2014/11/28

房総の文化財・史址見る!20.阿倍野清明所縁の銚子の川口神社!  文化財研修記

千葉県銚子市川口町2−6378には 社伝によれば、寛和2年(986)の創建で、祭神は速秋津姫命(ハヤアキツヒメ)を祀る川口神社がある。ハヤアキツヒメは、普通、ハヤアキツヒコとセットで、「古事記」では「水戸神」、「日本書紀」の一書では「水門の神」と記し、「みなとのかみ」即ち、港の神であるという。また、港は多く河口に造られたため河口の神でもあり、穢れを川に流すところから祓除の神ともされるらしい。 銚子市に残る安倍晴明伝説によれば、晴明の偽計によって、晴明が死んだと悲観した延命姫は屏風ヶ浦の崖から海に身を投げ、その遺体は粉々に砕けてしまった。延命姫の歯と櫛だけが現・銚子市川口に流れ着いた(川口には「千人塚」があり、海難漁民慰霊塔が建立されている。かつては、銚子付近の海で遭難すると、川口に遺体が流れ着いたという。)。この歯と櫛を丘に埋めて延命姫の霊を祀り、「歯櫛明神(はくしみょうじん)」と称した。これが、いつしか「白紙明神」と呼ばれるようになり、明治3年に現在の「川口神社」と改称したという。こうした伝承から、櫛や鏡を奉納して祈願すると美人になるといわれ、また、当神社が頒布する「白粉」をつけるとアザが消えるとされていたようだ。もちろん、銚子港を見下ろす立地からして、銚子の漁民からも信仰が篤かった。有名な「銚子大漁節」にも「九つとせ この浦守る川口の 明神御利益あらわせる この大漁船」と詠われている。
さて、それにしても「銚子の安倍晴明伝説」が不思議なのは、わざわざ主人公を陰陽師・安倍晴明にしながら、全く陰陽師らしいことはしていないことである。騙されて死んだ延命姫の亡霊が怨念・妄執をもって晴明を襲い、これを晴明が呪術をもって鎮める・・・というのなら、それらしいのだが、単なる延命姫の悲恋物語で終わっている。また、晴明が銚子に来た理由は「花山天皇の失脚に身の危険を感じて」ということだったが、このとき寛和2年(986))、晴明は(通説によれば)既に65歳くらいである。京都を離れたという記録はなく、寧ろ翌年には一条天皇のために反閇を奉仕したという資料がある。そもそも、晴明が陰陽師としての活躍が目立つようになるのは、一条天皇や藤原道長の信頼を得たことによるもののようである。安倍晴明を主人公とする伝説は全国各地にあり、その多くは後世、在野の陰陽師の活動によって発生したものだろう。

1.二の鳥居
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2.一の鳥居を見下ろす!
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3.石段参道を登る!
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4.漸く拝殿が見えてくる!
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5.石段参道の両側には碑文や石仏が多数あります。
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6.同上
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7.同上
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8.手水舎
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9.こんこんと湧き出る御神水!
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10.拝殿
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11.関東では7月の第2土・日曜日が夏の大祭が多く、川口神社でも宵宮神事が行われていました!
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12.同上
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13.拝殿後部から本殿を見ます!
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14.御神輿も準備されています!
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