2015/1/25

九州の文化財・史址を見る!7.黒田長政が築城した福岡城!  文化財研修記

慶長5年(1600) 黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、一躍筑前一国52万3千石を得て名島城に入城した。便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵(現在の舞鶴公園・福岡城跡)を新城候補地に選定した。慶長6年(1601)には築城が開始され、7年後の慶長12年(1607)に竣工した。福岡城は福岡市中央区に位置する梯郭式平山城である。普請奉行は野口佐助一成である。城地とされた福崎丘陵(那珂郡警固村福崎)は、博多と那珂川を挟んだ西側にある。主に、本丸を囲むように二の丸、その外に大きく三の丸が配され、47の櫓を配し縄張りの範囲は約25万平方メートルに及ぶ。大阪以西では最大規模の城郭で同じ九州の熊本城よりも大きかった。東側に那珂川を以って堀とし、また西側の干潟「草ヶ江」を大堀として活用した。この大堀は現在大濠公園として整備されている。城下町は城の北側(博多湾側)に開かれた。東側の城址は舞鶴公園となっている。築城の際に、福崎を黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めている。現在、城跡には門・櫓が現存し、多聞櫓とそれに続く二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、潮見櫓・大手門・祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。また、多聞櫓に続く二の丸北隅櫓が復元されているが、戦後急激に開発が進み、城内、舞鶴公園外には東西を遮る道路、全国でも珍しい城跡にある住宅私有地、公営競技場、裁判所、市立美術館、ありとあらゆる施設が建築され、城郭遺構としては未整備である。現在、福岡市は福岡城周辺をセントラルパークのように大規模な公園とする計画を発表し、20年計画で進行中です。

1.地下鉄大濠公園下車にある立札
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2.下之橋御門へ向かう


3.下之橋御門と多門櫓方面を見る!
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4.下之門御門
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5.同上
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6.門をくぐる
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7.旧福岡城図面(画像をクリックすると大画面で見れます!)
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8.汐見櫓
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9.祈念櫓
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10.鉄御門跡
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11.本丸跡は撮影失敗です!外から汐見丸櫓や下之も門を再度見ます!
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12.南多門丸櫓と城壁を見ます!
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