2019/5/7

京丹波を見る!京都府指定文化財の篠田神社と志賀の七不思議!  綾部の文化財

京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」篠田町宮ノ下6−1には京都府指定文化財の本殿をもち志賀の七不思議の一つ「竹の子さん」のある篠田(しのだ)神社がある。現本殿は室町時代の様式をもち、山家藩の記録には、永禄9年(1566)再建と記した棟札があるとしている。大正11年(1922)に現本殿の位置から全体の形状を損なうことなく移築改修されている。屋根葺材及び小屋根材の一部、向拝部分(組物をく)、繋虹梁(つなぎこうりょう)、縁廻りなどに取り替え材がみられるものの、当初材が良く残っている。丹波地域に残る室町時代の神社建築の遺構は、いずれも保守的な形式技法を踏襲している。当本殿でも、装飾として「手挟み」を4組置くだけである。又室町時代の五間社の神社本殿遺構は府内で他に一棟し確認されておらず、当本殿の持つ価値は高い。「あやべ歴史のみち」より抜粋掲載。
志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起
その縁起
 今からおよそ1400年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は国の中心勢力を固めるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王はおおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。
 また志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「向田:後の篠田」の五つの社を厚く信仰されたということです。
 親王の子孫、金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」向田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。
 この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。
 なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として今に語りつがれています。
その奇瑞  篠田神社=向田大明神の「竹の子さん」
 毎年旧暦の正月四日になると、日の出より八時までの間に、神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が三本出るのです。
 これを神前に供え、その竹の子の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占うのです。
 この神事は、今も新暦の2月4日に「筍祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは「タケノコさん」として親しまれています。
 つい最近まで、氏子の人、数人が三日間、籠堂に泊まり。日に三度づつ氷のように冷たい篠田川の水を浴び、行をとってきましたが、今は取り止めになっています。是非一度、節分の日に、お詣りください。 志賀郷公民館


志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起
その縁起
 今からおよそ1400年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は国の中心勢力を固めるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王はおおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。
 また志賀の里の「藤波」「金宮」「若宮」「諏訪」「向田:後の篠田」の五つの社を厚く信仰されたということです。
 親王の子孫、金里宰相は、この五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」向田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。
 この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。
 なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志賀の七不思議」として今に語りつがれています。
その奇瑞  篠田神社=向田大明神の「竹の子さん」
 毎年旧暦の正月四日になると、日の出より八時までの間に、神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が三本出るのです。
 これを神前に供え、その竹の子の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占うのです。
 この神事は、今も新暦の2月4日に「筍祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは「タケノコさん」として親しまれています。
 つい最近まで、氏子の人、数人が三日間、籠堂に泊まり。日に三度づつ氷のように冷たい篠田川の水を浴び、行をとってきましたが、今は取り止めになっています。是非一度、節分の日に、お詣りください。 志賀郷公民館

1.篠田神社の鳥居と標柱
クリックすると元のサイズで表示します

2.志賀郷公民館(しがさとこうみんかん)の駒札(画像をクリックすると、拡大して読めまあ明日が、上記に文章を記載しました。)
クリックすると元のサイズで表示します

3.石段参道
クリックすると元のサイズで表示します

4.石段参道を登りきった所から拝殿を見る。
クリックすると元のサイズで表示します

5.手水舎
クリックすると元のサイズで表示します

6.右側から拝殿や狛犬などを見る!
クリックすると元のサイズで表示します

7.拝殿を斜めから見る!
クリックすると元のサイズで表示します

8.拝殿の彫刻をアップで見る!龍には髭がある。柏原の中井権次一党の作か?
クリックすると元のサイズで表示します

9.同上
クリックすると元のサイズで表示します

10.拝殿後部にある京都府指定文化財の本殿
クリックすると元のサイズで表示します

11.京都府教育委員会の駒札
クリックすると元のサイズで表示します

12.2月4日の「竹の子さん」神事の竹の子神田
クリックすると元のサイズで表示します

13.2月4日の竹の子さんの神事は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1613.html


綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/5/5

京丹波を見る!吉美地区の郷社・高倉神社所縁の6社の一つ奥宮神社‼  綾部の文化財

京都府綾部市吉美地区(きみちく)の郷社・高倉神社を取り巻く6社の一つ奥宮神社(おくみやじんじゃ)が小呂町天野の地にあります。この神社の祭身神は大山祇命であり、太古から開け里人武を尊び往時を勧請して祀ると。小呂峠近くの急な石段参道を必死に上ると拝殿に至ります。境内社としては、日吉神社、大山咋ノ神、武太神社、須佐之男命と記されています。吉美地区の総氏神は高倉之宮以仁王を祀る高倉神社であり、高倉神社の秋大祭の行列には6社の1社として加わり、2重の祭礼を行っています。

1.奥宮神社を遠方より見る!
クリックすると元のサイズで表示します

2.奥宮神社の標柱
クリックすると元のサイズで表示します

3.見事な石段参道です!
クリックすると元のサイズで表示します

4.急で長い石段参道をの必至で登った!小呂町の絶景が見れたが、下りは同じ石段参道を降りるのに恐怖を感じた次第です!
クリックすると元のサイズで表示します

5.奥宮神社本殿
クリックすると元のサイズで表示します

6.本殿正面をアップで見る!左側に境内社が見えます!
クリックすると元のサイズで表示します

7.本殿右側の境内社
クリックすると元のサイズで表示します

8.一対の狛犬。右側の狛犬頭部・口が欠けています。
クリックすると元のサイズで表示します

9.再度、小呂峠手前から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/5/2

京丹波を見る!日本最古の生身天満宮の春の大祭を見る!  綾部の文化財

生身天満宮(いきみてんまんぐう)は、京都府南丹市園部町美園町にある神社。旧社格は府社。菅原道真の存命中の創建とされ、これをもって「生身天満宮(いきみてんまんぐう)」を称し「日本最古の天満宮」であるとしている。御祭神は勿論、菅原道真公 (すがわらのみちざね)です。南丹市の中心部、園部の天神山山腹に鎮座する。園部の地は菅原氏の知行所であり、小麦山に菅原道真の邸宅があったと伝えられている。延喜元年(901)に道真が大宰府に流された時、園部の代官・武部源蔵は道真の8男・慶能(けいのう)の養育を頼まれた。そして小麦山にあった邸内に小祠を作り、密かに道真の像を安置して生祠として奉斎したのが当社の始まりとする。延喜3年(903)に大宰府で道真が亡くなると生祠を霊廟に改め、天暦9年(956)、改めて神社として祭祀を行った。現在も続く宮司家は武部源蔵の子孫である。戦国時代には、当地を治めた丹波守護職・細川家や織田家管領が、境内に乱暴狼藉や伐採を禁止する禁制高札を立てて兵乱から守った。その高札は現存し、京都府指定文化財となっている。承応2年(1653)、園部藩初代藩主・小出吉親が小麦山に築城する際に現在地に遷座された。本殿は一間社流造檜皮葺。周囲にめぐらされている回廊とともに、京都府の文化財に指定されている。この神社の5月1日の春祭りを取材しました。

1.5月1日午前09;50分生身天満宮を見る!参列者達は春祭に出席で此処にはいませんが、物凄い出店が繁盛しています!
クリックすると元のサイズで表示します

2.鳥居をアップで見ます!
クリックすると元のサイズで表示します

3.登り石段参道を見る!
クリックすると元のサイズで表示します

4.同上
クリックすると元のサイズで表示します

5.左側の境内社の手水舎
クリックすると元のサイズで表示します

6.境内社・厳島神社
クリックすると元のサイズで表示します

7.左側にある境内社・稲荷神社
クリックすると元のサイズで表示します

8.社務所と5月1日春祭の催し案内板(諸行事を見たいのですが、亀岡市の所用亊の在為残念です。)
クリックすると元のサイズで表示します

9.駒札
クリックすると元のサイズで表示します

10.三の大鳥居と拝殿
クリックすると元のサイズで表示します

11.見事な神楽殿です!
クリックすると元のサイズで表示します

12.拝殿をアップで見る!
クリックすると元のサイズで表示します

13.見事な神輿蔵の神輿です!
クリックすると元のサイズで表示します

14.本殿左手前にある巫女さんによる縁起物の売り場
クリックすると元のサイズで表示します

15.令和元年5月1日午前10時05分「祝詞(のりと)」を奉上される武部宮司様
クリックすると元のサイズで表示します

16.同上 右側から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

17.見事な神楽殿を本殿側から見る!午後にはこの神楽殿で御神楽が奉納されます!
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 

2019/5/1

京丹波を見る!吉美盆地の中央にある国重文・国史跡の聖塚・菖蒲塚古墳!  綾部の文化財

平成2年度国指定文化財 記念物(史跡)として
     聖(ひじり)塚・菖蒲(あやめ)塚古墳を答申
 平成3年4月12日、市内多田町にある聖塚・菖蒲塚古墳が、国の文化財審議会から史跡として指定(答申)きれた.府内の史跡指定はこれで14件目である。
 両古墳は綾部市街地から北東約2.5`、吉美盆地のはぼ中央に約百bはなれて位置する古墳時代中期の大型の方墳である。
 明治24年、聖塚からは、鏡片・冑片・短甲片・鉄刀・玉類などの遺物が多量に出土している。
 昭和57年、圃場整備事業に伴い、綾部市教育委員会により、周壕部の発掘調査が行われ、その規模が明らかとなった。

 聖塚は、二段築成で、葺石・埴輪列があり、南辺に造り出しを設けた一辺54b余、高さ7bの大型方墳である。埴輪は円筒埴輪のほか朝顔方埴輪、蓋(きぬがさ)、短甲形埴輪などが出土している。
 菖蒲塚は一辺約32bの方墳で、聖塚と同じく南辺に造り出しがあるが、その基部に更に台形の張出しを設けるという特異な形態をしており、高さは約5bである。葺石、埴輪列があり、円筒埴輪や朝顔形埴輪などが出土している。出土遺物から5世紀前半頃の築造と考えられ、築造当時の形態がよく残されている点は貴重である。
 聖塚は方墳としては大型古墳に属しており、築造が段築・埴輪・葺石という中央政権と密接なつながりを有すると考えられる三セットからなり、更に両古墳の築造された位置、墳形、出土遺物に共通性が見られる点など、その歴史的意義は高く、古墳時代社会を考える上で貴重である。
 丹波・丹後で既指定の史跡(古墳)は、千歳車塚古填(亀岡市)・蛭子山古墳・作山古墳(加悦町)・銚子山古墳第一第二古墳(網野町)・神明山古墳・産土山古墳(丹後町)である。「あやべ歴史のみち」より抜粋・掲載。

1.駒札と聖塚古墳を西側から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

2.同上 駒札
クリックすると元のサイズで表示します

3.同上 聖塚古墳を東側から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

4.菖蒲塚古墳を南側から見る!
クリックすると元のサイズで表示します

5.同上 駒札   背景の高い山は城山(じょうやま)です。
クリックすると元のサイズで表示します

6.「あやべ歴史のみち」からコピーで掲載。左が聖塚古墳で、右側の小さな小山が菖蒲塚古墳です。
クリックすると元のサイズで表示します

綾部の文化財を応援して下さる方は、記事の下にある「FC2ブログ・ランキング」をクリック願います!
fc2歴史ランキング 



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ