2020/5/30

京丹波を見る!「延喜式内並国史見在神社考証」に描かれた河牟奈備神社を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市十倉名畑町古気良10−1には延喜式内社で御祭神・天下春命を祀る河牟奈備神社(かむなびじんじゃ)がある。この神社は元・大宮大明神と称され、元井根村を中心とした八ヵ村の氏神で鎮座地は今も大宮と呼ばれている。式内社・珂牟奈備神社に比定されている古社だが、延喜式九条家本には、河牟奈備神社と記載されており現在の社号は、河牟奈備神社となっている。元亀・天正の兵火にかかり宝物古記録等は焼失してしまったという。鎮座地背後の河牟奈備山には神の宿る山とされ「常盤なる神なび山の榊葉を、さしてぞ祈る万世の為」(1032年)「みしまゆふ肩にとりかけ神なびの、山の榊をかざしにぞする」(1182年)などと詠まれている。祭神は、天下春神。八意思兼命の子で、天饒速日命の従神。異説として、丹波国造の祖神、神魂命などとする説がある。社殿右手に境内摂社が二つ並んでいる。右から吉田社と阿上社。阿上社の祠の下に、平安期(永久二年)の銘のある石碑がある。現在、綾部市の文化財となっており、綾部市最古の金文石が社の下にある。
式内社 可牟奈備神社
祭神 天下春神
 この地を今も大宮というのはかつて崇敬 あつい近郷近在の大社であった故であろう。 境内に数基の古墳がある。元亀天正の頃、 兵火にかかり宝物記事等を焼失した。
 後朱雀天皇の長元九年(一〇三六)大嘗会 主基方神遊の歌に丹波国神奈備を
常盤なる神奈備山の榊葉 さしてぞ祈る万代のため(千載集)
と詠まれているが神奈備山はこの大宮の後 背の山といわれている。尚境内の阿上社に は永久二年(一一一四)銘の御神体の石碑が ある。現在、綾部市最古の金石文である。
−社頭案内板−
和銅年間の創立で、延喜式内社、元井根村を氏子元として八ヶ村の氏神であった。今も大宮というのは、崇敬の厚い近在の大社であったためである。元亀、天正年間兵火により宝物、記録等焼失した。後、後朱雀天皇の長元九年大嘗会主基方神遊の歌(千載集)に神奈備山を歌った歌がある。「みしまゆふ肩にとりかけ神なびの山の榊をかざしにぞする」
阿上社には永久二年銘の御神体の石碑がある。(1114年)現在綾部市最古の金石文であり、(平安末期)昭和五十年九月十一日有形文化財となる。


1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に11社を紹介し、此処に描かれた河牟奈備神社神社を掲載します。
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2.大鳥居を望む!
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3.鳥居をアップで見る!
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4.鳥居に付けられた駒札
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5.側面から見た見事な両部鳥居です!
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6.左に見事な参集殿と正面に拝殿を見る!
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7.左側の手水舎と創建1300年記念碑
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8.阿形狛犬と見事な浮彫りの彫刻のある石灯籠を見る。
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9.吽形狛犬を見る!
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10.朱の二の鳥居と三の鳥居と拝殿を望む!
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11.右に石灯籠と拝殿・産の鳥居を見る!
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12.三の鳥居と拝殿
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13.拝殿を正面から見る!拝殿の奥に本殿が見える!
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14.本殿向拝の彫刻を見る!彫刻の龍には銅線の髭がある。柏原の中井権次一統の作と思われるが全体の彫刻は四・五・六代目の中井権次の直系の彫刻より少し劣っているが、中井権次一統の作と思慮します。
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15.同上 アップで見る!
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16.右側の象鼻を見る!
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17.左側の象鼻を見る!
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18.右側から摂社の吉田社と阿上社
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19.阿上社の祠の下に、平安期(永久二年)の銘のある石碑がある。現在、綾部市の文化財となっており、綾部市最古の金文石が社の下にある。
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20.同上 アップで見る!
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21.拝殿本殿の覆屋を右側から見る!
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22.拝殿前から石段参道を見下ろす!
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23.最後にもう一度見事な本殿を左側から見る!
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24.創建1300年祭の記事は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/773.html

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2020/5/25

京丹波を見る!「延喜式内並国史見在神社考証」に描かれた阿須々神社を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」志賀郷地区(しがさとちく)金河内町東谷1番地には京都登録文化財の阿須々岐阜(あすすぎ)神社本殿と摂社の大川神社本殿があります。また、京都府登録無形文化財の秋の祭礼芸能や文化財環境保全地区の状況を掲載します。
志賀の七不思議と「茗荷さん」の縁起
 今からおよそ1400年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は国の中心勢力を固めるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王はおおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。
 また志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「向田:後の篠田」の五つの社を厚く信仰されたということです。
 親王の子孫、金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」向田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。
 この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。
 なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として今に語りつがれています。
その奇瑞  阿須須伎神社=金宮大明神の「茗荷さん」
 毎年旧暦の正月三日になると、日の出より8時までの間に、清水の流れる「お宝田」から茗荷が3本出るのです。
 これを神前に供え、その茗荷の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占い、またその年の作物の出来具合い、風水害、かんばつまでも占います。
 この神事は、今も新暦の2月3日に「茗荷祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは「ミョウガさん」として親しまれています。
 参拝者には、この占いの写し(お宝付きの写し)と魔除けの矢、甘酒、お餅などがふるまわれます。
 是非一度お詣りください。 志賀郷公民館


1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に11社を紹介し、此処に描かれた阿須々岐神社を掲載します。
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2.阿須々岐神社の案内板(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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3.阿須々神社の参道(狭いので要注意です。)
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4.巨大な自然石の常夜灯
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5.阿須々岐神社の巨大な木製の両部鳥居と文化財環境保全地区
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6.同上 背後の山と一体となった鎮守の森にはシイやカシにまじりスギやヒノキの高木が混じって
いる。文化財環境保全地区に指定され、鬱蒼とした森と神社です!
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7.石造りの台輪鳥居(二の鳥居)
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8.秋の大祭では「百射の神事」行われた後、行列が練り込み、祭礼が始まる。舞殿では子供による
奉納芸能が始まる。(詳細は下記を」クリックして見て下さい!)
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9.百射の射場!!
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10.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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11.駒札
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12.拝殿
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13.拝殿後部と本殿を見る!
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14.本殿を右側から見る!(上手く撮影出来ない。)
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15.摂社で京都府登録文化財の大川神社本殿
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16.同上の駒札
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17.本殿の裏側には稲荷神社があります!
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18.駒札
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19.同上 母樹林
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20.2月3日の「茗荷さんの神事」は下記をクリックして見てください。
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/980.html

21.10月10日の秋の大祭での「子供の奉納芸能」は下記を」クリックして見てください。
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2327.html

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2020/5/20

京丹波を見る!「延喜式内並国史見在神社考証」に描かれた高倉宮以仁王を祀る高倉神社を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」には高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)を祀る高倉神社がある。明治9年5月に明治政府令により作成された「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしじんじゃこうしょう)京都府立総合資料館所蔵」には天田郡(現、福知山市にはたったの3社、元何鹿郡の我が綾部市には12神社がる。その1つがこの高倉神社で、12世紀後半、平安時代末期には徐々に武士の時代になりつつあり、まさに平家の全盛の時代であった。平清盛は太政大臣として権力を振るい、治承3年(1179)には後白河法皇を鳥羽殿に幽閉、翌4年高倉天皇(以仁王の異母兄弟)を退位に追い込み、自らの孫を安徳天皇として即位させた。源氏の有力者源三位頼政は、後白河法皇の第二皇子として将来を期待されていた以仁王を中心に挙兵する計画を立て、以仁王は平家追討の令旨を諸国の源氏に発し,自らも頼政を総大将として平家追討の兵を挙げられた。しかし、頼政方に利あらず、宇治の合戦で敗北、頼政は平等院で自刃。以仁王はそこを逃れ,南都で再興しようと数十騎の側近と南進された。丁度井出の渡し(木津川市山城町)で追撃の平家軍の猛攻撃を受け、以仁王の身代わりとして影武者が討ち死に、以仁王は13名の側近と丹波に逃れ頼政の領地であった吉美卿有岡村目指して10日余りの旅で何鹿郡綾部に着かれ由良川を渡たられたのは治承4年5月下旬か6月初め、農作業の中、里人は都からの高貴な方の到着を喜び笛、太鼓で田楽踊りを舞い今も伝わる「ひやそ踊り」で以仁王を慰めたという。しかし以仁王の矢傷は悪化し、同年6月9日「後世、庶民の腹痛の悩みを我代わって救わん」という言葉を残して昇天された。翌年養和元年(1181)9月9日以仁王の神霊を奥谷の森、高倉に移し奉り、ここに高倉神社が創建された。四方幸則宮司作成文を略す。

1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に11社を紹介し、此処に描かれた高倉神社を掲載します。
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2.式内社高倉神社の全景


3.駒札
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4.石造り大鳥居
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5.京都府指定文化財の拝殿を望む!
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6.同上
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7.見事な彫刻の拝殿
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8.手前の十二士神社から琴平神社などの境内社群
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9.拝殿後部と本殿を見る!
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10.境内社の天照大神を祀る皇大神宮
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11.大地主神社・伊邪那岐神社と綾部市指定古木・名木の一つ「夫婦スギ」を見る!
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12.高倉神社のホームページは下記をクリックして見て下さい!
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/12/49/index.html
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2020/5/15

京丹波を見る!元何鹿郡(綾部市)の十二延喜式内社の一つ嶋萬神社を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市中筋町岩ケ下13には御祭神・須佐之男命を祀る何鹿郡(綾部市)の十二延喜式内社の一つ 嶋萬神社(しままのじんじゃ)がある。参道入口に白い大鳥居が建っている。扁額には「嶋萬神社」と書かれている。又境内の案内板には「島万神社」と記されている。創祀年代は不詳。社伝によると、天平八年(732)諸国に疱瘡が流行したため、翌天平九年(737)疫病平癒祈願のため各地に勧請されたという古社である。祭神は須佐之男命一柱だが『明治神社誌料』には大那牟遅命(おぼなむちのみこと)・少名彦名命を『綾部市史』などには、さらに足名推神・手名推神・櫛名田比賣神も配祀とある。また『式内社調査報告』では、もとは秦氏系の古代氏族の祖神であったものが律令制の神祇政策により出雲系神話の神に改神したとある。江戸時代まで当社に接して別当寺薬王山海蔵寺があり、当社は本地仏薬王を祀り、五社大明神とも薬王大菩薩社とも称されたという。祭礼は十月十日で、中世末期に流行した風流踊を伝える太刀振(オンヤー)・太鼓踊(テンテコテン)が奉納される。この祭は京都府登録無形文化財に指定されている。神紋は本殿などに花菱紋が付けられていたので、当社の神紋だと思慮する。境内には幾つかの境内社がある。境内右手には招魂社と八幡社。境内奥の池の中にも境内社の祠(市杵嶋姫社)。その他に朱の社殿の境内社・稲荷社もある。

1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に11社を紹介し、此処に描かれた嶋萬神社を掲載します。
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2.石造りの大鳥居
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3.中世末期に流行した風流踊を伝える太刀振(オンヤー)・太鼓踊(テンテコテン)が奉納される。この祭は京都府登録無形文化財です。
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4.左側には無料の駐車場があり、参拝口を見る!
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5.一対の石灯籠と二の鳥居を見る!
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6.二の大鳥居を見る!左側には無料駐車場、右側には集参殿が見える!
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7.左側の見事な彫刻の手水舎を見る!
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8.駒札
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9.左側の見事な絵馬堂を見る!
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10.同上 アップで見る!
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11.同上
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12.中世末期に流行した風流踊を伝える太刀振(オンヤー)・太鼓踊(テンテコテン)が奉納される舞殿を左側から見る!
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13.同上 舞殿を右側から見る!
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15.御神木の巨大な杉
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16.境内社の招魂社
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17.境内社の八幡社
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18.見事な八幡社の彫刻を見る!
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19.阿形の狛犬を右から見る!
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20.拝殿を正面から見る!本殿が奥に見える。
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21.吽形の狛犬
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22.本殿正面を見る!
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23.拝殿をアップで見る!
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24.本殿をアップで見る!
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25.神輿蔵と神紋の花菱紋を見る!
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26.右は拝殿の屋根と左に本殿の屋根が見える。
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27.本殿の側面を見る!
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28.同上 アップで見る!
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29.境内奥の池の中にも境内社の祠(市杵嶋姫社)がある。
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29朱の社殿の境内社・稲荷社
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30.中世末期に流行した風流踊を伝える「太刀振(オンヤー)・太鼓踊(テンテコテン)が奉納される。この祭は京都府登録無形文化財に指定されている。」の記事は下記をクリックして見て下さい。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/tenteko/tennteko.html


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2020/5/10

京丹波を見る!元何鹿郡(綾部市)延喜式内社十二社の一つの福太神社を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市上八田町寺垣24には御祭神の須佐之男命を祀る何鹿郡十二延喜式内社の一つ福太神社がある。この神社への参拝道は複雑で軽自動車で無いと行けない。485号線から北へ入った場所に、南向きの境内があり、民家の間の参道を30mほど進むと境内入口です。数段の階段を上ると参道右手に「式内村社福太神社」と刻まれた社号標があり、社号標の後方に小さな祠がある。石の鳥居をくぐると木々に囲まれて50mほどの参道があり、参道奥に明るい砂利の境内がある。社殿は石組の上にあり、垣に囲まれている。中央に拝殿があり、左右に境内社の祠があり、『平成祭データ』には、宇津比古命を祀る三柱神社と、保食命を祀る稲荷神社の名が載っている。拝殿の後方に本殿を納めた背の高い覆屋があり拝殿の扉の隙間から本殿正面が見られる。江戸時代には福田大明神と称されていた。以前は、同じ町内の福田という場所にある薬師堂に一緒に祀られていて、それがいつの頃か今の場所に遷されたという説があり、鎮座地名の福田から福太という社号になったという。祭神は須佐之男命。だが、保食神とする説もあったようで、さらに、八田郷の先祖の氏神を祀ったともいわれ、明治十年六月、京都府より式内社の認定を受け、明治四十五年、無格社三柱神社を合祀し、現在は、保食神や三柱神は境内摂社となっている。

1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に11社を紹介し、此処に描かれた福太神社を掲載します。
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2.石造り鳥居とその右手の社号標が見える!
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3.石造り鳥居と社殿が奥上に見える!
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4.石段参道を見上げる!
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5.左手の手水舎を見る!
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6.正面に拝殿、右手に三柱神社、左は稲荷神社
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7.右手の見事な参集殿を見る!
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8.拝殿前の見事な浮彫りの彫刻のある石灯籠
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9.同上
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10.同上
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11.寄進の石碑
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12.同上
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13.銅造り鳥居と拝殿を正面から見る!
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14.右手の見事な阿形の狛犬
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15.左手の見事な吽形の狛犬
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16.拝殿を見る!
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17.拝殿の格子から本殿を覗く!
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18.同上
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19.同上
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20.本殿の覆屋を横から見る!
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21.拝殿前から登り参道を見下ろす!
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2020/5/5

京丹波を見る!何鹿郡(綾部市)の延喜式内社十二社の一つ高蔵神社を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市(元何鹿郡(いかるがぐん)西坂町宮ケ嶽21には建内宿禰(たけのうちすくね)を祀る延喜式内社の高蔵神社(たかくらじんじゃ)がある。手水舎の横に、牛頭天王を祀った小祠があり、鳥居を潜ると参道正面に本殿覆屋があり、右手に摂社・八幡神社、左手に摂社・若宮神社が祀られている。創祀年代は不詳。もとは、現在地の南にある宮ケ岳山頂に鎮座していたが古代のある時期に現在地に遷座したという。社伝によると、源頼光が大江山の鬼退治の際、当社に祈願し、鬼射祭を行ったという。杉の板に「鬼」の文字を書き、三人の子供に射抜かせるという神事で、今でも行われているという。境内左手、若宮神社の左側には、稲荷神社の小祠、厄除神社と大山祇神社の石が祀られている。本殿覆屋の屋根に、神紋の三つ巴紋が付けられている。物部誌史によると延喜以前の創設である。初めは宮ヶ嶽の頂上に祭ってあったのを中古現地に遷し祭ったものであるという。物部村宛の指令は次のとおりである。何鹿郡第三区西坂村「其村鎮座高蔵神社延喜式内に相違無之今般詮議決定候条此旨相達候事」明治十年六月京都府とあり、社名(号)については、「新訂増補国史大系延喜式」には、高蔵神社(タカクラカミノヤシロ・タカクラカムヤシロ)の二種類乃訓がつけられており、中院家本には「高蔵神社」と訓は空白となっている。社名のいわれはわからないが、今も小字名に「高倉」があり、律令制時代にここに食料などを保管する高蔵が建立されていたのか、その由緒から社名がつけられたものと思われる。
今の御社殿は、南方に聳える宮ヶ嶽の麓に東面して建つ。本社の本殿は、棟札から、享保14年(1729年)九月吉辰に建立されているが、これは多分再々建であろうと考えられる。当社の特異神事として社伝記録に「源頼光が大江山の鬼退治の際、大江山山系が一望できるこの高蔵神社に参詣し、諸願成就の上は再度参拝すると祈宣し、その前兆として、鬼射の神事を執り行ったと云う。今にこの神事が三月二十八日の脇宮、八幡宮社の例祭りの日に神事として執行されている。それは、長さ一尺幅三寸の薄い杉板の1枚に、鬼の字を書き、別の1枚の杉板には、左馬の字を書き、各々を庭中に建てた的の上につるし置き氏子中の両親がそろった3人の男子児童が半弓を以て先に鬼の字を次に左馬の字を射抜かしむ。」(社伝記録文書より)とある。


1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に9社を紹介して来た。ここに描かれたものを掲載します。
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2.手水舎
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3.手水舎の横にある牛頭天王を祀る祠
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4.高蔵神社全景 撮影4月4日で桜が満開です。
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5.神社の駒札
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6.鳥居と社殿を見る!
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7.鳥居の扁額を見る!
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8.拝殿を正面に見る!右手は摂社の八幡神社です。
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9.石灯籠と神社標柱を見る!
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10.拝殿の右手には見事な集会所がある!
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11.右手の集会所、真中の神輿蔵、そして摂社の八幡神社です。
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12.拝殿正面
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13.拝殿の左側の摂社の若宮神社
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14.若宮神社の更に左側の稲荷神社と厄除神社・大山祇神社の石が祀られている。
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15.左側から見る!拝殿と本殿の覆屋
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15.本殿の覆屋の屋根の神紋の三つ巴紋です!
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16.本殿正面を見る!
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17.本殿を右手から見ると覆屋と本殿が良く判る!
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2020/5/1

京丹波を見る!何鹿郡(元綾部市私市)の延喜式内社十二社の一つ佐須我神社を見る  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には12の式内社がある。これは明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に9社を紹介して来た。今回は10社目である「佐須我神社(さすがじんじゃ)」を紹介します。この神社は古代は私部(きさいちべ)の氏神で中世まで雀部庄(ささべのしょう)を含む6ヶ村の郷社であったが、応仁・文明の乱後、社領を没収され衰えたといわれているが、現在でも東西に鳥居を持ち、見事な神社である。但し、戦後昭和の市町村合併でこの神社のある佐賀村の一部は福知山市になった。この神社には東西の2つの石の巨大な鳥居があり、両側すなわち東の鳥居は綾部の私市(きさいち)町側から参拝でき、西の鳥居側からは福知山市佐賀町側から参拝できる。祭神は武速須佐之男命であり、配祀は稻田宮主神、 稻田宮主簀狹之八箇耳、又、境内社も6社もあり、往時の勢力が理解できる、特に山上への途中の愛宕神社は素晴らしい彫刻である。他の5神社は、稲荷神社、市杵嶌神社、人阪神社、清郎神社、新宮神社である。
境内左手に稲荷社があるが、そこから裏山へ上る階段がある。階段を少し上ると、摂社・愛宕神社(火産霊神)が祀られている。本社の奥宮として機能しているものと思慮される。私部は皇后のために置かれた部民で、旧佐賀村は古代の皇室領であった。佐賀村の村名は、佐須我神社の社名から転じたもので、現私市の町名は、私部郷から付けられてものと思慮する。

1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に9社を紹介して来た。ここに描かれたものを掲載します。現住所は福知山市私市宮ノ下25番地です。
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2.西の石の大鳥居(福知山市側)
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3.西側の参道
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4.拝殿を見る!
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5.同上
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6.左手の手水舎
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7.正面から社殿を見る!
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8.左の手水舎の手水鉢を見る!
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9.右側の見事な集会所です!
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10.左側の神輿蔵と愛宕神社などの登り口と土俵がある!
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11.見事な拝殿です!
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12.拝殿を見る!
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13.右手の!見事な摂社の清所神社(伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀る)と思慮される。
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14.拝殿前の見事な石灯籠や狛犬を見る!
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15.拝殿左側に小さな摂社があるが良く判らない。
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16.拝殿左側の見事な摂社の新宮神社です!
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17.愛宕神社への参道と稲荷神社
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18.拝殿の前面左の遙拝所
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19.見事な拝殿をアップで見る!
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20.同上 この浮彫りの見事な龍には銅線の髭が有る!正に柏原の中井権次一党の彫刻です!
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21.象鼻の彫刻を見て見よう!
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22.拝殿を左側から見る!
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23.左側から見た拝殿と本殿
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24.本殿を見る!
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25.本殿横を左側から見る!
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26.本殿左側の見事な脇障子の彫刻を見る!
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27.本殿左側の見事な懸魚などの彫刻を見る!
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28.拝殿の左側から愛宕神社への登り参道を登ると右手に見える稲荷神社
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29.稲荷神社前から本殿・拝殿を見下ろす!
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30.愛宕神社への登り参道
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31.愛宕神社が見えて来た!
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32.見事な愛宕神社です!
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33.覆屋の中の見事な愛宕神社本殿!
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34.同上
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