2018/10/31
京丹波を見る!福知山市の名刹で萩の寺として知られる養泉寺! 文化財研修記
京都府福知山市中375には萩の寺として有名な名刹・養泉寺(ようせんじ)がある。養泉寺は福知山市の北東部、鬼ヶ城山麓にあり、暦応2年(1339)に弧峯覚明(特賜三光国師)の四筵開場の最初道場で、臨済宗南禅寺派の寺院である。絹本着色光明本尊像の福知山市指定文化財もあり、初秋には庭園一面に植えられた萩の花が非常に美しく、「萩の寺」として広く知られている。また、養泉寺には観音堂があるが、この観音堂は中村の山中に大仙寺(真言宗)という七堂伽藍を有する寺であったが、室町時代に廃寺となりこの観音堂のみが残り、元禄4年(1691)に領主の下地により養泉寺に移建されたものである。現在の御堂は嘉永元年(1847)に修築されたもので、本尊は唐草模様透彫の後背の十一面観世音菩薩(木造)である。堂内の格天井は、福知山城舞殿にあったものと伝えられ、81枚の板には百花百鳥が色鮮やかに描かれている。
1.養泉寺の標柱

2.養泉寺全景

3.六地蔵様

4.山門前の標柱

5.駒札

6.見事な山門を見上げる!

7.山門をアップで見る!

8.山門横の駒札

9.見事な本堂と萩

10.本堂右横の鐘楼と観音堂が見える!

11.本堂横の見事な禅庭

12.観音堂

13.観音堂の見事な彫刻(柏原の名彫刻師の中井権次一党の龍の彫刻と思われます!)

14.同上

15.見事な裏庭

http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1699.html
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1.養泉寺の標柱

2.養泉寺全景

3.六地蔵様

4.山門前の標柱

5.駒札

6.見事な山門を見上げる!

7.山門をアップで見る!

8.山門横の駒札

9.見事な本堂と萩

10.本堂右横の鐘楼と観音堂が見える!

11.本堂横の見事な禅庭

12.観音堂

13.観音堂の見事な彫刻(柏原の名彫刻師の中井権次一党の龍の彫刻と思われます!)

14.同上

15.見事な裏庭

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2018/10/26
京丹波を見る!足利尊氏公が後醍醐天皇の菩提を弔うため創建した醍醐寺! 文化財研修記
京都府福知山市猪崎1には足利尊氏公が南北朝時代(1340頃)に後醍醐天皇の菩提を弔うため創建した臨済宗南禅寺派の醍醐寺があります。開山は三光国師(覚明月海)で、一説によると足利尊氏公が京での戦いに敗れて三光国師を伴って丹波路を落ち延びる途中、当地にあった地蔵堂に立ち寄り、寺地とすることに決め、のち弟の直義を普請奉行として堂宇を造営したという。又、この醍醐寺には多くの文化財があり、福知山市指定の文化財としては三光国師像図があり、寺伝では室町時代中期の土佐光信の筆と伝えられています。他の二点は木造約し如来坐像で桃山時代の仏師である康正が元亀2年(1571)に作ったものと、第6代将軍・足利義教公が祈願寺と定めた時、自書の「醍醐寺額下書き」です。いずれの文化財も、この醍醐寺が室町幕府と密接な関係を持ち栄えたことを物語る貴重な資料です。福知山市教育委員会の駒札より。
1.醍醐寺の標柱

2.駐車場から見る醍醐寺

3.六地蔵様

4.山門を見上げる!

5.福知山市教育委員会の駒札

6.見事な山門

7.鐘楼門を見る!

8.山門をアップで見る!

9.鐘楼門と山門を見る!

10.見事な本堂です!

11.丹波半僧坊大権現の駒札

12.丹波半僧坊大権現を祀る!鳥居!

13.同上

14.アップで見る!

15.見事な裏庭の庭園

16.見事に福知山市街が見える!

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1.醍醐寺の標柱

2.駐車場から見る醍醐寺

3.六地蔵様

4.山門を見上げる!

5.福知山市教育委員会の駒札

6.見事な山門

7.鐘楼門を見る!

8.山門をアップで見る!

9.鐘楼門と山門を見る!

10.見事な本堂です!

11.丹波半僧坊大権現の駒札

12.丹波半僧坊大権現を祀る!鳥居!

13.同上

14.アップで見る!

15.見事な裏庭の庭園

16.見事に福知山市街が見える!

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2018/10/21
京丹波を見る!綾部西国観音霊場第31番札所で吉田元陳の描いた襖絵34面を持つ上林禅寺! 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」八津合町(8つの村が合併し、やつあいちょうとなった。)村中には臨済宗南禅寺派の永龍山・上林禅寺(じょうりんぜんじ)がある。綾部西国観音霊場第31番札所であり、山門脇の枝垂れ桜も見事ですが、江戸後期の京都の画家・吉田元陳の描いた本堂の襖絵34面(綾部市指定文化財、合寺前の永勝寺に描いたもの。)が有名です。綾部西国観音霊場31番札所としても知られていますが、地名を寺名としたこの上林禅寺(上林地区の上林)は稀です。永仁元年(1293)の開創以来この地にあった大龍寺と、慶長6年(1601)に混流された永勝寺とが、昭和42年に合寺したのがこの上林禅寺の起こりです。永龍山という今の山号もそれぞれの寺名から一字づつとられたものです。永勝寺は、信長、秀吉に仕え、晩年6千石で上林庄に封じられた藤掛永勝(ふじかけながかつ)の菩提のため建立されたものでした。今のご本尊の聖観世音菩薩像は元、この永勝寺に祀られていたものです。
1.山門の見事な桜

2.満開の桜

3.弁財天像

4.ご本尊の聖観世音菩薩像

5.江戸時代後期に京都の画家・吉田元陳の描いた襖絵34点(綾部市指定文化財)の一つ。

6.同上

7.同上

8.同上

9.下記をクリックして「動画」で襖絵を見て下さい!
https://youtu.be/mPjKLcXy1ZU
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1.山門の見事な桜

2.満開の桜

3.弁財天像

4.ご本尊の聖観世音菩薩像

5.江戸時代後期に京都の画家・吉田元陳の描いた襖絵34点(綾部市指定文化財)の一つ。

6.同上

7.同上

8.同上

9.下記をクリックして「動画」で襖絵を見て下さい!
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2018/10/16
京丹波を見る!臨済宗南禅寺派の一等寺院の梅林山・玉泉寺の文化財! 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡いかるがぐん)」武吉町(たけよしちょう)50に臨済宗南禅寺派の1等寺院(1〜3等にわかれている。)の「玉泉寺(ぎょくせんじ)がある、この寺のご本尊は釈迦・文殊・普賢菩薩の三尊像を祀る。梅林山と号し、慶長6年(1601)能登山獄峰禅師の開創といわれています。この三尊もさることながら、如来堂があり、中には昭和63年4月1日に綾部市指定文化財となった素晴らしい「木造大日如来像」像高90.8センチメートルで、この像は元は武吉町の深山にあった薬師寺に祀られていたが、天正の頃、明智光秀が丹波攻めの時、福知山城を築く時寺の建物を壊し運んだため、村人が諸仏を移し庵に祀ったと「丹波誌」に記された像であり、それから今日まで「大日講」より守られてきた。寄木造りで上半身は平安時代末期の様相をもったつくりで、膝が扁平であり、襞の彫の形式化などがみられ、鎌倉後期のものと言われる。又、昭和50年9月11日綾部市指定文化財となり保存の関係上、京都国立博物館に寄宅してある、「紙本淡彩墨画白衣観音図」を綾部市資料館から提供して頂いたので掲載します。白衣観音は「菩薩の心は白処に住す」と云われるように15世紀頃から頭から布をかむりきわめて実人物的に描かれており、観音の中でも、最も女性的な優しさが表現されています。この図は京都の臨済宗東福寺派本山東福寺に住した、画僧明兆の弟子・霊彩の描いたもので、室町時代中頃のものである。粘りのある線で描かれ、人物が画面に対して小さく、周囲に景色がはいり山水画に近い趣がある。
1.玉泉寺の山門と本堂

2.見事な境内です!

3.本堂に掲げられた本山・南禅寺の長老の揮毫です!

4.本堂に祀られたご本尊・釈迦三尊像です。

5.境内にある大日如来堂の綾部市指定文化財の木造大日如来坐像(鎌倉時代、像高90.8p、昭和63年4月1日指定)

6.紙本淡彩墨画白衣観音図(室町時代、縦93.1pX横37.7p、昭和50年9月11日綾部市指定文化財、京都国立博物館寄詫中)

7.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
http://ayabun.net/bunkazai/annai/gyokusen/gyokusem.htm
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1699.html
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1.玉泉寺の山門と本堂

2.見事な境内です!

3.本堂に掲げられた本山・南禅寺の長老の揮毫です!

4.本堂に祀られたご本尊・釈迦三尊像です。

5.境内にある大日如来堂の綾部市指定文化財の木造大日如来坐像(鎌倉時代、像高90.8p、昭和63年4月1日指定)

6.紙本淡彩墨画白衣観音図(室町時代、縦93.1pX横37.7p、昭和50年9月11日綾部市指定文化財、京都国立博物館寄詫中)

7.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
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2018/10/11
京丹波を見る!見事な府指定文化財の本殿や名彫刻師・中井権次一統の彫刻のある八津合八幡宮! 綾部の文化財
綾部市(何鹿郡いかるがぐん)八合町西屋64には、京都府指定文化財の「八津合八幡宮」がある。本殿は、文化12年(1815)江戸時代時の城主・藤掛(ふじかけ)永恵が再建した。一間社としは規模が大きく、特に丹波・丹後に多くの建築彫刻を残す、第5代中井丈五郎橘正忠と第6代目中井権次橘正忠貞(この6代目から権次を名乗り、現在その子孫は宮津氏在住です。)作の龍の彫刻ある。本家は徳川家康公召し抱えの京都大工頭の中井正清氏で江戸城、駿府城、名古屋城、二条城、仏閣では日光東照宮、久能山東照宮、知恩院、増上寺などを手掛け、そのお墓は京都市の長香寺に大名をもうわまる巨大なお墓がある。その一族が柏原八幡宮の再建を切っ掛けに柏原に在住したと云う。その「丹波の名彫刻師」として江戸時代の中頃から昭和初期にかけて、丹波、但馬、丹後、播磨などの寺社仏閣に龍や霊獣の等の数々の彫り物の作品を残した。
1.京都府決定文化財平成3年4月19日「八幡宮文化財環境保全地区」

2.見事な京都府指定文化財の両部鳥居

3.綾部の文化財を守る会作成の駒札

4.大鳥居から拝殿方面を見る!

5.手水舎

6.二の両部鳥居

7.拝殿を見る!

8.二の鳥居前の阿形の狛犬

9.吽形の狛犬

10.巨大な石灯籠

11.拝殿内陣

12.拝殿後部と本殿を右側から見る!

13.見事な本殿虹梁の中井一統の彫刻

14.木鼻の霊獣です!

15.同上

16.拝殿後部と本殿

17.秋祭りの記事は下記をクリックして見て下さい!
https://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2379.html
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1.京都府決定文化財平成3年4月19日「八幡宮文化財環境保全地区」

2.見事な京都府指定文化財の両部鳥居

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4.大鳥居から拝殿方面を見る!

5.手水舎

6.二の両部鳥居

7.拝殿を見る!

8.二の鳥居前の阿形の狛犬

9.吽形の狛犬

10.巨大な石灯籠

11.拝殿内陣

12.拝殿後部と本殿を右側から見る!

13.見事な本殿虹梁の中井一統の彫刻

14.木鼻の霊獣です!

15.同上

16.拝殿後部と本殿

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2018/10/6
京丹波を見る!京都府北部唯一の国宝の建築物・光明寺の二王門平成の修理が10月完了! 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」奥上林区睦寄町には京都府北部における唯一の国宝の建築物「光明寺の二王門」がある。寺伝によると聖徳太子(574〜622)の開創、その後天武天皇の白鳳元年(673)役行者(小角)修験練行の道場とし、醍醐天皇の延喜年中(900年頃)醍醐寺開祖である弘法大師(774〜835)の御孫弟子にあたる聖宝理源大師(832〜909)が秘教の大道場として中興されたといいます。
国宝光明寺二王門修復の経過と今後
綾部市資料館長 三好博喜
平成二十八年度から始まった光明寺二王門修復工事も最終年度を、迎え、間もなく二王門の威容あるその姿を目にすることができます。前回、昭和二十五年から二十七年にかけての修理では、建物をすべて解体し、根本的な修理を済ませています。昭和の修理から六十五年がたち躯体自体に大きな問題はありませんが、屋根板の痛みや塗装の剥落が進みました。今回の修復では、屋根板の葺き替えと塗装の塗り替えを行いました。
平成二十八年度は古い屋根板を取り除きました。署名のあるクリ板もあり、前回の修復に寄進された方々と思われます。平成二十九・三十年度はクリ板を葺き上げる作業です。厚さ二・四p、長さ七十五pのクリ板を、二十四pずつずらしながら葺き重ねています。板と板との間には薄い銅板を挟みこんでいます。屋根の隅の部材は曲線にあわせて削りだしていて、手の込んだ作業です。
塗装の作業は、古い塗料を掻き落とす作業から始まりました。下地には膠(にかわ)と明礬(みょうばん)の水溶液である礬水(ドウサ)を塗ります。保存されていた古材を調べたところ、赤色塗料が「ベンガラ」だと確認できました。 昭和の解体修理の際に取り替えられた部材は塗りの乗りもよく、若々しく見えます。一方、古材は丸みを帯びて年輪が浮きだし、塗りの凹凸が武骨に見せます。これらが相まって歴史を積み重ねた文化財としての重厚さを感じさせています。 平成の修復工事が終わりを迎えるところではありますが、次回の修復に向けて心がけておきたいことがあります。
文化財としての価値を周知し、市民の皆さんに誇りを感じてもらえる二王門とするとともに、親しみのある観光資源として広く、一般に開放していくことです。
京都府北部の唯一の国宝の建造物の二王門

また、光明寺仁王門を含めて「光明寺境内全体」が京都府暫定登録文化財に指定されています。
光明寺の詳細は下記をクリックして見てください!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1699.html
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修復のため覆われている二王門です!!
国宝光明寺二王門修復の経過と今後
綾部市資料館長 三好博喜
平成二十八年度から始まった光明寺二王門修復工事も最終年度を、迎え、間もなく二王門の威容あるその姿を目にすることができます。前回、昭和二十五年から二十七年にかけての修理では、建物をすべて解体し、根本的な修理を済ませています。昭和の修理から六十五年がたち躯体自体に大きな問題はありませんが、屋根板の痛みや塗装の剥落が進みました。今回の修復では、屋根板の葺き替えと塗装の塗り替えを行いました。
平成二十八年度は古い屋根板を取り除きました。署名のあるクリ板もあり、前回の修復に寄進された方々と思われます。平成二十九・三十年度はクリ板を葺き上げる作業です。厚さ二・四p、長さ七十五pのクリ板を、二十四pずつずらしながら葺き重ねています。板と板との間には薄い銅板を挟みこんでいます。屋根の隅の部材は曲線にあわせて削りだしていて、手の込んだ作業です。
塗装の作業は、古い塗料を掻き落とす作業から始まりました。下地には膠(にかわ)と明礬(みょうばん)の水溶液である礬水(ドウサ)を塗ります。保存されていた古材を調べたところ、赤色塗料が「ベンガラ」だと確認できました。 昭和の解体修理の際に取り替えられた部材は塗りの乗りもよく、若々しく見えます。一方、古材は丸みを帯びて年輪が浮きだし、塗りの凹凸が武骨に見せます。これらが相まって歴史を積み重ねた文化財としての重厚さを感じさせています。 平成の修復工事が終わりを迎えるところではありますが、次回の修復に向けて心がけておきたいことがあります。
文化財としての価値を周知し、市民の皆さんに誇りを感じてもらえる二王門とするとともに、親しみのある観光資源として広く、一般に開放していくことです。
京都府北部の唯一の国宝の建造物の二王門

また、光明寺仁王門を含めて「光明寺境内全体」が京都府暫定登録文化財に指定されています。
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修復のため覆われている二王門です!!

2018/10/3
京丹波を見る!綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の東山町にある浄土宗の天然寺! 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の東山町吹越34−3には阿弥陀如来をご本尊とする浄土宗総本山知恩院派の雲向山・天然寺がある。「山家史誌」によると、本尊阿弥陀如来(長さ一尺七寸坐高三尺四寸)観音、勢至両立し、三尊は安阿弥の作といわれている。地蔵菩薩、十二神は享和二年(1802)春四国浄蓮が再興し、七月二十四日に開眼した。閻魔王は谷道立が再興。寛弘年中(1004〜12)京都比叡山横川恵信僧都、諸国行脚のときに当山に庵室を建て、自ら薬師如来の尊像数体を造って「薬師院」と称した。寛永(1623〜44)の初め頃、二代藩主谷衡政公、浄土宗の僧乗蓮真誉上人に帰依し一寺を建立して雲向山天然寺といった。そして真誉を開基とした。祠堂の田畑高七石を与えた。本堂五間半に四間半、庫裡三間に五間、門行三間横二間、鐘楼一間半四方、薬師堂三間に、地蔵堂は一間半四方子安地蔵と名づけ小野篁の作といわれている。明治十三年六月町の大火により焼失したが、余じんに胎蔵と錫杖を発見し収納した。同年再建した。と記されています。
1.天然寺表示

2.登り参道

3.登り参道脇の六地蔵様

4.本堂への参道

5.本堂を見る!

6.本堂の扁額を見る!

7.本堂前から見る東山町の光景

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1.天然寺表示

2.登り参道

3.登り参道脇の六地蔵様

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7.本堂前から見る東山町の光景

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2018/10/1
京丹波を見る!綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の橋上町にるある丸山神社! 綾部の文化財
京都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)」山家地区の橋上町(はしがみちょう)丸山17には大房天王(おおふさてんのう)と斎神(いつきのかみ)を祀る丸山神社(まるやまじんじゃ)がある。創建等の由緒は不明。旧社格は村社。大房天王および斎神を祀り、明治以降は両社を「大房神社」「斎神社」と称したが、大正7年(1918)に合祀して現在の社名に改称したということです。大房天王と斎神についての詳細は不明です。低山の頂に開けた台地状の境内に本殿と境内社2社が祀られています。手水鉢には明和6年(1769)の銘が刻まれている。
1.丸山神社の大鳥居

2.大鳥居をアップで見ます。

3.登り石段参道

4.境内社の一つ

5.覆屋とその中の本殿

6.阿形の狛犬

7.吽形の狛犬

8.覆屋の中の本殿を見る!

9.駒札

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1.丸山神社の大鳥居

2.大鳥居をアップで見ます。

3.登り石段参道

4.境内社の一つ

5.覆屋とその中の本殿

6.阿形の狛犬

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