2018/5/30

京丹波を見る!足利尊氏公が夢窓国師を開山として創建した普済寺!  文化財研修記

京都府南丹市園部町若森庄気谷76には曹洞宗でご本尊を聖観音菩薩とする普済寺(ふさいじ)がある。本寺は平安時代に天台宗寺院として創建されたとも、足利尊氏が夢窓国師を開山とし、その弟子となった千種姫(尊氏の妹)を開基として創建されたとも伝えられています。その後荒廃し、江戸時代になって寛永11年(1634)に亀山(現亀岡)城主菅沼織部正定芳が天外梵舜禅師を招いて復興し、曹洞宗に改めました。仏殿(観音堂)の建立年代は南北朝時代と考えられ、大きく反り上がる軒、中央が盛り上がる火灯(花頭)形の窓や波状の連子(れんじ)が入る弓欄間など、典型的な禅宗様の仏殿として貴重な建物であり、国の重要文化財に指定されています。仏殿は桁行3間、梁間3間、単層、入母屋造の檜皮葺です。(境内の案内板より)本殿の本尊は聖観音菩薩像で、仏殿(観音堂)には十一面観音像、右脇侍に千種姫像、左脇侍に地蔵菩薩像が安置されています。京都府指定文化財の鰐口は、もとは籔田神社に奉納されていたものと言われています。

1.普済寺の標柱
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2.普斉寺楼門を参道より見る!
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3.楼門 
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4.楼門から本堂を見る!
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5.本堂と茅葺の禅堂(左)
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6.本堂の扁額
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7.千種姫(尊氏の妹)の五輪塔
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8.本堂から仏殿への下り石段
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9.仏殿の駒札(画像をクリックすると拡大し、読めます。)
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10.国の重要文化財の仏殿
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11.仏殿内
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2018/5/25

京丹波を見る!円山応挙が小僧の時、修行した金剛寺(応挙寺)!  文化財研修記

京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内43には円山応挙が小僧時代に種業し、画家となった後、数点の画を残し応挙寺とも呼ばれる臨済宗天竜寺派の福寿山・金剛寺(こんごうじ)がある。本尊は釈迦牟尼仏で開基は高峰顕日(仏国国師)で創建は正応2年(1289)です。国の重要文化財の円山応挙障壁があります。江戸代を代表する画家円山応挙は、8歳から当寺で小僧として生活した。15歳のときに、画家の道を勧めていた住職玉堂の死を機に京都で絵を学ぶことになった。 応挙は画家として名を成後の天明8年(1788)に当寺に赴き、本堂6室の襖53幅と壁4面に「山水図」、「波濤図」、「群仙図」を描いた。この3作は現存し、国の重要文化財に指定されている。又、平成17年には、応挙が玉堂(第4世)を描いた水墨画の掛軸や書簡が当寺で発見されている。

1.金剛寺の標柱
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2.楼門
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3.楼門をアップで見る!(楼門に「金剛窟 朝鮮朴徳源(パクトクウォン)」の扁額がげられているのも、第 11 回目宝暦 14 年の通信使のメンバーであった朴徳源の書で、朴徳源は、朝鮮の書家一覧に名を列す大家で、如何なる理由で金剛寺に扁額が有るのかは想像の域を出ないが、「為日本国僊叟禅師」と刻まれていることから、金剛寺第 7 世の僊叟和尚が通信使の接待役に召集された時、通訳として随行していた朴徳源と親しくなり、直接一筆を要請したことが考えられる。)
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4.駒札
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5.楼門は亀岡市指定文化財です!
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6、楼門から本堂を見る!
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7.新しい本堂と十三重の石塔
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8.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
kongouji.net/

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2018/5/20

京丹波を見る!京都三龍寺の一つ亀岡市の古刹・龍潭寺!  文化財研修記

京都府亀岡市の行者山(431m)の麓の稗田野町太田東谷40にある金剛山・龍潭寺(りょうたんじ)は、1400年代に臨済宗妙心寺派の祖・雪江宗深禅師が開創した大梅寺を始まりとすると伝えられている。1489年火災で焼失したが、1497年細川政元の支援を得て、雪江禅師の弟子特芳禅傑禅師によって再興され、龍潭寺として開山された。京都市龍安寺、南丹市龍興寺とともに臨済宗妙心寺派の三龍寺と呼ばれている。参道脇にある庭園は、岩・石と古木が組み合わされた自然に近い様相を示す境内庭園で、禅宗庭園の枯山水庭園とは趣を異にしている。木々に覆われた境内の静寂は禅寺そのものである。本尊は聖観音で庭園は京都府指定名勝、文化財としては松井雲江像図、特芳禅傑関係資料(府指定文化財)がある。また細川政元の念持仏であった青面金剛童子立像がある。

1.龍潭寺の山門
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2.山門をアップで見る!
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3.参道脇の駒札
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4.参道脇の禅宗庭園
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5.山門から参道を見る!
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6.両脇の庭園
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7.鬱蒼とした木々に囲まれた鐘楼!
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8.弁財天堂
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9.見事な本堂
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10.経蔵
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11.経蔵内部
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12.秘仏の釈迦如来像は見れないが、観音菩薩像が護っています。
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13.天井には見事な竜が描かれています!
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14.開山堂
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15.堂内の本尊特芳禅傑禅師 (とくほうぜんけつぜんじ)像
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16.庚申堂(堂内の青面金剛童子立像は特別に許可を得ないと見れません!)
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2018/5/15

京丹波を見る!ぼけ封じの寺と呼ばれる祥雲寺・天足堂!  文化財研修記

京都府船井郡京丹波町大迫上ノ山36には通称・ぼけ封じ寺の天足さんと呼ばれる曹洞宗の祥雲寺(しょううんじ)がある。承応3年(1654)に山口県のあるお寺の住職だった天足がこの地にお堂を建てて、村人の悩みを聞き、病苦を癒したと言われていいます。天足さんとはかつての住職の事です。そんな祥雲寺の天足堂の両脇には天足が植えたと伝わる樹齢300年以上のヒノキが残っています。左横の木を安楽の霊木、右横の木を長寿の霊木と呼びます。ちなみに天足は「私が死んだ後も病気で苦しい者があれば言いなさい。必ず救います。」と言い残して、このヒノキの下に葬られたといわれています!!

1.祥雲寺の表中
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2.全景を見る!
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3.楽寿観音像
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4.見事な石段参道
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5.山門の近畿楽寿観音霊場第33番札所の標識
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6.十三重の石塔を見ると天足堂と樹齢300年以上の巨大な2本のヒノキ!
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7.天足堂と長寿の霊木
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8.長寿の霊木をアップで見る!
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9.天足堂内
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10.左横の木を安楽の霊木!
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2018/5/10

京丹波を見る!京丹波町本庄の古社・阿上三所神社!  綾部の文化財

京都府京丹波町には古社の阿上三所神社(あじょうさんしょじんじゃ)が4ヶ所あり、今回は本庄にある阿上三所所神社を見ます。この神社の御祭神は豊受比賣命(とようけひめのみこと)、三穂津比賣命(みほつひめのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと) 三神です。創建等由緒は不明ですが、貞観年間(859〜877)以前は天王山の山頂に鎮座していたと伝わり、徳治元年(1306)に現在の地に遷座したとされます。最初は阿上神社と称していましたが、観応元年(1350)に坂原へ、また永徳2年(1382)に下粟野へ分霊し、阿上三所神社と称されるようになったといいます。旧和知町内にある4社の阿上三所神社の中で最古の神社です。旧社格は郷社。神饌幣帛料供進神社。 祭神については上記3柱の誉田別命ではなく、武甕槌命(たけみかづちのみこと)という説もあるようです。 現在の本殿は享和2年(1802)に再建されたもので、三間社流造唐破風付き、柿(こけら)葺の美しい社殿です。また拝殿は建築年代は不明で、明治41年に改修された記録が残っています。

1.大鳥居と扁額を見上げる!
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2.見事な石段参道
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3.拝殿を見上げる!
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4.見事な拝殿
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5.拝殿内の扁額
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6.本殿を見上げる!
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7.見事な本殿の彫刻!
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8.本殿を横から見る!
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9.本殿横の彫刻
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10.摂社群
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11.いぼ水宮駒札(阿上三所神社の鳥居から50メートル程の所に位置しています。)
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12.いぼ水宮
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2018/5/5

京丹波を見る!江戸時代遠州より分霊された秋葉三尺坊大権現を祭る味方の火祭り!  綾部の文化財

都府綾部市「元何鹿郡(いかるがぐん)味方町の味方紫水ヶ丘公園には「秋葉三尺坊大権現」がある。主催は味方町自治会で例年5月5日(子供の日の祭日)に午前10時30分より「秋葉三尺坊大権現奉祀・味方の火祭り」が今年も執り行われた。遠州静岡県秋葉山上に古代より秋葉寺があって、同寺に千数百年前より秋葉三尺大権現が奉祀されており、霊験あらたかな「火防の守り神」として、関東を中心に全国にわたり多数の信者(講中)があり信仰の中心になっていました。明治の神仏分離令により、三尺坊大権現の御神体と物件一式は前期の秋葉寺から可睡斎に遷され、それ以来、秋葉三尺坊は此処でお祀りされるようになった。秋葉総本殿三尺大権現の称号はこの時、起きたものです。叉、別に秋葉山中には秋葉神社があり,これは叉、別途にお祭り行なわれています。一方、この丹波国何鹿郡(いかるがぐん)の綾部九鬼藩では文化年間に多数の火災が起こり、文化三年(1806)味方村(みかたむら)が発起し、京都府何鹿郡を中心に、天田郡東部(福知山市の東部)、船井郡(今の京丹波町、京丹波市)、丹後地方などを纏めて「味方村秋葉百人講」を結成し、この秋葉三尺坊の分霊を祀ったのです。

1.5月5日午前10時30分:紫ヶ丘公園の秋葉三尺坊大権現味方分霊場にて開始!
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2.同上
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3.山武士問答!大槻教会長が霊場の監視役へ入場の要請をされている場面。
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4.無事山伏問答を通かして、大槻京会長により祭事開始!
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5.大護摩供養開始!
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6.もうもうと燃える大護摩!
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7.大槻教会長の「湯立て!」熱湯を被る!
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8.火渡り・ご来賓や一般参列者も参加可能です!
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9.より詳しくは下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1727.html


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2018/5/3

京丹波を見る!昭和前期まで使用された産屋(うぶや)を持ち江戸時代綾部九鬼藩主が崇敬した大原神社!  綾部の文化財

大原神社(おおはらじんじゃ)は、京都府福知山市三和町大原にある神社で。参拝すれば、「天一位」とある御朱印を頂ける。 平安時代前期の仁寿2年(852)に創建されたという。御祭神は、伊邪那美命・天照大日霎命・月読命です。 南丹市美山町樫原大原谷の当社と同名の神社では、当社は樫原大原谷を分祀したものという由緒を伝えている。当社御朱印あるいは扁額にある「天一位」は自称だというが、やはり樫原大原谷の発祥だという。また、東京都中央区日本橋兜町の大原稲荷神社も「天一位」を称する。ともかく、創立以降、累代藩主の庇護を受け、公卿諸侯の尊崇を仰ぎ、とりわけ綾部藩主九鬼侯の崇敬が篤かったという。 現在の広壮な社殿は、江戸時代後期の寛政8年(1796)に再建されたもの。拝殿の唐破風の見事な「龍の丸堀り」柏原の中井権次正貞の作で天保3年(1831)のものです。古くから「大原志(おおばらざし)」と俳句の季語にも詠まれた当社は、この地方の安産信0仰をつかさどる神社として、多くの参詣者があった。 例祭は5月3日で、春季例大祭。宵宮が前日の2日にあり、神興渡御がある。 境内の、神前の清流近くに産屋(うぶや)が建ち昭和の初期まで、産婦が臨月を迎えると、ここに七日七夜篭り、出産に臨んだという。 当社の絵馬群は、丹波地方一の質、量を誇るとされ、府下で5位の古さとなる慶長4年(1599年)奉納「神馬図」や、元禄4年(1691)「平等院(宇治橋)図」などが現存する。 幕末の丹波地方の農耕の1年の様子を描いた「四季耕作図」は、当時の農業の有様を物語る貴重な資料の一つになっている。 また、伝説が記された巻物とともに残されている「蛇のひげ」と呼ばれるものが残されている。その昔、現在の蛇ケ谷の地域を荒らしていた化け物を、石粉主利助という者が退治した時、姿を現し逃げ出した竜が落としたものだという。


1.国道123号線から大原神社の全景を見る!
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2.5月3日(祝)の春季例大祭の幟がある周辺
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3.周辺の見所
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4.石段参道と大鳥居
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5.石灯籠と絵馬殿
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6.手水舎
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7.拝殿を見る!
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8.拝殿
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9.拝殿の中井権次正貞の見事な龍の丸彫り!
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10.駒札
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11.拝殿後部と本殿を見る!
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12.摂社火之神神社
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13.駒札
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14.餅撒きをされる林宮司様
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15.大正琴の奉納演奏
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16.現存する産屋
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