬年崇福禅寺(すうふくじ)がある。仁治元年(1240)筑紫郡大宰府町横岳の地に随乗坊湛慧(ずいじょうぼうたんえ )禅師によって創建された。翌年、聖一国師が宋より帰朝されるや湛慧は国師を迎え 開堂演法を請う。国師は宋の経山佛鑑禅師より授かった「勅賜萬年崇福禅寺」の八文字を 堂々と揚げ、ここに崇福寺は名実共に成立した。天正14年(1586)岩屋城落城(島津、大友氏の戦)の際、兵火によって堂塔伽藍、 重宝、什物等創建以来350余年にして勝禅院のみを残し 悉ことごとく鳥有に帰したが 、その跡に近年、仏殿、開山堂、禅堂、侍物寮、書院、山門、中門等が 大宰府別院として再興された。慶長5年(1600)黒田長政公が筑前国主となり大徳寺春屋和尚の請により復興を計画 、大宰府は不便につき現在地に移し、雲英、江月、江雲和尚の三代にわたり総門、御成門、 山門、仏殿、方丈、庫裡こり、書院、衆寮、開山堂等の伽藍が造営再建され、 慶長17年(1612)博多の巨商島井宗室の寄進により塔頭瑞雲庵(開山大應国師) 再興され、更に元和元年(1615)宗庵(当寺5世、大徳寺開山大燈国師塔所)再興された。寛永元年(1624)に久野重剛が檀越となって正伝庵(大徳寺一世大現国師塔所)再興された。 又、長政公より寺領として3百石、開山堂領として50石が寄進され、境内は東西が 馬出まいだし口より石堂際、南北が大通りより海浜までと広大な寺領を有し、大徳寺末、 筑前の触頭寺院として末寺、末々寺合わせて37ヶ寺を配下に置き、歴代藩主の 菩提寺として面目を保ったのである。(HPより抜粋)

1.崇福寺山門(元福岡城お表御門を移築したもの。県指定文化財)
クリックすると元のサイズで表示します

2.境内へ入る!
クリックすると元のサイズで表示します

3.崇福寺の唯一の塔頭寺院・仏宗庵
クリックすると元のサイズで表示します

4.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

5.庫裏・仏殿へ向かう
クリックすると元のサイズで表示します

6.本堂
クリックすると元のサイズで表示します

7.見事な鐘楼
クリックすると元のサイズで表示します

8.境内
クリックすると元のサイズで表示します

9.唐門(元名島城の門を移築したもの。県指定文化財)
クリックすると元のサイズで表示します

10.黒田家墓所へ向かう
クリックすると元のサイズで表示します

11.黒田家墓所の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

12.お墓配置図
クリックすると元のサイズで表示します

13.黒田如水公(官兵衛)墓碑
クリックすると元のサイズで表示します

14.黒田長政公墓碑
クリックすると元のサイズで表示します

15.下記をクリックして、「音声付動画」で広大な黒田家墓地を見て下さい!
http://youtu.be/1juZ8Fxd1Gc

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



この記事へのトラックバックURLはありません
トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ