2020/3/30
京丹波を見る!延喜式内社で綾部市指定文化財の文(ふみ)の鳥を持つ赤國神社! 綾部の文化財
京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には12の式内社がある。これは明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され(旧京都府総合資料館)現京都学彩々館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、今回は第一目、高倉神社、第 二回目、高蔵神社、第三回目として、舘町(たちちょう)の式内社「赤国神社」を紹介します。祭神は三柱で、右側、猿田彦大神、中、瓊々杵命(ににぎのみこと)、左側、天宇須女命(あまのうずめのみこと)、天の岩戸で踊った神様です。又、この神社は家格が高く、江戸時代初期まで、旧暦の8月10日祭には梅若太夫の能楽が奉納されたと云う。この神社は当初、稲葉山の宮の段に祀られていたが慶長五年の兵火で多くの宝物を類焼したが、唯一残ったのが「文の鳥(ふみのとり)」といわれる綾部市指定文化財である。この「文の鳥」は神輿に附する銅製の鳳凰で正和三甲(1314年)刀九八下司・源光高の銘がはいている。源光高は時の荘官であった。
1.延喜式内並国史見在神社考証何鹿郡之部に掲載されている「赤國神社絵図」(各画像クリックをすると拡大します。)

2.綾部の文化財を守る会の駒札

3.石造りの大鳥居

4.同上 扁額を見る!

5.大鳥居付近からの参道

6.長屋門形式の門を見る!

7.門の内側に掲げられている「赤國神社由緒」

8.手水舎

9.拝殿を見る!

10.拝殿の扁額を見る!「正一位赤國大明神」

11.左側から見る拝殿と後部に本殿の一部

12.本殿を左側から見る!

13.本殿の彫刻を見る!最近補修されている。

14.奉納の銅像の馬、拝殿,後部の本殿そして神輿蔵の一部です。

15.拝殿左側の境内社の琴平神社

16.拝殿右側の稲荷神社

17.拝殿右側の境内社の稲葉神社

18.綾部市資料館提供の昭和44年4月1日市指定文化財の神輿の「鳳凰・高さ19.7cm」の写真

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1.延喜式内並国史見在神社考証何鹿郡之部に掲載されている「赤國神社絵図」(各画像クリックをすると拡大します。)

2.綾部の文化財を守る会の駒札

3.石造りの大鳥居

4.同上 扁額を見る!

5.大鳥居付近からの参道

6.長屋門形式の門を見る!

7.門の内側に掲げられている「赤國神社由緒」

8.手水舎

9.拝殿を見る!

10.拝殿の扁額を見る!「正一位赤國大明神」

11.左側から見る拝殿と後部に本殿の一部

12.本殿を左側から見る!

13.本殿の彫刻を見る!最近補修されている。

14.奉納の銅像の馬、拝殿,後部の本殿そして神輿蔵の一部です。

15.拝殿左側の境内社の琴平神社

16.拝殿右側の稲荷神社

17.拝殿右側の境内社の稲葉神社

18.綾部市資料館提供の昭和44年4月1日市指定文化財の神輿の「鳳凰・高さ19.7cm」の写真

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2020/3/25
丹後を見る!府天然記念物の高野マキのある真言崇の古刹・神宮寺跡! 文化財研修記
京都府与謝町石川2376には平安時代初期に淳和天皇の妃如意(にょい)が開いたと伝える真言宗のの古刹・神宮寺があった。かっての神宮寺本堂は平成13年に火災により焼失してしまい、現在はふれあいホーム神宮寺という老人ホームになっています。コウヤマキの後方には粟島大明神がありその参道沿いに立っています。 神宮寺本堂が焼失した時にこのコウヤマキも類焼しましたが、幸い枯死を免れました。しかし今もその時の焼け跡が黒々と残っています。枯れ枝もずいぶん多いのですが、それでも強い生命力を見せてくれています。
京都の自然200選によれば、この巨木の歴史的起源は古く、鎌倉時代末期の1310年頃に近江石山寺の僧侶が石川神宮寺として再興して以来、地元では信仰の木としてあがめられ、神宮寺のご本尊が女性という言い伝えから、コウヤマキに手を触れて子宝の恵みを願うそうです。
1.石造地蔵菩薩(嘉永2年(1849)の造立で高さ6メートルもある。)

2.高野マキの駒札

3.見事な高野マキ

4.高野マキと粟島大明神

5.粟島大明神堂

6.堂内は

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京都の自然200選によれば、この巨木の歴史的起源は古く、鎌倉時代末期の1310年頃に近江石山寺の僧侶が石川神宮寺として再興して以来、地元では信仰の木としてあがめられ、神宮寺のご本尊が女性という言い伝えから、コウヤマキに手を触れて子宝の恵みを願うそうです。
1.石造地蔵菩薩(嘉永2年(1849)の造立で高さ6メートルもある。)

2.高野マキの駒札

3.見事な高野マキ

4.高野マキと粟島大明神

5.粟島大明神堂

6.堂内は

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2020/3/20
丹後を見る!与謝野町の伊弉諾尊を祀る古社・明境神社! 文化財研修記
京都府与謝郡与謝野町下山田1511には伊弉諾尊を祀る古社・明境神社(あけさいじんじゃ)がある。安産の神として信仰されている。境内には大きな舞台があり、現在は廃れているが敗戦後はしばらくは芝居が行われ,地方の文化活動の一拠点であった。本殿は一間社、一メートル四方ほどの小社であるが、優れた建築で脇障子には許由(きょゆう)・巣父(そうふ)の伝説を彫る。境内小社に安置されている木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代後期の傑作である。4月25日の平野の小聖神社(こひじりじんじゃ)と合わせての例祭があり、神楽と太刀振りが奉納される。
1、明境神社拝殿と石灯籠を見る!

2.拝殿と左右の狛犬

3.見事な拝殿

4.神木の菩提樹の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)

5.見事な菩提樹の古木です!

6.境内社の一つ

7.拝殿と後部の本殿

8.本殿は一間社、メートル四方だが、見事な彫刻の脇障子です。

9.本殿をアっプで見る!

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1、明境神社拝殿と石灯籠を見る!

2.拝殿と左右の狛犬

3.見事な拝殿

4.神木の菩提樹の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)

5.見事な菩提樹の古木です!

6.境内社の一つ

7.拝殿と後部の本殿

8.本殿は一間社、メートル四方だが、見事な彫刻の脇障子です。

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2020/3/15
京都府綾部市(元、何鹿郡(いかるがぐん)で一番多い姓は四方(しかた)で二番目は大槻の姓! 文化財研修記
四方續夫の名は親父が四方家継ぐように續(つぐ、続)夫と名付けました。四方家の系図があり、中学生の頃、蔵の2階に有ったので当時読んでみたのです。しかし大人になってJTBに勤務して、家系図の重要性を知り、再度蔵の2階に上がって探したのですが、無くなっており,当時生きていた親父に聞くと系図買いに売ったと言ってました。先祖は近江佐々木源氏で六角貞承の一族で戦に敗れ近江国から逃げて、この何鹿郡(現、綾部市の大部分、福知山市三和町の一部、宮の一部、報恩寺町を含む。) に逃げてきて、此処を強奪し、旧姓では危ないので一族郎党は四方の姓を名乗った諭旨です。一番遠方に逃げた四方一族の一部は松江市で数軒の四方の姓の家があります。
尚、四方源太郎京都府議会議員の記事を下記に掲載します。四方府議が書かれたように九鬼隆季公が初代綾部藩主として、鳥羽から綾部に転付された時ンの記事で四方(しかた)何某も隆季公に従って部に転付したと記されています。
祖父・源太郎が晩年に遺していた文章には「綾部の殿様、九鬼公が三重県松阪から綾部へ転封になられた時、羽室家、大槻家などと四方家も屋敷を与えられ、家号は鍛冶屋といい、殿様から花木瓜(はなもっか)の家紋をいただいた」とある。
伯父・洋は、祖父・源太郎が死の間際に語ったこととして上記の内容に加え「九鬼の殿様の家庭教師のような家柄であった。殿様といっしょに松阪から、綾部へやってきた」と書き遺している。
我が家に残る記録は、これのみだ。
今回の調査の中で分かったこととして、綾部の他の四方姓の方は、先祖からの言い伝えとして「近江源氏(佐々木氏)の一族が戦に敗れて落ち延びて来て、素性を明かさないために四方と改姓した」と聞いておられるそうだ。
四方と共に九鬼家に用いられた羽室家、大槻家のうち、羽室家はグンゼ創業者・波多野鶴吉の生家でもある。「波多野鶴吉翁伝」には羽室家の由来として「京都の公卿・葉室氏が帰農したもので、家号は京屋という」という説(他にも説あり)が紹介されている。
大槻家は戦国時代に高津城主であった豪族・大槻氏の一族だと考えられる。
九鬼の殿様は綾部に入った際に、元々から綾部に勢力を張っていた「土着権力」であった羽室、大槻、四方に一定の庇護を与えることで、土着勢力との融和を図ろうとしたのではないかと思う。
四方、大槻の多さに比較して、羽室は綾部でもさほど多い姓でないのは、波多野鶴吉もそうだったが、「羽室家は分家して財産が散逸するのを嫌って、次男三男は早めに他家へ養子に出した」という話があるし、公家の出身であれば、一族であっても簡単には名乗れなかったのかもしれない。
九鬼の殿様は国道173号の三和町との境にある質山のあたりにあった正暦寺を現在の場所(お城のあった大本・長生殿の背後にある本宮山の田野川をはさんで東北)に移している。由良川から正暦寺を見上げると砦のようでもあり、城の守りとして寺を移したのではないかと考えられる。
同じく、熊野新宮神社も今の場所の隣り(市民センターのところ)に移した。これも由良川からの上陸ポイントになっており、敵が川から攻め込んで来た場合の砦であったと考えられる。
うちの家は正暦寺の檀家で、熊野新宮神社の氏子であり、城防衛の施設を守る役割を与えられた人たちの中にいたのではないかと考えられる。一方、羽室家の菩提寺は広小路の浄光寺であり、ここもちょうど江戸時代初期は城下町の西の入り口に当たる場所であり、羽室家にも城下の防衛に当たらせたのではないだろうか?
殿様から与えられた四方家の屋敷は今の大本・みろく殿の奥あたりにあったと思われる。これはちょうど、お城(陣屋)のあった大本・長生殿の真下になる。城の真下に土着権力者の屋敷を置くとは考えにくい。
綾部市観光協会の記事は下記をクリックして見て下さい!
https://www.kyotoside.jp/entry/20190920
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尚、四方源太郎京都府議会議員の記事を下記に掲載します。四方府議が書かれたように九鬼隆季公が初代綾部藩主として、鳥羽から綾部に転付された時ンの記事で四方(しかた)何某も隆季公に従って部に転付したと記されています。
祖父・源太郎が晩年に遺していた文章には「綾部の殿様、九鬼公が三重県松阪から綾部へ転封になられた時、羽室家、大槻家などと四方家も屋敷を与えられ、家号は鍛冶屋といい、殿様から花木瓜(はなもっか)の家紋をいただいた」とある。
伯父・洋は、祖父・源太郎が死の間際に語ったこととして上記の内容に加え「九鬼の殿様の家庭教師のような家柄であった。殿様といっしょに松阪から、綾部へやってきた」と書き遺している。
我が家に残る記録は、これのみだ。
今回の調査の中で分かったこととして、綾部の他の四方姓の方は、先祖からの言い伝えとして「近江源氏(佐々木氏)の一族が戦に敗れて落ち延びて来て、素性を明かさないために四方と改姓した」と聞いておられるそうだ。
四方と共に九鬼家に用いられた羽室家、大槻家のうち、羽室家はグンゼ創業者・波多野鶴吉の生家でもある。「波多野鶴吉翁伝」には羽室家の由来として「京都の公卿・葉室氏が帰農したもので、家号は京屋という」という説(他にも説あり)が紹介されている。
大槻家は戦国時代に高津城主であった豪族・大槻氏の一族だと考えられる。
九鬼の殿様は綾部に入った際に、元々から綾部に勢力を張っていた「土着権力」であった羽室、大槻、四方に一定の庇護を与えることで、土着勢力との融和を図ろうとしたのではないかと思う。
四方、大槻の多さに比較して、羽室は綾部でもさほど多い姓でないのは、波多野鶴吉もそうだったが、「羽室家は分家して財産が散逸するのを嫌って、次男三男は早めに他家へ養子に出した」という話があるし、公家の出身であれば、一族であっても簡単には名乗れなかったのかもしれない。
九鬼の殿様は国道173号の三和町との境にある質山のあたりにあった正暦寺を現在の場所(お城のあった大本・長生殿の背後にある本宮山の田野川をはさんで東北)に移している。由良川から正暦寺を見上げると砦のようでもあり、城の守りとして寺を移したのではないかと考えられる。
同じく、熊野新宮神社も今の場所の隣り(市民センターのところ)に移した。これも由良川からの上陸ポイントになっており、敵が川から攻め込んで来た場合の砦であったと考えられる。
うちの家は正暦寺の檀家で、熊野新宮神社の氏子であり、城防衛の施設を守る役割を与えられた人たちの中にいたのではないかと考えられる。一方、羽室家の菩提寺は広小路の浄光寺であり、ここもちょうど江戸時代初期は城下町の西の入り口に当たる場所であり、羽室家にも城下の防衛に当たらせたのではないだろうか?
殿様から与えられた四方家の屋敷は今の大本・みろく殿の奥あたりにあったと思われる。これはちょうど、お城(陣屋)のあった大本・長生殿の真下になる。城の真下に土着権力者の屋敷を置くとは考えにくい。
綾部市観光協会の記事は下記をクリックして見て下さい!
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2020/3/15
京丹波を見る!綾部市の水源の里・老富(おいとみ)町の見事なミツマタの群生を見る!! 綾部の文化財
令和2年(2020)3月13日(木)午前10時30分頃「綾部市水源の里・老富(おいとみ)町の見事なミツマタの黄色の群生」を見に行って来たので報告します。黄色い可憐なミツマタが杉林一面を埋め尽くし、幻想的な光景に包まれます。ミツマタのシーズンが終わると、見渡す限りの神秘的な白いシャガが眼前に広がります。シャガは小生の庭に1本だけ残っています。シャガの記事は最下記にクリックすると見れるようにしてあります。駐車所は無料で、運営協力金お一人200円です。
現地で投函すればいいのです。尚、問い合わせは上林いきいきセンター;電話;0773−54−0095です。
1.見事なミツマタの群生

2.京都府府道1号線の奥上林(おくかんばやし)老富町(おいとみちょう)の標示版(全ての画像はクリックすると拡大します!)

3.見事なミツマタの群生とシャガの群生への道

4.ミツマタの群生を見る!

5.同上

6.同上

7.同上

8.シャガの記事です!下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2684.html
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現地で投函すればいいのです。尚、問い合わせは上林いきいきセンター;電話;0773−54−0095です。
1.見事なミツマタの群生

2.京都府府道1号線の奥上林(おくかんばやし)老富町(おいとみちょう)の標示版(全ての画像はクリックすると拡大します!)

3.見事なミツマタの群生とシャガの群生への道

4.ミツマタの群生を見る!

5.同上

6.同上

7.同上

8.シャガの記事です!下記をクリックして見て下さい!
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2020/3/10
京丹波を見る!日蓮宗の古刹・常福寺と清正公堂を見る! 綾部の文化財
京都府綾部市物部町(ものべ)西町筋23(物部諏訪神社の手前にある)には日蓮宗の古刹の常福寺(じょうふくじ,通称物部の法華寺と呼ばれている。)と加藤清正公を祀る清正公堂がある。本尊は久遠の本師釋迦牟尼佛で開基について二説あり、物部城主の上原豊後守将監は法華経の信仰が厚く慶長16年(1611)に居城の麓に堂宇を建立した。二説には慶安元年(1648)に至り福知山城主松平主殿の領地となった時に境内全ての税を免除した。松平主殿忠房(福知山城主)は深く法華経に帰依し父の御護菩提のため当寺を創建したと伝えられている。現に当寺の仏殿に忠房の父忠利の位牌が安置されている。宝暦9年(1759)に堂宇は全焼したが、安永元年(1772)に再建され、今日に至る。又、日蓮大上人の生誕800年祭の時、城山中腹に在った清正公並びに三十番神を安置した清正公堂があり、当寺の本堂や清正公堂を全面修復した。当寺の山門の駒札より抜粋掲載する。
1.日蓮宗の常福寺の山門

2.山門の右横には加藤清正公を祀る「清正公堂」がある。

3.清正公堂を見る!

4.常福寺の山門から本堂を見る!

5.山門に掲げられた駒札

6.見事な左側のは常福寺本とその庭園を見る1

7.本堂の扁額!

8.庭園と日蓮上人像

9.日蓮上人像を見る!

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1.日蓮宗の常福寺の山門

2.山門の右横には加藤清正公を祀る「清正公堂」がある。

3.清正公堂を見る!

4.常福寺の山門から本堂を見る!

5.山門に掲げられた駒札

6.見事な左側のは常福寺本とその庭園を見る1

7.本堂の扁額!

8.庭園と日蓮上人像

9.日蓮上人像を見る!

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2020/3/5
京丹波を見る!古代物部氏(もののべし)が支配した物部の諏訪神社を見る! 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」物部町(ものべちょう)には諏訪神社がある。古代は名の如く物部(もののべ)氏族の領地であったと云われている。源頼朝が鎌倉幕府を開き、信州上田の城主・上原右エ門丞景正を丹波国何鹿郡(いかるがぐん、と呼びほぼ現在の綾部市の全域を言います。)の地頭職に任命し、上原氏は6万石にて建久四年(1193)に着任し、物部の高尾に城郭を築き、故郷信州一ノ宮の諏訪大明神の分霊を此処に祀り「諏訪神社」とした。又此処を流れる川を「犀川」となずけたという。この神社は物部地区(ものべ)地区の総氏神であり、四季の見事な祭礼は名高いです。
厄除大祭、天神祭り、秋の大祭などの四大祭りは下記をクリックして見て下さい!
1.物部諏訪神社の石造りの大鳥居

2.大鳥居を超えると見御な祭事のための広場と社務所があります。

3.拝殿・本殿が見えます。

4.摂社を見る!厄善神社と天満宮

5.駒札(薄れて読み悪いですえ!)

6.拝殿内陣の本殿の見事な彫刻を正面見る!

7.拝殿内陣左側から本殿の脇障子などの彫刻を見る!

8.同上 右側から見る!

9.例年1月18日に盛大に催される物部諏訪神社の「厄神大祭」の記事は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1597.html
10.例年7月24日に盛大に開催される「天神祭り」は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/450.html
11.物部諏訪神社の秋の大祭の宵宮祭は下記をクリックして見てください!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/511.html
12.諏訪神社の秋の大祭りは下記をクリックして見て下さい!
平成18年の秋の本祭りの巡行は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/184.html
平成19年の秋の本祭りの巡行は下記をクリックして見て下さい。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/345.html
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厄除大祭、天神祭り、秋の大祭などの四大祭りは下記をクリックして見て下さい!
1.物部諏訪神社の石造りの大鳥居

2.大鳥居を超えると見御な祭事のための広場と社務所があります。

3.拝殿・本殿が見えます。

4.摂社を見る!厄善神社と天満宮

5.駒札(薄れて読み悪いですえ!)

6.拝殿内陣の本殿の見事な彫刻を正面見る!

7.拝殿内陣左側から本殿の脇障子などの彫刻を見る!

8.同上 右側から見る!

9.例年1月18日に盛大に催される物部諏訪神社の「厄神大祭」の記事は下記をクリックして見て下さい!
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10.例年7月24日に盛大に開催される「天神祭り」は下記をクリックして見て下さい!
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11.物部諏訪神社の秋の大祭の宵宮祭は下記をクリックして見てください!
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12.諏訪神社の秋の大祭りは下記をクリックして見て下さい!
平成18年の秋の本祭りの巡行は下記をクリックして見て下さい。
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2020/3/2
京丹波を見る!グンゼ博物苑・集蔵で「グンゼスクエアDEひなまつり」及び「明智光秀所縁の地」を見る! 綾部の文化財
京都府綾部市青野町にあるグンゼ博物苑・集蔵(つどいぐら)で市民から寄せられたり、グンゼの各工場で飾られていたひな人形を展示した「グンゼスクエアDEひなまつり」が開催されています。午前10時〜午後4時まで無料で拝観できます。但し火曜日は休館です。3月29日まで開館しています。各地のグンゼの工場では多くの女性が働いていたことからグンゼではかっては「ひな祭り」が盛大に行われていたという。この事から「地域の皆さんとお祝いを」と1昨年あやべ市民新聞などを通じて市民に雛人形の提供を呼びかけて初めて催した。今回初めてお目見えとなったのは「吊るし雛」で子供の健やかな成長を願って江戸時代始まったというもので、561個の「吊るし雛」が展示されています。他に18セットもの雛飾りが展示され、それ其れの由来やエピソードなどが書かれています。問い合わせは平日はグンゼ総務部電話42−3181、土・日・祝日は博物苑電話43−1050へ。3月1日(日曜日)午前10時見学した記事です!がらがらでした!もったいないもっと沢山の人に見てもらいたく記事にしました。
1.あやべグンゼスクエアー(駐車料無料)の博物苑(各画像をクリックすると拡大します。)

2.グンゼ(郡是)博物苑の横にある「綾部バラ園」春のバラが見事に咲くのは5月下旬です!

3.グンゼ博物苑の集蔵(つどいぐら)に向かいます。

4.雛人形展示(無料)の入口

5.左廻りで撮影です!

6.同上

7.同上

8.同上

9.同上

10.説明書(画像をクリックすると拡大して読めます。)

11.同上

12.同上

13.同上

14同上

15.同上

16.同上

17.案内書

18.案内書2

19.見事な羽子板も展示されています!

1.グンゼ博物苑事務所の展示場を見る!(各画面をクリックすると拡大します。)

2.グンゼは映画のロケ地でも有名です!

3.郡是製絲(現グンゼ)創業者・波多野鶴吉(はたのつるきち)翁の写真と経歴

4.同上2

5.同上

6.まゆ人形

7.文化サークルなど

8.明智光秀公所縁の地の一つ

9.大河ドラマ「麒麟がくる」のスタンプラリーの表

10.同上の裏(明智光秀公所縁の地)

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1.あやべグンゼスクエアー(駐車料無料)の博物苑(各画像をクリックすると拡大します。)

2.グンゼ(郡是)博物苑の横にある「綾部バラ園」春のバラが見事に咲くのは5月下旬です!

3.グンゼ博物苑の集蔵(つどいぐら)に向かいます。

4.雛人形展示(無料)の入口

5.左廻りで撮影です!

6.同上

7.同上

8.同上

9.同上

10.説明書(画像をクリックすると拡大して読めます。)

11.同上

12.同上

13.同上

14同上

15.同上

16.同上

17.案内書

18.案内書2

19.見事な羽子板も展示されています!

1.グンゼ博物苑事務所の展示場を見る!(各画面をクリックすると拡大します。)

2.グンゼは映画のロケ地でも有名です!

3.郡是製絲(現グンゼ)創業者・波多野鶴吉(はたのつるきち)翁の写真と経歴

4.同上2

5.同上

6.まゆ人形

7.文化サークルなど

8.明智光秀公所縁の地の一つ

9.大河ドラマ「麒麟がくる」のスタンプラリーの表

10.同上の裏(明智光秀公所縁の地)

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2020/3/1
京丹波を見る!京都府登録文化財の本殿を持つ稲粒神社! 綾部の文化財
京都府福知山市河北1801には京都府登録文化財の本殿を持ち中井権次一党の彫刻のある稲粒神社(いなつぶじんじゃ)がある。本殿は一間社流造りで正面軒唐破風付、棟札から寛政11年(1799)の建立とわかる。由良川の近く田園風景が広がる森の中に鎮座しています。、又、趣のある脇障子も備えている造りとなっています。彫刻の彫師は脇障子の裏の銘から5代目中井丈五郎正忠と久須善兵衛政精の合作と推測されます。神社の周辺は「鎮守の森」としての景観を保ち、京都府の環境保全地区に選定されている。
1.京都府教育委員会の駒札(全ての画像はクリックすると拡大します。)

2.駒札2.

3.水田の中にある石橋

4.石造り鳥居から正面を見る!

5.駒札

6.拝殿、手水舎などを見る!

7.見事な手水舎です!

8.拝殿を正面から見る!

9.右側から拝殿横を見る!

10.本殿を右側から見る!見事な5代目中井丈五郎正忠と久須善兵衛政精の合作の彫刻を見る!

11.同上 左側から見る!

12.見事な向拝の彫刻です!

13.同上

14.境内社の彫刻も見事です!

15.境内社の稲荷神社

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1.京都府教育委員会の駒札(全ての画像はクリックすると拡大します。)

2.駒札2.

3.水田の中にある石橋

4.石造り鳥居から正面を見る!

5.駒札

6.拝殿、手水舎などを見る!

7.見事な手水舎です!

8.拝殿を正面から見る!

9.右側から拝殿横を見る!

10.本殿を右側から見る!見事な5代目中井丈五郎正忠と久須善兵衛政精の合作の彫刻を見る!

11.同上 左側から見る!

12.見事な向拝の彫刻です!

13.同上

14.境内社の彫刻も見事です!

15.境内社の稲荷神社

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