2019/3/31

京丹波を見る!京都府の元伊勢三社の一つ元伊勢外宮 豊受大神社!  文化財研修記

京都府福知山市大江町天田東平178−2には豊受姫命を祀る京都府で元伊勢三社の一つ豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)がある。創建年は雄略天皇22年と言われる古社で神明造り茅葺であった。豊受姫命は、雄略天皇の時に丹波国から遷宮して伊勢神宮外宮に祀られたとされる。当社はその元伊勢伝承地の1つで、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも称される。内大江地域には当社の他にも以下の元伊勢伝承の神社があり、総称して「元伊勢三社」と呼ばれている。

1.豊受大神社の標柱
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2.登り参道
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3.同上
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4.外宮参拝順路
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5.手水舎
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6.鳥居と社務所
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7.拝殿と両脇の2社を見る!
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8.同上
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9.拝殿を見る!
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10.アップで見る!
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11.拝殿後部と本殿を見る!
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12.樹齢1500年の御神木の駒札
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13.御神木の巨大な杉です!
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14.外宮への参道を見下ろす!
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2019/3/28

京丹波を見る!福知山市大江山の中腹にある大江山鬼嶽稲荷神社!  文化財研修記

京都市福知山市大江町北原の大江山の中腹には大江山鬼嶽稲荷神社(おおえやまおたけいなりじんじゃ)がある。創建年代は不明。主祭神は宇迦之御魂大神(資料が無いために正確には不明です)。主な御利益は五穀豊穣、商売繁盛(資料が無いために正確には不明です)は・参拝自由(社務所時〜時)
・最寄駅ー京都丹後鉄道宮福線「大江駅」→市営バス「山の家」→徒歩1時間
・駐車場ー無しですが、駐車スペースがあります。
・神社HPー無し。
当社は元々は鬼嶽神社と呼ばれており、大江山も鬼嶽山と呼ばれていたようです。社地も現在の位置(八合目)よりも、もっと頂上に近い位置にあったとされます。この地には鬼の伝説「酒呑童子」で有名ですが、恐らくこの地の有力者とどこからか来た有力者が戦になったと思われます。そこで負けたこの地の有力者が「鬼」ということになったのでしょう。当社のすぐ左には300m進むと「鬼の洞窟」があります。道が険しいので多少の装備がいるかもです。またこの地は修験道の史跡も多く遺されています。当社は1800年代に京都の伏見稲荷大社を勧請し、現在の社名に改められたそうです。摂社にも大国主と事代主が祀られており、五穀豊穣・商売繁盛の神様が主祭神・配神になっております。当地には古来より養蚕業と稲作が盛んな為に、当社は農業家からの信仰が非常に篤いようです。そして当社が有名になっているのは、当社から見える雲海です。雲海というと竹田城が有名ですが、当社も非常に美しい雲海が11月から12月上旬にかけて拝めます。前日が晴れで雲がなく〜という気象条件が重ならないといけませんが、早朝から待機して見てみる価値はあります。多い日には50人以上の人が来ているそうです。展望休息所もありますし、近くにトイレもあります。一度は訪れて、この美しい景色を観てほしいと思います。

1.大江山鬼嶽稲荷神社
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2.同上
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3.石造り鳥居・朱の鳥居・扁額を見る!
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4.朱の鳥居と扁額を見る!
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5.拝殿を見る!
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6.拝殿と本殿を右側から見る!
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7.駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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8.鬼嶽稲荷神社から見た風景!
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9.同上
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2019/3/24

京丹波を見る!日本の鬼にの交流博物館!  文化財研修記

日本の鬼の交流博物館(にほんのおにのこうりゅうはくぶつかん)は、京都府福知山市(旧加佐郡大江町)の大江山麓にある鬼伝説をテーマとする博物館です。大江山には3の鬼伝説が残されている。この伝説を"町おこし"の起爆剤として活用すべく、廃坑となった銅鉱山の跡地に平成5年(1993)4月に開館した。
外観は鬼の力強さや挑戦的なイメージを表現したRC造平屋建ての建造物で、建築面積は639.81平米。内部は200人収容の「鬼の交流ホール」を中心とした回廊に展示スペースが設けられている。展示は4つのスペースに分けられる。
「鬼とは何者かをさぐる」
全国あるいは世界中の伝統芸能やそこで用いられる面、人形あるいは屏風画などを展示。「祀られる鬼」「仏と鬼」「神楽の鬼」「暮らしの中の鬼」「追われる鬼」「民俗芸能の鬼」など鬼の多面性について紹介する。
「大江山の3つの鬼伝説紹介」
大江山に伝わる鬼退治伝説の絵巻物などを展示。(大江山および酒呑童子の項参照)
「日本における鬼瓦の推移を見る」
飛鳥時代から現代までの銘の入った鬼瓦を時代別に実物、レプリカを含め約50個ほど展示紹介。
「チビッ子おに」
子どもの玩具としての鬼の面や絵本、紙芝居など。図書コーナー、ビデオコーナーも備えている。
博物館の前庭にある大鬼瓦は、日本鬼師の会製作による、高さ5m、重量10tの日本一の大鬼瓦である。ウイキぺデアより抜粋。

1.大江山の日本の鬼の交流博物館手前の案内板
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2.同上
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3.位置図
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4.博物館の前庭の日本鬼師会制作による高さ5メートル、重量10トンの日本一の大鬼瓦
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5.日本の鬼の交流博物館入口
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6.レプリカ展示場
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7.鬼の交流ホール
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8.同上
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9.展示の案内(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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10.同上
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11.本日の特別展示(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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12.同上
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13.同上
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14.同上
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15.同上
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2019/3/19

京丹波を見る!日本棚田100選の一つ福知山市大江町毛原の棚田!  山・峠道・滝

福知山市大江町毛原(けはら)には日本棚田100選の一つケで美しい毛原の棚田がある。

「日本の棚田百選」の棚田で、春の稲刈りと秋の田植えを体感しよう!!
 田植え 2018年5月13日(日)予定。 稲刈り  2018年9月予定。 参加対象:現地まで直接来ることのできる人 参加費(2017年):高校生以上 2,500円  小中学生1,000円  小学生未満無料; 準備物等:田植えができる服装、長靴、着替え、タオルなど

 田んぼの保全と地域の活気づくりのために、棚田の「オーナー」を毎年募集しています。地元農家の指導のもとで、水田の荒起こし・代掻き・田植え・草刈り・稲刈り・籾摺りなどの作業をオーナーが主体的に取り組んでいます。募集は毎年春。
 問い合わせは事務局の櫻井(090-1487-8568)までご連絡下さい。
 参加費 5万円(1組あたり、水田・農機具の使用料・農作業の指導・電気柵など含む)
 日 時  作業は約2週間に1回(毎回全員ではなく、グループ内で当番制にしてもOK)
 資 格 *自然を愛し、農村に親しみをもつ人
     *仲良く共同作業できる人

1.毛原の棚田案内札
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2.美しい毛原の棚田(画像をクリックして拡大写真で見よう!)
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3.同上
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4.毛原の森
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5.同上
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6.毛原の道の駅
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7.手前の水車
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2019/3/14

京丹波を見る!福知山市にある山陰道8箇国法華宗門最初の霊場である常照寺!  文化財研修記

京都府福知山市菱屋町68には創建・延慶3年(1310)で山陰道八箇国法華宗門最初の霊場である寳珠山常照寺(じょうしょうじ)がある。大善阿闍梨日範(朗門の九鳳の一人)が創建した。堂宇、仏像、僧坊ことごとく焼尽 ただ寺号を存するだけとなり、万治2年(1659)唯心院日量(21世)が福知山城主松平忠房に請願して現在地に移転し延宝6年(1678)までに現在の伽藍を復興した長い寺歴の中、洪水、災害による幾多の困難も乗り越え真浄大法を伝承して今日に至っている。。日露戦争(明治37年ー明治38年)ではロシア軍捕虜の収容所の一つとなった。・・・歴史案内札より抜粋。

1.見事な山門と標柱
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2.山門を正面から見る!
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3.山門横の宝珠山常照寺歴史案内碑
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4.山門から本堂を見る!
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5.見事な本堂です!
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6.山門を右側から見る!
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2019/3/9

京丹波を見る!福知山城の城門を山門に持つ福知山城主・朽木氏の菩提寺・法鷲寺!  文化財研修記

京都府福知山市下紺屋町86−4には福知山城主・朽木氏の菩提寺で福知山城城門を山門とする浄土宗法鷲寺(ほうじゅうじ)がある。内法が高く、豪壮な風格を持つ大型の高麗門である。軒桁より上は新材に変わっているが、鬼瓦は朽木氏の家紋である「四つ目結」が残されている。肘木から下はよく保存されている。袖塀は、様式が当初とは変わっているようである。法鷲寺の創建は室町時代末期の永禄11年(1568)、喜屋清右衛門が宝誉上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。当初は呉服町にありましたが寛文10年(1670)に現在地に移り寛政7年(1795)には信州善光寺(長野県長野市)の念仏道場にもなっています。江戸時代は福知山藩主朽木家から帰依され寺運が隆盛しますが文化4年(1807)、安政4年(1857)の火災、明治29年(1896)、明治40年(1907)、昭和19年(1944)の大洪水により大きな被害を出しています。山門は福知山城の城門の1つと伝えられている高麗門で、数少ない福知山城の遺構として貴重なことから福知山市指定文化財に指定されています。ご本尊は阿弥陀如来様です。

1.法鷲寺の標柱
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2.見事な高麗門です!
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3.朽木氏の家紋・四つ目結が見えます!
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4.駒札(画像をクリックされると拡大して読めます。)
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5.再度見ます!
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6.駒札
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7.見事な本堂です!
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8.見事な鐘楼です!
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2019/3/4

京丹波を見る!福知山城主朽木氏の菩提寺・久昌寺!  文化財研修記

京都府福知山市寺町1番地には福知山城主であった朽木氏(くつきし)の菩提寺で曹洞宗の久昌寺(きゅしょうじ)がある。久昌寺は創建当初「久昌庵」という庵寺であって、十一屋某者(現盛岡市下ノ橋十一屋の先祖)が祇陀寺の奇山快秀和尚の為に造った閑居でありました。快秀和尚は十一屋三代の当主高橋祐吉と相談し、周囲の谷地を求め伽藍を建立し、布教・法要を執り行う道場とし、明暦2年(1658)開山導師として、報恩寺九世蘭翁嫩芝大和尚を勧請し、自ら二世大和尚として住職になられ、そのときから「奕葉山・久昌寺」と公称するようになりました。ご本尊は釈迦年尼佛、脇侍は文殊菩薩・普賢菩薩であります。山門は楼門で総けやき造、銅版葺で昭和八年建立されたもの。久昌寺二十一世和尚の発願で、当時大圓寺(下閉伊郡川井村小国)の住職であった二十二世和尚に命じ伐採した欅で建てられたもので屋根から扇状に突出する「扇たる木造り」が特色であります。山門の周囲には数々の彫刻をはめこみ、扉には「天女」が彫りこまれ、大蟇肢には「牡丹に鳳凰」が、扉の両側には「昇り竜」「降り竜」が彫刻されてあります。山門楼上には「十六羅漢」を奉祀し、漢訳の大蔵経が納められています。 山門の鯱は南部家からの下賜の盛岡城乾の門の由緒あるものと言い伝えられていたが、長年風雨にさらされ、破損が著しく、平成8年3月補修のため取り外し調査したところ、言い伝えにたがわず、木彫りの鯱にこれの保護を意図したごとく、銅板で鯱を型どり覆工されていました。木部覆工部ともに腐食・破損が甚だしく、補修復元後再び風雨にさらすに忍び得ず、庫裡玄関に保存されています。現在の鯱は代替のものを求め設置されてえいる。本殿の狭い虹梁には柏原の名彫刻師中井一統の8代目中井権次橘正胤や中井清次良政実の合作の龍の彫刻がある。

1.久昌寺の標柱
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2.見事な山門です!
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3.山門をアップで見る!
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4.同上
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5.山門から本堂を見る!
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6.見事な石造りの七福神です!鐘楼も見事です。
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7.左側の七福神
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8.佛足跡の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます。)
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9.佛足跡
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10.巨大で見事な本堂です!
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11.本堂の虹梁(こうりょう)には柏原の名彫刻師・中井権次一統の龍の彫刻があります。
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12.同上
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13.駒札
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2019/3/1

京丹波を見る!福知山城の城門を山門とする正眼寺!  文化財研修記

京都府福知山市寺3番地には曹洞宗の古刹で本尊・地蔵菩薩を祀り福知山城の城門を山門とする正眼寺がある。正眼寺の創建は大宝元年(701)、洪範上人(大阪四天王寺の住職)が一宇を設け全国に流行った疫病の病魔退散と病気平癒を祈願したのが始まりと伝えられています。その後も庚申堂として信仰されてきましたが、戦国時代、明智光秀が福知山城を築き城下町を整備した際、現在地に移されました。慶長18年(1613)、久昌寺3世が寺院として整備し寺号を正眼寺と改称しています。山門は福知山城の城門の1つで金具が銅製のことから銅門とも呼ばれている高麗門形式の門です。当初は福知山城の二の丸登城口にあった銅門番所に付随されていた門でしたが明治31年(1898)に移築されました。山門に掲げられている額は福知山城の南居間本床上の天床を利用したもので書は永平寺(福井県永平寺町)六十七世勅特賜円證明修禅師。正眼寺山門は福知山市指定文化財に指定されています。

1.正眼寺の標柱
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2.元福知山城の城門の一つであり、銅門と呼ばれていた見事pな城門を山門としています。
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3.駒札
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4.山門の扁額は福知山城の南居間本床上の天井にあった永平寺67世勅賜円證明修禅師の物です!
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5.山門を内側から見る!
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6.山陰最古の庚申堂の駒札
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7.山陰最古の庚申堂
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8.見事な鐘楼
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9.本堂
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10.本堂の見事な須弥壇
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