2015/1/19

九州の文化財・史址を見る!4.宗像三女神を祀る宗像大社!  文化財研修記

福岡県宗像市田島2331には宗像3女神を祀る宗像大社(むなかたたいしゃ)がある。宗像三女神は伊勢神宮・天照大神の御子神として誕生した三柱の女神で、お名前は田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)の三姉妹の神様です。長女の田心姫神は玄界灘の孤島、沖ノ島・沖津宮に祀られており、次女の、湍津姫神は大島・中津宮に祀られ、 末女の市杵島姫神は宗像大社境内の辺津宮に祀られています。伝えられる伝承では日本神話に起源を持つという。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神ということになっていて、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とされている。宗像は『古事記』では胸形という字が当てられ、また胸肩、宗形とも表記されるが、元は水潟であったとする説もある。古くから海の神として信仰を集めてきたが、神功皇后が三韓征伐の際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされる。またこの逸話からは航海安全の守護神として崇められるようになった経緯がうかがえる。大化の改新(645)によって国郡の制が敷かれると、宗像一郡が神領として与えられ、豪族宗像氏が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになった。在地豪族の胸肩君(むなかたのきみ宗方氏)の由緒を記した石碑によれば、宗像氏の当主が2代にわたって中国宗の商人の娘を正妻に迎えている。また胸肩君徳善(とくぜん)は娘の尼子姫を天武天皇の後宮に入れ、白雉5年(654)に二人の間に生まれた高市御子は壬申の乱(672)で父を助けて大勝利し、後に太政大臣に任ぜられる。鎌倉時代以降は武家の信奉も多く拝殿は戦国の知将・小早川隆景が天正16年(1590)に再建、杮(こけら)葺きの大屋根が美しい本殿は天正6年(1578)に宗方大宮司貞が再建したもの。筑前黒田氏などによる社殿の造修営、社領の寄進が伝えられている。
 秋季大祭は毎年10月1〜3日の辺津宮本殿での催しに先立って中津宮・沖津宮で神迎えの神事があり、漁船群の立てる色とりどりの旗や幟で海上神幸を行う(みあれ祭)。本殿では翁舞、風俗舞、流鏑馬、奉納相撲などが披露される。起源は平安時代にまで遡るといい、「放生会」と呼ぶこともある。七夕祭は 毎年旧暦7月7日夕刻時、筑前大島の中津宮末社で行われる。牽牛社・織女社というのがあり、その前に短冊を付けた竹笹を立てて技芸の上達を祈る。水に映る姿を見て男女の因縁を占う神事や、七夕揮毫大会も開かれる。

1.宗像大社標柱と大鳥居
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2.宗像大社駒札(画像をクリックして頂くと拡大して読めます)
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3.宗像大社の鳥居と10月3日の秋の祭り最終日で夕刻から賑やかになります!
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4.太鼓橋を渡る!
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5.同上
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6.神門
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7.大祭受付
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8.平成の大修理で仮拝殿で神事がおこなわあれます!
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9.国重文の本殿(写真はお借りしてきました。)
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10.第三宮、第二宮への参道
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11.同上
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12.御神木
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13.第三宮、第二宮
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14.下記をクリックして、「音声付動画」で宗像大社境内を見て下さい!
http://youtu.be/ehPFW3KUlaU


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