2018/11/30

京丹波を見る!梅田七社の筆頭の三和町莵原下の梅田神社!  文化財研修記

京都府福知山菟原下166川の上(梅田神社)には梅田七社の」筆頭の梅田神社(うめだじんじゃ)がある。創立は文治元年(1184)、祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、彦布都押信命(彦太忍信命ひこふつおしのまことのみこと)である。明治16年(1883)の「神社明細帳」には、天児屋根命・紀貫之(きのつらゆき)とある。この近辺の神社には紀貫之の文字は頻繁にみることができます。本殿は天保13年4月18日、燈火による火災にあいました。
それから再び再建され、嘉永元年(1848)3月15日に式典が行われました。5日間村中のお祭りとなって、皆で踊り、見せ物、出し物とそれは賑やかなものだったそうです。昭和44年3月まで藁葺きの作りでしたが、藁葺き職人も少なくなってきたとのことでトタン葺きにかえられました。集落の中でも低い位置にあり、川に近い位置にある神社ですが、大きな水害の際も不思議と水がつくことがありません。
梅田七神社
梅田七神社の根本にあたる神社で、広く丹波の地域に七社、梅田神社という名前の神社があります。昔の祭事では一晩かけて御輿を担ぎ、この神社の元に集ったこともあったようです。
秋の大祭10月に行われます。20年以上前までは御輿を担いでいましたが、今は台車に載せて村をまわります。基本的には10月9日に行われることになっていますが、昨今は日曜日に行われます。戦前は10月23日に行われていましたが、農作業の都合から9日に変更されました。


1.梅田神社の大鳥居
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2.覆屋に覆われた梅田神社(1848年に再建された総ケヤキ造、正面に軒唐破風を設けた梅田・春日社を相似形に2棟並べて接続させた珍しい連棟式社殿です。)
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3.正面の梅田社を見る!
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4.右の春日社を見る!(幕末の贅を尽くした彫刻や絵様は見事で、非常に見応えがあります。)
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5.左、梅田社、右は春日社の連棟式社殿が見事です!
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6.横側から見事な彫刻の社殿を見ます!
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7.同上
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8.社殿から朱の大鳥居を見ます!
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2018/11/25

京丹波を見る!厄除八幡神社として有名な八幡神社!  文化財研修記

京都府福知山市三和町莵原中265には御祭神を誉田別命(ほんだわけのみこと)、(配神) 菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 紀貫之(きのつらゆき)を祀る八幡神社(はちまんじんじゃ)がある。創建等の由緒は不明。天明3年(1783)に再建されたと伝わります。神仏分離以前は、隣の龍源寺と一体であったと考えられています。近隣では厄神さんとして有名で、毎年1月19日の厄神祭は賑わいます。本殿は小さな二間社流造、柿葺(こけらふき)で、美しい彫刻が施されています。配神に紀貫之が祀られているのは、往古当地を治めていた細見氏の祖霊だからだと思慮されます。

1.朱の大鳥居
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2.大鳥居の扁額を見る!
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3.阿形の狛犬
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4.吽形の狛犬
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5.社殿を見る!
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6.見事な向拝の彫刻
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7.彫刻をアップで見る!
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8.同上
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9.奉納された絵馬ををアップで見る!
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2018/11/20

京丹波を見る!百体観音堂で名高い三和町菟原中の龍源寺!  文化財研修記

京都府三和町菟原中261には曹洞宗の名刹・金昌山龍源寺(きんしょうざんりゅうげんじ)がある。その「百体観音堂」は龍源寺20代和尚や地元の地元の人々の発起により、全国歴史の道百選の一つで山陰道の要所である細野峠(ほそのとうげ)に建立されたのは弘化元年(1844)であった。お堂には西国三十三ケ所、坂東三十三ケ所、秩父三十四ケ所の計百体の観音様が安置され、更に
四国八十八ケ所霊場の砂も納められて、このお堂で拝礼をとげる者はこれら聖地と同じご利益があり、功徳を得ることができると言われています。細野峠は伊能忠敬の「測量日記」のも記されるこの峠は京から山陰地方には欠かせない峠で、明治初期までは菟原−大久保間を通る主要な道でしたが、国道9号線が開通し、お堂は現在の龍源寺に移転され今に至っています。

1.細野峠にある百体観音堂跡地
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2.龍源寺の標柱
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3.見事な本堂
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4.百体観音堂
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5.同上の観音堂をアップで見る!
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6.観音堂の内陣の100体の観音像
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7.見事な観音堂の天井画です!
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8.本堂前から三和町菟原中を見下ろす!
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2018/11/15

京丹波を見る!旧福知山城の移築された城門を山門とする観滝寺!  文化財研修記

京都府福知山市口榎原3354には旧福知山城の城門の一つ薬医門が明治4年(1871)に移築され、山門となっている高野山真言宗の名刹・観滝寺(かんりゅうじ)がある。平成30年3月の福知山市教育委員会の駒札より抜粋。詳細は下記の駒札をクリックすると拡大して読めます。

1.観滝寺の標柱
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2.旧福知山城の城門を移築した「観滝寺山門(福知山市重要資料)」
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3.福知山市教育委員会設置の駒札(画像をクリックすると拡大して読めます!)
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4.山門をアップで見ます!
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5.薬慰門(脇戸付、冠木(かぶき)は台輪に近く、冠木と水平方向に据える男梁(おばり)は確認出来ますが、女梁(めばり)は省略されています。脇の柱には塀が付属していた痕跡があります。)
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6.山門から本堂を見る!
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7.見事な本堂です!
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8.見事な石塔です!
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9.同上
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2018/11/10

京丹波を見る!福知山市指定の名木・2本の大杉とムクノキを持つ大歳神社!  文化財研修記

京都府福知山市榎原205−4には福知山市指定名木の大杉2本とムクノキの巨木のある大歳神社(おおとしじんじゃ)がある。創建は不明だが丹波地方に良くある大歳之神(おおとしのかみ)を祀っている。本殿の見事な彫刻から柏原の名彫刻師の中井権次一統の彫刻を思い出させるがシンボルの龍の彫刻が無かった。残念!

1.大歳神社の大鳥居
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2.鳥居の右側には福知山の名木のムクノキがある。
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3.幹周4.9メートル、高さ32メートルもある。
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4.拝殿と右側の大杉は幹周5.8メートル樹高は60メートル、左の大杉は幹周4.83メートル樹高は42メートルもある。両木とも推定樹齢は600年です。
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5.吽形の狛犬
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6.巨大な石灯籠と大杉
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7.拝殿をアップで見る!
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8.拝殿後部から本殿を見る!
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9.本殿の見事な彫刻
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10.本殿の象鼻の見事な彫刻
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11.本殿前から参道・鳥居を見る!
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2018/11/6

京丹波を見る!平成の修理を終えて京都府北部唯一の国宝・光明寺の二王門が見事な姿を現した!  綾部の文化財

光明寺二王門(国宝)
 寺伝では白鳳八年(680)の建立としている二王門は昭和25年からの修理によって鎌倉時代の建築であることが確認されました。修理は永年風雪に堪えて来たため大破寸前の状況で解体修理が行われました。その結果、上層背面中央の左柱に「宝治二年戊申」の墨書銘と一重天井板に転用されている棟札を発見し、仁治三年(1242)着工し、建長五年(1253)竣工した様子で、宝治二年(1248)を建立年としています。修理に伴い発見されたものに順礼札があります。これは木札で、納め札とも言いますが、現在では紙札で霊場参拝の印とするものです。この他に中世の「のみ」や仁王像彩色の記録板などがありました。又、門の修理年代を知ることができ、永正十三年(1516)、享保十四年(1729)、安政六年(1859)の三回であることがわかりました。  昭和27年10月竣工をとげた二王門は、三間一戸(柱間三、戸口一)二重門、入母屋造、栩葺(とちぶき)で、昭和29年国宝に指定されました。今回の修理において京都府教育委員会の見解は「建築としての二王門」@「二重」の門は珍しい。二重であることは、建物の格の高さを表す。現在、本山などの大きな門にみられる。光明寺よりも府歩い遺構は、法隆寺中門(飛鳥時代)のみである。A二王像を奥に安置し、前に床が張られている。Bとち葺き屋根=厚板を重ねて葺く屋根・葺き材はクリ材・厚さ2.4cm、長さ75cm。・24cmずつずらしながら葺き重ねている。C建物本体に使われている木材・スギ・非常に上質な材を,木目に沿って割って製材。・建物当初の材がよく残っていある。と、ポイント@からCで表現されています。

1.平成30年11月6日(火)午後1時20分撮影の修復されたニ王門
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2.正面から見た二王門
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3.駒札
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4.阿形の二王像
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5.吽形の二王像
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6.11月6日(水)内覧会で挨拶される光明寺住職の楳林誠雄師
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7.同上  修復工事の経過を説明される京都府教育委員会文化財保護課の担当者
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8.光明寺と京都府北部唯一の国宝・二王門いついてより詳しくは下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1685.html

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2018/11/5

京丹波を見る!建御雷之神を祀る古社・鹿島神社!  文化財研修記

京都府福知山市和久寺507には建御雷之神(たけいかずちのかみ)を祀る古社の鹿島神社(かしまじんじゃ)がある。創建年は不詳であるがこの地は和久寺遺跡の在るところであり、日本神話で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神であり、経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功。また、神武東征においても、天皇の危難を救った鹿島神宮の祭神でもあります。


1.10月14日(日)幟の掲げられた鹿島神社
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2.鳥居と境内
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3.和久寺遺跡の駒札
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4.拝殿を見る!
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5.膝に子狛犬を抱く珍しい阿形の狛犬
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6.吽形の狛犬
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7.拝殿をアップで見る!
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8.本殿は拝殿の覆屋の中にある!
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9.本殿の内陣の脇の見事な彫刻
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2018/11/1

京丹波を見る!後醍醐天皇の信任の厚かった藤原行房の扁額のある庵我神社!  文化財研修記

京都府福知山市庵我地区中には後醍醐天皇の信任の厚かった藤原行房の扁額(京都府指定文化財)を持つ庵我神社(あんがじんじゃ)。この社の創建は不明ですが宝亀4年(773)に社殿に泥棒が入ったという記録があるので相当以前にさかのぼるものと思われます。府の指定文化財である木造扁額は、後醍醐天皇の親任があつく歌仁でもあった朝廷の要人藤原行房が表に「正二位聖大明神」と書いたもので、それを三角彫りにした鎌倉時代の格式の高い文化財であります。この種の文化財は極めて稀でこの社と中央とを結びつける重要な文化財であります。
福知山市教育委員会社頭掲示板
庵我神社木造扁額 京都府指定工芸品(福知山市字中)
庵我神社は、旧丹波国天田郡庵我郷に所在する延喜式内社で、古くは「続日本紀』宝亀4年(773年)9月条に庵我社として現れます。中世には庵我郷から庵我荘が成立し、京都三条の青蓮院の支配を受けた鎌倉時代には、荘園鎮守の性格を有していました。木造扁額は、檜材の一枚からなリ、現状では右側3分の1のところで割れたものをつないでいます。裏面は長年の風雨によって檜の素地になっていますが、胡粉を塗った白の下地に彩色を施した痕跡が認められます。長方形の一重枠で囲まれた内区の中央には「正二位聖大明神」と彫られています。「聖明神」とは四祭神のうちに神功皇后を祀っているためといいます。裏面は黒塗りとして「元享3年(1323)」の銘と筆者の「藤原朝臣行房」の名が墨書されています。
筆者の藤原行房は、和様書道の一派である世尊寺流の嫡流であり当時一流の能書家として知られ、後醍醐天皇の側近として蔵人頭・左近衛中将を歴任し、天皇が隠岐に流された際も行動を共にした人物です。
この扁額は保存状態の良好な鎌倉時代の扁額の古例であるばかりでなく、能書家行房の数少ない真筆として、また、世尊寺流の書体の典型としてとても貴重なものです。

1.庵我神社の全景
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2.鳥居
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3.巨大なご神木の楠(福知山市指定)
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4.駒札
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5.拝殿を見る!
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6.阿形の狛犬
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7.吽形の狛犬
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8.見事な拝殿
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9.現在の扁額
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10.拝殿と本殿を見る!
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11.本殿んをアップで横から見る!
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12.本殿右手にある摂社の八幡神社・高良厄神社
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13.京都府指定文化財の藤原行房の扁額!
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14.同上 裏面と藤原行房の墨書

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