2019/9/30
兵庫県丹波を見る!天台宗中本山で丹波比叡と呼ばれる妙高山・神池寺! 文化財研修記
丹波市市島町(いちじまちょう)の東にそびえる妙高山(みょうこうさん)。その山頂近くに天台宗(てんだいしゅう)の古刹(こさつ)、神池寺(じんちじ)がある。神池寺という名前は、この伝説の舞台となった「澄まずの池」に由来する。この池が、山頂近くにありながら、どんな大雨でも日照りでも枯れることがない、という不思議な池であることから、「神の池の寺」と名付けられたという。庫裡の近くには常行堂があり、南北朝期の宝筐印塔が残されている。そこから石段をあがって、門をくぐったところが鐘楼、本堂、仙人堂などがある伽藍の中心地である。神池寺の境内へとつづく車道には、山のかなり下の方に寺域の入り口を示す標柱がある。中世までは広大な寺域の中に多数の伽藍、僧坊が建ち並び、近在の多くの子弟が入寺して繁栄した寺院であったとされていて、その面影を伝えている。しかし神池寺も、丹波のほかの多くの中世寺院と同様に、天正3〜7(1575〜79)年の明智光秀による丹波攻めの中で焼き討ちにあい、大きく勢力を削減されたという。さて、「澄まずの池」伝説を紹介した文献の多くは、鐘突きに来た小僧さんをねらって、澄まずの池から大蛇が登場したとする。また、伝説の結末もお寺では、僧侶の法力によって大蛇が竜になって昇天した、としているという。この神池寺には、「澄まずの池」の他にも、いくつかの歴史にまつわる話が伝えられている。源平のころには平重盛(たいらのしげもり)が参詣し、寺域の北谷に一字一石の法華経を埋納したとされている。その跡とされているのが、境内からやや山を降りたところにある経塚で、今は小さな祠(ほこら)に石の地蔵がまつられ、その脇に宝筐印塔がある。
また、南北朝内乱に際しては、大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう)の命令書が届き、寺の僧兵が京都の合戦に参戦したという。神池寺僧兵の参戦は、『太平記(たいへいき)』巻8にも元弘3(1333)年の六波羅探題(ろくはらたんだい)攻めの中でのこととして記されていて、これは事実と見てよいだろう。また、護良親王が奉納したという鎧(よろい)も伝わっていた。こちらは明治維新のころ、梶井宮門跡(かじいのみやもんぜき)のもとへ貸し出した後、鎌倉に創建された護良親王をまつる鎌倉宮(かまくらぐう)の神体になった。『丹波氷上郡志』(1985年復刻、臨川書店)には、明治2(1869)年に鎧が神体になったときに、政府から神池寺に渡された書類が引用されている。
1.神池寺の駒札(画像をクリックすると拡大します。)

2.県道571号線から参道は4キロ以上の曲がりくねっており、帰路は要注意です!

3.庫裡とその前の駐車場に車を置き見学開始です!

4.庫裡のすぐ上にある碑文

5.案内板

6.見事な常行堂です!

7.常行堂横のお不動様

8.常行堂横の肩切地蔵堂(妙高山山中に安置されていたが、平成15年6月3日此処に移築された。)

9.同上 肩切地蔵様の横に安置されている大黒天様

10.常行堂前にある県指定文化財の宝篋印塔(平安時代のもの)

11.石段参道前から常行堂を見下ろす!

12.石段参道前の碑(画像をクリックすると拡大して読めます。)

13.仁王門とその上の石段参道は合計156段もある!!

14.仁王門

15.同上

16.仁王門の扁額を見る!

17.阿形の仁王像

18.鐘楼

19.慈覚大師手彫りの不動堂

20.鐘楼を見る!

21.本堂(本尊は千手観音様)

22.本堂横の行者堂を見る!

23.本堂と行者堂を見る!

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また、南北朝内乱に際しては、大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう)の命令書が届き、寺の僧兵が京都の合戦に参戦したという。神池寺僧兵の参戦は、『太平記(たいへいき)』巻8にも元弘3(1333)年の六波羅探題(ろくはらたんだい)攻めの中でのこととして記されていて、これは事実と見てよいだろう。また、護良親王が奉納したという鎧(よろい)も伝わっていた。こちらは明治維新のころ、梶井宮門跡(かじいのみやもんぜき)のもとへ貸し出した後、鎌倉に創建された護良親王をまつる鎌倉宮(かまくらぐう)の神体になった。『丹波氷上郡志』(1985年復刻、臨川書店)には、明治2(1869)年に鎧が神体になったときに、政府から神池寺に渡された書類が引用されている。
1.神池寺の駒札(画像をクリックすると拡大します。)

2.県道571号線から参道は4キロ以上の曲がりくねっており、帰路は要注意です!

3.庫裡とその前の駐車場に車を置き見学開始です!

4.庫裡のすぐ上にある碑文

5.案内板

6.見事な常行堂です!

7.常行堂横のお不動様

8.常行堂横の肩切地蔵堂(妙高山山中に安置されていたが、平成15年6月3日此処に移築された。)

9.同上 肩切地蔵様の横に安置されている大黒天様

10.常行堂前にある県指定文化財の宝篋印塔(平安時代のもの)

11.石段参道前から常行堂を見下ろす!

12.石段参道前の碑(画像をクリックすると拡大して読めます。)

13.仁王門とその上の石段参道は合計156段もある!!

14.仁王門

15.同上

16.仁王門の扁額を見る!

17.阿形の仁王像

18.鐘楼

19.慈覚大師手彫りの不動堂

20.鐘楼を見る!

21.本堂(本尊は千手観音様)

22.本堂横の行者堂を見る!

23.本堂と行者堂を見る!

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2019/9/25
兵庫県丹波を見る!中井権次橘正貞の甥の中井橘正實の彫刻のある済納寺! 文化財研修記
兵庫県丹波市市島町上田721には中井権次橘正貞の甥、中井橘正實の彫刻がある天台宗の斉納寺(さいのうじ)がある。済納寺は創立不詳、中興開山を実海法印といい元禄2年(1593)再建された。本堂は、明治33年に和光寺を廃寺として、移築したもので、ご本尊は阿弥陀如来です。けやき造りの門の欄間の竜虎の彫りは、柏原の名工、中井権次正貞氏の甥の正實の後世にのこる傑作である。
1.済納寺の石標

2.見事な石垣と石碑

3.同上

4.見事山門を見る!

5.山門をアップで見る!

6.山門の中井橘正實の彫刻

7.山門の彫刻を横から見る!

8.山門から鐘楼を見る!

9.新築された本堂です!

10.鐘楼と山門と庭園

11.薬師堂

12.見事な薬師如来坐像です!

13.見事な慈眼観音立像です!

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1.済納寺の石標

2.見事な石垣と石碑

3.同上

4.見事山門を見る!

5.山門をアップで見る!

6.山門の中井橘正實の彫刻

7.山門の彫刻を横から見る!

8.山門から鐘楼を見る!

9.新築された本堂です!

10.鐘楼と山門と庭園

11.薬師堂

12.見事な薬師如来坐像です!

13.見事な慈眼観音立像です!

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2019/9/20
丹後を見る!延喜式内社の阿良須神社! 文化財研修記
京都府福知山市大江町北有路高畑461には延喜内社の阿良須神社(あらすじんじゃ)がある。この神社は『延喜式神名帳』にある「阿良須神社(丹後国・加佐郡)」に比定される式内社(小社)です。創祀年代は不詳。境内丘陵瑞に阿良須神社古墳があり、須恵器などが出土している。町内で唯一の式内社である。当地は、海人族の祖神である天火明命(あまのほあかりのみこと)が飢えてこの地に来た時、この土地の神に助けられ、蟻に導かれて飢えをしのいだという伝承がある。そのため、この土地の神に蟻道彦大食持命という称号が与えられたという。そこで、この地にある神祠が蟻巣と呼ばれ、転訛して阿良須となったという。「令二生」として安産の神と伝えられる一方、有路、十倉、来寿森、九日などの地名とも関連して、渡来名ではないかとする見解もある。御祭神は、神吾田津媛命。別名は木花咲耶媛。古来より安産の神とされ、子宝・安産・女性の守護神として崇敬されている。中世以降、近世を含めて、当社名を記載した資料は見られない。『大江町風土記2』には、有路には、十倉神社が五つあり、十倉五社と呼ばれ、当社はそのうちの一社だという。この五社は兄弟であって、一番上が野上、二番目が阿良須、三番目が矢津、四番目が五日市、五番目がニカ村に祀ってあるという。いずれも御祭神は木花咲耶媛です。これは、十倉山の麓に住みついた一族が、だんだん勢力が大きくなり、同じ氏神を分祀して、分かれて住むようになった結果ではないかとされる。その中で盟主的な立場にあったのが当社だという。ただし、なぜ二番目なのか、野上が元宮で、徐々に分祀したが、ゆくゆく次男が最大になったものか。当社の鳥居を入った正面に大スギがある。その左側に本殿に登る石段がある。大スギはやや鳥居側に傾いて立っている。主幹下部の枝は枝打ちされている。この大スギは、幹周5.9メートル、樹高45メートル。市の天然記念物に指定されている。境内社に、稲荷神社(宇賀魂神)、金比羅神社(大物主神)、若宮神社、請道弘神社、秋葉神社がある。なお、式内社「阿良須神社」の論社は他に、舞鶴市小倉に当社および式内同名神社がある。
1.社標、鳥居、灯籠など参拝口全景
>
2.家に掲げられた案内板(画像をクリックすると拡大して読めます。)

3.大鳥居の扁額をアップで見ます。

4.市指定天然記念物の大杉(樹高45メートル、幹周5.9メートル)

5.同上

6.登り石段参道前には土俵があります。秋の大祭には子供相撲が催されます。

7.物凄い石段参道です!115段!

8.同上

9.2段目の石段参道と拝殿を見る!

10.拝殿

11.拝殿前の見事な狛犬2対


12.同上


13.拝殿横を右側から見る!

14.拝殿横と本殿の板の覆屋を見る!本殿は見れない!

15.拝殿前から石段参道を見下ろす!

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1.社標、鳥居、灯籠など参拝口全景
>

2.家に掲げられた案内板(画像をクリックすると拡大して読めます。)

3.大鳥居の扁額をアップで見ます。

4.市指定天然記念物の大杉(樹高45メートル、幹周5.9メートル)

5.同上

6.登り石段参道前には土俵があります。秋の大祭には子供相撲が催されます。

7.物凄い石段参道です!115段!

8.同上

9.2段目の石段参道と拝殿を見る!

10.拝殿

11.拝殿前の見事な狛犬2対


12.同上


13.拝殿横を右側から見る!

14.拝殿横と本殿の板の覆屋を見る!本殿は見れない!

15.拝殿前から石段参道を見下ろす!

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2019/9/15
丹後を見る!丸田部落の菩提寺曹洞宗の宗見寺! 文化財研修記
京都府舞鶴市丸田206には阿弥陀如来を本尊として祀る曹洞宗の法輪山宗見寺(そうけんじ)がある。由良川西岸の国道178号沿いの丸田集落に建つ宗見寺は1573年に性屋需源が開山した寺で
丸田集落の菩提寺的存在である。取材に訪れた時は本堂などの改装工事中で住職様からは詳しい話は聞けなかったが、見事な百日紅(サルスベリ)の木と手入れされた野生のユリが満開で参道を飾っていた。
1.標柱

2.見事な百日紅(サルスベリ)の木です!

3.見事な山門です!

4.見事な山門と庭園を右側から見る!

5.見事な庭園の一部

6.工事中の本堂

7.国道178号線の案内標識

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丸田集落の菩提寺的存在である。取材に訪れた時は本堂などの改装工事中で住職様からは詳しい話は聞けなかったが、見事な百日紅(サルスベリ)の木と手入れされた野生のユリが満開で参道を飾っていた。
1.標柱

2.見事な百日紅(サルスベリ)の木です!

3.見事な山門です!

4.見事な山門と庭園を右側から見る!

5.見事な庭園の一部

6.工事中の本堂

7.国道178号線の案内標識

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2019/9/10
丹後を見る!天君穂耳尊、天穂日命、天津彦根命など8主神を祀る和江神社! 文化財研修記
京都府舞鶴市和江宮ノ谷122には天君穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、能津久須毘命、多紀理毘売命、狭依毘売命、多紀津毘売命の8主神を祀る古社の和江(わえ)神社がある。この神社は由良川左岸の178号線沿いに鎮座しており、前回掲載の由良神社への途中に在ります。神社前面は綺麗に刈り込まれた生け垣で囲まれ、三段の石段上に境内が造られています。明神鳥居を潜ると右手に枯れ池、左手には舞堂が配され、境内中央を仕切るようにまっすぐに伸びた参道奥に石段があり、社殿の建つ上の境内は石垣と玉垣が巡らされています。拝殿と云うよりも本殿鞘堂に近い社殿内に板葺きの本殿が建立され、境内には合社と境内社が祀られています。綺麗に整えられた境内から入口を振り返ると、蕩々と流れる由良川を眺めることができ、落ち着いた神社の佇まいと共に周囲の景観が素晴らしい神社でした。この社では趣の異なった狛犬を三対見る事ができます。創建年は朱鳥元年(680頃)で、元は宮山の山腹に鎮座していましたが、享保9年4月5日(1724)旧殿跡へ降し遷座しました。五男三女を祭神として、昔は八王子大明神と称していましたが、明治時代に和江神社と改称しました。(「西海文庫」参照)、境内社は若宮神社、祇園社、龍神社です。
1.和江神社の社標

2.明神鳥居と拝殿を見る!

3.見事な自然石の石灯籠です。右側には由良川が見えます!

4.見事な手水舎です!

5.旧社殿跡碑

6.枯池庭園

7.2対の狛犬と拝殿を見る!

8.拝殿をアップで見る!

9.拝殿内陣(本殿は板張りで覆われ撮影は難しい。)

10.境内社の一つ

11.内陣を見る!

12.拝殿から由良川を見る!

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1.和江神社の社標

2.明神鳥居と拝殿を見る!

3.見事な自然石の石灯籠です。右側には由良川が見えます!

4.見事な手水舎です!

5.旧社殿跡碑

6.枯池庭園

7.2対の狛犬と拝殿を見る!

8.拝殿をアップで見る!

9.拝殿内陣(本殿は板張りで覆われ撮影は難しい。)

10.境内社の一つ

11.内陣を見る!

12.拝殿から由良川を見る!

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2019/9/5
丹後を見る!山椒太夫で有名な丹後由良の伊弉諾尊を祀る古社・由良神社! 文化財研修記
京都府宮津市由良宮本2362には伊弉諾尊・櫛御気命・誉田別命を祀る古社・由良(ゆら)神社がある。創建は不詳。由良の地は、かつては北前船の港として、百人一首の「由良の戸(門)」とも歌われ、森鴎外の『山椒太夫』の舞台となった場所です。曽禰好忠の「由良の門を 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな」また社殿は現在地の南西にある由良ヶ岳中腹に由良港の繁栄時以前から鎮座していたという。古くは熊野十二社大権現や熊野三所権現と称していた。田辺藩主歴代の崇敬篤く、数回の社殿修復、直参・代参の奉幣・寄進などがあった。もともとの社殿は上の宮、中の宮、下の宮の3社あったが、正徳元年(1711年)の造営の際、中の宮にまとめられ、熊野三所と、東側の社殿を下社、熊野九所とした。現在の拝殿左側の社殿がその当時のもので、一間社流造です。
明治20年(1887)、室町幕府3代将軍足利義満が造営した京都の花の御所に鎮座していた花御所八幡宮を当地に遷座して現社号で呼ばれるようになった。日本海軍の長良型軽巡洋艦「由良」は、丹後由良の由良川から命名され、艦内神社は当社を分祀したもの。拝殿右手には由良献木の碑が建っています。また昭和17年(1942)、府社に列す。境内には江戸時代の由良出身の蘭方医・新宮凉庭(1787年-1854年)の顕彰碑が建っている。
1.由良神社の全景

2.巨大な石造り鳥居を見る!

3.巨大な石灯籠と御神木を見る!

4.鳥居と拝殿を見る!

5.拝殿内陣

6.本殿を横から見る!

7.見事な一間社流造りの熊野神社

8.曽禰好忠の歌碑

9.山椒太夫の屋敷跡は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/662.html
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明治20年(1887)、室町幕府3代将軍足利義満が造営した京都の花の御所に鎮座していた花御所八幡宮を当地に遷座して現社号で呼ばれるようになった。日本海軍の長良型軽巡洋艦「由良」は、丹後由良の由良川から命名され、艦内神社は当社を分祀したもの。拝殿右手には由良献木の碑が建っています。また昭和17年(1942)、府社に列す。境内には江戸時代の由良出身の蘭方医・新宮凉庭(1787年-1854年)の顕彰碑が建っている。
1.由良神社の全景

2.巨大な石造り鳥居を見る!

3.巨大な石灯籠と御神木を見る!

4.鳥居と拝殿を見る!

5.拝殿内陣

6.本殿を横から見る!

7.見事な一間社流造りの熊野神社

8.曽禰好忠の歌碑

9.山椒太夫の屋敷跡は下記をクリックして見て下さい!
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2019/9/1
丹後を見る!延喜式内社・明神大社の古社・大川神社! 文化財研修記
京都府舞鶴市大川589には延喜式内社で明神大社で主神は保食神を祀る大川神社がある。この神社は由良川左岸の178号線沿いに鎮座しています。徹光山(標高200m)の東山麓に鎮座しており、背後の大きな森に抱かれた神社は、静かで落ち着いた雰囲気を漂わせています。今は一般道となった神社の手前に水の流れが見えない神橋が架かり、神社の入口は石段の上に板が敷かれたスロープになっています。参道両脇には社務所や祈祷所が建ち、途中に一の台輪鳥居、二の両部鳥居が建立されています。祈祷所を右に見るとすぐに城郭のような石垣が組まれた上に荘厳な市指定文化財・中門が建立され、本殿へと上がる石段脇にご神木の大ケヤキが聳えています。社殿が建つ境内も石垣が組まれた上にあり、緑が多く整然とした境内中央に割拝殿風の市指定文化財・拝殿が開放的な姿で配され、本殿へ上がる石段両サイドに出雲丹後狛犬、本殿前に寛延4年生まれの個性的な狛犬がいます。市指定文化財・本殿は精緻な彫刻が施された千鳥破風唐破風付きの大寺院のような造りの建築物です。そのほか境内には摂社など数社が祀られています。加佐郡では唯一の名神大社としての歴史の重みと、清々しく風情のある環境、巨大で荘厳な社殿、整備された参道や境内などが印象的な素晴らしい神社です。天武天皇の時代には勅使をもって幣帛が捧げられ、さらに持統天皇7年(693)7月には「祈雨の政」が行われたことを伝えています。平安期に入ると、貞観元年(859)には神位の昇進があり、十世紀には延喜式内名神大社に列し、丹後国きっての著名な古社であります。下って明治5年郷社となり
大正8年府社になり、大川大明神と尊称されて来ました。主神は保食神・相殿に句々廼馳命神(木神)・軻遇突智神(火神)・埴山姫神(土神)・金山彦神(金神)・罔象女神(水神)の五元神が祭祀されています。例祭は4月29日、大祭は11月3日で、御幣渡御・種々の奉納行事があり、伝説も数多く、什物として室町時代「享徳2年(1455)の銘がある特異な形の鎌鑓があります。
(「境内案内板」より)
1.大川神社を見上げる!

2.石造りの一の台輪鳥居

3.朱の二の両部鳥居

4.朱の両部鳥居とその扁額を見る!

5.見事な市指定文化財の中門

6.駒札

7.中門をアップで見る!中門には左右に随身が護っているが撮影は無理です!

8.御神木の駒札

9.舞鶴市の古木で小結と云われる御神木の大ケヤキ

10.見事な手水舎の手水鉢

11.市指定文化財の割拝殿と本殿を望む!

12.割拝殿と本殿を見る!

13.本殿は巨大で正面からの撮影は無理なので右側から見る!

14.駒札

15.本殿前の阿形の狛犬

16.吽形の狛犬

17.本殿の見事な彫刻(柏原の中井権次一党の作品に間違いないですね!)

18.同上 2.

19.同上 3.

20.同上 4.

21.同上 5.

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大正8年府社になり、大川大明神と尊称されて来ました。主神は保食神・相殿に句々廼馳命神(木神)・軻遇突智神(火神)・埴山姫神(土神)・金山彦神(金神)・罔象女神(水神)の五元神が祭祀されています。例祭は4月29日、大祭は11月3日で、御幣渡御・種々の奉納行事があり、伝説も数多く、什物として室町時代「享徳2年(1455)の銘がある特異な形の鎌鑓があります。
(「境内案内板」より)
1.大川神社を見上げる!

2.石造りの一の台輪鳥居

3.朱の二の両部鳥居

4.朱の両部鳥居とその扁額を見る!

5.見事な市指定文化財の中門

6.駒札

7.中門をアップで見る!中門には左右に随身が護っているが撮影は無理です!

8.御神木の駒札

9.舞鶴市の古木で小結と云われる御神木の大ケヤキ

10.見事な手水舎の手水鉢

11.市指定文化財の割拝殿と本殿を望む!

12.割拝殿と本殿を見る!

13.本殿は巨大で正面からの撮影は無理なので右側から見る!

14.駒札

15.本殿前の阿形の狛犬

16.吽形の狛犬

17.本殿の見事な彫刻(柏原の中井権次一党の作品に間違いないですね!)

18.同上 2.

19.同上 3.

20.同上 4.

21.同上 5.

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