2019/11/30

令和元年11月24日綾部の文化財を守る会発足50周年記念式典並びに記念講演会が盛大に開催された!  綾部の文化財

京都府綾部市青野町の「綾部市ものづくり交流会館」に於いて午後1時から「綾部の文化財を守る会発足50周年記念式典並びに記念講演会」が100余名の参加者を得て盛大に開催されました。午後1時安達事務局長の司会により始まり、森本一郎(かずろう)会長の挨拶、ご来賓の山崎善也綾部市長の代理で足立市教育長及び四方源太郎京都府議会議員の祝辞を頂き、また、安達事務局長によりご来賓の紹介がありました。


1.綾部の文化財を守る会発足50周年記念式典並びに大好評であった記念講演の概況(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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2.表彰を受けられた方々(画像をクリックすると拡大しましす。)
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3.記念式典の様子・ご来賓の四方源太郎京都府議会議員の祝辞を頂きました。.
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4.会長表彰を受けられる方々の代表で受賞される小村一郎先生
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5.大好評で在った同社社大学文学部教授井上一稔先生の講演
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6.令和元年(2019年)11月29日付け「あやべ市民新聞」第1面の記事(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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7.其の他(記念式典担当部署、資料編など)
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2019/11/25

丹後を見る!高野山真言宗の古刹・金剛心院(こんごうしんいん)!  文化財研修記

京都府宮津市日置2268には高野山真言宗の古刹の古刹・山号は秘密山で本尊は愛染明王像の古刹・金剛心院(こんごうしんいん)がある。寺伝によれば、創建は平安時代前期にさかのぼる。勅願寺宝光壽院と号した。その後、元寇(弘安の役)より100年ほど経った永仁2年(1294)鎌倉幕府執権北条氏の祈願寺であった鎌倉極楽寺の開山にして大阪四天王寺の貫主の忍性律師によって、奈良西大寺律宗、関東極楽寺末寺として復興された。現在は高野山真言宗に属する。丹後・日ケ谷城(宮津市)の城主松田頼盛の娘千手姫は、後宇多天皇の側妃となり、天皇の出家に際して自身も出家し、後宇多天皇より金剛心院の院号と本尊愛染明王坐像を賜ったという。文化財は重要文化財の厨子入木造愛染明王坐像(鎌倉時代)、木造如来立像、制札 6枚は元亨四年八月十三日 六波羅禁(1324)など、宮津市指定文化財としては石造高石地蔵尊 - 嘉暦4年6月24日造立。勅使を迎えるために高石寺の本尊として安置される。

1.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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2.見事な標柱を見る!
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3.見事な勅使門ですが、普段は閉鎖されています!
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4.見事な山門を見る!
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5.山門を横から見る!
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6.本堂と境内を見る!
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7.見事な本堂を見る!
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8.本堂の彫刻を見る!
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9.同上
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10.宮津市指定文化財の石造高石地蔵尊
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11.同上の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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12.同上 アップで見る!
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2019/11/20

丹後を見る!与謝野蕪村の絵画のある臨済宗妙心寺派の江西寺!  文化財研修記

京都府宮津市須津921には現在臨済宗妙心寺派で大寂山・江西寺(こうせいじ)がある。本尊は釈迦如来で創立の経緯や年代については詳しくないが,寺伝によると元江西庵と称し天台宗に属していたが、慶安3年(1650)現在地に移転したとき、中国の江西のように風光の優れた地に伽藍を構えたことから、江西寺とあらためられたという。確かにこの地は須津(すつ)地区において阿蘇海、天橋立を見下ろす景勝の地である。当寺は、多くの文化財を所有している。近世絵画では、丹後に逗留中の与謝野蕪村が描いた風竹図屏風(府指定文化財)、がある。十六羅漢像、地蔵菩薩二童子像(いずれも市指定文化財)も中世の優れた絵画資料として価値が高い。また本堂背後の庭園(府指定名勝)は石組により滝や屹立(きつりつ)する崖を表現した江戸時代中頃の枯れ山水庭園である。座敷から見る春の新緑、秋の紅葉の眺めは素晴らしい。(宮津市教育委員会駒札より)

1.江西寺のある大師山(164メートル)の88ケ所案内図(画像をクリックすると拡大します。)
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2.見事な山門
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3.宮津市教育委員会の駒札
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4.山門をアップで見ます!
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5.山門から須津地区を見下ろす!
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6.山門から鐘楼を見る!
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7.山門から本堂方面を見る!
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8.本堂を横から見る!
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9.見事な本堂入口
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10.山門と鐘楼を横から見る!
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11.本堂背後の名勝庭園の一部
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12.同上
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13.与謝野蕪村作「風竹図屏風」
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2019/11/15

丹後を見る!細川ガラシャ所縁の曹洞宗・盛林寺!  文化財研修記

京都府宮津市喜多696には曹洞宗で上宮津城主、小倉播磨守の菩提寺として天正5年(1577)宮津大久保谷に創建された盛林寺(せいりんじ)がある。開山は趙室宋栢(ちょうしつそうはく)和尚、それをたすけた小倉氏は、丹後守護一色家の重臣で、小倉氏は、天正六年十月、細川氏に敗れて滅んだ。細川氏は天正八年八月、丹後の大名として入国、宮津城をつくり、盛林寺はその庇護をうけ、盛林寺が大久保谷から上宮津に移ったのは慶長八年(1603)で、場所は現在地の南に隣接する「寺谷」で、盛林寺が大久保谷から上宮津に移ったのは、慶長八年(1603)で、場所は南に接する「寺町」です。当時細川氏は九州中津(大分県)に移った後であり、更に現在地に移ったのは、貞享二年(1685)であった。盛林寺は現在越前瑞洞院(福井県武生市)を本寺と称しているのは、開山趙室和尚が瑞洞院四世であったからである。和尚は慶長元年(1596)十二月示寂にこの地に来て、細川氏を迎えたと思われる。以来、細川氏と親しく盛林寺には今に幽斎の子の像を伝えている。平成八年十一月に開山四百年忌が行われました。三界唯一心塔婆があり、長い間、寺谷に伏せったままになっていたが、開山趙室和尚の建立されたものだと判り、移設された。開山趙室和尚の許に学問を求めてきた十三人の諸法師の名が刻まれている。光秀首塚もあり、このあたりの古塔婆群には、盛林寺が移設される以前のものも多く、首塚は大久保谷から移されたのかも知れない。光秀の子玉は、細川忠興の妻でガラシャ夫人として知られており、光秀が山崎合戦に破れて殺されたのち、ここ宮津の地に届けられて、この寺の供養をうけたという。

1.盛林寺
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2.見事な標柱
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3.見事な山門
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4.駒札
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5.山門から本堂を望む!
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6.見事な本堂です!
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7.三界唯一心塔婆の駒札
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8.三界唯一心塔婆
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9.見事な本堂内です!
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10.同上
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11.同上
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12.明智光秀公首塚へ
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13.光秀公首塚
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2019/11/13

京丹波を見る!綾部大本本部の見事な梅松苑の紅葉が始まる!  綾部の文化財

京都府綾部市本宮町1−1には綾部大本本部があり、その梅松苑の見事な紅葉が始まりました。11月13日に見た紅葉です。大本のみろく殿は国登録文化財でもあり、その横の金竜池の紅葉は見事です。夜にはライトアップされ其れは誠に神々しくも見えるでしょう。

1.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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2.みろく殿の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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3.横から見たみろく殿と紅葉
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4.金竜池の紅葉
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5.同上
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6.同上
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7.同上
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8.同上
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9.同上
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10.同上
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2019/11/10

京丹波を見る!福知山市の古刹・長安寺を見る!  文化財研修記

京都府福知山市奥野部577には聖徳太子の御実弟・麻呂子親王が大江山の鬼退治のおり、祈願して薬師如来像を刻みこみ此の地に奉祀したのが始まりという医王山・長安寺(ちょうあんじ)がある。現在は臨済宗南禅寺派別格地で丹波古刹霊場13番札所、西国薬師霊場第26番札所です。その後、再三の火災に架かり消失したが、福知山二代城主、杉原家次公(豊太閤の正妻寧子の方の伯父)によって再建され、飛鳥時代の名作麻呂子親王御自作薬師如来像を安置しています。この長安寺は丹波の紅葉寺として有名ですが、11月7日の撮影では紅葉はもう一つでした。

1.長安寺公園の11月7日の紅葉
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2.長安寺の西国33観音霊場巡り
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3.同上の一つ
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4.福知山十景の一つ観音寺
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5.観音寺境内全景
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6.石段参道
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7.福知山指定古木の大イチョウ
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8.同上 駒札
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9.見事な山門と鐘楼を見上げる!
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10.登り石段参道の左側の不動滝
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11.山門から大方丈を見る!
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12.薬師三尊四十九燈の庭の駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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13.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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14.見事な観音堂と仏師方眼 高村晴雲作の聖観世音菩薩が見える!
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15.手水舎と紅葉と大方丈を見る!
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16.大方丈(本堂で天明4年(1784)再建)本尊本尊釈迦如来と脇侍仏の文殊・普賢両菩薩を安置)。城主杉原家次の念持仏地蔵菩薩(室町時代)を安置している。
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17.大方丈(本堂)の見事な須弥壇
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18.大方丈の内部の一部
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19.同上
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20.薬師三尊四十九燈の庭の一部
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21.方丈横の弁財天堂と中腹にある開山堂方面を見る!
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22.薬師堂内の前立薬師如来像(下記の駒札参照)
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23.駒札
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26.もうすぐ見事な紅葉になります!
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2019/11/5

丹後を見る!宮津藩第二代目藩主京極高広が母の追善のため建立した見事な智源寺!  綾部の文化財

京都府宮津市京街道769には宮津初代藩主・京極高知の妻が慶長17年(1612)に亡くなったあと、息子の京極高広が寛永2年(1625)5月、母の追善供養のために当寺を開創。山号(松渓山)と寺号(智源寺)はその戒名「惣持院殿松渓智源大禅定尼」に由来している。寛文元年(1661)大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、中本山として丹後曹洞宗の諸寺を統率した。本堂は文化元年(1804)3月に再建された。本尊は聖観世音菩薩。黄金の立像は飛鳥期末、元興寺の道昭の作。安永元年(1772)4月、宮津吉原の畑より出土した後、40年間宮津城中に祭祀されていたが、文化8年(18111)2月、藩主・松平宗発より賜り、秘仏とされている。本堂の格天井に描かれている花草図は、江戸時代後期円山四條派・土佐派、20人の傑作で、京都府の文化財に指定されている。本堂再建時に作成された障壁画の一部が客殿に再現されている。

1.見事な山門
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2.駒札(画像をクリックすると拡大します。)
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3.黒門(中門)前の見事な禅宗庭園です。
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4.黒門
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5.見事な山門(赤門)
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6.阿形の仁王像
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7.吽形の仁王像
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8.鐘楼(文化元年再建のもので,梵鐘は寛永24年4月京極高広の寄進。第二次大戦中供出されたが、戦後名鐘の故を以て返還された。鋳物師は丹後宮津住木崎善右衛門)
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9.本堂
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10.専門僧堂を見る!
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11.本堂をアップで見る!
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12.同上
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13.見事な本堂の須弥壇
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14.惣持院殿松渓智源大禅定尼のお墓(本堂裏山墓地の最上段にあり、高さ3メートルもある大五輪塔です.登り道が急斜面でギブアップでした。

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2019/11/1

丹後を見る!宮津藩主京極高広の妻・寿光院が父池田輝政追善のため建立した国清寺!  文化財研修記

京都府宮津市金屋谷486には宮津2代目藩主京極高広の妻・寿光院が父・池田輝政の追善のため建立した臨済宗妙心寺派の国清寺(こくしょうじ)がある。国清寺の創建は寛永2年(1625)、京極高広の正室寿光院が父親である池田輝政(備州岡山藩主・法名:国清院殿泰叟玄高大居士)の冥福を祈る為、別源禅師(文珠智恩寺の僧)を招いて開山したのが始まりと伝えられています。以来、歴代藩主から庇護され仏涅槃図や龍虎図、文殊菩薩図、白衣観音図、マリア燈籠などの寺宝を所有しています。境内には江戸時代前期に建立された本堂をはじめ庫裏や経蔵、鐘楼、観音堂・地蔵堂、鎮守堂、六地蔵堂などがあり古寺の雰囲気が残されている。

1.国清寺の案内板
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2.国清寺への登り参道
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3.山門
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4.山門から見事な本堂を望む!
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5.本堂に向かって左側の経蔵
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6.本堂に二向かって右側の六地蔵堂
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7.中央に鐘楼・庫裡・観音堂・本堂などを見る!
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8.鐘楼をアップで見る!
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