2014/12/24

房総の文化財・史址を見る!33.関東一の大神輿をもつ八剣八幡神社!  文化財研修記

千葉県木更津市富士見1丁目6−15には関東一の大御輿を持つ八剣八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)がある。社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。天正19年(1591)徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長19年(1614)大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻(指定文化財)と銀子を贈り神恩に感謝した。宝暦2年(1753)に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年(1774)に現社殿を再建。寛政9年(1890)に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚、指定文化財)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座している。(神社HPより抜粋・加筆)

1.関東一の大神輿を持つ八剣八幡神社の夏祭りのパンフレット(毎年7月12日と13日)
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2.7月12日午後4時の神社の鳥居前
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3.賑やかな境内
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4.社務所
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5.見事な拝殿
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6.拝殿の扁額
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7.神社 駒札
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8.源頼朝公の巨大になった「お手植えの蘇鉄」
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9.同上 駒札
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10.神輿蔵(時間が合わず関東一の大神輿は見れなかった!)
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11.同上 駒札
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12.拝殿後部と本殿を見る!
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13.幣殿に続く本殿を横から見る!
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14.御神木
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15.三神神社(流造)
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16.同上 駒札
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17.祖神社(土蔵造)
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18.嶺田楓江寿碑
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19.同上 駒札
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