2020/6/30

森鴎外作山椒(山庄)太夫の屋敷跡を見る!  文化財研修記

京都府宮津市由良には森鷗外作「山椒(三庄)大夫」の屋敷跡を見る。前回の「安寿姫塚」の記事を見て頂いたかと思慮して、やっぱり山椒大夫の屋敷跡を見て頂きたく掲載します。
前回は由良川右岸の「安寿姫塚」に対して左岸にある「山椒太夫」屋敷跡は由良川河口に近い左岸にあります。国道78号線を更に宮津方面に向かい丹後由良に行くと安寿姫と厨子王の銅像があります。また、由良湊から更に

1.国道178号線沿いにある山椒大夫屋敷跡の案内板
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2.駒札
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3.由良川左岸の案内板から数十メートル歩くと山椒大夫屋敷跡碑が在ります。
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4.此処には「山椒大夫」駒札もあります。
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5.屋敷跡を見る!殆ど面影も無いです!巨大なツガの木が三本見えます。
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6.国道178号線沿いにある安寿姫と厨子王の銅像がある地図
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7.安寿姫と厨子王の銅像
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8.同上 駒札
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9.更に、旧道と178号線の合流する浜には森鴎外文学碑がある。
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10.同上 駒札
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11.此の近くにある岩場は安寿姫が一日三荷の塩水を汲んだ所と言われています。
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2020/6/25

舞鶴市下東にある森鴎外作山椒大夫で有名な安寿姫塚を見る!  文化財研修記

舞鶴市下東には森鴎外作の「山椒大夫」で有名な安寿姫のお墓があります。そこは安寿姫塚(あんじゅひめづか)と呼ばれ京都府舞鶴市の西舞鶴市街地の西側にある建部山のふもとに位置しています。太夫の家を逃れた安寿姫は、京へ上がろうとする途中、中山(現在の舞鶴市加佐地区)から下東へ出る坂で、疲労と空腹に堪え切れず最期を遂げたもので、地元の人々に手厚く葬られたとされています。安寿姫の命日である7月14日前後の土曜日に安寿姫塚夜祭が行われており、近年は併せてキャンドルイルミネーションも行われています。

1.湊十二神社から由良川右岸に沿って上流に向かって行く途中に「安寿姫塚」の名印があります。画像をクリックすると拡大して読めます。
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2.建部山に向かっています!無料の無料の駐車場から案内図に従って大きな溜め池への道を登っいきます。
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3.建部山の麓の溜め池に沿って行きます!
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4.溜め池の道に在る案内板(歌舞伎で催された場面です!)
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5.同上 アップで見ます!(画像をクリックすると拡大します。)
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6.同上
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7.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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8.安寿姫塚のお堂
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9.お堂の中の安寿姫塚(お墓)です!
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10.7月14日前後の土曜日に「安寿姫塚夜祭」の動画を見たい方は下記をクリックして見て下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=wkzP4apgAks


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2020/6/20

舞鶴市西神崎の奉納された北前船と扇踊で有名な湊十二社神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市西神崎 には北前船の安全祈願と神崎扇踊り有名な湊十二社大名神社(みなとじゅうにじんじゃ)がある。由良川河口の右岸、西神崎の松林に囲まれた広い境内に、元文三年再建の社殿があり、千石船の模型が奉納され、鳥居に掲げられた「湊十二社」の字は東郷平八郎元帥の揮毫の扁額が掲げられている。かつては「十二社権現」といわれ、熊野権現をさすものと考えられている。
 神崎は、江戸時代は北前船の基地であり、海運で栄え、湊十二社へは、遠隔地の海運業者からの奉納も多かった。明治になって神仏分離のさい、古事記などから「湊十二社」にふさわしい水の神や、災難徐けの神十二柱を選び出して祭神としたのではないか。大禍津日神(おおまかつひ)、大直毘神(おおなおび)、伊豆能売神(いずのめ)、速佐須良売神(はやさずらめ)の四神は「みそぎはらい」の神あり、沫那芸神(あわなぎ)、沫那美神(あわなみ)、頬那芸神(つらなぎ)、頬那美神(つらなみ)、天之水分神(あまのみくまり)、国之水分神(くにのみくまり)、天之久比奢母智神(あまのくひぎもち)、国之久比奢母智神(くにのくひぎもち)の八神はいずれも水戸神の生んだ神である。
京都府無形文化財の「神崎の扇踊」は10月中旬の土曜日の宵宮から始まり、翌日日曜日に本祭が盛大に催される。「東西屋」と呼ばれる烏帽子(えぼし)と裃(かみしも)姿の少年に先導された祭りの行列が同地区を練り歩いた後、午後に同神社に到着した。 本殿前では「東西屋」の口上に続いて、子供たちがたたく太鼓に合わせて、黒紋付き袴(はかま)姿の男たちが扇を広げて「神楽踊」「室町踊」の2曲の踊りを披露。扇が優雅にひらめく姿に、集まった観光客らも見入っていた。

1.由良川右岸の西神崎方面を見る!
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2.湊十二社神社の参道を見る!
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3.三メートル以上もある巨大な石灯籠です!
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4.左側には甘夏ミカンの実が茂っている参道
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5.東郷平八郎の揮毫の扁額のある石造りの大鳥居です!
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6.朱の二の鳥居を見る!
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7.文化財の駒札
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8.西神崎にあるホフマン窯製造会社が1901年に寄進した手洗所も日本遺産に登録あるされています。
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9.湊十二社を見る!
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10.同上
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11.同上
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12.見事な拝殿内の本殿の彫刻を見る!
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13.同上
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14.同上 本殿の扁額を見る!
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15.奉納された千石船の模型(本殿左側)
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16.見事な奉納された絵馬を見る!(本殿右側)
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17.有名なこの神社の秋祭りは下記をクリックして見て下さい!
http://maizuru.huuryuu.com/page2/page2-11/pg2-11.html

18.音声付動画は下記をクリックして見て下さい!

(1)宮入り
https://www.youtube.com/watch?v=YViHUlKDTSc

(2)扇踊
https://www.youtube.com/watch?v=w-VqmsLBd1w


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2020/6/15

舞鶴市でツ;ガの巨木の在る白髪神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市字上漆原はツガの巨木(樹高29メートル、幹周4.92 メートル)が在る白髪神社(しらひげじんじゃ)がある。祭神 大田命(おおたのみこと)猿田彦命(さるたひことのみこと)の末裔されているが、同一人物とする説もある。道開きの神として交通安全、海路・国土の守護や五穀豊穣、商売繁盛、厄除け祈願等に信仰が厚い。祭礼の時神輿の先頭を切っていく、赤ら顔で、鼻の高い猿面の神が猿田彦命である。祭日は現在は7月24日に近い土曜日に夜祭がある。棟札には「元文元年丙辰天 奉建立白髭大明神」元文元年は1736年、本殿建立元文元年(1736)、石段の上部15段
下部の16段は平成14年7月新設、鳥居は明治40年(1907)、灯籠は安政4年(1857)、狛犬一対は大正12年4月(1929年)、末社は稲荷神社、 区保存文書 白髭神社境内譲興申請書 昭和23年 以上

1.石段参道を見上げる!
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2.明治40年(1907)建立の鳥居
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3.社殿を見る!
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4.大正12年(1923)建立の狛犬一対と覆屋の中の本殿を見る!
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5.覆屋の中の本殿を見る!
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6.同上 アップで見る!
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7.本殿の彫刻をアップで見る!
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8.安政4年(1857)建立の石灯籠
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9.安政4年の銘を見る!
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10.社殿の奥に在る末社の稲荷神社
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11.ツガの巨木(樹高29メートル、幹周4.9メートル)もある!
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2020/6/10

舞鶴市の延喜式内社の日原神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市女布35には延喜式内社の日原神社(ひばらじんじゃ)がある。加佐郡式内社「日原ヒハラノ社」に比定される。祭神は天日腹大科度美神(女布日原神社御旅所略縁起)とも日臣神(加佐郡誌)とも伝えるが不詳。「日原神社御旅所略起」によれば、天武天皇の御代(673-86)に九会神事が始まり、毎年、御祓川上流の山崎川原に神輿を集めて祭典を行ったと伝えられる(舞鶴市史より)。
日原女布の産土神、延喜式内日原神社は、朱鳥元年(686)に祭祀されたと伝えられているが、白鳳年間(650-680)天武天皇のころに既に九社明神の神事が行われたともいうから、あるいはそれ以前に祭祀されていたのではないか、と思慮される。
 祭神は天日腹大科度美神(丹後国加佐郡女布村日原神社御旅所略縁起)とも、日臣命とも伝えられる。天日腹大科度美神は大国主神の裔、若昼女神を母神とする、日臣命は高魂命の裔として大伴氏の遠祖であると(舞鶴市史より)。
日臣命は神武御東征の砌り、先陣を承り、熊野より大和へ入り給う時、八咫烏の先導で道を開き進まれて大いに功労あり、神武天皇より賞され、道臣命と改めよと仰せられたという(日本書紀より)。
日原神社について主なる事項(女布史)
延長五年(927)式内社として延喜神名帳に記載される。
寛文年中(1670年ころ)田辺藩主牧野因幡守富成公願主となり再建、あるいは延宝2年(1674)再建ともいう。
宝暦元年(1751)氏神号を日原大明神と申す。
安政5年(1858)本殿の上屋を新築する。
文久元年(1862)仁和寺総法務宮より御染筆「日原宮」の御額面を御下賜される。
明治6年(1873)当勝神社を境内に祭祀する。
明治13年(1880)篭屋(舞堂)を新築する。
明治32年(1899)石段を新築する。
明治34年(1901)石灯篭笠石を今田青谷石と取り替える。
明治44年(1911)本殿を後へ寄せ、敷地を前へ広げて拝殿を新築。
昭和6年石鳥居を嵯峨根熊蔵が奉納。
昭和26年本殿屋根を檜皮にて葺き替える。
昭和41年小宮四社を一棟に建て替え祭祀する。
昭和43年村尾安亮の奉納により本殿の屋根がトタン葺となる。
(境内社)
稲荷神社 大川神社 水無月神社 当勝神社
神社来歴書
一、日原神社  延喜式内(加佐郡十一社之一)
  鎮座 丹後国加佐郡高野村大字女布小字日原
  祭神 日臣大神
  社格 村社 氏子人数 三百余
  右社霊額文久元年4月仁和寺総法務宮御染筆 日原宮ノ御額面御下賜相成候処維新の際宮号ヲ取止ニ相成 神社号となる仍テ本額不用ト相成候
一、金峰神社
  鎮座 丹後国加佐郡高野村大字女布小字桂ケ谷
  祭神 素盞男命
  右社創立以来祀事天平年間行基菩薩牛頭天王ヲ勧請ス自来時の領主ヨリ天王領米下賜候処維新ニ付無額トナル信徒申合セ万人ノ講社尊崇シテ当社維持致居候b     右之通御座候
      京都府加佐郡高野村字女布
      日原神社氏子総代
      兼         森脇治平 印
      金峰神社信徒総代
     明治21年2月


1.石造り大鳥居と朱の二の鳥居を見る!
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2.延喜式内社日原神社の標柱と朱の二の鳥居を見る!
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3.見事な朱の両部鳥居です!
二の鳥居である朱塗りの鳥居には幕末の文久元年に仁和寺宮から下賜された「日原宮」の額がかかる。
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4.同上
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5.二の鳥居から参道を見上げる!
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6.見事な舞殿から社殿を見る!
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7.手水舎
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8.拝殿を右側から見る!
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9.拝殿正面をアップで見る!
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10.拝殿の見事な天井を見る!
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11.本殿正面を見る!覆屋で覆われています!
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12.格子戸を通して見事な本殿を見る!
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13.同上 斜めから見る!
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14.本殿の見事な覆屋を右側から再度見る!
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15. 境内社群です!
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16.下り参道から社殿を見る!
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2020/6/5

舞鶴市にある「城屋の揚げ松明」と「巨大なタブの木」で有名な雨引神社を見る!  文化財研修記

京都府舞鶴市城屋キノフには「城屋の揚松明(あげたいまつ)」と「巨大なタブの木」で有名な雨引神社(あまびきじんじゃ)がある。雨引神社は水分神(みまくりのかみ)を祭神としとし、例年8月14日の例祭には「城屋の揚げ松明(京都府登録)と幹周5メートルもある巨大なタブの木がある。
神社の揚松明神事とは、雨引神社は西舞鶴の南部。高野川上流の城屋じょうやに位置する。毎年8月14日に行われる「揚松明あげだいまつ」の神事で有名な神社である。別名というか、本名というのか地元では「蛇神様じゃがみさんと呼んでいる。普通は祭神は水分みくまり神とされ、雨乞いしたのが神社のはじまりとも言われるが、実はもっともっととてつもなく古い歴史があると思われる。森脇宗坡そうはの大蛇退治伝説でも有名である。その退治されたはずの大蛇こそがこの神社の本来の祭神であろうと思われる。ここから高野川を三キロばかり遡った上流に「雨引神社奥の院」がある。さらにその奥に伝説の「蛇が池」もある。
《舞鶴市史》  〈 雨引神社 神社の祭礼で催される神賑のほかに、特殊な神事を伴う場合がある。城屋の雨引神社には、揚松明で名のある卜占神事が特殊神事として継承されてきている。社名は「天曳」(旧語集)「天引」(丹後旧事記)とも表記していた。祭神は社名が象徴するように農耕水利を司る水分神である。この揚松明は「旧語集」に「大松明ノ祭 珍鋪祭ニテ年の豊凶を試」(城屋村の項)すとあり、早くからその名があがっていた。
 揚松明の起源については二説あるが、一般に流布されているのは大蛇退治説であり、他は雨乞い説である。因みに雨乞い説については、明治三十九年の「神社明細書」に天保のころを起源としている。同種の神事は小倉に近年まで継承されていたほか、京都市左京区花脊広河原地区などでも継承されていて、揚げ松、松上げ、柱松と称して盆の精霊火の一つであるともいわれている(民俗学辞典)。
 同社の社頭を流れる高野川の上流を日浦ヶ谷に入ると、大蛇退治で有名な森脇宗坡(巴)が弘治年間(一五五五−一五五八)に娘の仇を討つために騎乗した馬が残したと伝承される馬蹄の跡と称するものを、岩の窪みに見ることができる。この岩は影向石と同じであり、神の憑り代で、恐らく雨引神社の原型をなしたものではなかったかと考えられる。伝承に従えば、娘を呑んだ大蛇を討ったあと、これを三断にして頭部を肥ったのが城屋の雨引、胴部は野村寺の中ノ森、尾部は高野由里の尾の森の各神社となったといわれる。
 揚松明はこの大蛇の供養、または大蛇の物凄さを象徴したものとされるが、この起源説は揚松明に付会したものと思われる。
 一方、雨乞い説は、旱天が続き農民が困窮していたところ「一偉人(中略)辛シテー神池ヲ発見ス 又神ノ告ヲ得テー松明ヲ点シ大ニ神ヲ祭り以テ雨ヲ祈ル 是ヨリ風雨順ニ五穀豊熟ス 村民依テ其神霊ヲ祭リシト云フ」(各神社明細書)とあり、これが起源説となっている。なお雨乞いのために火を焚く習俗は全国各地に見られる。
 大蛇退治と類似の伝承は全国に分布しているが、当市では布敷の池姫神社の創祁、与保呂の日尾神社にまつわる蛇切石の伝承、地理的には二社の中間に位する上根の船繋岩の伝承などがある。これらの伝承は大蛇(竜)がモチーフになっていて、大蛇の威を鎮めることにより農耕が進捗する様子を伝えている。そして、ともに岩が大きな役割を果たしていることが注目される。

1.高野川と大鳥居
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2.大鳥居
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3.大鳥居の扁額を見る!
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4.手水舎と巨大なタブの木を見る!
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5.巨大なタブの木を見上げる!
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6.タブの木と社殿を見る!
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7.城屋の揚げ松明の駒札
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8.同上
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9.社殿を正面から見る!
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10.社殿を銅鑼を見上げる!
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11.社殿の内陣・本殿を見る!
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12.同上
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13.見事な境内社がずらっと並んでいる!
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14.アップで見る!摂社の大川神社
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15.社殿を正面から再度見る!
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16.下記をクリックして「城屋の揚松明の神事」を見て下さい!
http://townreview.web.fc2.com/townreview/agedaimatu09.html

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2020/6/1

京丹波を見る!全国安国寺の筆頭・綾部安国寺を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市安国寺町には全国安国寺の筆頭である臨済宗東福寺派の景徳山・綾部安国寺がある。安国寺は、正歴四年(993)ごろ地蔵菩薩を本尊として開創されたと伝えられ、もとは光福寺と称した。建武四年(1252)勧修寺重房が上杉荘を賜り、これより「上杉」を姓とすることとなった。その後、光福寺は上杉氏菩提寺となり、釈迦三尊を合わせ祀った。嘉元三年(1305)足利尊氏の生誕によって当寺は、上杉氏・足利氏の尊崇を受けるようになった。暦応元年(1338)足利尊氏は夢想疎石の勧めによって、元弘の戦乱以降に亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるため、国ごとに安国寺利生塔を建立するにあたり、光福寺を丹波の安国寺となし、諸国安国寺の筆頭において、安国光福寺としたものである。康永元年(1345)尊氏は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して、安国寺の始祖と市、多くの寺領を寄進した。それ以降、塔頭十六、支院二八を有する大寺院であったが、江戸中期に至るまでの間に大半の寺領は押領されて、塔頭、支院は減少したが、今なお多くの重要文化財、府市指定文化財、重宝等も蔵する名刹である。
安国寺山門・鐘楼(建造物)::山門は四脚門(よつあしもん、・又は、しきゃくもんともいい、正背面の柱間が一間の門で、本柱の前後に二本づつ、計四本の控柱のある門の形式)で、切妻造、本瓦葺、左右袖塀附属。棟札があって、上梁天保十四寵舎発卯三月十一日の記がある。
 鐘楼は、桁行梁行とも一間の建物で一重、切妻造、桟瓦葺で、棟札によると山門と同じく、天保十四発の記がある。
安国寺仏殿・方丈・庫裏  綾部市安国寺町安国寺(江戸後期)
 仏殿は桁行五間、梁行五間、一重、入母屋造、茅葺の建物である。足利尊氏の帰依を得てより、全国安国寺の筆頭、後さらに十刹となった。境内は茅葺きの仏殿を中心に、方丈・庫裏(茅葺)・表門・鐘楼を備えている。
 現在の仏殿は寛保三年(1743)に完成したことが、仏穀内部の虹梁に貼付された梁札銘によって知られる。床は四半敷とし、側廻り一間を化粧屋根裏として海老虹梁でつなぎ、中央前寄りの柱を虹梁と大瓶束で抜くなど、禅宗独得の手法をうまく応用した貴重な建物である。
 方丈は正規の六間取りで、桁行15.8米、梁行11米、一重、入母屋造、横瓦茸で、寛政六年に上棟、庫裏は桁行14米、梁行8米、一重、一部二階、入母屋造、妻入の建物である。

1.満開の桜と山門を望む!2020年4月6日撮影
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2.無料の駐車場から見た駒札
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3.左側から上杉清子(うえすぎきよこ)・足利尊氏・赤橋登子(あかはしとうし、尊氏の妻)の墓と伝えられている。向かって左側に母堂清子(一三四二年没)、中央が初代尊氏(一三五八年没)、右側に妻登子(一三六五年没)。二代将軍義詮が父母等の没後に遺骨の一部を当地に迎え建立したと云う。
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4.元山家城主谷家の門を移築したものです。
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同上アップで見る!
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5.駒札
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6.鐘楼
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7.山門(内側から見る!)
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同上 アップで見る!足利家の家紋がある!
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8.山門から石段参道を見る!
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9.山門から仏殿を見る!
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10.方丈を見る!
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11.仏殿前の駒札
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12.仏殿内の国指定文化財「木造 釈迦三尊座像」「木造 地蔵菩薩半跏像」
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13.仏殿内の国指定文化財「木造 地蔵菩薩半跏像」
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14.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/ankoku/ankokuji.htm

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