2020/4/30

京丹波をみる!元何鹿郡の延喜式内社十二社の一つ伊也神社!  綾部の文化財

京都府綾部市広瀬町城山14−3 には何鹿郡(綾部市と一部福知山市を含む。)の延喜式内社で御祭神の大日靈賣尊、月夜見尊 素盞嗚尊を祀る伊也神社(いやじんじゃ)がある。山家駅の北1Kmほどの広瀬町城山に鎮座する。山家城址公園があり、公園の中には、山家藩主を祀る谷霊神社がある。公園の向かいの山の中腹に、伊也神社が鎮座している。社殿の右手には大きな岩がああり、案内板によると、磐座らしいのだが、磐座らしくない岩ですね。覆屋の中にある本殿は、小振りな流造です。『式内社調査報告』にも、明治初年まで「いなり」だと思われて軽視されていたが明治六年の調査で式内社・伊也神社であることが判明し、崇敬されるようになったとある。社伝によると、崇神天皇十年、丹波道主命が、何鹿郡に来られ甲ケ峯の麓に宮殿を造営し、三神を祀ったのが始め。「甲ケ峯の麓」とは、現在の広瀬町の北側、伊也ケ谷(伊神、356m)の東端です。丹波主命の死後、伊也神社を勧請したという。中世になって、豪族和久氏が伊也ケ谷山頂に甲ケ峯城を築城し、当社を崇敬したが、天正年間の大火によって焼失。また和久氏は明智光秀の丹波攻めで滅ぼされたが、当時、一族の一人を仏門に入れて、照福寺の住職として今も和久氏の末裔が存続しています。天正の初め山家藩谷氏は、広瀬町に広瀬八幡神社と谷霊神社を建立しこの二社を崇敬社とした。山家城の郭外にある当社は、稲荷社と呼ばれて、その由緒等は忘れられたらしい。ただ、旧宮跡は「御社」と呼んで神聖地と考えられてもいたという。明治三年十一月、山家陣屋が火事のため全焼し当社も焼失したが明治四年に再建。明治六年の調査時に、文化七年の清原宣光の祈願文が発見され、明治十年六月、式内社であることが確認された。参道入口の案内板によると、山上には当社の他に、「和久左衛門尉敷跡」や「照福寺跡」「岩ほこら」がある。

1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され(旧京都府総合資料館)現京都学彩々館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、この須伊也神社が描かれています。(全ての画像はクリックすると拡大します。)
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2.伊也神社の標柱と満開の桜!4月4日撮影!
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3.駒札
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4.急な登り参道と大鳥を見上げる!
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5.登り参道の途中にある道標
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6.二の鳥居と社殿を見上げる!
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7.二の鳥居を潜って社殿を見ると!
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8.本殿は覆屋の中にあり、小さいながらも流造りです!
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9.本殿をアップで見ます!
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10.登り参道を見下ろす!
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11.二の鳥居を見下ろす!
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12.社殿を振り返って見る
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13.広瀬八幡宮・山家城址公園などは下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/385.html

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2020/4/25

京丹波を見る!何鹿郡(綾部市)の延喜式内社の須波伎部神社を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市物部町横椽48には何鹿郡「(いかるがぐん、綾部市全域と福知山市の私市(きさいち)と報恩寺(ほうおんじ)」の延喜式内社十二社の一つ須波岐部神社(すはきべじんじゃ)がある。鳥居の横木(鳥居上部の横棒)が、湾曲した形状で大きな扁額には「須波岐部神社」と社号が刻まれている。社殿は、本殿を納めた覆屋があり、内部の本殿は、元和九年(1623)に再建された木造流造です。覆屋の左横には、大きめの境内社があり、本社同様、大切に祀られている諭旨。この神社は社伝によると、大同二年(807)、須波伎山に創祀されたという。三代実録の貞観十一年(869)十二月八日の条に「授丹波國正六位上物部簀掃神従五位下」とある古社で物部簀掃神と称されていたらしい。簀掃(スハキ)とは、古代に掃部と称され宮内省管轄の掃部寮に隷属した農民。物部氏の部民として、清掃具や設営具などを納めていた者達と考えられている。御祭神は、大日貴命ですが、度会氏の『神名帳考証』には、彌都波能神・水稚姫とあり、掃部の祖神を祀ったものだろう。大日大日靈貴命「(おおひるめむちのみこと)、大日孁貴神とも書きます。」を祀ることから、日光大明神とも呼ばれていたらしい。神宮寺の中谷山天慈院は、明治まで境内に建立されていたが廃仏毀釈によって、境内より50mの位置に移転されたらしく、『式内社調査報告』では、薬師堂一堂のみが残されたとある。神紋に関して、本殿覆屋の屋根に菊紋、境内社の屋根に巴紋が付けられていたが『式内社調査報告』では日光大明神からか日の丸の日光紋と載っていた。『式内社調査報告』には、摂社・広嶺神社、摂社・天満・太田神社の名が記されている。記載の順番から判断すると、本殿覆屋の左が広嶺神社で、石垣左前の2社が天満宮と太田神社だと思慮する。

1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され(旧京都府総合資料館)現京都学彩々館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、この須波岐部神社が描かれています。
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2.1.に掲載の絵のように石灯籠が右手にあります。
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3.石造り大鳥居(鳥居の横木(鳥居上部の横棒)が、湾曲した形状で大きな扁額には「須波岐部神社」と社号が刻まれている。)
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4.扁額をアップでみます.
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5.此処から急な登り参道です!
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6.櫻の花はつぼみが漸く咲きかけた三分咲です!3月末撮影。
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7.更に登り参道を上がって行くと社殿が見えました。
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8.社殿に近寄って行きます!
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7.社殿と吽形の狛犬
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8.阿形の狛犬
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9.石垣左手前の天満宮と太田神社
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10.石灯籠と拝殿を見る!
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11.拝殿
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12.拝殿の左側に貼られた駒札(綾部市観光協会と当会・綾部の文化財を守る会作成)
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13.拝殿後部と本殿を左側から見る!
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14.本殿を左側から見る!
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15.本殿をアップで見る!
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16.右側から拝殿後部と本殿を見る!
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17.本殿を右側から見る!
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18.本殿横を右側から見る!
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2020/4/20

京丹波を見る!延喜式内社の佐陀神社の論社(後裔)として大川神社と争った澤神社!  綾部の文化財

京都府綾部市栗町裏山2には延喜式内社の佐陀神社の論社(後裔)として大川神社と争った澤神社があります。神紋は「松皮菱」で御祭神は東殿社(大嶋社)事代主命、西殿社(澤社) 國常立命 埴安姫命です。参道階段を上り、鳥居を潜り、さらに階段を上ると境内です。境内左手に参集殿らしき建物があり、その前に土俵がある。参道の正面、石組の上に社殿があり、舞殿のような拝殿の向こうに、覆屋根の中に納まった二棟の本殿が見える。二棟並んだ本殿の東(右手)は、東殿社と呼ばれる大嶋神社。西(左手)は、西殿社と呼ばれる澤神社となっている。創祀年代は不詳。社伝によると、もとは澤山にあり、そのあたりに大きな澤があったという。中世になって付近が開拓され、澤田が多くなったといい、延喜式内社の佐陀神社の論社であるという。明治初年の式内社選定に際し昔から佐陀神社:大川明神と称されていた大川神社が式内佐陀神社と指定されたが、当社の澤神社が佐陀神社であると異議を申し立て、明治十年、大川神社の式内指定は取り消されたという。社殿の左右に境内社が3つあります。『式内社調査報告』に、二坪、一坪、半坪と三社の規模が記されており、その記述から考えると社殿左手に、摂社若宮神社、右手の大きな方が摂社・国造神社。小さな方が摂社・八坂神社だと思慮する。国造神社らしき祠には、小さな狐が並んでおり、稲荷社として祀られている。また、若宮神社の祭神は、『平成祭データ』では伊邪那岐命となっているが、『式内社調査報告』では細川家家臣・助太郎です。細川幽斎の子が若年の時悪行多く、近習・助太郎を手打ちにしたところ、不思議なことが郡出したので助太郎の霊を慰めるために社を建立した諭旨。式内社として争った大川神社境内に、「若宮神社・大嶌神社・澤神社・廣峯武大神・愛宕神社」と刻まれた石碑があったが澤神社、大嶌(大嶋)神社、若宮神社は、当社境内の三社のことだと思慮する。又、明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され(旧京都府総合資料館)現京都学彩々館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、今回は第一目、高倉神社、第 二回目、高蔵神社、第三回目として、舘町(たちちょう)の式内社「赤国神社」、第四回目として位田町の御手槻神、第五回目としてこの大川神社(佐陀神社)を紹介した時、二つの佐陀神社が描かれていた理由か判明しました。第六回目として紹介するこの澤神社と大変良く似ています。

1.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」には,佐陀神社が2つ描かれた内の2番目は!下記の絵です。
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2.参道から石造大鳥居を見上げる!
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3.大鳥居の扁額を見る!
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4.古い扁額が鳥居の右下に置いてあります。3と4の扁額の画面をクリックして拡大すると扁額の左下の「千家の文字と落款」が見えます。これは出雲大社教(いずもおおやしろきょう)は、1882年(明治15年)、当時の出雲大社前大宮司・第八十代出雲國造・千家尊福(せんげたかとみ)が創設した教団である。教派神道(神道十三派)の一つ。署名と思慮します。筆者はJTB福知山支店勤務の時、当時の出雲大社教の千家宮司様一向をバリ島とプランバナンの仏教遺跡の見学に案内した経験が有るからです。古くから何鹿郡(いかるがぐん)5区は栗村(くりむら)として威容を誇っており
大川神社は東栗村でこの澤神社は同じ5区ですが、西栗村で、両社がこの扁額を見ても張り合っていた事が判ります。
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5.更に急勾配の参道を登って行くと社殿が見えて来た!
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6.見事な拝殿を見る!
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7.左側には見事な巨大な参集殿があります。当時の信徒が多数集まったと考えられますね。そして子供達が奉納相撲をしたのでしょう。土俵があります。
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8.拝殿の石垣の下の寄進された自然石利用の手水鉢
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9.見事な舞殿風の拝殿です!
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10.舞殿風の拝殿ですね!奥に2社、右手に大嶋神社、左手に澤神社が見えますね!
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11.同上
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12.右手の大嶋神社をアップで見ます!
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13.左手の澤神社をアップで見る!
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14.澤神社を見る!
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15.右手の狛犬と若宮神社を見る。
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16.神紋が見える神輿蔵です!
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17.拝殿前から登り参道を見下ろした景色です。
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2020/4/15

京丹波を見る!綾部市(元何鹿郡)・延喜式内社の佐陀神社の論社の大川神社!  綾部の文化財

京都府綾部市栗町上村5の乙には元何鹿郡(いかるがぐん)現綾部市の延喜式内社の佐田陀神社の論社(ろんしゃ、延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。又、論社とは佐陀神社の後裔のことです。2・3有っもおかしく無い。)大川神社(佐陀神社)の神紋は丸に三つ巴です。御祭神は大山祇命であり、参道入口は西向きで、鳥居の背後には参道の木々が聳えている。鳥居をくぐり参道を進むと、砂利の境内があり境内奥(東側)の石段の上に社殿がある。社殿は本殿覆屋に庇(向拝)が付けられた形であり、庇の部分が拝殿を兼ねている構造と呼べるのでしょう。社殿の斜め前に、注連縄で結ばれた二本の木があり、根元に石が置かれている。傍らに石碑があり、「若宮神社・大嶌神社・澤神社・廣峯武大神・愛宕神社」の遥拝所と刻まれている。これらの社は、栗町周辺の神社です。次回澤神社を掲載します。創祀年代は不詳。社伝によると、式内社・佐陀神社に大川大明神が勧請されたものでその時期は天長二年(825)だという。御祭神は大山祇命だが異説も多く、伊奘冊尊であるとか、佐太大神であるとか。社殿の左手に宝物庫があり、巴紋が付けられている。社殿の右手には境内社の祠。稲荷大明神・厄除大明神・秋葉大明神の三祠がありその横に、大原神社遥拝所の小さな石碑が立っている。神社背後の山麓には、上村古墳群があるらしい。又明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され(旧京都府総合資料館)現京都学彩々館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、今回は第一目、高倉神社、第 二回目、高蔵神社、第三回目として、舘町(たちちょう)の式内社「赤国神社」、第四回目として位田町の御手槻神社に引き続き、第五回目としてこの大川神社(佐陀神社)を紹介します。

1.大川神社の参道
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2.同上
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3.大鳥居
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4.大鳥居の手前の大川神社の標柱
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5.小さな石橋を渡ると石段の上の社殿が見える!
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6.石橋手前の右側は小川を利用した池がある。
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7.社殿の石垣の下には自然石を利用した手水鉢がある。
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8.左側から拝殿を見上げる!
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9.右側から拝殿を見上げる!
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10.拝殿に向かって右側の阿形狛犬
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11.同上左側の吽形狛犬
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12.「若宮神社・大嶌神社・澤神社・廣峯武大神・愛宕神社」の遥拝所と刻まれ石碑
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13.社殿の前から振り返って参道を見る!
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14.拝殿後部にある本殿を見る!
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15.同上 脇障子の見事な彫刻を見て下さい!
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16.アップで見る!
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17.右側から見る!
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18.明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され(旧京都府総合資料館)現京都学彩々館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされている。その内の佐陀神社は不思議な事に二社描かれています。その1.は下記の通リで現在の大川神社とよく似ています。
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19. 同 上   その2.を見て下さい! 社殿が並列して二殿描かれています。此の事は「綾部市史」にも書かれていないし、現地栗町の方々に聞いても不明です。
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2020/4/10

京丹波を見る!綾部市の延喜式内社・御手槻神社を見る!  綾部の文化財

京都府綾部市位田町岩井107には延喜式内社の御手槻神社(みてつきじんじゃ)がある。社紋は月に雲で御祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)です。中央の拝殿は入母屋造で拝殿の後方の垣に囲まれてた本殿は流造で本殿の屋根には、覆屋が設置されている。創祀年代は不詳でもとは元は吉美の氏神だったが、中世以降、吉美では高倉神社を氏神としたため衰微していたという。明治初年に吉美から所管が位田に移り、明治9年の「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」に掲載されています。現在の祭神は伊弉諾尊だが、古来より御手槻神として崇敬され、「ミテツキ」なので日月の神であるという。よって「満月大明神」とも称されていたと言う。日月の神なので、神紋も日月であると『式内社調査報告』にあるのだが、社殿に付けられている紋は満月と三日月(あるいは半月)にように見える。拝殿の左右に境内社が、中央に向かって鎮座している。右手には天満宮と神宮の遥拝所の石柱があり、左手には、若宮明神と、神霊社・稲荷神社・幸神神社・厄除神社・大山祇神社の五社を祀った境内社の祠がある。

1.明治9年の「延喜式内並国史見在神社考証」に描かれた御手槻神社
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2.御手槻神社の全景を見る!
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3.弘化2年巳年(1845)の銘のある石灯籠。上記2.の石灯籠です。
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4.石造り大鳥居
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5.拝殿に向かって右側の手水舎
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6.入母屋造の拝殿
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7.鼻の欠けた阿形の狛犬
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8.吽形の狛犬
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9.見事な拝殿を見る!
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10.アップで拝殿の彫刻を見る!
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11.拝殿の象鼻の彫刻
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12.拝殿の扁額を見る!
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13.拝殿後部から中廊と本殿を見る!
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14.見事な本殿を見る!
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15.本殿をアップで見る!
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16.右手の天満宮と神宮遙拝所
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17.左の若宮明神、新霊社・稲荷神社・幸神神社・厄除神社・大山祇神社
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18.もう一度本殿を右側から見る!
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2020/4/5

京丹波を見る!何鹿郡西国第廿五番霊場養和元年(1181)となった瀧倉山・金剛寺!  綾部の文化財

京都府綾部市「元、何鹿郡(いかるがぐん」)坊口町(ぼうぐちちょう)の坊口公民館前には養和元年(1181)に何鹿郡西国第廿五番霊場となった瀧倉山・金剛寺の本堂には腿胝観音菩薩((准胝観音、じゅんていかんのんぼさつ)を祀っています。尚、第24番札所は坊口町林の長松寺です。この寺は無住で兼務住職が護っているそうです。
日本の観音信仰の始まりは良く判っていませんが、初めて観音像がもたらされたのは、はるか昔の飛鳥時代だと言われています。以来法隆寺の救世観音、百済観音などを初めとして白鳳時代から奈良時代にかけて素晴らしい観音像が数多く作られてきました。平安時代になると密教の影響から変化(へんげ)観音様が多く生まれてきました。日本最古の観音霊場、西国三十三観音霊場の開創は「中山寺縁起」によると8世紀ですが、実際には十世紀末に花山法皇の出家巡礼を契機に巡礼道が整備されたと言われています。室町時代には「今生の罪と穢を巡礼で消滅させよう」とする人々の願いによって西国参りは大流行となり、この頃西国・坂東・秩父が百観音霊場として結ばれたと言われています。綾部地方も同じく、養和元年(1181)に綾部西国観音霊場33ケ寺、番外6番の前身の何鹿郡(いかるがぐん)三十三所が設けられたそうです。以上綾部西国観音めぐりの冊子から抜粋掲載。


1.坊口町公民館前の瀧倉山金剛寺の本堂で腿胝観音菩薩((准胝観音、じゅんていかんのんぼさつ)を祀っています。
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2.同上をアップで見る!見事な彫刻です!
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3.本堂を右側から全景を見る!
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4.本堂の見事な龍の彫刻を見る!髭は銅や鉄でも無いし、何時建立された不明です。
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5.龍の彫刻を裏から見る!
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6.扁額を見る!第25番札所のご詠歌が書かれているが読めない!あれ干支の彫刻が横に見える!
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7.本堂を横側から見ると干支の虎が見えた!吃驚!
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8.本堂の表横裏四面に子牛虎など十二支の彫刻が有った!大変珍しい!
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9.本堂に向かって左側には愛宕神社がある!神仏混淆時代の物ですね!
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2020/4/1

京丹波を見る!綾部市指定文化財の胎内仏・銅造聖観音立像を持つ曹洞宗の長松寺!  綾部の文化財

京都府綾部市坊口町林3には白鳳時代の高さ15.7cmの体内仏・銅造聖観音立像を持つ曹洞宗の古刹・長松寺がある。この像は本尊の聖観音菩薩の胎内に納められている小金銅の聖観音立像で昭和49年3月27日に綾部市指定文化財となったもので、丹波丹後地方で唯一の白鳳期制作のものです。本寺の本尊聖観世音大士、何鹿郡西国第廿四番霊場養和元年(1181)たり。弘治3年(1557)兵火に罹り永禄11年元達和尚曹洞宗に改創、元禄3年(1690)坊河内大火に焼滅し元文元年(1736)再建し現代に至る。文政十年に造った大鐘は百年余りにして大東亜戦に応召、未だ甦らない。
(『志賀郷村誌』)

1.綾部資料館提供の綾部市指定文化財の胎内仏の「銅造聖観音立像・高さ15.7cm」の写真
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2.長松寺の案内札(志賀小学校の裏手になります。)
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3.長松寺の標柱など
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4.見事な高台の参道
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5.登り参道の掛の右手にある地蔵堂
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6.見事な山門です!
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7.本堂を正面から見る!
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8.山門を越えた左側にある見事なお地蔵様
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9.本堂入口付近
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10.本堂の見事な扁額
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11.見事な本堂内の須弥壇をちょっと覗きました!
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12.見事な山門をアップで見ました!
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13.山門の見事な彫刻をアップで見る!
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14.山門を潜った左側のお堂
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15.山門から坊口町の景色を見る!
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16.山門下には早春の見事に咲き誇る薄いピンクのアンズの花ですね。3月21日撮影です。
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